第五話 獣人幼女
とりあえず狼藉者の四人を始末した後ヒカルは、何かを庇うように身を沈め、ヒカルを見据え続ける獅子に近づいていく。
あの四人に向けていた殺気は既に感じられない。
獅子の下から聞こえてきていた女の子の声は、今も続いてはいるが、大分疲れているのか、その声は小さい。
「あの、そのなんだろ、俺の言っている言葉は判るのかな? あの連中はとりあえず倒しといたから危険はもうないと思うけど……」
後頭部を擦りながら、どう接していいか悩むヒカルだが、金獅子は一つ頷く仕草を見せた後、突如その身が徐々に萎んでいき、かと思えばその黄金の毛に覆われた四肢が、白く美しい肌に変化していき、両手両足も人のソレと変わらないものに――黄金の毛の代わりに生えてきた金色の髪は美しく、つまりさっきまで獅子だったその様相は、瞬時に美しい女の姿へ変貌を遂げたのである。
それをみてようやく金獅族という名称の意味を理解したヒカルである。
ただ……困ったことに人の姿になった彼女は一糸纏わぬ状態であり、思わず目のやり場に困ったヒカルは顔を背けてしまう。
だが、その後聞こえてきた女の子の悲しい声に気が付き、そんな事を気にしている場合でもないか、と思い直し再び顔をその恐らくは母娘に戻した。
女の肢体につい目が行ってしまったが、獅子から人の姿になったことで、今まで庇われ続けていたもう一人の姿も確認できるようになった。
声の感じから、まだ小さい女の子かな、とヒカルも予想はしていたが、実際にまだ六歳か七歳ぐらいの幼女であった。
恐らくは母親であろうそれと同じ金色の髪を生やした幼女だ。
大きな瞳からは、ぼろぼろととめどなく涙が溢れてきている。
その瞳もまた黄金の虹彩であり、その為かは判らないが、流れる涙もキラキラと煌めいているようにも思える。
そして、倒れたまま優しく微笑んで女は幼女の髪を撫でていた。
母娘ともそうであるが、頭からは獣の、獅子の耳が生えていて、お尻からも同じく獅子の尻尾が生えていた。
みたところやはりふたりは獣人のようである。
「大丈夫か?」
ヒカルは、この状況でなんとも間の抜けた質問だなとも思ったが、他に何を訊いてよいか思いつかなかった。
「……た、すかりました、ありがとう……」
「お礼なんていいさ。それより早くなんとかしないとな。苦しそうだし――」
「ママを! ママを助けて!」
と、そこへ振り向いた幼女が縋るように言ってきた。
その訴えに勿論ヒカルは応えてあげたいところだが、しかし女の首が左右に振られた。
「私はもうすぐ、死にます。自分の事ですから、良く判ります……ですから、勝手なお願いかもしれませんが、この子を引き取っては頂けないでしょうか?」
俺が!? とヒカルが自分を指さし驚きの声を上げた。
「ママ~嫌だよ! 死なないで! お兄ちゃん助けて、助けてよ~」
「あ、あぁ、勿論みすみす死なせる気はない。おいあんた、俺に任せるとかそういうのはとりあえず後だ。街に戻って――」
『無理だヒカル』
ヒカルの言葉を遮るように、先生の声が脳裏に響いた。
「無理、だって?」
『……ヒカル。近づいたことで判ったが、その金獅族の雌は瘴気病に掛かっている。この世界では不治の病とされているものだ。ここまでその姿を維持できただけでも凄いことだが、もう限界だろう』
瘴気病? とヒカルは繰り返し眉を顰める。
すると母親がヒカルを見つめながらコクリと頷いた。
「随分前には発症しておりました。その為本来の力も発揮できず、娘共々捕らわれてしまい……ですが貴方は私達を助けてくれた上、奴らの取り引きにも応じなかった……貴方だったら信頼できる」
そこまでいって、母親はレオニー、と娘の名を呼んだ。
レオニーという名の幼女がヒカルから母親に身体を向き直し、そして駆け寄ると、母親の腕がその小さな身体を包みこんだ。
「レオニー……貴方は私の娘。とても強い金獅族の血が流れてま、す。だから、わかるわ、ね? これで私とはお別れ……でも悲しまないで、お空の上からいつまでも見守っているから……だから――」
母親がちらりとヒカルを覗き見る。
なんと応えてよいか迷ったが、先生の言うことに間違いはない。
きっともう長くはないだろ……ヒカルは決心し大きく頷く。
それを了承と判断したのか、母親はレオニーの頭を撫でながら、
「これからは、このお兄ちゃんを頼りなさい。彼からはいい匂いがします。きっと貴方の助けになってくれ、る、だか、ら――」
そこまで言ったところでレオニーを撫でる手が止まり、そして力なくダランと地面に投げ出され――その身体がボロボロと朽ち始めていく。
「――さようならレオニー、どうか、この子を、お願いしま、す……」
最後にそう言い残すと、母親の身体は完全に朽ち、そして灰となって消失した。
ママ~~! と叫ぶ幼女の慟哭が森にこだました――
この世界にはまだまだヒカルの知り得ない事が数多く存在する。
今回ヒカルはそのことをとかく痛感した。
瘴気病なんていうのはまさに今初めて知ったものだからだ。
そして先生から改めて知らされた説明によると、この大陸ではかつて大きな戦があり、その時に大量に生まれたのが、人や生物に害なす瘴気という代物だ。
マガモノが生まれる原因もこの瘴気によるところが大きいらしい。
ただ現在最も瘴気が多く溢れる地には魔法による結界が張られており、それで大部分の瘴気は遮られているようだ。
しかし、それでも完璧とはいかず、僅かな量ではあるが、結界から漏れた瘴気が大気にのって漂い、大陸中に広がっている。
しかし濃度が薄い為、生物に悪影響を与える可能性は殆どないとか。
ただ、あくまで殆どないだけなので、稀には瘴気病という形で発症するものがいる。
今回の金獅族の母親に関しては、その稀というケースに該当したようだ。
『それって俺も発症する可能性があるって事ですか?』
ヒカルは気になって先生に脳内で訊ねてみたが、その答えはノーであった。
『私達とヒカルのいた世界のゴキブリには共通点も多い。環境適応能力というのが正にそれにあたる。つまり我々ゴキブリは既に瘴気に順応しており、瘴気病に侵される心配はない。そして私と同化したヒカルも当然その恩恵は受けている』
なるほど……とヒカルは納得を示すが。
『……あれ? でもそれってもしかして俺、毒や病気には……?』
『そのとおりだ。少なくともヒカルはそういった類ではもう困ることはない。例え毒キノコでもヒカルならば平気で食べることが可能だぞ』
ヒカルはなんと応えてよいか判らず、苦笑いを浮かべる。
別に無理してまで毒キノコを食べたいとも思わない。
『でも先生。それならば先生の身体からワクチンを作ることも可能なのでは?』
ヒカルは当然のようにそれを聞いた。
もしかしたらワクチンという考え方が広まってないのかもしれないが……だがそれなら知識を伝えることで何とかならないだろうか? という思いもある。
『難しいだろうな。そもそも瘴気病はヒカルの知識にある感染症ともまた違うし、我々と人では構造や性質が異なりすぎる。ヒカルのように同化したなら話は別だが、これは私だから出来たことだ』
ままならないものだな――そう思い、再びその目をレオニーと呼ばれていた少女に向ける。
するとほぼ同時に彼女も立ち上がり、ヒカルを振り返った。
そしてその姿に……思わず目を奪われたヒカルである。
改めて見るとかなりの美少女だ。いや年齢的にはやはり幼女といった方がいいのかもしれないが……
身長はヒカルの腰ぐらい程度。体全体がぷにぷにというかもちもちというか、とにかく柔らかそうだ。
幼いからか頭が大きな四頭身ボディで、衣装は、麻で作られたヒカルと同じチュニックタイプだが、フード付きで丈は膝が隠れるぐらいまである。
腰のあたりを帯のような物で締める事で、腰から下がスカートのように広がっていた。
肌は黄色系で、目が大きく虹彩は母親と同じくゴールド。
眉毛と髪も金色で、猫の体毛のように細く、前は可愛らしく額が顕になっていて、長さは先ほど確認した限りは後ろはうなじが見えるぐらいまで、全体的にはミディアムで左右に広がりがあり、癖毛のようで外側への跳ねが強いが――寧ろそれもまた可愛らしいとヒカルには思えてしまう。
「あ、あの……」
若干見惚れた感じでヒカルが呆けていると、レオニーの方からおずおずと言った様子でヒカルに語りかけてきた。
は、はい! と何故か上擦った声で返事するヒカル。
自分の出した声に恥ずかしくなりその顔が紅く染まった。
「……マ、ママがお兄ちゃんを頼れって、それで、その――」
目を逸らし、地面を見るようにしながら、指をもじもじしているその姿が可愛くもあるが――
(そうだよな……いきなりそんな事を言われてもこの子だって不安だよな)
戸惑う幼女の姿に、自分がしっかりしないとな、と、両頬をパンッ! と叩く。
肩がビクッと震え、レオニーがヒカルを見上げてきたので、怖がらせないよう精一杯の笑顔を浮かべ、腰を落として視線を合わせた。
「俺の名はヒカルっていうんだ。君のママに頼まれて……いきなりの事で気持ちが落ち着かないかもしれないけど――良かったら俺と友達になってくれないかな?」
え? とレオニーの両目が丸くなる。
ヒカルはそれに再度ニコッと微笑んで応えた。
友達という言葉を使ったのは、まだ母親を失って間もない彼女に引き取るや養ってあげるなどといった言葉を掛けても、重みに思うかもしれないと思っての事だった。
「実はさ、俺も迷い子みたいなものであまり知り合いもいなくて寂しいと思っていたんだよ。だから友達として一緒にいてくれると嬉しいかなって」
ヒカルがそこまでいうと、レオニーはまた瞳を逸し、今度はどこか照れくさそうな様子を見せながらヒカルに訊ねる。
「わ、私でいいの?」
「勿論さ。むしろ君がいい。もちろん良かったらだけど……いいかな?」
「……お兄ちゃんは、お兄ちゃんは私を置いていなくならない?」
ちらりとヒカルの顔を覗き込むようにしてレオニーが言った。
その言葉の意味に、胸が締め付けられそうになるが、笑顔は崩さず、そして真剣な空気を纏わせ。
レオニーの頭を優しく撫でる。
「勿論だ。俺は大事な友だちを置いていなくなったりしないよ」
「……だったら、だったら私お兄ちゃんのお友達になってあげる!」
声を上げヒカルの胸に飛び込み、そして、離れないって約束だよ、と呟いた。
「勿論さ。だから……友達として君の悲しみもしっかり受け止めるよ。だから……悲しみはここで全て置いていこうな――」
頭を撫でながらヒカルが囁くように告げると、レオニーが胸の中で頷き、そしてわんわんと泣いた。
ヒカルはまだ幼い少女が悲しみを吐き出し終わるまで、優しく抱きしめ続けた。
『……つまりヒカルはロリコンだったというわけか』
『いや、なんで!?』
先生の無駄に仕入れた知識が恨めしいヒカルなのであった――