第三話 ゴキブリ戦士誕生
『何だやっぱり抵抗あるのか?』
ヒカルがゴッキーを摘んだまま固まっていると、先生がそう問いかけてきた。
ちなみにゴッキーに関しては先生がその呼び名を気に入ってくれたので今後はそう呼ぶことにしたのだ。
「い、いけると思ったんですがね……」
予想以上に抵抗感を感じるのは今が平常であるからだろう。意識が朦朧として思考能力が低下してたときとはやはり考えかたもかわる。
『仕方がないなではこれでどうだ』
(え?)
ゴッキーがそう述べると、なんとその身体が変化し、妙に細長くそれでいて綺麗なエメラルドグリーンの体色に変化した。
ぱっと見ちょっと綺麗な宝石にもみえる。ただ脚や触覚はやはりゴキブリのそれだが。
「てかこれは?」
『うむ、これは私の本来の姿だ。ただこの姿だと少々目立ちすぎてしまう事もあるのでな。今までは一般的なゴキブリの姿に擬態していたのだ』
なるほど、とヒカルは頷く。
とは言え――確かにこれであれば少しはマシかと、ヒカルは喉を鳴らし。
「ではいきます」
『うむ。では契約だ!』
そして一息にゴッキーを飲み込んだ――
◇◆◇
『おい! 大丈夫か? おい!』
う、う~ん、と頭を振りながらヒカルは上半身を起こした。
どこか頭がぼ~っとする、もしかして今までのことは全て夢だったのか? 等と思ったりするが。
『おお目覚めたか。全く突然倒れたからどうしようかと思ったぞ』
頭に響く声が、やはりこれは現実であることを再確認させてくれた。首を巡らすが場所も湿気のある洞窟の中で変わりがない。
「俺、気絶しちゃってたんですね……」
『うむ。まぁ大した時間ではないが、やはり契約を介しての融合だ。気絶ぐらいは仕方ないのかもしれないな』
はぁ、とヒカルが気のない返事をみせる。改めて考えるとやはり現実感がない。
『で? どうだ体の方は?』
「え~と、そうですね……」
そういってヒカルは立ち上がり、身体を捻ってみたり屈伸したり、首を回してみたりもしたが、意識も回復してるし、特に節々の痛みのようなものも感じられない。
「問題無さそうです。一応元気ですね」
『そんな事はあえて言わなくてもわかる。それより同化したことで何か感じることはないか?』
と、言われても、と顎を押さえ、そして何かに気づいたようにきょろきょろと辺りを見回す。
「そういえばゴッキー先生はどこから声を? 見当たりませんが?」
『当たり前だろ。お前は私を食べて同化したのだからな。私はお前の中にいる、ほれその服を捲ってみろ』
え? 服をですか? といいつつヒカルは決して綺麗とはいえない白シャツの裾に指を掛ける。
そこにきて何となく、そういえば白シャツにチノパンだったな、なんてわりとどうでもいいことを思考する。
しかし冷静にみればかなりの薄着である。暖かい地域であったからまだいいが、雪でも降ってたらその場でアウトであったかもしれない。
とはいえまぁとりあえずとシャツの裾に指を掛け、えいっ、とめくり上げる。
そして、おや? と僅かに首を傾げる。ヒカルはこの異世界に飛ばされる直前は餓死寸前であった。
つまり身体もヘタしたら骨と皮だけというぐらいにまで痩せこけていた。
それで良くオークから逃げれたな、と思わなくもないが、それは謎の異世界パワーということでいいとして、今の身体つきに関してはかなりの変化があった。
何せ身体にはしっかり肉があった。しかも中々に引き締まった筋肉で、細いが力強さを感じるものだ。
腹筋も見事に割れている、いわゆる細マッチョというものだろう。
「先生、俺変化がありました!」
思わず嬉々とした声をだす。
『そうか良かったな。で、私はみえるか?』
見える? と困惑の声を発した直後、うわっ! と叫び上げる。
ヒカルの目に映るは自分の身体を這いまわるエメラルドグリーンの物体。
「え? ゴッキー先生? なんで俺の身体を?」
『契約し同化したといっておるだろう。だから私はお前の身体の外側であれば自由に移動が出来る』
そういって額の部分にまで移動してくるゴッキー。だが動いてるなという僅かな感覚はあれど、特に痛みや不快さはない。
なんならちょっと可愛らしいペットが同居したみたいな感覚だ、ゴキブリだが。
「でもこれが先生のいう力って奴ですか? 確かに肉体的には中々逞しくなって嬉しいですが」
ヒカルは思わず筋肉を誇るポーズのようなものを取りながら問いかける。
間違っても第三者には見られたくない姿だ。
『馬鹿をいえ。こんなのは私の力のほんの一部でしかない。第一この程度の変化じゃ人としてちょっと強く慣れたぐらいで、強力なオーク等が相手じゃどうしようもないだろう』
「え? でもそれじゃあ――」
ヒカルは思わず顔に不満を貼り付けた。折角この状況を打破しようと決死の覚悟で契約をしたのに、意味が無いとあっては不満が出るのも仕方ないといえるが。
『ふむ、不安になってるようだが安心しろ。こんなのは私の力の一部だといったであろう? むしろ私にとってもここからが本番だ』
「というと、何か他に凄い力があるのですか?」
『うむ。理論的にはこれでお前もどんな超強力な相手であっても舌をまくぐらいの力を手にすることが出来る』
そ、そんなに、とヒカルが喉を鳴らす。
「そ、それでその力というのは?」
『うむその力とは――お前自身をゴキブリにする力だ!』
「…………はい?」
思わず間の抜けた声で問い返す。
『ふむ、まぁ言われても理解できないか、それもそうであろう、百聞は一見に如かずというしな』
ヒカルはそんな言葉よく知ってるな~、と密かに感心した。
『さてそれでは早速実践だ。ヒカルちょっとお前自分がゴキブリになるイメージで集中してみろ』
え? ゴキブリですか? と困惑の声を発す。確かにいきなりそんな事を言われても中々難しいが。
『そうだ早くしろ』
ゴッキーが急かすようにいってくる。どうやら早く自分でも効果がみてみたいようだ。
仕方がないとヒカルは瞼を閉じ、ゴキブリになるイメージをもつ。
するとどうだろうか、突如洞窟内のあちらこちらからガサゴソと何かの蠢く音が耳に届き、そして全身を覆う奇妙な感触。小さな何かが足先から腰、腹、腕から首まで這い上がってくるではないか。
思わず目を開けるヒカルであったが、その視界に映るは多量のゴキ! ゴキ! ゴキ! 何千、いや何万というゴキブリ達がヒカルの身体に群がってきているのだ。
「ちょ! これは! し、ゴッキー先生~~!」
『いいから黙って待っていろ。別に取って食われるわけじゃない』
確かに、そういわてみれば、別にゴキブリ達がヒカルの肌に噛み付いたりしてる様子は感じられない。
しかし感覚的には決して気持ちのいいものではないが――それでも今は信じるしかないか、と瞼を再び閉じ、じっと耐え忍んだ。
そして暫く続いたゴキブリの蠢く感触が次第に薄れていき、そしてある瞬間にピタッ! と収まった。
『よし! 予想通り上手くいった! 完成だ。ほれ早く確認してみるがいい』
ゴッキー先生の言葉と収まった感触に、ヒカルはそっと瞼をこじ開けるが。
(あれ? よく見えない?)
そう。目を開けるも何か薄暗いなという事と、非常にぼんやりとした見え方で何が起きているかさっぱり理解が出来ない。
「せ、先生! これじゃあ何も見えません!」
『うん? あぁそれは目を頼ってるからだ。今のお前はゴキブリと同じなのだから、目じゃなくて触覚を頼ってみるとよい。きっと目以上に色んな事がわかるはずだ』
触覚? とそこでヒカルが頭に手を伸ばしてみると細長い何かに指が触れた。
位置を確認し握ってみると、確かに頭頂部から左右に一本ずつ触覚が伸びているのが判る。
これが触覚か、と少し戸惑いを覚えつつも、意識を触覚に集中してみる。
すると瞬時に周囲の情報がそのままダイレクトに脳と直結したような感覚に陥る。
非常に不思議な感覚だが、確かにゴッキー先生のいうように、三六〇度全方向の情報を手に取るように知ることが出来た。
これが触覚の力かと感嘆する。何せ自分の姿すらまるで少し遠くから全体を眺めているように全てをしる事ができるのだ。
そして同時にやはり自分の今の姿にも驚きを隠せない。まず全身は真っ黒の体色に変化していた。これはやはり集まったゴキブリたちの色に関係してるのだろう。
しかもただ黒いのではない。ゴキブリ特有の油を塗ったようなテカリもしっかり引き継いでいる。
ただ見た目がまんまゴキブリというわけでもない。
寧ろ姿として身体つきだけ見るには、筋骨隆々な逞しい男といった雰囲気でもあるからだ。雰囲気的には変身ヒーローを思わせる感じでもある。
すこし硬質系な感じもあるが、それはゴッキー師匠のいうところの鋼鉄以上の頑強さに関係してるのかもしれない。
ただ背中に関してはやはりゴキブリの面影を強く残していた。背中を広げるのを試してみたが、やはり半透明な羽もしっかり生えている。
『その羽は一応は使えないこともないが、飾り程度だと思ったほうがいい。そんなに長時間飛べるわけではないからな』
これは、ゴッキー先生がヒカルへ補足的に教えてくれたものだ。
確かに地球のゴキブリもそれほど飛ぶのが得意ではなかったので、そのへんは異世界でも同じなのだろう。
羽をしまい、今度は顔も確認する。が、これは中々ショックがでかいともいえた。
何せ見た目には昆虫そのものだ。卵型の大きな瞳は色が赤一色で、そして見る限り口はない。
「でもこれでよく喋れるな~」
と、口に出た言葉もしっかり聞き取ることが出来た。先ほどからも声は出ていたが、どうやら会話は問題なさそうだ。
だがくぐもって聞こえる感じでは有る。
『言葉はヒカルの口から直接喋れているはずだからな。マスクを被ってるようなものだから声は少し遮られる形になると思うが』
なるほどね、と腕を組んで納得する。さて、とはいえひと通り自分の状態を確認することが出来た。
あとはこの先どうするかであるが――ヒカルは早速触覚の力を頼ることにした。洞窟の外へ向けて意識を集中してみたのだ。
更に同時に耳も欹てる。何せこの姿になってから聴覚も相当よくなってる気がするのだ。
『今のヒカルは、力そのものはこの世界のゴキブリを人間大にしたものと考えて良い。触覚のセンサーもそれに合わせて範囲が拡大してる。ゴキブリの触覚は温度や動き、匂いもそして周囲の魔力を正確に感知する。特に形や色が正確にわかるのは魔力からくる情報が大きいのだ』
ゴッキー先生の説明で、周囲の情報が視覚的にも画像のように鮮明に捉えることが出来る理由が判明した。
魔力を察知というのは地球のゴキブリにはない力だ。
『さらに耳はかすかな空気の乱れすら見逃さない。蟻の一匹が動き回る音さえ感じ取れる程だからな。これだけでも相当な能力である事がわかるだろ?』
得々と話すゴッキー先生に、凄いですね、と相槌を打つヒカル。勿論実際に体験していて凄いとは思っているのだが、先生の話にそこまで真剣に耳を傾けているほど余裕があるわけでもない。
とにかく今は一旦外に出て、再度周囲の確認から行おうと試みることにした。
ただ体格でみればかなり逞しくなってるので、このまま洞窟の外へ出れるのか? という心配もあったが――それは杞憂に終わった。
心配するまでもなく、それどころかそうとうな速さで外にでることが出来たのだ。
匍匐前進のような形で移動したが、まるで昔から知っていたかのような昆虫に近い動きが再現出来たのである。
「なんか凄いな……」
『何をいっている? まだまだこんなものではないぞ』
ゴッキー先生の言葉に期待半分不安半分といった形のヒカルであるが、外に出て改めて触覚の力で周囲を探る。
あのオークはもういないか……と、そう安堵仕掛けたその時。
「きゃぁああぁあああぁ!」
女性の悲鳴が森の奥からその耳に飛び込んできた――