第六話 嫉妬心
「ミャーチュってば、もしかしてその指輪もアルミス様から頂いたわけ?」
「にゃん。綺麗でしょ? 伯爵様は優しいから色々買ってくれるにゃ」
「本当うまい事やったわよね~。私達なんて全く見向きもされないってのにさ~」
中庭で屋敷に仕えるメイド達が、黒猫族のミャーチュを囲むようにして、羨ましそうに彼女の指輪に目を向けていた。
リングには美しいカッティングの施された希少な紅玉が嵌めこまれており、それを彼女は他のメイドたちに見せびらかすようにしながら、笑みを零していた。
小柄な女で細く靭やかな体つきをしているが、それでいてメイド服の上からでも出るところはしっかり出ているのがよく判る。
黒猫族の彼女はその名の示すように、頭からは黒毛の生える猫耳を有し、メイド服の短めのスカートからは黒く細長い尻尾が伸びていた。
うなじが隠れるぐらいまである髪も黒く、大きな猫目もやはり黒いが、対称的に肌は白くきめ細い。
全体的にはどことなく妖艶な雰囲気も感じられる美しいメイドであった。
「ミャーチュって、最初来た時からアルミス様に可愛がられていたものね」
「でも大丈夫? あまり派手にやってるとデボラ伯爵夫人が――」
「貴方達! こんなところで何油を売っているの!」
メイド達がびくりと肩を震わせ、おそろおそろと後ろを振り返る。
するとそこには、肉付きの良い腕を組み、仁王立ちするデボラ夫人の姿。
その形相に、メイド達が震え上がる。
「も、もうしわけございません!」
「す、すぐにお仕事に戻ります!」
「わ、私も今丁度話を終わらせようとしていたところなので!」
そしてミャーチュを除いたメイド達は、蜘蛛の子を散らすように中庭から立ち去っていく。
だが、猫耳の彼女だけは、一瞬きょとんとした後、とくに何も語らずのんびりとした所作でデボラ夫人に背を向けるが――
「待ちなさい!」
デボラ夫人が怒りの篭った声を張り上げる。
背中でそれを受けたミャーチュは足を止め、ふぅ、と溜息をつきつつも、夫人を振り返った。
「何かようかにゃ?」
首を傾げながら、猫耳を揺らしつつ問いかける。
全く動じていない余裕の笑みに、デボラ夫人の怒りはますます高まった。
「貴方、自分の立場を少しは弁えたらどうなの? 仕事中にそんな指輪を嵌めてちゃらちゃらと……真剣味が足りないのよ!」
「そんな事を言われても困るにゃ。伯爵様からは許可されてるにゃ。それに仕事には影響無いようにこれでも気を使ってるにゃん」
そう言って全く悪びれる様子もないどころか、敢えて手の甲を夫人に向け、指に輝くルビーの指輪を魅せつけた。
その態度にデボラ夫人の肩がプルプルと震える。
「私は、私は絶対に許さない――あの人に色目を使って……獣人ごときが!」
「……正直言っている意味が判らないにゃ。色目なんかは使った覚えがないですよ。ご自分が相手されないからって言い掛かりは止めて欲しいにゃん」
不敵な笑みを浮かべつつ、言い放たれたミャーチュの言葉に、デボラ夫人は目を剥き、そして強く強く歯噛みした。
肌が真っ赤に染まり、血管が顔中に浮かび上がり、最早噴火寸前ではあるが。
「おい、一体何をしているんだ」
中庭に響く男の声。
ミャーチュが猫耳と尻尾を揺らしながら、にゃん、と一言発し声の方へ振り返る。
「貴方――」
「アルミス様~~!」
デボラ夫人の細い声は、ミャーチュの弾んだ声にかき消された。
そして近づく伯爵にミャーチュが小走りで駆け寄り笑顔を振りまく。
「ミャーチュ、一体どうしたんだ? うちのが随分と大声をあげてたが」
「ごめんなさいにゃ。私が全て悪いにゃん。少し休憩をしていたのですが、夫人にはそれが気に入らなかったみたいで怒鳴られたにゃん。獣人のメイド如きが休憩なんて恐れ多かったにゃん……申し訳ありませんにゃん」
今度は猫耳としっぽがしょぼーんと垂れる。
あからさまな、文字通りの猫かぶりなその態度に、デボラ夫人の苛立ちが更に増す。
「そうだったのか……お前も少し厳しすぎだぞ。休憩ぐらい別に良いではないか」
アルミスの発言でデボラ夫人の表情が一旦は落胆したものに変わったが、それでも夫人はキリッと眉を引き締め、夫に反論した。
「休憩時間はしっかり決めておりますし、場所も用意してあります。それに今叱っていたのはそれだけではございません。その娘が指に嵌めている指輪についてもです。少なくとも仕事中に着けるようなものではないでしょう? 誰かにプレゼントされて浮かれているようですがね」
デボラ夫人の刺のある発言に、アルミスは思わず渋面を作ってしまう。
自身の夫でありながらも、判りやすい男だとデボラ夫人は思った。
「アルミス様もう判ったにゃ。この指輪は外すにゃん」
「……いや、別に仕事に差し支えなければ問題ないだろ。お前は小さなことでめくじらを立てすぎだ。彼女がメイドとしてしっかり仕事をこなしていることは私も認めるところだ、だからもういいだろう。さぁミャーチュ仕事に戻りなさい」
「はい。ありがとうにゃん」
ミャーチュは愛らしい笑みを浮かべ、アルミスにお礼を述べるとその場を後にした。
その後姿を眺めながら頬を緩める夫に半眼を向けつつ、デボラ夫人は口を開いた。
「貴方は本当にあの子には甘いのですね」
「ば、馬鹿を言うな! 別にミャーチュだけ特別というわけではない! 大体お前が厳しすぎるんだ。そんな事ではすぐに使用人が逃げてしまうぞ。以後気をつけるんだな」
アルミスは妻を指さしつつそう告げると、踵を返し中庭を後にした。
その背中に嫉妬心の入り混じった視線を受けている事など気づきもせず――
◇◆◇
『だから貴方は元の美しさを取り戻したいのよね? 自分よりメイドの獣人にうつつを抜かす夫を取り戻すため』
はっ! とした表情でデボラはあの男から受け取った杖に視線を戻す。
暫く歩きながら過去の事を思い出していた。
尤も過去と言っても、それほど前の記憶ではなかったのだが。
デボラは今屋敷の廊下を歩いている。屋敷に居住する殆どの者はまだ寝ている時間だ。
だが、夜の見回りを任されているメイドはこの時間でも屋敷内を歩き回っていたりする。
「……本当に貴方のいうことを聞けば、私は美しさを取り戻せるの?」
『本当よ。それは保証するわ。だからしっかり見た目の良い使用人を探すことね』
杖がデボラ夫人に求めたのは、とりあえず若くて見た目の良い女に話しかける事であった。
その先どうなるかは出会ってから判るという。
デボラ夫人は正直半信半疑の気持ちが強かった。
だが、杖が語りかけてくるというのはこれまでにない経験であり、この杖がなんらかの魔術を施された道具である事は間違いがないだろう。
それが人語を解する程の強力な物であれば、そのような若返りの奇跡を起こせても不思議ではないかもしれない――そう思い、夫人は杖の言うことに従っている。
「あ、お、奥方様! ど、どうなされましたか? このような夜更けに?」
屋敷をデボラが歩いていると、ランプの光が見えたのでその脚で光の差す方に近づいていった。
そこで遭遇したのがこの娘である。
メイド服を着たこの娘は名をシャインと言い、まだ使用人として雇われて間もない少女だ。
年齢は一三歳、若いようにも思えるがこの世界では働く年齢として別段珍しくもない。
ただ、雇用されて日も浅い者は大抵は面倒事は押し付けられるものだ。
夜間の見回りもそういった理由で任されたのだろう。
見回りに任命された使用人は、大抵は睡眠時間を削られることになる。
とはいえ、これは皆が通ってきたみちなので別段イジメとか嫌がらせなどといった類ではないが。
娘は小柄な女で頬に浮かぶそばかすが特徴。
目は大きくパッチリしていて、全体的には可愛いと呼ばれる部類だろう。
本人はそばかすを気にしているようだが、それがまたチャームポイントという者もいる。
「……たまには私も見回りしてみようかと思ってね」
「そんな! そのような事は私どもにお任せ下さい。もしも奥方様に何かあっては大変ですので」
シャインは両手を左右に振り、慌てた口調で述べた。
これは勿論デボラが心配という事もあるだろうが、もしここで引き止めず何かあったなら、処罰されるのは自分であることに間違いがないからであろう。
「……確かにそうね。私のせいで貴方に余計な心配をかけさせても悪いわ。でもね、一つお願いがあるのだけどいいかしら?」
デボラは少しでもメイドを安心させようと笑みを浮かべたつもりだが、シャインは明らかに動揺していた。
それほどまでに自分の笑顔が醜くなっているのか、と悲しい気持ちになる。
だが、それだけが理由ではない。屋敷とは違い一度外に出てしまえばデボラの態度は豹変する。
屋敷の中では伯爵の正妻としての立ち振舞をある程度維持してはいるが、街にでて特に獣人を相手にした時の態度はとても貴族のそれとは思えない傲慢で身勝手なものだ。
そしてその積み重ねによって、どんなに貴族としての振る舞いを取り繕っていても、いつのまにか心から笑えない、喜べない、常に何かに苛立ちを覚えている、そんな女になってしまったのだ。
そしてそれは普段の何気ない仕草にも滲み出てしまう。
故に、デボラの笑顔をみても使用人達は思わず畏怖してしまうのだ。
「は、はい、どのような事でもなんなりと――」
恐れ多そうに頭を下げるシャインに、溜め息で応じつつ、デボラはついてくるよう命じた。
シャインは大人しく後ろについて歩いてくる。
デボラはそれから暫く廊下を歩き続け、今は殆ど使われていない一室の鍵を開けた。
各部屋の鍵はメイド長や執事が管理している分の他に、伯爵と夫人も一本ずつ携帯している。
デボラが部屋に足を踏み入れ、そしてシャインにも入るよう促した。
その部屋は今はちょっとした物を置いておく程度の小部屋であったが、掃除は毎日欠かしていないようで、ガランとしているが綺麗ではあった。
シャインがデボラの後に続き部屋に入り、扉を閉めた。
ガチャン――という響きの後、部屋の中心でお互い向かい合うが、なんとも言えない静寂がその場を支配する。
メイドが緊張しているのは見て取れた。デボラも何か話すべきかともおもったが、そもそもこの後どうしていいかが判らない。
この杖は、若い女を見つけろとは言っていたがその先までは聞いていない。
この場で訊ねてみるのも手だが、メイドの前でいきなり杖に話しかけでもしたら、気でも狂ったのか? と思われてもおかしくない。
それで躊躇してしまうデボラだが……シャインの表情が緊張とは別に怪訝さも滲み出てきている。
このまま沈黙を続けたなら、どちらにせよ変な目で見られるだけか、と思わず苦い顔を見せるデボラだが――
『ふふっ、中々若くて可愛らしい子ね。これなら大丈夫だと思うわ』
杖の声がデボラの脳裏に響いた。
え? と思わず漏らした言葉に、どうかされましたか? とシャインが反応する。
「い、いえなんでもないわ。ごめんなさいね。え~とそれでね……」
なんとか誤魔化しつつ、意識を杖に向けるデボラ。
すると脳内にまたあの声が響く。
『この声は貴方の頭に直接届けているから、そこの女には聞こえていないわよ。さて、それじゃあ始めましょうか。あ、貴方も頭の中で会話は可能だから』
『こ、こんな感じかしら? 何か不思議な感じね』
杖の所為に応じるようにデボラも頭のなかで言葉を返す。
『そうそういい感じよ。さて、それじゃあ私の言うとおりに。貴方の持っているその杖、それの先端を先ずそこのメイドに向けるのよ』
デボラは不思議に思いながらもシャインと杖を交互にみやる。
シャインは未だデボラ夫人の心意が掴めず困惑した様子、そして杖の先端に取り付けられた紅玉は、かつてミャーチュが見せびらかすように身につけていたルビーを思い出させた。
ぎりりと歯噛みしつつ、デボラは紅玉がメイドの顔の前に来るように杖を突き出した。
シャインは目を丸くさせ、
「あの……奥方様一体何を――」
と呟くが……その瞬間絶叫がデボラの耳を貫き、その瞳が赤黒く染まった。
いや瞳だけではない、デボラの太いその身が赤黒く染まっている。
それは目の前のメイドが突然発火したからだ。その炎の色は赤黒かった。
デボラの身を染めるのはシャインを包み込んだ炎の色だ。
その様子に暫くデボラは声が出てこなかった。
一体何が起きているのか思考が追いつかない。
顔を掻き毟り、可愛らしかった顔が炭化していく様子に、ようやくデボラは現状を理解した。
「そんな……どうして、こんな――」
『貴方が望んだことよ』
両手で口元を押さえ愕然とした面持ちで呟くデボラに、その杖が応えた。
「な、何言ってるの! 私は若返りたいと願っただけよ!」
『だからよ。この杖で燃やし尽くした分だけ貴方の願いは叶うの。ふふっ、気がつかない? この炎の色は貴方の心を映している。自分にないものを持っている女達に貴方は酷く嫉妬していたはず。だから私が貴方の望みを叶えてあげるの。彼女たちを燃やし尽くし醜い姿に変え、その代わりに貴方にかつての美しさを取り戻してあげる』
そんな……そんな――と、デボラは慄き、自らの行為に恐怖する。
だが――
『落ち着きなさいな。冷静に思い出してみなさい。この女が貴方に向けていた目を。普段からまわりからどうみられていたか……影で彼女たちが何をいっていたか』
杖から届けられたその言葉は、正に悪魔の囁きであった。
デボラの脳裏にミャーチュの姿が、そして影で囁く醜悪なメイドの姿が浮かぶ。
「……そうだ――こいつらは私を馬鹿にした! この私を! 領主たるデボラ伯爵の妻であるこの私を! 屋敷のものだけじゃない! 街の者達も揃いも揃ってこの私を……許せない、許せない! そうだ! 死ね! 死ね! 死ね! そして、この私にその若さと美しさを――寄越せ!」
シャインの肢体がボロボロと崩れていく。その様子を見つめ、死ね! と繰り返すデボラの表情は狂気に満ちていた。
『ふふっ、それでいい。そして安心してデボラ。この炎は全てを燃やし尽くす。声だって貴方や私に聞こえるだけで外には漏れない。音だってこの炎は燃やす。証拠なんて何も残さない――だから、これからも宜しくね、デ・ボ・ラ』