第一五話 諦め
「あんたも……呪いの魔器持ちかよ……」
「驚いたな喋れるのか。それにそれ、なるほど中身は人間というわけか」
ヒカルの露出した肌を指さしながら男が言う。
「あんたは、まぁ黄狐族ってのはわかったけど、普通じゃないよな……」
ヒカルの声に含み笑いで返す。男の癖にやけに長い髪を、ファサッ、と靡かせた。
フォキュアと同じ狐色の髪は黄狐族の特徴なのだろう。
ただ彼女と違うのは、この男にはしっかりと尻尾が生えている事か――
『ヒカル、これは少しマズイかもしれない。ラノベや漫画でいうところの負けフラグがかなり立っている状況だ』
『先生こんな時に冗談ですか?』
『これが冗談に思えるか?』
表現はともかく、確かに先生の発した響きはかなり真剣味を帯びている。
以前ヒカルが対決したハーデルもかなりの手練れだったが、この男は間違いなくそれ以上だ。
まともに相手するのは不味い、ならばどうする?
考え、そしてヒカルが導き出したのは――
「あんたの目的はなんだ? さっき魔器の回収といっていたが、このナイフが目的なのか?」
それは純粋な対話だった。正直こんなものを欲しがってる相手、とてもまっとうな相手ではないのだが、しかし探りをいれつつチャンスを窺うにはいいかもしれない。
そう考えたヒカルだが――
「まぁナイフの回収がメインだが、目的を話す道理はないな。それよりも、もう疼いて仕方ないんだよ。君の下が人間なら――」
その瞬間、再びヒカルの五感から男が消えた。
かと思えば剥き出しになった首に向け刃が走る、だが。
「……へえ」
「そ、そう同じ手を食うかよ」
なんとかギリギリで自分の意志で滑り込ませた刃が直撃を防いだ。
しかし相手の振るった一撃には完全には耐え切れず、蜚丸がまるで刃毀れしたかのような状態に。
そしてこの瞬間交渉が決裂、いや、はなからそんな事が望める相手ではなかった事を思い知る。
『ヒカル! ここは狭すぎて不利だ!』
そしてここで先生の警告。
確かに今のヒカルにとって洞窟の空洞内は手狭に過ぎる。
ならば、とヒカルは踵を返し、匍匐前進のような姿で一気に加速、洞窟の出口を目指した。
感覚を研ぎ澄まして、男がやってきていないかに注意を向けておく。
とはいえ、気配を完全に絶たれてるなら、触覚だけで判断するのは難しいのかもしれない。
だが、それはとりあえずは杞憂で終わった。移動をはじめて間もなくして出口を超え、そこから立ち上がり一番近くの比較的丈夫で、それでいて見つかりにくい梢の上に身を潜める。
この間、僅か一〇数秒の間で行った所為だが、それでも油断は出来ない。
何せここにきて実力が未知数の相手だ。あそこまであっさりとゴキブリ装甲のヒカルに攻撃を加えた相手だ。
ヒカルは場所を確保した直後、破損した箇所をゴキブリの移動で修復し、そして腕の形状を刀からハーデルを相手にした時に編み出した銃型に切り替えた。
ガコンッ、ガコンッ、と装弾する音が頭蓋に響く。
闇穴に向けて狙いを定める。顔を見せた瞬間に容赦なく撃ちこむ――それだけを考えて息を潜める。
散弾のように飛び散るこの武器ならもし相手が回避行動に移ったとしても避けきれない筈。
心臓がバクバクしている。口の中がカラカラに乾く。
それほどの緊張。早く、早く終わらせたい――
そんな思いが頭の中を過ったその瞬間。
(来た!)
狐耳のあの男が、魔器とそれを携帯していた男の亡骸を背負いながら、ヒョイッと穴を抜け地面に脚を下ろす。
その瞬間ヒカルの腕が跳ね上がり、弾丸と化した無数のゴキブリが螺旋の回転を加えながら、空気を切り裂き、超音速で空間を蹂躙した。
だが――そこには遺骸だけが残されたのみで、既に男の姿はなく。
「惜しかったな」
ヒカルの頭上にその姿。しかも自動防御の効かない一閃再び、思わず銃身と化した腕を上げ、自分の意思で攻撃から身を守る。
しかし銃身が切断され、そのまま下に落下した。
腕の先の部分だったからまだよかったが、もしもう少し位置がずれていたならば確実に一本持って行かれていたであろう。
(なんなんだこいつ!)
枝を蹴り、地上に場所を移す。
当然、相手も追いかけるようにヒカルより数歩分前方に着地した。
「もう少し楽しめると思ったんだがな。がっかりだ」
「突然やってきて有無を言わず殺しに来る奴がよく言うよ……」
そう返答しつつも頭の中では、一体この状況をどう切り抜ければよいか考えていた。
とにかく恥も外聞もなく逃げ出すか――しかし、それが成功するかはわからない。
いや、それ以前に恐らくこの男は、ヒカルが背中を向けた瞬間に問答無用で斬りかかってくるだろう。
そんな事を思いながらどうするか逡巡していたヒカルだが、しかし寧ろその隙を相手が見逃すわけもなかった。
相手の姿が消え、かと思えばヒカルを軸に回転するようにしてその身を斬り刻む。
「ガハッ!」
思わず声が漏れ、弾け飛んだゴキブリ達と、斬り裂かれた鮮血まじりの肉片が宙を舞った。
膝が崩れ、ガクリッと地面に膝頭を付けた格好で、すぐ目の前に着地した男を見上げる。
「ここまでか……それにしてもこの死骸、貴様ゴキブリを扱うのか? なんとも珍しい能力だな」
そういいながら冷徹な目付きでヒカルを見下ろす。
それに背中が凍る思いでもあったが、しかしヒカルにはどうしても確認して置きたいことがあった。
「……面白いとは思うが、ここで片付けておいたほうが良さそうだな」
男は最後の宣告を告げ、そしてその手に持たれた不気味な魔剣を振り上げる、が――
「ひとつ、訊かせてくれ」
「……なんだ?」
「なんで、なんであんたがフォキュアの使ってたような技を? 同じ黄狐族だし、知り合い、なのか?」
「……フォキュア――だと? フォキュ、ア、ぐっ!」
すると突然男の様子が激変、頭を押さえ呻きはじめる。
「な、なんだ?」
『ヒカル――』
するとここで先生の思念がヒカルに流れ込む。 その直後。
『落ち着けギュリア――』
声はギュリアと呼ばれた男の持つ剣から発せられていた。
それを耳にし、やはりこの魔剣も言葉を発するのかと目を向ける。
そして――
「おいあんた、フォキュアの事しっているんだな? 一体何者なんだあん……」
「黙れぇええぇえぇええ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇええぇえ! そんな女知るか! 知るか知るか知るかぁああああぁああ!」
叫びあげ髪を掻き毟った後、大きく息を吸い込み、そして再び荒息を整えながら、ヒカルに目を向けてくる。
「フ~、フ~、なるほど、あぁそうだな。そうだお前はやっぱり危険だ。ここで殺す!」
その両目の色が変色し、真っ赤に燃えていた。
何か狂気すら覚えるほどに。
「どうやら、もう抵抗しても無駄なようだな。だったら、せめて一思いにやってくれないか? 苦しむのは嫌なんだ、だから――」
ヒカルは懇願する。そう、苦しみたくはない。だからここで一撃のもとに仕留めてくれと。
「くくっ、いいだろう。だったら望み通り――貴様な首を、刎ねてやる!」
直後ギュリアが再び刃を振り上げ、そして、一閃――三日月状のそれが淀みなくヒカルの首を刎ね、そして黒い頭が回転しながら樹木にぶつかり、暫く地面を転がった末に動きを止めた。
ドサリっと残った身体の傾倒する音。
そして――ヒカルは死んだ。