第一話 呪いの大地
ここマーズ大陸中心部にはかつて呪いの帝王と呼ばれし呪皇帝フルーフが統治せしバルサン帝国が存在した。
呪皇帝フルーフは各地に眠る数多の呪われし魔器を手中に収め、手にした呪いの力が宿りし装備を使いこなす術を生み出し、そして、その力を極限まで引き出すことで、圧倒的なまでの戦闘力を身に付ける事に成功した。
そしてフルーフは、手にした呪いの魔器の何本かを力ある側近達に譲り渡し、更に帝国の研究施設にて、呪いの魔器の製造と量産を優秀な帝国魔術師達に命じた。
こうして作り上げた魔器は帝国騎士達に支給され、その力により帝国は圧倒的な武力を誇る軍事国家へと変貌を遂げた。
呪皇帝は、その恐るべき力をふるい周辺諸国にも問答無用で攻め入り、その版図をみるみるうちに広げていった。
そして侵略を続ける最中、自らが操る呪いの力と、魔力とを組み合わせた唯一無二の力、禍力を編み出し、その力を使いマガモノと称される化け物をも生み出し、更にその威勢は揺るぎないものとなった。
これこそがバルサン帝国の皇帝フルーフを呪皇帝とまで言わしめた要因である。
バルサン帝国の侵撃はマーズ大陸全土を脅かした。
帝国は侵撃の手を緩めることなく、生み出したマガモノは各国の領土に向けて放ち、内と外から蹂躙を続けた。
人々は、暴威を振るい続ける帝国の魔の手が、いつ自分たちの暮らしにまで及ぶのかと戦々恐々な気持ちで毎日を過ごした。
バルサン帝国は暴君にして大陸の覇者と自らが豪語する呪皇帝フルーフによる独裁国家であった。
皇帝に従わないものは問答無用で殺される。
人々に恐怖のみを与え、平穏などは望まない。
それがバルサン帝国のやり方であった――
だが――そのような暴挙を手を拱いて見ていられるほど人は愚かではなかった。
わずか三年で大陸の三分の二を掌握するほどの力を持つ帝国に、生き残った多くの諸国はすっかり弱腰になっていたが、そんな中ジョウジ王国の国王だけは諦める事なく、そしてまだ生き残っていた国々に呼びかけた。
「今こそ我々は一つの巨悪に対し団結しこれを向かい討つべきなのである! 我々が人としての暮らしを望むのであれば! 人間としての尊厳を保ちたければ!」
この宣言をきっかけに帝国以外の国々が一致団結し連合国として帝国への反撃を開始した。
そして――何千、何万という骸を戦地に積み上げながらも、徐々に連合国によってバルサン帝国の版図は塗り替えられていき、そして遂に帝国を追い詰め帝都を陥落させ、呪皇帝フルーフの首は討ち取られた。
だが連合国にとってこの戦いは険しい道程であった。
なにせ、帝国が僅か三年で制圧した版図を取り戻し、そして帝都を陥落させるまでには、その三倍を超える一〇年という歳月を要したのだ。
それまでにどれだけの国が疲弊し、多くの民が貧困に喘ぐ日々が続いたか――
だが、それだけの歳月を掛け、数多くの屍の山を築き、この戦を終え勝利した連合国に待ち受けていたのは決して楽なものではなかった。
戦火に巻き込まれた街の復興、疲弊した土地の再生、帝国によって野に放たれていたマガモノの駆除、食料の確保から難民支援に至るまで、そういった山のようにあふれるそれでいて次々に沸き起こっていく問題。
だが各国はなんとか協力体制を維持し、地道ながらも少しずつ人も大地も元気を取り戻し、平和の足音も聞こえ始めていた――ただ一部を覗いては。
◇◆◇
かつてはバルサン帝国の領土であり、今は呪いの大地と称される旧帝国跡地の周りは巨大な壁で囲われている。
大陸のど真ん中に位置する旧帝國跡地を囲むように作られた壁は、かつての戦争で連合軍が勝利した後、各国が協力し合い築き上げたものであった。
その東西南北の国々を跨ぐようにしてぐるりと囲まれた防壁は総延長三〇〇〇kmに及び、高さは最大で五〇メートルに達する。
このような壁がなぜ必要となったのか、その理由はふたつ。
先ず一つ目は壁の要所要所に設置された塔を利用しての結界の構築。
腕利きの魔術師達の協力により塔内に特殊な魔法陣を構築することで旧帝國跡地を覆うように結界が展開され、これによって濃度の高い瘴気が壁の外側に漏れ出さないようにしている。
そしてふたつめは押し寄せるマガモノの猛攻を防ぐため。
これに関しては壁に頼るだけではなく、各国が壁添に堅牢な砦を建築し、マガモノが壁の外側に出てこないように常に観察し眼を光らせている。
つまり瘴気と旧帝國跡ないに存在するマガモノ……このふたつに対応するために建築されたのが旧帝国跡地を取り囲むように存在する厚い壁であり、それに付随する砦や塔なのである。
ただ、これらの対応策も穴がないわけではない。例えば瘴気に関しては濃度の薄いものは結界では阻みきれずどうしても外に流出してしまい、それが原因で新たなマガモノが壁の外側でも生まれたりしている。
尤も壁の外側で生まれたマガモノに関しては帝国跡地で生まれるものよりも実力は劣るため、各地の勇義士の活躍により被害は最小限に食い止められてはいるが。
だが、これは逆に言えば旧帝國跡地――今は呪いの大地と称される壁の内側で生まれた存在はそれだけ驚異的という事でもあり……
◇◆◇
ジョウジ王国との国境沿いにその砦は存在した。
そして、ここウォール砦は、王国軍正騎士が配属される駐屯所や砦の中で、最も過酷な場所とされている。
帝国と連合国との間で一〇年という歳月をかけ行われ続けた大戦も終わり、それぞれの国々も領地は戻り、今やその関係は比較的良好だ。
国同士のいざこざもなく、戦争の爪痕も少しずつ解消され平和を取り戻しつつあるのだが――にも関わらず、この地は今もなお戦乱の世を彷彿させる様相を保ちつつけている。
その要因は、マガモノの存在である――
そもそもマガモノとは、かつてのバルサン帝国が猛威を振るっていた時代、呪皇帝フルーフの創りだした禍力によって生まれし存在とされており、本来の呼び方も禍物というのが正式な名称とされる。
だが、呪皇帝フルーフの死はその禍力の暴走を生み、そして瘴気となって帝都を中心に半径五〇〇kmを覆い尽くした。
当時、帝都壊滅作戦に挑んだ連合軍の規模は総勢二〇万に及び、皇帝を討ち取った直後も一〇万以上の兵士や騎士が残党やマガモノと戦いを繰り広げ続けていた――
だが、呪皇帝の死の直後、その瘴気にあてられ殆どの者が死亡、更に数千近くがマガモノに変貌し、帝都から脱出できた兵の数は僅か数十人といったところであったという。
そして瘴気が満ちた範囲では、大地が森が大凡生命と言えるものの殆どが死滅し、完全に腐敗した大地と変わり果ててしまい、帝国跡地は呪われた地として完全に封鎖された。
だが帝国跡地で厄介だったのは、あふれた瘴気によって数多くのマガモノが絶え間なく生み続けられていると言うことである。
そして――呪いの地で生を受けたマガモノは例外なく徒党を組み国境越えを狙ってくる。
それを迎え撃ち、なんとしてでも死守するのがこの砦に配属された騎士や兵士、そして彼らを援護する魔術師の役目である。
マガモノは壁の外側にも存在し、それらのマガモノは日々勇義士の手で駆除され続けているが、この前線に押し寄せるマガモノはそれらとはレベルが桁違いだ。
特にこのウォール砦は、周辺諸国の中でもマガモノの猛攻が最も激しい場所とされている。
配属された者は当然腕利きの人材が選ばれるが、それでも一ヶ月間生き残れたなら御の字と言われるほど厳しく、配属されて直ぐの戦闘で命を落とす者も少なくはない。
そして今もまた――
「お伝えいたします! 監視塔より伝令! 北北東よりマガモノの群れ確認! その数二〇〇! タイプは獣系一五〇! 人型五〇!」
騎士や兵士の表情に緊張が走る。
マガモノはその種類こそ豊富だが、監視塔から見つけ報告までに時間を掛けていては直ぐに砦の目の前まで迫ってきてしまう。
それぐらい帝國跡地のマガモノは強力だ。
故に今は、大まかな形状でのみ伝えるのが当たり前となっている。
尤も、特に厄介な能力を持つような物が混ざっている場合はそれは強調して言う。
それがないという事は、今攻めてきているのは一応はこのあたりでは常識的なタイプといったところなのだろう。
だが、それでも全く安堵の色が感じられないのは、その常識的なタイプでさえ油断したならば突破されてもおかしくないからである。
「全員配置につけーーーー! グズグズするな-ーーー!」
砦を任されし司令官の声が砦に響き渡る。
そして前線に配置された兵士や騎士は、二〇〇匹のマガモノを相手し、いつも通りマガモノの進撃を阻止した。
その被害が、新人五人の命で済んだのは幸運だったとも言えるだろう。
冷たいようだが、それでも熟練の騎士や兵士が死ぬよりは遥かにましなのである。
「これで終わればいいのだが……そう甘くは行かないか――」
作戦室で、この砦の責任者でもある司令官が独りごちた。
一人も死人が出ない日が奇跡とさえ言われるこの砦で、彼は二年以上司令官を勤め続けている。
紙屑のように人の命が失われていくこの場所では、それだけ生き残れただけでも驚異的ともいえるだろう。
その為か、階級も大佐にまで昇格していたりもするが――
そんな彼が瞑目し気持ちを落ち着かせていると、一人の部下が声を掛けてくる。
「大佐、実は一つ気になる噂が広まっておりまして……」
「噂? 何だそれは?」
「はい――その、なんでも旧帝国領に、単身出入りしている人物がいるらしい、と、黒いローブを纏い顔もわからないような者らしいのですが……」
その話を聞き、大佐は一つ息を吐き出す。
「馬鹿らしい。第一そんな者を目にしたなら身柄を一旦確保するのが基本だろう。それにお前も知っての通り、国境から先は生身の人間が生きていける場所ではない。我々とて強力な魔法の付与があるからこそ、何とかマガモノと対峙しているのだぞ?」
「……確かにその通りなのですが……見たものの話だと壁の中に溶けこむようにして消えてしまったとか……それを何人かが見ているというので一応ご報告をと思った次第です」
部下の続けての説明に大佐は額に手を添え頭を振る。
「判った。ならばこんど目にしたなら壁に溶けこむ前に捕まえておけと言っておけ。もしそれが幽霊だったなら私達の出る幕じゃないけどな」
大佐の反応に知らせにやってきた部下も苦笑した。
彼自身もこんな話は到底信じられるものではないなと判っていたからだ。
ただ、どんな些細な事であれ、一応は報告しておく必要があるなと彼は判断したのである。
失礼しましたと告げ、部下の男は部屋を後にした。
その姿を認めた後、大佐は大きく溜息をつく。
単純な侵入者というのはこの周辺でも珍しくはない。
どこでどう流れたかは判らないが、旧帝国領には、まだ見つかっていない財宝が数多く隠されているという噂が実しやかに囁かれているからだ。
それを狙ったトレジャーハンターを名乗る連中は、国境沿いに築かれた防壁を乗り越えたりと様々な手を使って入り込もうとする。
だからこそそういった連中を、直接確保するのも砦を守る兵士や騎士達の仕事だ。
とはいえ、なかに入っていた連中が五体満足で戻ってくる事などないわけであり、そんな連中放っておいてもいいだろうとさえ思えたりするが、厄介なのは、その馬鹿な連中がマガモノ化する場合があることだ。
その為、砦に配属された者達は、マガモノの討伐だけではなく、そういった面倒な連中の相手もしなければいけない。
噂にある壁に消える男も、そういった連中の一人だった可能性があるなと大佐は考えた。
一応壁を越えようとする連中は、全員捕獲対象ではあるが、直前にマガモノとの攻防があったりした場合は、どうしてもチェックがあまくなる事がある。
そういう時には、壁を乗り越えて中に入っていってしまうのを止めきれない場合だってあるものだろう。
きっとこの噂は、そういった失敗を隠すために生まれたものだろう。
そんな事を思いながら司令官の男は自虐的な笑みを一人浮かべた。
なんとも出来の悪い嘘だなと思ったからだ。
なにせ壁の向こう側の瘴気に当てられて、生きていける人間などいないことは、砦を守る者達にとっては周知の事実である。
そんな嘘、ついたところで本来は直ぐにバレて当然。
だが、それが嘘とはされず噂となって流れるのは、それだけここの環境が厳しく、全員が精神をすり減らしてそれでも任務を全うしている故の弊害だろう。
だが、そんな彼らを、彼らの嘘も失敗も、大佐は責める気にはなれなかった。
それにしても――何度目かも判らない嘆息をし、大佐は独り呟く。
「もし万が一にもそれが本当だとしたら、それはもう人間ではなく化け物だろうがな――」
◇◆◇
かつては研究棟と呼ばれた実験施設を拠点に、その男は活動していた。
帝都などとっくに陥落し、そこはとても施設と言えないようなボロボロの建物と化していたが、男はその中から使えそうな道具をかき集め、ボロボロの紙に研究成果を書き溜め、そして今もなおその研究を続けている。
男はひたすら研究漬けの毎日を過ごしていた。
男にとって目的は呪皇帝フルーフが自ら愛用したそれや、フルーフが力を認めた側近達に分け与えし呪いの魔器。
それは今となっては古代の負の遺産とも称されし災厄の黒魔女が生み出した呪いの魔器。
その災厄の魔女の生み出した魔器を超える、呪いの魔器を生み出すこと、それこそが男の目的であった。
だが、帝都が威勢を振るっていた頃、皇帝が彼に求めたのは呪いの魔器の量産であった。
どこにも負けない武力を手に入れるため、他の魔術師と協力して呪いの魔器を量産することを男に求めたのだ。
それは男にとっては苦痛としか思えない所業であった。
量産するために生み出す魔器など、所詮は災厄の魔女が生み出した芸術品を劣化させたものでしか無い。
そんな紛い物では当然男の目的など達成できる筈もないのだ。
しかし、災厄の魔女の生み出した呪いの魔器の力を完璧に近い形で引き出し、禍力などといった破壊の力を手にした呪皇帝に逆らう心など当時の男は持ち合わせていなかった。
だからこそ不本意ながらも、その研究にも尽力した。
しかし呪いの魔器を完璧に使いこなしているように思えた呪皇帝も所詮は人の子であった。
呪いの力を掌握せし術など偉そうな事はいっていたが、それが出来たのも蓋を開けてみれば、とてつもない精神力で抗い続けていただけという単純なもの。
しかしそれだけで永遠に封じ込めて置けるほど、災厄の魔女が生み出した呪いの魔器は甘くはなかった。
影響は先ず皇帝が認めし側近たちに出始めた。
使いこなしていると思い込んでいた連中が、その力を抑え続ける事かなわず、二年、三年と歳を重ねるごとに次々と暴走していったのである。
だがそんな中でも呪皇帝フルーフだけは、最後まで自我を保ち続け呪いの力を掌握し続けることを諦めなかった。
流石唯一無二の力、禍力を生み出した男である。
だがそれでもそこから更に数年後には、完全に自我が保てなくなるほどにまで変わり果て、その結果指揮系統が完全に乱れ、帝都にまで連合軍の進撃を許すことになってしまったのである。
そして結局帝都陥落の際には、呪皇帝フルーフは完全に暴走し、自らの臣下もろとも攻め入った連合軍の手のものを斬り殺し、最後には自らの首を刎ね自害した。
そしてその死を持って呪皇帝の生み出した禍力が開放され、瘴気となって帝都とその周辺を覆い尽くし、呪いの大地を、マガモノの巣を、創りだしたのである。
だが帝都から、いや、その周辺から全ての生物が消え去った直後、男は自分がまだ生き延びていることに気がついた。
そして男はそれを奇跡、とも、運がよかった、等とも思わず――
ただ、これが己の運命であることを悟った。
帝国崩壊後、男はほぼゼロからのスタートであった。
彼にとって不運だったのは、この帝都戦の影響で、量産された呪いの魔器だけでなく、災厄の魔女が生み出したそれすらも粉々に砕け散ってしまっていたこと。
これでは研究をしようにもベースとなるものもなく完全に手探りで行う必要がある。
しかしそんな中、不幸を幸運に変える発見を男はする。
呪いの魔器は、確かに本体こそ使い物にならなかったが、本体から飛び散った黒水晶の欠片には、呪いの魔器を形成せし力が残っており、更に言えば呪いの魔器にとってこの水晶こそが核であることに男は気がついたのである。
それを知ってから男は本格的に研究を再開させた。
そして研究を続けながら、自分の身体の変化にも気がついた。
男は空腹を感じなくなっていた。睡眠も必要なくなっていた。そして疲れることもなくなっていた――
更に言えば、呪皇帝の持っていた禍力を自らも操れるようになっていた。
尤も禍力に関しては、全盛期の呪皇帝には遠く及ばないものであったが――
しかしその力は、呪いの魔器を生み出す上では、この上なく役に立った。
男は不眠不休で研究に没頭し続け、遂に水晶をベースに呪いの魔器を生み出すことに成功した。
それを男は先ず、外側の国の闇市に流すことを思いついた。
そして購入した人間が、一体どのような変調をきたすのか見ておきたかった。
だが男はすぐにそれが失敗であったことを思い知ることとなった。
一度闇市に出てしまった物の足取りを追うのは、予想以上に大変だったからである。
更に男の生み出した呪いの魔器の効果は予想以上に大きく、騒ぎがすぐに広まってしまった。
結局呪いの魔器は帝国が残した負の遺産として各国に知れ渡り、見つけ次第直ちに回収もしくは破壊という決定までくだされてしまった。
このような経緯から男は呪いの魔器に関する実験のスタイルを変更。
自らが創りだした呪いの魔器にあった持ち主を探し出し、手渡す形に切り替えたのである。
そして――今また一つ、男の手によって呪われし魔器が生み出された……
「さて、これは一体誰にくれてやろうか?」
第三部開幕です