第八話 男爵邸にて
「全く厄介な物だ――」
ギラドル・ムシュバーン男爵は、部下からの報告書を眺めながらため息混じりに呟いた。
今彼は貴族区の中に建てられた屋敷の執務室にて、持ち帰った仕事をこなしている。
ここチャンバーネの街では平民の暮らす南側の区画とは別に、北側の奥に貴族たちの暮らす区画が存在する。
基本的に既存の集合家屋の一室を間借りし暮らすことが多い平民と違い、爵位を授かった貴族は専用の屋敷を持つのが普通だ。
だが既に隙間がないほどに建物の犇めきあう土地に、貴族の住む屋敷を新たに建てるなどは難しく、更に平民と貴族が共に暮らすとなると色々と問題も多い。
その為それなりの規模を持った街では、平民と貴族の暮らす土地を分けるのは当たり前に行われている。
ここチャンバーネもやはり例外ではなく、余裕のある土地に適度な間隔をあけ、個々に屋敷を構えている。
当然平民の暮らす家屋とは全く異なり、立派な佇まいの屋敷も多い。庭も広大だ。
貴族と平民の暮らす境界には美しくもしっかりとした違いを明確にするための植樹もされ、境界近くを見張る専門の騎士すらいる。
衛兵ではなく敢えて騎士を採用するあたりは貴族の利己的な考えを主張しているようで、ギラドルは好きにはなれないやり方だが、かといってそんな事で愚痴をこぼして事を荒立てるつもりもない。
ギラドルはとにかく平穏な暮らしを望んでいる男であった。
あの大戦が終わり十年が経つ。
かつての帝国――魔王とさえ称された恐怖の皇帝フルーフが支配していたバルサン帝国は既に存在しない。
この大戦をきっかけに連合が組まれていたこともあり、今はこのマーズ大陸は穏やかな時間が流れており、これといった戦争も起きてはいない。
勿論世襲争いによる小さな内紛などは、ほうぼうから聞こえてくることもあるが、帝国の存在していた頃から考えれば小さな問題だろ。
貧富の差など大枠の問題はまだまだ残してはいるが、それは彼だけが考えてもしかたのないことだ。
ギラドルがここまで平穏を望むのは、帝国との戦争を長く経験しているところが大きい。
一〇年戦争とも称されるが実質は一三年。
一〇年はあくまで連合国による反撃の期間だけを指しての話である。
何せバルサン帝国は諸外国に宣戦布告をし侵略戦争に乗り出してから、僅か三年で大陸の三分のニを掌握してしまったのだから。
戦時の事も戦が終結してからの事も、ギラドルは今でも思い出すだけで心が抉れるような気持ちになる。
戦というものは終わってからの方が遥かに大変だ。戦後処理に追われる毎日。
戦の影響で疲弊した領地の復興支援に、皇帝亡き後も帝国の再建をと暗躍する残党の処理。
難民への対応なども当時の騎士の仕事であった。
(そういえばあのふたりと出会ったのも――)
ふと思い出される過去。勇義士にまだなったばかりだといっていたフォキュアとサルーサの事が脳裏に浮かぶ。
騎士の中には勇義士を煙たがるのもいるが、彼らがいたからこそ、まだ自分は、いや自分たちは潰れずに済んだのであろうと彼は理解している。
ふたりはよくやってくれた。当時はデボラ夫人みたいな考え方を持つものがむしろ当たり前であった。
戦中も戦後も荒れ果てた土地にマガモノが住み着くなど当たり前の話しであった。
そしてそんな中、日頃からマガモノの脅威に怯える人々にとって、獣人はそれとなんら変わらない不気味な存在に思われていたのだろう。
実際は彼らとて人と何も変わらないというのに――しかしそんな差別の目が向けられようが文句一つ言わず――いやサルーサに関しては当時から差別者といがみ合ってた節はあるが、それでも誰もが嫌がる仕事を率先してやっていたものだ。
今でも彼らの一生懸命な姿はギラドルの目に焼き付いている。
彼が獣人に対し全く忌避感を抱いていないのは、むしろふたりの事をよく知っているからかもしれない。
どちらにしても――いつまでも続くのでは? と思えたあの忙しさも、一度落ち着いてしまえば拍子抜けとも思えるほどのものであり、そして時間に余裕が出来た頃合いをみて、ギラドルはここ――愛する妻の故郷でもあったチャンバーネへの移動を願い出たのである。
王国騎士として働き、爵位まで授かっておきながら、領地も昇進も望まないなど異例中の異例ではあったが、上との関係も良好なものを築いて来た彼の願いは、意外にもあっさり受け入れられた。
騎士たちの中には左遷された等と囁くものもいたが、彼は気にもとめなかった。
元々ギラドルという男には欲がない。出世欲もなければ財産を築いてやろうという気持ちもない。勿論貧困に喘ぐのは嫌だが、愛する妻とそこそこの安定した暮らしが出来ればそれでいいのである。
だからこそ、この比較的平和とも思えるチャンバーネの暮らしも、兵長という役職も、彼にとっては十分すぎるものであったのだが――
「発見された時、男女共に衣服のたぐいは一切身につけておらず、その凄惨さは――全く読むに耐えんな」
報告書にひと通り目を通し、辟易とした表情でため息を吐くようにいう。
その報告書には、ここチャンバーネからそれほど遠くもない平原で起きた、勇義士ふたりの惨殺事件について書かれていた。
報告書によると、事件の起きたのは二日前の夜間、見つかったのは翌日の明朝で馬車で移動していた商人の手によって発見されたとある。
その後商人の連絡を受けた事で衛兵二人が死体の確認に向かったのだが――報告書にある通り見つかった男女の遺体は、それぞれ下着すら身につけていない全裸の状態であり、持ち物の類もいっさい所持していなかった。
それだけ聞く分には盗賊などの手合による犯行かとも思われるが――ただ遺体の状態はあまりに無残なものであり、只の盗賊がやったとは思えない。
何せ男は、首から上が一撃の元に跳ね飛ばされ、頭は身体から、衛兵の脚で一〇歩分以上離れた位置に転がっていたという。
そして更に凄惨なのは女のほうだ。女は一八になる妙齢の女性で、男の死体からはかなり離れた位置に遺棄されていたようだ。
状況から察するに男が先に殺され次が女であった可能性が高い。
何せ女には明らかに乱暴された痕跡が残っていたという。男が後であったならこれは有り得ないだろう。
しかも体中には切り刻まれた跡があり、四肢に関しては全てが切断されていた。
胸部も何かで抉られていたらしいが、直接の死因は膣に突き立てられた刃状の何かという事だ。
後から診断した魔術師によると、四肢を切断された時も胸を抉られている最中も、まだ意識があった可能性が高いらしい。
「全くこんなもの妻には絶対にみせられんな――」
あまりの惨たらしさに目を覆いたくなる。
ふたりの身元については所持品がないとはいえ意外とすんなりと割れた。
勇義士ギルドに登録されていた勇義士であったからだ。
クラスに関しては二人揃って中級の丙であったようだ。
年齢は男の方が一歳上であったようで、ふたりは幼なじみであり恋人同士でもあり、近く結婚するためにと資金を貯めていたところでもあったという。
その話が殊更事件の悲惨さを際立たせた。
「今のところ犯人と思われる物の目撃証言もなし――か。それにしても不運な……」
眉を落とし、目を細める。ギルドの話で判ったことだが、ふたりは採取系の依頼を請け負い、あの樹海に向かったらしい。
依頼主は量が多ければ多いだけ代金を弾むという成果報酬という形で依頼を行い、それを請けたふたりは少しでも多く稼いで資金の足しに出来るようにと張り切りすぎてしまったのだろう。
結局その作業を夜間になるまで続け――その帰りに襲われたというわけだ。
「それにしても――本当に厄介だな」
先ほどから独り言がつい多くなってしまう彼だが、それも仕方ないと、既に何度目とも判らない溜め息を吐き出した。
全く頭が痛くなる思いだ。
何せこの報告書にはふたつほど問題が存在する。
その一つはふたりがこのチャンバーネの人間であるという事。
一見当たり前に思えることだが、ふたりの職業は勇義士だ。
勇義士というのはその仕事柄、ひとつの街に留まるような者は比較的少ない。
依頼内容などもギルドの所在する街によって特徴もあったりと、例え登録したのが生まれ故郷であっても、実際に活動してるのは全く別の街なんてことは珍しくもない――というかそれが当たり前ですらある。
だからこそギルドは証明書を発行し、それを勇義士にもたせているのだ。そうでなければ商人でもない人間が何の身分証も持たず街から街へ移動しても怪しまれるだけだ。
そしてだからこそ勇義士ギルドで起きた問題は勇義士ギルドで解決するのが通例だ。むしろ一介の勇義士が死んだ所で俺たちには関係ないとする街も多い。
だが今回のように勇義士であっても、その街で生まれ暮らす人間とあった場合は話は別だ。
これがマガモノに対する被害などであればまだ勇義士任せでも文句をいうものはいないが、明確な殺人とあっては、騎士が黙ってはいない。
騎士の中には勇義士というものを下にみているものが多く、そういった者達は彼らの働きを只の雑用や便利屋程度にしか見ていない。
だからこそ大事とあっては自分たちが出なければ気が済まないところがある。
そして今回更に問題のふたつめは、一緒に殺された女の勇義士であるアーニャ――正式にはアーニャ・クリステル……彼女がクリステル子爵家の令嬢であったことが兎角大きい。
しかもこのような惨たらしい殺され方をしたのだ。娘ではないにしても自分にも息子が一人いる身だ、愛娘を失ったクリステル子爵の気持ちを考えると言葉も無いが、当然そのような事件を聞いて騎士が黙って勇義士に任せるわけもない。
そして――同時にこのような妬ましい事件だ。当然ながらそれを知った両親は悲しみに暮れそして一つお願いもしてきた。
――どうか他言無用にして欲しい、と。
だがこれは当然か。自分の娘が何者かに乱暴されしかも虐殺されたのだ。
被害者からしてみればたまったものではないが、娯楽に飢えている者達からしたら絶好のネタである。
それが漏れたなら直ぐにでも街中の噂になることだろう。
平民には貴族を妬んでいるものも数多くいる。彼らはこの話を面白おかしくとりあげ、晒し者のようにするものすら出るだろう。
娘が死んだのにそんな心配をと思う者もいるかもしれないが、貴族にとってはメンツのほうが命より大事とされている場合も少なくない。
しかし……そんな大事な娘をなんでまた勇義士にとも思ってしまう。
詳しいことは判らないが、この娘は随分とお転婆な性格であったこと、また恋人である男の役に立ちたいと日頃から周囲に漏らしていた事などが関係しているのかもしれない。
ただどちらにしてもこの話があったからこそ――今も騎士たちがやっきになって極秘裏に調査を進めている。
一応は一部の勇義士も頑張ってくれているが、情報の漏洩を防ぐため、例え勇義士であっても許可無く他言するのを禁じると厳命されてしまっており、得意の情報網を駆使することができないでいる。
「どちらにしても早く解決するといいがな――」
ギラドルはそう呟きつつ、報告書を机の奥にしまい込み、更に閉めた引き出しに厳重な鍵を掛けた。
他言無用のこの事件は、報告書も含めて外には一切漏れないよう彼自身も釘を打たれている。
勿論これを書いた部下も死体を目にした衛兵ふたりと商人もだ。
それ故、報告書を屋敷まで持ち帰りこうして鍵まで掛けているのである。
焼却するなり何なりして処分出来ればてっとりばやいのだが、外に漏らしてはいけないというだけで、情報の保管は一定期間義務付けられている為そうもいかないのである。
天井を見上げ一息つく。出来れば勇義士がもう少し自由に動けるようしてやりたいところだが、それは流石にギラドルの領分でもない。
「今の俺に出来るのはこっちの問題を何とかするぐらいか」
ギラドルは独りごちると再び机に視線を戻し、今度は自らが手がける書類に取り掛かった。
デボラ伯爵夫人に関する件についてである――