第一三話 逃げられた?
「うぐぅう!」
ウルフェンの牙がその柔らかそうな肩にめり込んだ。
出血が舞い上がり、レオニーの悲鳴がとどろき、そしてフォキュアが呻き声を上げ、その表情を歪める。
「あ、愛人さん――」
「だから愛人じゃないってば……」
額に汗を滲ませながら、困ったような顔で呟く。
そのふたりの姿を認めたヒカルは――すぐさま地面を蹴りあげ、いまだにフォキュアの肩に牙をめり込ませているウルフェンに近づき脇腹に刃を突き刺し、痛みで牙を放した瞬間、その首を刎ねた。
狼の頭部が宙を舞い、首から鮮血が迸るが、ヒカルは忌々しげにマガモノを蹴り倒し、大丈夫か! とフォキュアの傷口をみやる。
「わ、私は大丈夫よ。それよりレオニーちゃんは……」
「ヒック――」
フォキュアは自分の傷などお構いなしに、レオニーの心配をした。
その言葉にヒカルも彼女に目を向けるが――そこでレオニーがべそをかき始め、終いには大声を上げてわんわんと泣きだしてしまう。
「うぇ~ん、ごめんなさい~私のせいで~」
その様子にヒカルは――どうしていいかわからずワタワタしてしまった。
確かにこれは、レオニーがいうことを聞かずに出てきてしまった事が要因だが、これだけ泣かれてしまうと、どう対処していいか困ってしまう。
だが、そんなヒカルを他所に――フォキュアが地面に膝をつき、そしてレオニーを優しく抱き寄せた。
「いいのよ……レオニーちゃんはヒカルが心配できてくれたんだもんね。でもね、あまり無茶はしちゃダメだよ。レオニーちゃんに何かあったらヒカルだけじゃなく私も悲しいんだから」
その細い腕に包み込まれ、フォキュアの胸に顔をうずめ、ぐすぐすと鼻を鳴らすレオニー。
しかし徐々に鳴き声も沈静化していき、そして顔を上げ。
「……本当にごめんなさい――」
そう言った後フォキュアの肩に目を向けた。
マガモノの牙にやられた箇所は、痕が残り中々に痛々しいが、命に関わるものではなかったのが幸いだったか……
ヒカルもそのことだけには安堵し、フォキュアはレオニーが心配している事を察したようでその頭を優しくなでた。
「これぐらい平気よ。こうみえて勇義士としては私結構優秀なのよ。この程度の傷で泣き事言っていたら務まらないもの」
にっこりと微笑んでフォキュアが言った。レオニーに心配かけないよう、そしてこれ以上罪悪感を植え付けないようにと気を遣ってくれているのだろう。
「でもありがとうなフォキュア。おかげでレオニーも助かった……でも傷は心配だから村長に薬がないか聞いてみよう。包帯とかもあればいいんだけど……」
「心配してくれるのは嬉しいけどヒカル。まだ依頼は終わったわけじゃないでしょ?」
フォキュアの言葉で、はっとして後ろを振り返る。
そこにはマガモノの死体。彼女が相手していたウルフェンは既に事切れていた。
どうやらレオニーを助ける直前にしっかりトドメをさしていたようだ。
だが――一つ足りない。そうウルフェンの死体は全部で五体分、つまり一体分たりないのだ。
「しまった……一体取り逃がしたか――」
眉を寄せ口惜しそうにヒカルが呟く。だが――
「それはちょっと違うわ。逃げたのは私が相手していた内の一体。でもそれは最初から逃すつもりだったのよ」
え? とヒカルが怪訝な表情を見せる。
するとフォキュアが身につけているポーチから何かの液体が入った小瓶を取り出した。
「それは?」
「これはある植物から採取した液でね。結構強烈な匂いで身体とかに付着すると染み付いて暫く取れないのよ。で、私、これを逃げたマガモノに振りかけておいたんだけどね」
そこまで聞いてヒカルは、あ、と声を漏らし。
「そうか……もしかして後を追うため?」
「ご名答~何せこの辺りであんなマガモノが出るなんてこれまではなかったしね。だから後を追えばその原因が判るかもしれないと思って」
なるほどね、とヒカルが頷く。
「そういうわけだからね。こんな傷ぐらいで依頼を放り投げるわけにもいかないし……だから急いで追うわよ」
「え? いやいや! 待った待った、気持ちは判るけどその傷じゃ剣も振れないだろ?」
改めてフォキュアの肩を見ながらヒカルが言う。
何せ彼女が負傷したのは利き手側の右肩だ。
出血もあるし、彼女が言うほど軽い傷でもない。
「大丈夫よ。左腕でならいけるし」
「いや、でも――」
「あの……」
ふたりがこれからの事を話していると、静かな声が割り込んでくる。
それにフォキュアが振り返りヒカルも視線をずらした。
するとそこには心配そうな顔をした村長の姿。
「もしかしてマガモノは全て退治されたのですか?」
村長はウルフェンの死体に視線を這わせながらも口にする。
どうやら何かがあったことを察し駆けつけてくれたようだ。
若干安堵の具合が見られるのは、これで村の問題が解決できたかもしれないという思いからなのかもしれない。
「あぁいえ、まだ完璧とは――」
「村長調度良かった。実は彼女が肩に怪我を負ってしまって、もし薬などがあればわけていただきたいのですが」
「うん? おお! 確かにこれは酷い! え~と確か村で薬草を調合するのが趣味の娘がいたのでそれにわけてもらうとしましょう。どうぞこちらへ」
言って村長が促してくるが、フォキュアは少々弱ったような表情を見せ。
「え? いや、でも私」
彼女は折角の申し出を断ろうとしていた。
使命感が勝ってしまっているのだろう。
だがヒカルとしては、負傷したままのフォキュアを放っておくわけにはいかない。
「ダメだよフォキュア。大丈夫だと思って放置して菌でも入り込んだら大変だ」
「そうですな。出来るだけ早めに処置したほうがいいでしょう」
「ほら村長もこう言ってるし」
「でも……」
「大丈夫。逃げた奴の事は俺が追いかけるからさ」
ヒカルがそう告げるとフォキュアが、え!? と目を丸くさせ。
「ヒカルが一人で行くってこと?」
「そうだよ。大丈夫、俺だってそれぐらい出来るし信用してくれよ」
「で、でもいくら匂いが強いといっても私だから追えるって話で、普通の人がどうにか出来るってものじゃ」
「大丈夫だって。俺はこうみえて鼻には自信があるんだ」
「でも……」
ヒカルが説得するように答えるが、それでも彼女は不安そうである。
「それならレオニーが手伝う! レオニーも鼻には自信があるもん!」
するとそこへ声を上げるレオニー。
自分も役に立ちたいという気持ちが伺えるが――
「駄目だ。今危険な目にあったばかりだろ? それにレオニーにはフォキュアの事をしっかりみていてもらいたいしな」
「ちょっとヒカル……」
「そんなわけですから村長、フォキュアの手当とレオニーの事をよろしくお願いします。レオニーはお姉ちゃんが無茶しないようにしっかりみているんだぞ?」
「はぁ? 何よそ……」
「パパ一人でいっちゃうの?」
「あぁ。でも大丈夫。パパが強いのはレオニーも知ってるだろ? 俺のこと信じて……フォキュアと待っててくれるよね?」
「……うん! 判った! 私ちゃんと待ってる! それに無茶をしないように見張ってるね!」
「ちょっと勝手に話を進めないで――」
「うん! 任せたよレオニー!」
納得がいっていないフォキュアに構わずレオニーや村長と話しを進めるヒカル。
そして――
「それじゃあ村長! お願いしますね!」
「え? あ、はい判りました」
「いや、だから私は、て、レオニーちゃんそんなくっつかれたら」
「ダメ! パパと約束したもん!」
そんなふたりや村長の様子を認めつつ、ヒカルは村を飛び出し、残った一人の追跡を始めるのだった――