第一二話 サルーサという男
「それでこいつが彷徨ってたってのはともかく、お前はなんでそんな川を超えた向こうにいってたんだよ?」
「依頼よ。川向うにしか生えてない、コラーゲル草の採取」
サルーサの質問にフォキュアが返答する。
すると彼の吊り上がった片目が更にピクリと持ち上がった。
「コラーゲルって事はあの若作り女か。てかこの状況でそんな依頼受けるかよ? お前だって知ってんだろ、あの辺りで何人も勇義士が狩られてんの」
その言葉にヒカルが耳を欹てた。話の内容でいくと、あのオークに関係してるのかもしれない。
「それは知ってるわよ……でも、まぁでもその心配はもうないわね」
一瞬表情に影を落としつつも、フォキュアはすぐに元に戻し右手を振り上げながらそう告げる。
するとサルーサは怪訝そうに顔を眇め口を開いた。
「それってどういうことだよ?」
彼の質問にフォキュアはヒカルと出会う前からの話も含めてことの顛末を説明する。
「オークに呪いの魔剣だって?」
サルーサはその紅い眼を力いっぱい見開き口にした。
信じられないといった感情が伺える。
「マジかよ……てか魔剣ってオークでも持てるんだな――しかしそれで助かったなんて運がよかったな、まさかオークが魔剣を持ってるとは思わないだろうし」
「いや、それは何となく知っていたわ。あそこでたまたま見つかる事なく逃げ返って来た人物からの情報が入ってたらしいから」
「はぁ!? だったらお前なんで――」
サルーサはそこで一旦口籠る。何かを思い出したように口元に指を持って行き、若干の哀しみを瞳に寄せ顔を伏せた。
「そうかお前まだ――」
小さな声で呟くようにいう。
そのやり取りを見ているだけでヒカルにも何か深い事情がありそうなのは推し量ることが出来た。
だからこそ今は余計な口は挟めない。
「……でも違ったわ。まぁそれもそうよね、あんなのがオークに使いこなせるとも思えないし」
するとフォキュアは両手を広げ、やれやれといった感じに溜め息をつく。
暗い影は既になく、いつもの雰囲気を取り戻していた。
「でもやっぱ悔しいわね。私さっぱり手が出なかったもの。本当生きていたのが奇跡ってぐらい」
「馬鹿野郎! 何いってんだ! あぶねぇことしてんじゃねぇよ!」
サルーサが突然吠え上げた。その剣幕にフォキュアの肩がビクリと震える。
「……何よ別に私だって――いや、ごめんね心配してくれてるんだもんね」
一瞬悔しそうに顔を歪めたフォキュアであったが、直ぐに改め、サルーサに向けて微笑んだ。
ヒカルからみても愛らしい笑顔であったが、サルーサは照れたように頬を染め、そ、そんなんじゃねぇよ! とそっぽを向く。
「で、でもよそのオークは結局誰がやったか判らねぇのかよ?」
「うん残念だけどね。ヒカルでもないらしいし」
「そりゃそうだろ。こんな奴、魔剣を持ってないオークにも勝てるか怪しいぜ」
蔑んだ瞳を向けサルーサがいった。改めて中々失礼なやつだなと眉を顰める。
『ヒカル、なんだったら今直ぐ変身して、この男たたっ斬ってもいいんだぞ』
先生の過激な発言に、おいおい、と苦笑する。
どうやらゴッキー先生もこの男の失礼な言動に腹を立ててるようだ。
「サルーサ、あんたまた……」
腕を組みジト目で彼を見つめるフォキュア。
するとサルーサが慌てたように両手を振り。
「いや違う冗談だって冗談!」
そういって、なぁ? と目配せするようにヒカルに顔を向けてくる。
だがそんな事をいわれても対応しかねるヒカルである。
「いや、でもまあとにかくフォキュアが無事でよかった……変な拾いもんしてるのが気になるとこではあるけどな――」
変な――から先はフォキュアに聞こえないぐらいの声で呟かれていたが、ヒカルにはバッチリ聞こえている。
ゴッキー先生のおかげで耳もかなりよくなってるようだ。
尤もふたりの会話に耳を傾けていたのもよく聞こえた要因とは思うが。
「そういえばサルーサは変な黒い化け物みなかった?」
ふとフォキュアがあの事を質問する。
ヒカルは少しドキリとしたが、化け物? とサルーサが怪訝な顔を覗かせた。
そしてフォキュアがその化け物について説明するが。
「いや、俺はそんなのみてねぇが、てかそんな化け物までいたのかよ! なんだマガモノか!?」
「判らないわね。でもとにかく不気味だったわ。全身真っ黒で顔も昆虫みたいで気持ち悪いし、本当悪魔みたいだった」
その言葉にサルーサも難しい顔で唸る。
「まぁお前が無事でよかったけど、そんなのがうろついてるならギルドに報告しておかないとな」
「そうね――てか、ギルドといえばサルーサはなんでこの森に?」
ある程度話の区切りがついたところで、今度はフォキュアから彼に質問する。
「うん? あぁ俺も依頼だよこれだ」
サルーサはそういって腰に吊るしてる袋から何かを取り出した。
彼は腰には袋を、革の鎧には左右の脇の下辺りにホルダーがありそこに其々ナイフを収めている。
ホルダーは後付ではなく最初から鎧と一体化しているような形だ。
「それキャットフライヤーね」
フォキュアが彼が翳すようにして持っているそれに目を向けながらいう。
サルーサが尻尾をもってブラブラとさせており、それが既に死んでいる事はヒカルにもひと目で判った。
これまでの経験でいくと、それもマガモノなのだろうか? と思いつつヒカルもまじまじと眺める。
それは見た目には猫だ。みたところ左目が何かに貫かれたように潰れてしまっている。
出来たばかりの傷にはみえないが古傷という程でもなさそうだ。
そのせいかは判らないが随分と目つきが悪く感じられる。少なくとも愛嬌の良さは全く感じられない。
そしてこの猫もどきは妙に胴体が長く、左右の手と脚の間に膜が張られている。モモンガのような飛膜だ。
大きさは頭から胴体の先までで六〇センチぐらいはある。
それなりに大きいが、袋から出すときは丸まっていたので身体は柔らかいのだろう。
四肢にはそれぞれ鉤爪が備わっておりかなり尖そうである。
「そうそう。こいつは一度この森を離れて集団で近隣の村を襲ってた群れのリーダーでな。その時雇われた勇義士が殆ど退治はしたんだが、こいつだけやりそこねたらしくてな、たく間抜け野郎だぜ」
そういってサルーサが肩を竦める。
「まぁそれでもこの片目を矢で射抜いたりはしたらしいけどな」
その言葉で得心がいく。片目が潰れていたのはその為だろう。
「でもこの手のタイプは、傷が言えるとどっかの誰かが逃しそうになったグレイウルフと同じで、また群れを引き連れてやってくるからな、その前に止めを刺してきてくれってのが依頼だったってわけだ」
この男は随分と粘着質な男だなと思いつつヒカルは首を竦める。
とはいえマガモノというのはヘタに逃すと厄介な事になるのは確かなようだ。
今後は気をつけなければいけない。
「全く一言多いわねあんた」
フォキュアがじろりと睨むようにして口にする。しかしサルーサは、別に例え話として出しただけだぜ、と悪びれもなく返した。
「はぁ、まぁいいわ。でもそっちも無事依頼は終わったようね」
「おお! でも丁度良かったぜ。依頼完了して戻ろうと思ったらフォキュアの声が聞こえてきたからな。それでなんとなく声の方に来たらそこのグレイルウルフ見つけて代わりにやってやったってわけさ」
鼻を擦り得意そうにいった後、ヒカルを一瞥しドヤ顔をみせる。
「それについてはお礼をいっておくわ。ありがとうね」
フォキュアがそういって華が咲いたような微笑みをみせる。
何故かヒカルもドキリとしたが、サルーサの頬も猿の尻のように紅く染まった。
「でもあんた魔晶は持っていないの? わざわざそんな袋に入れなくても、それがあれば楽なのに」
「あん? あんなもんに俺は頼んねぇよ。大体魔法だ何だってのは俺は苦手なんだ。フォキュアだって知ってるだろ?」
「まぁそうだけど、相変わらずねサルーサは」
そういって呆れたようにため息をつくが、表情はどこか優しかった。
「ところでお前らこれから街に戻るんだろ?」
そして今度はサルーサからの質問。
それにフォキュアが頷き口を開く。
「そうね、ヒカルも案内しないといけないし」
「そうか! だったら俺も一緒にいくぜ! こっちもあとは街に戻るだけだしな!」
妙に嬉しそうにサルーサが同道を申し込んできた。ヒカルには何かをいう権利もないが、見る限り否応なしに付いてくる気ではあるだろう。
「別にいいけどヒカルに絡んだりしないでよね」
フォキュアが承認の意を示し、
「勿論だ! もう別に気にしてないもんな? な?」
と口にしながらヒカルの肩に腕を回し引き寄せる。
思わず眉を顰めてしまうが、その耳元で。
「で? 実際てめぇはフォキュアとどうなんだよ?」
そんな事を笑顔と吊り合わない脅すような声で囁かれる。
「……別に、今日会ったばかりだしな――」
「そうか! そうだよな! そりゃそうだ! お前なんかにな~あっはっは!」
腕をぱっと放し、満足気に高笑いを決めながらピョンピョンと正しく猿の如し動きで前に進む。
そしてふたりを振り返ると右手を振って上機嫌に叫びあげた。
「お~い、早く行こうぜ! 日が暮れちまうよ!」
「……全く変なやつ」
フォキュアの零した一言に別の意味で同意するヒカルであった――