第五話 奴隷の少年と伯爵夫人
「サルーサも顔出せばよかったのに。普段からお世話になってるでしょ?」
店を出て、市場に向かう途中、フォキュアがサルーサにいう。
するとぶんぶんと首を左右に振り、冗談じゃねぇ! と何故か身震いし。
「あそこは必要な時以外いかねぇよ。なんかあの親父やたらベタベタしてくるしな」
どうやらサルーサはそっち方面にも人気らしい。まぁこんな腹筋を魅せつけるような格好していればそりゃそうかとも思えるが。
「フォキュアもあの店で武器を?」
ヒカルは腰に吊るしてある買ったばかりの剣を一瞥した後、彼女に尋ねた。
「え? うん。手入れは結構お願いしてるよ。基本的には自分でもやるけどね」
手入れはあのミッツの武器屋でもやってくれるらしい。
ヒカルも今後は少しは考えたほうがいいことかもしれない。
尤も変身して戦うなら蜚丸であれば手入れは必要ないが、あの姿で常にというわけにもいかないだろう。
因みに武器の手入れはお願いする場合、夕方に渡すと、朝にはできてるといった感じらしい。
武器の種類にもよるが、ヒカルの購入した剣で一回につき銅貨七、八枚だろうとのことだ。
フォキュアやサルーサと話してるうちに西側の市場に辿り着いた。
既に日は落ち、薄暗くなってきた為か、市場に設けられた台座の上で篝火が焚かれている。
それでもまだ市場には活気が溢れていた。品物の中には夕刻になってから並ぶものもあるので、それを目的にしたお客も多く顔を出すらしい。
ただこの時間のお客の目的の多くは食料であるため、フォキュアに連れられていった衣類の店はそんなに見ている客は多くない。
尤も店と言っても、ちゃんとした建物の中に衣服を飾るような店ではなく、市場の一角に茣蓙のような物を敷き、その上にシャツやズボンを並べてるといった感じだ。
つまり露天といったところなのだが、ちゃんとした店を構えるような所が扱う衣服は、貴族御用達のような高級なドレス等が多いとのことだ。
当然ヒカルが求めているのはそんなものではないし、そういった店は勇義士等が顔を出したところで煙たがれるだけだという。
下手に触られると汚れると思ってるからだそうだ。
まぁそんなわけで、ヒカルは並べられたシャツを手に取り物色する。
多くの素材は麻のようだ。触り心地は少し固い。丈夫そうではある。
勇義士として活動するならこれぐらいの方がいいのか。
通気性がよく、洗うことで生地が強くなるという特性も旅をするものには人気なようだ。
何より安い。フォキュアの言っていたとおり一着銅貨二枚で買える。
ヒカルはその中で七分丈の物を二枚選び購入することにした。
ただ困ったのはズボンで、どうやら殆ど売れてしまったらしい。
そして残ってたのは――真っ黒のズボンが二本だけであった。
「うちも売れ残りは避けたいから、二本纏めて買ってくれるなら銅貨五枚でいいや」
「あら、安くしてくれるって。良かったじゃないヒカル」
小柄な店主に言われフォキュアもそんな事を言ってくる。
因みに素材はブラックラビットの毛とのことだ。
柔らか目の生地で履き心地も良さそうである。
それでいて銅貨五枚なら文句もないが――
(なんでよりによって黒なんだよ)
手にとったズボンを見ながら若干顔を顰めるヒカルである。
『いいじゃないか、黒一色なんて厨二ぽくて』
『先生どれだけ本を読み漁ってるんですか……』
呆れ声を返しつつ。とはいえ――
「毎度あり~」
結局は二本とも買ってしまうヒカルであった。
そしてその後は金貨などを入れておくために腰に下げておくウェストバッグも購入。
ただこれは服よりも高く、銀貨一枚銅貨一枚を消費し、結果的に手元に残ったのは銀貨二枚だけである。
「これはぼやぼやしてたら直ぐにお金が底をつくな……」
「てめぇはフォキュアにも金貨一六枚分の借りがあることを忘れんじゃねぇぞ」
サルーサの声に、うっ! と喉をつまらす。
「あはっ。頑張って依頼こなさないとね」
フォキュアがくるりと二人に振り返り、悪戯っ子のような笑みを浮かべていう。
頭の上でぴょこぴょこと動く狐耳が可愛い……
そんな事を思いながらも、とりあえず目的の物を購入したヒカルはふたりと市場を後にしょうと歩き出すが――
「ほら! 何やってんの! さっさと着いてきなさい!」
荒々しい声が往来に響き渡る。
声の方に目を向けると市場から出た先の道端で、ふくよかな女が少年に怒鳴り散らしていた。
女は見た目はともかく身形は綺麗で、高級そうなドレスを身にまとい、指には綺羅びやかな宝石の付いた指輪を何個も嵌めている。
その様子から如何にも成金というか、この世界でいうなら貴族といった雰囲気を感じさせる。
「げっ! あのばば――女、デボラ伯爵夫人じゃねぇか……」
今ばばぁと言いかけたなこいつ、と思いながらも二人に向け、
「知ってるのかい?」
と問いかける。
「まぁ、この街の領主である【アルミス・デボラ伯爵】の奥さんだからね」
「領主の奥さん? あれが……」
そう呟きつつ、再び目を向ける。
確かに領主の夫人ともなれば知られていないほうがおかしいか。
だが、にしても気になったのは後ろを付いて歩く少年である。
年は一二、三歳といったところか。
色の抜けたような白髪で細身。目が大きく可愛らしい顔立ちをしているが――首には首輪が嵌められている。
「全く私に恥をかかせるんじゃないよ!」
少年は大量に物の詰まった麻袋を何個も両手で抱えて歩いていた。
そのままでは前が見えないほどで、なんとか顔を動かし横や僅かな隙間から前を見て歩いているといった雰囲気である。
荷物も重いのか足取りも覚束なく危なっかしい。
にもかかわらず女は怒鳴るばっかりだ。
「あれはなんで首輪なんて?」
思わずヒカルの口から疑問がそのまま飛び出ていた。
「え? ヒカル奴隷を知らないの?」
フォキュアの返しにヒカルも、え? と反応し二人を見た。
「え~と。あぁ奴隷ね。知ってはいるけどあまり見たことなかったから」
「マジかよ。奴隷も見たことないってどれだけ田舎から出てきたんだ?」
ははっ、とわざとらしい笑みを残す。
それにしても奴隷とは、小説では確かに読んだことがあるが、実際に目にするとなんとも言えない気持ちになるものだ。
「おい。もういこうぜ。見てて気分のいいものでもないしよぉ」
じっとその光景をみやるヒカルとフォキュアにサルーサが声を掛けてくる。
どうやら彼は奴隷というものに、あまりいい気持ちは抱いていないようだが――
「あっ!?」
少年の、声変わりしていないような高音域の叫び。
手に持っていた袋から一個、見た目にはりんごのような果実が地面に落ち、コロコロと転がった。
「何してるの!」
「ご、ごめんなさい!」
夫人に向かって謝り、よたよたとりんごに向かって歩き出す少年だが。
「お、おいフォキュア!」
その転がってるりんごへとフォキュアが近づき、美しく靭やかな指で拾い上げた。
そして少年に近づき、はい、落としたわよ、と天使のような笑顔を見せる。
その光景に思わず見惚れてしまいそうになるヒカルであったが。
「私の奴隷に近づくんじゃないわよ!」
突然の怒声。見るとデボラ伯爵夫人がただでさえ酷い顔を歪めに歪め、のしのしと少年とフォキュアの下へ近づいていく。
「全く! あんたがとろとろしてるから、こんな獣臭いゴミにりんごを盗られたじゃないの!」
はぁ? とヒカルが眉を顰める。
どうやらあの果実はこの世界でもりんごというらしいが、それにしても親切心で拾ってあげたフォキュアに対しあまりに失礼な言い方である。
サルーサもピキピキという音が聞こえてきそうなぐらいに蟀谷に血管を浮かび上がらせた。
「ご、ごめんなさい!」
少年が焦ったように謝りだす。
するとフォキュアが不機嫌そうにデボラを見上げ。
「あの、私はりんごが落ちたから拾って上げただけなのですが――」
「だから何よ! そんなのあんたみたいな臭い獣が触れた時点で腐ってるんだから盗られたのと変わらないじゃない!」
その光景に、歩いていた人々も足を止め目を奪われていた。
しかし、それにしても酷い言い分である。
「あの、流石にそれは言い過ぎではないでしょうかね?」
あまりに見ていられないのでヒカルもフォキュアに近づき、一言物申す。
「はぁ? 何よあんた。この獣と違って汚らしい耳がないわね」
「……俺は彼女とは種族が違いますから。というか、獣じゃなくて黄狐族だと伺ってますけどね」
「ふん! 黄狐だか嘔吐だか知らないけどね! 獣が私の街で堂々と歩いてるんじゃないよ! 獣は獣らしく道の隅で縮こまってればいいのに、表に出てきて、更に私の大事な奴隷からりんごを奪おうってんだから浅ましいにも程があるよ!」
「おい、いい加減にしとけよババァ!」
「サルーサ!」
いよいよ耐えれなかったのかサルーサが前に出て、声を爆発させるが、それをフォキュアが制止する。
「チッ、臭い狐がいると思ったら今度は汚らわしい猿までお出ましかい。この街はいったいいつから見世物小屋に変わったんだい? 人間の街じゃなかったのかいここは!」
まるで周囲に敢えて言い聞かすように声を張り上げるデボラ。
その姿にいい加減ヒカルの怒りも心頭に発すほどであり。
「その辺にしておいて頂けませんか? フォキュアもサルーサも俺の事を色々と世話してくれた大事な友人です。それを悪く言われるのは正直気分が悪い」
フォキュアがサルーサを制した事から、あまり事を荒立てるのは良くないと思っての事なのだろうと判断し、辛うじてヒカルは言葉を選びデボラに告げる。
すると、はん! と鼻を鳴らし。
「なんだそういう事かい。つまりあんたがこの二匹の飼い主ってわけだ?」
どこをどう捉えたらそういう考えに行き着くのか、ヒカルには理解が出来ない。
「だったらしっかり野獣に首輪でも掛けて管理しな! ペットの責任は飼い主の責任でもあるんだからね!」
「てめぇふざけんじゃねぇぞババァ!」
その言葉で遂に弾けたようにサルーサが飛び出し、デボラに向かって殴りかかった――