第一七話 ゴキブリ兵器
逃げろ――その言葉にヒカルは愕然となった。
なぜそんな事を言うのか暫し理解も出来なかったと思う。
「せ、先生! なんでそんな事を言うのですか! 逃げろなんてそんな!」
そして――張り上げる声を。既に念話は相手に筒抜けな以上声を出してもバレることはない。
だが本人としてはそんな事を意識していたわけでもなく、ただ、信じられないといった思いが思わず言葉に出た。
『落ち着けヒカル。状況を見ろ。あまりに条件が悪すぎる。この洞窟ではお前は勝てない。その蜚丸だって、接近できなければダメージは与えられないんだ』
「でも! 先生の言っていることは、つまりフォキュアを見殺しにしろと! そういう事だろ!」
口調が変わる語気が荒くなる。自分で自分を抑えられない。
だが先生の言っている事が間違っていないことも頭の何処かでは判っていた。
風圧で動きを遮られては折角の機動力もいかせず、更に乗せられる爆炎は徐々に装甲を削っていく。
ジリ貧――まさに今の状況に相応しい言葉、だが……
「ふむ、逃げるか。なるほどそれもいいだろう。ならば我も伝えよう。もしお前たちが本気で逃げたなら、我に追いつくことは不可能だろう」
ヒカルの内側の目が大きく見開かれる。
一体なぜそんな事を言うのか? と怪訝に思い敵を見やる。
「だが、もしお前たちがここから逃げるというなら、あの女は見せしめに殺す。しかも尤も残酷な方法で、苦しみに苦しみを重ねるやり方で、我は殺す」
ヒカルの身が強張る。この魔斧が本気なのはその冷たい声音で理解が出来た。
この呪いの魔斧はヒカルがこの場から逃げたなら、間違いなく言ったことを実行に移す。
「……先生これでも俺に逃げろと言うのですか?」
『そうだ。はっきりと言おう。あの女は諦めろ。お前が命を失ったところでどっちにしろ殺される。そんなのは只の無駄死にだ。だったら自分の命を再優先に――』
「黙れよ! もういい黙れぇえぇええぇ!」
ヒカルは吠える。精一杯腹の底から、怒りをそして自分を諦めさせないように。
「俺は、俺はまだあの子に何も返せてない。それなのに見捨てられるわけがないだろ先生?」
『…………』
先生の言葉はない。だが代わりに降り注ぐは相対する者からの呪いの調べ。
「どうするか決まったか? 言っておくが我もそこまで長く待ってやるほど優しくはないぞ」
『……ヒカルもう一度だけいう。今のお前では勝てない。場所も悪い。その武器では相手に接近できなければ倒すことは出来ない。しかし判っているはずだ。相手は生み出した風の力で動きを阻害している。それを破ることはいくら今のヒカルでも不可能だ』
そんなこと判ってる! と叫びたくなる。頭のなかでどうするという言葉が渦を巻く。
偉そうな事をいったところで、何も打開策を生み出せなければ先生のいうように無駄死にだ。
フォキュアだって殺されてしまうだろ。
しかし――ふと右手の武器を見る。切れ味は最高。だが近づかなければこの武器では、近づかなければ?
ふとヒカルの脳裏をよぎるアイディア。この状況を――
「そうか……無理に接近しようとするから行けないんだ」
一筋の光明。しかしそれは決して間違いではないはずで。
『……ヒカル?』
「いける! いけるよ先生!」
興奮するヒカル。そして直後――
『ヒカル何をしている?』
先生の疑問の声が脳裏に響く。先生にも理解が出来ないこと。
ヒカルは右手の太刀をまず消し去った。
折角の武器を無くしたこと。それが理解できなかったのだろうが。
直後響く重音、組変わる腕。その形状がみるみるうちに変化していき。
「……なんだそれは?」
「さぁ、なんだろうな」
魔斧も怪訝な様子で問いかける。
しかしそれにはっきりとは応えないヒカル。
そんなヒカルの右腕は――腕のサイズと同じ筒型に変化していた。
「……よくは判らないが、戦いは続けるという事だな」
「あぁそして、俺がお前を打ち砕く!」
「……どうできるか、やってみろ!」
猛る声に合わせて再び斧が振るわれる。洞窟内に生まれし暴風の風がヒカルの進行を阻害する。
だが、ヒカルは防御の姿勢はとらず、右腕はしっかりと目標に向け――
「ショルダーチャージ!」
ヒカルの声に合わせて、彼の体からガコン、ガコンという機械的な響きが広がった。
「ふんどういうつもりかは知らないが、爆炎に包まれるがいい!」
魔斧の右手に再び炎の玉。
しかしそれを暴風に乗せようとしたその時――
「これで決める! ゴキブリバレット・スパイラルショット!」
ヒカルの腕から轟音が響き、その勢いで筒と化したそれが跳ね上がる。
刹那――
「ぐがぁああぁああぁ!」
前方より呻き声。それは魔斧グリーディルアックスより発せられたものだ。
ヒカルの触覚には確かな感触。
炎を現出させていた腕からは灯火が掻き消え、そればかりか右腕は胴体から離れはるか後方まで飛ばされていた。
ハーデルとしての顔も三分のニ程が砕け、体中には無数の穴。
だが、このグリーディルアックスにとっては本体の魔斧にもかなりの欠損がみれた事の方が大きいのだろう。
そしてその残された片目で、一体何が!? と訴えかけるような視線を向けてくる。
ヒカルは何も応えない。先生も沈黙のままだ。
だがこれでもう勝利は確信した。
やはり自分の考えは間違ってはいなかった。
ヒカルの見つけた突破口。近づくのではなく、遠くから相手を倒す事。
そして絞り出したイメージを己の腕で具現化した。
それは銃。ヒカルはイメージを仲間に伝え、己の腕を銃身に――いや、その口径の大きさを考えれば、砲身ともいっていい代物かもしれないが。
だが、銃を創っても弾はどうするのか?
しかしそれはヒカルの身にまとっているクロガネゴキブリの形状が解決に導いてくれた。
クロガネゴキブリはヒカルのいた世界のゴキブリと異なり、胴体部分が膨れ上がっている。
そしてそのゴキブリに二つ組み合って貰うと、その形状は弾丸に近い形になる。
つまり、この新しい武器は弾丸すらもゴキブリで出来ているわけだ。
だが尤も大事な火薬はどうするのか? いや――そもそも必要がない。
そう必要がないのだ。ヒカルは己の創りあげた銃身に蜚弾を隙間なく装弾し、そして己を包むゴキブリたちに命令した。
起点に設定した位置の端から次のゴキブリに力を込め、高速で体当たりしそれを次々と繋げていけと。
そうすることで、銃身に近づくごとに伝わる力は増幅し、弾丸を押し出す超圧力に変わる。
ヒカルが最初に行ったショルダーチャージは拳銃でいうトリガーを引くのに値する行為である。
つまり肩から始まって銃身までゴキブリパワーを伝える。
しかし例え肩からでもその数は数千に及ぶ。それだけのパワーと圧力が乗った状態で敵に向けて弾丸を発射したらどうなるか――
その答えが今の魔斧グリーディルアックスの有り様である。
数多のゴキブリパワーによって押し出された黒い弾丸は、更に二匹が重なり合っていることでお互いが回転し、本来ライフリングによって生まれる螺旋の回転すら再現している。その弾速は射出された瞬間には音速に達しスナイパーライフルをも軽く凌駕するほどだ。
そして威力に関してはヒカルの世界でいう対戦車ライフルすら舌を巻くほどであり――しかもこの銃身に込められた弾丸が一斉に発射されることで散弾銃と同じ効果すら生み出している。
そう、今まさに一人の男の手によって、本来只の害虫として忌み嫌われし存在のゴキブリが、銃を遥かに超えた兵器へと昇華されたのである。
魔斧の生み出した風の壁――しかしそれとて圧倒的弾速と全てを貫く威力を併せ持った散弾の前では無力。
いともあっさり貫通しその肉体の殆どを奪い去った。
そして――再びヒカルの内側からあの音が鳴り響く。今度はチェストチャージ。つまり胸部から力を伝え、より威力を上げている。
その音色は敵からすれば死の調べ、しかしヒカルにとっては勝利の旋律。
しかも既に相手は斧を振るう余裕すらない。
障害のまるでない状態でのその一発は――
「ば、馬鹿な――我が、この我がぁあぁあぁあぁ!」
「くたばれ糞斧」
二度目の轟音が鳴り響く。弾丸を撃った直後に生まれた衝撃波が周囲の岩を削る。
そして――瞬きよりも速くそれは到達し、ハーデルの肉体と魔斧グリーディルアックスを粉々に破壊していた。
◇◆◇
『ヒカル怒っているか?』
唐突に先生がそんな事を訊いてきた。
ヒカルはその問いかけに後頭部を掻きながら。
『いえ、怒ってなんてないです。少なくとも先生は俺を心配して言ってくれたわけですしね。それに結果オーライだから良かったけど、もし死んでたら確かに無駄死にでしたし』
『そうか――しかしよく咄嗟にあんな武器を思いついたものだ』
先生に言われヒカルは苦笑しつつ照れたような顔も見せる。
『結構わらにもすがる思いだったんすけどね。でも先生の言葉もヒントになってるんで、やっぱ先生に助けられた感じも強いです』
そうか――と先生の答え。
そしてヒカルは改めて彼女に目を向けるとちょっとだけ目線を逸らした。
『なんだ、折角なんだしもっとちゃんと見ておけばいいだろ』
「いや流石にそれは……」
思わず声に出る。何せ目の前の美少女は今はまだ下着姿のままだ。
こんな状態の彼女を前にしては、男としては戸惑うばかりである。
『まぁいいけどな。だがヒカル、起こすなら変身は解いたほうがいいだろう』
その言葉にヒカルもハッとする。何せあの魔斧を倒した後は、フォキュアが心配なばかりにゴキブリダッシュでこの空洞までやってきた。
変身を解くことなどすっかり忘れていたのである。
『そ、そうですね。早くといて――』
だがその時、何者かの気配。ヒカルは思わず振り返る。
油断した。フォキュアを気にするあまりセンサーに集中しきれていなかったのだ。
だが――そこにいたのは。
「て、てめぇ! フォキュアに何してやがる!」
怒髪天を突く勢いで怒りを露わにしたサルーサ・モンキスであった――