第八話 寂れた村
予定を決めた後、レオニーとふたり、ひた歩き、先生のいっていた川のある地点に差し掛かる。
川は緩やかな丘を上った先にあり、流れは急ではないが幅はそこそこ広く、対岸までは木製の橋が掛けられていた。
橋の前には警護の為の兵が立っていたが、ヒカルの姿を見ても特に気にする様子は見せておらず、むしろ温和な雰囲気の男で話しかけると気さくに応対してくれた。
ただ、一応レオニーはフードを目深に被り、耳を隠していた。
どうやら母親からの教えからか、自分が金獅族なのを知られるとまずいということは理解しているようだ。
むしろ、だからこそのフードなのだろう。
よく見るとレオニーは、尻尾も人の前に立つときは器用に服の中に隠している。
ちなみに橋を守る警護兵はこの当たりを収める領主からの派遣、つまりチャンバーネの街から赴いているようである。
宿舎としての小屋も橋の反対側に用意されていた。
といっても、掘っ立て小屋のような簡素な代物だが。
「あんた勇義士だろ?」
「えぇ、わかりますか?」
「格好でなんとなくな。まぁ子連れってのは珍しいけど」
「え? いやこの子はその――」
なんとなく雑談に発展してしまったところで、そんな事を言われヒカルは口篭ってしまう。
どう応えていいか、と迷いがあったからだ。
否定して、兄妹とでもいえばよかったのかもしれないが、すぐに頭が回らなかった。
「うん! パパ心配症だから、私と離れたくないんだって」
するとレオニーがヒカルをフォローするように兵に答えた。
パパと呼ばれ、ヒカルはちょっとどきりとする。
「そうかそうか。お嬢ちゃんはいいパパを持ったねぇ。ただ、あんたもあんま無茶はするなよ。森の外にもマガモノが出ることはあるからな」
顔を引き締めて忠告するように言ってくる兵に、は、はぁ、とどこか曖昧な返事を返す。
すると兵が怪訝そうに顔を歪めた。
しかしヒカルからしてみれば正にその森の帰りである。
だが、あまり突っ込まれても面倒だなと思い、肝心の下流に向かった先に村があるかだけを確認しておく。
「あぁ、小さいが確かにあるぜ。なるほど、そういえばさっきも一人村に向かっていたようだな。その件でか」
兵の男は一人納得したように顎を引き、そんな事を口にする。
「一人? 勇義士がですか?」
「あぁ、そうだが、なんだその件じゃないのか?」
「あ、いえ、そうですそうです。それで急がないといけなくて」
ヒカルはなんとなくその勇義士というのが気になりはしたが、適当にあわせることにし、話を切り上げてレオニーとその場を後にした。
あまり長話してボロが出てもまずいと思ったからだ。
レオニーの事で色々勘ぐられても厄介である。
「助かったよレオニー。ありがとう」
橋から離れ、暫く歩いたところでヒカルがレオニーにお礼をいう。
とっさに話をあわせてくれたおかげで、ちょっとした窮地を逃れることが出来たからだ。
「うぅん。だってパパの為だもん」
レオニーは左右に首を振りながら、笑顔でパパと呼んでくる。
ヒカルはその事に微苦笑を浮かべつつ、レオニーに視線を落とした。
「もう見えてないから、パパと呼ばなくても大丈夫だよ」
「……だめ?」
「え?」
「パパって呼んだら……駄目?」
大きな瞳で覗きこむようにしてお願いしてくるレオニーに、ヒカルは思わず顔を背けてしまう。
あまりの愛らしさに、どんな表情していいか判らなかったからだ。
そんなヒカルの頬は今やだるんだるんである。
「で、でもレオニー、パパって、俺なんかにそんな呼び方いいのかい?」
表情を取り繕い、なんとか再びレオニーに顔を向け直し訊く。
するとコクリと頷き。
「……私、パパの顔とか知らないの。でも、もしパパがいたらこんな感じなのかなって――だから……」
その話に眉を落とすヒカル。まだまだ幼いレオニーだが、にも関わらず父親も母親も失ってしまったのだ。
ましてや父の顔も知らないというのなら……父親の愛情に憧れを抱いてもしかたのない事だ。
「うん。判った。じゃあ俺はレオニーの友達で、そして、パパだ」
ヒカルがそう返すと、レオニーは満面の笑みで、ありがとうパパ~、と抱きついてきた。
それにむず痒く思いながらも、改めてヒカルはレオニーの手を取り、村を目指し歩みを再開させる。
『ヒカル、まさかそのまま、将来妻として娶ろうとか思ってるのか?』
『思ってませんよ! 先生一体なんの話を読んだんですか!』
先生の増えていく知識に、やはり頭が痛いヒカルであった――
川沿いを移動し、ちょっとした森をこえた先にその村はあった。
木の柵で囲われており、木造平屋が多く(といっても軒数二〇程だが)、それぞれの家屋の前には畑があり作物が育てられている。
川沿いの村だけにしっかり灌漑も施されているようで、畑の横には小川のような水路も設けられていた。
また村の中には外の囲いとは別に、柵を設け体格的にはダチョウ、色と顔は鶏に似た鶏冠を持った鳥や、ヤギを放し牧畜を行っている家屋もある。
そのヤギも、よく見るとかなりゴツイ渦巻状の角が生えているので、見た目がヤギって事で判断するしかないわけだが――しかし気になるのは家畜だとしてもあまり数がいないことか? それにどことなく元気が無いようにも思える。
さて、ひとしきり概観したヒカルだが、どうにも寂れた村だな、というのが彼の第一印象である。
村に辿り着いた頃には既に陽が傾き始め、空は見事に焼け上がっていた。
だが、かといって村に人が一人もいないというのはどうなのだろうか? 家屋の中に篭もるには少々早すぎる気もするし、畑仕事が終わってるにしても多少は人の姿ぐらいあってもいいものだが――
そんな事を思いつつも村を回る。
「誰も外にいないね」
ヒカルの手を握りしめながら、レオニーがいった。
そして少し鼻をひくつかせる。
どうやらレオニーなりに役だとうとしてくれているようだ。
「パパ! 向こうに沢山、人の匂い!」
レオニーの指さした先には、この村で唯一の二階建て家屋が見える。
その家屋の横には、屋根と柱に柵だけといったスペースがあり、小さな馬が繋がれていた。
「言ってみるか」
そう応え、レオニーの腕を引きながらその家屋に近づいていく。
すると木製の扉が視界に入ったその時、ガチャリ、と扉が押し開かれ誰かが中から出てくるが――
「え? いやだ! ヒカルじゃない!?」
ヒカルの姿を目にするなり声を上げたのは、可愛らしい狐耳を生やした黄狐族の美少女フォキュアであった。
「驚いたわね。どうしたのこんなところで?」
「いや、それはこっちの台詞でもあるけど……フォキュアこそどうして?」
目を丸め、訪ねてくるフォキュアに、反問してしまうヒカル。
同時に、あの時橋の兵がいっていた勇義士というのは、フォキュアの事であったのかと納得もする。
そして――
「ねぇパパ。このお姉ちゃんだれぇ?」
不思議そうに疑問を口にするレオニーに、思わず、げっ! と表情を歪めるヒカル。
すると、は? パパぁ? という怪訝そうなフォキュアの声。
表情を引き攣らせながら改めてフォキュアの様子を窺うヒカルだが……フォキュアのジト目がそのボディを貫いた。
「……ふ~ん、そっか~へぇ~ヒカルにこんな大きな娘さんがねぇ」
腕を組み、半眼のまま湿った言葉を投げつけてくるフォキュアにヒカルがたじろぐ。
とにかく説明をしないといけない、と必死に伝えるべき言葉を考えるが――
「あ! そっか判ったよパパ! 私こういうのきいたことあるもん! 愛人さんって言うんだよね!」
元気よく自信たっぷりに声を上げるレオニーに、とにかく黙っててくれ! と心で願うヒカル。
子供というのは時折とんでもない事を口走るものだ。
『愛人候補という意味では的を射てるともいえるな』
『先生までなにを!』
脳内で先生に突っ込みを入れると、フォキュアがにっこりと微笑みだす。
その笑顔が殊更不気味に感じた。
そして、ゆっくりとレオニーにフォキュアが近づくと、きょとんとした様子で彼女をレオニーが見上げる。
「はじめまして、ヒカルのただの、と・も・だ・ち、のフォキュアです。宜しくね」
何故か胸が突き刺されたように痛いヒカルである。
そして、かと思えばフォキュアがレオニーのフードの上から手を置き――ヤバイ! とヒカルは焦るが、それはレオニーも一緒だったようで、その手から逃れるように飛び退いた。
が、逆にその勢いでフードが捲れ、金色の獣の耳が顕になり――
「え?」
フォキュアの疑問の声。
そしてヒカルは、即座にレオニーの下へ駆け寄り惚ける幼女の頭に被せ直す。
その後、恐る恐るフォキュアに顔を向け直すが――そこでフォキュアが嘆息し、頭を振った後こう言った。
「どうやら色々話を聞く必要がありそうね」