006-独房にて
---006---
-独房にて-
---全世界の、全生物を比較した時に---
---人だけが、善意を持つ。
善意は理性から成り立つ物だから。
”良い”ってことが分かって初めて成立する概念だからだ。
故に、『人で無い者』が他者に有益な行動を行ったとしても、それは善意ではない。
そのものに、その意思が無いからである。
---人だけが、悪意を持つ。
”悪い”って分かるのは人間だけだから。
故に、悪を悪と認識出来ない者は人に非ず。
人で無いそのものが何を思いどう行動しても、それは善意には成り得ない。
人でありたいなら、善悪の判断を見極めるべし。
善を行う為に悪と分かっている行動を行った”ジン・サクヤ”は善をこなせていない。
「善を善と判断出来るのは人間だけ。人間だけが悪を見定められる。人が善と悪を区別するのは、人であるならば当然のこと。善を行う為に悪行をこなす。それは”思い”が善でも現実として”悪”よ。」
「つまり自分の主観で見た善を行う為に、定められた規律、そして私の待機指示を無視して違反する。そんな悪行を行った貴方は、人として在る為に必要な大切な物が欠けている。……それは判断力。それを持たない者に真の善行は出来ない。」
「貴方は、偽善。善をこなせては居ない。独り善がりで満足している、ただの阿呆。」
「志は良い。個人としてみるのならば。しかし軍人として、そんな思考を持つモノ、必要な判断能力の無い者を迎え入れることは出来ないわ。」
……そんなことを、ついさっき誰かに言われた気がする。
誰だっけ?
……フレイヴ教官だ。
クソ、どうしてこうなったッ。
毒づいて俺は部屋の壁を叩いた。
---現在進行形で俺は独房にて苛立ちを募らせていた。
この独房は寒い。
周囲の壁は全部がコンクリートで、扉は鉄製。
スペースはそれなりに広く取られているが、酷く窮屈に感じる。
しかも光源が無い。
ここに光は差し込まない。
時々見回りが来た時に覗き窓が開くのだが、その瞬間のみちょっとだけ光が入る。
それ以外は真っ暗だ。俺は暗闇で過ごしていた。
------経緯を説明したい。
俺はE居住区で1人の少女を保護しようとしていた。
うん。ここまでは知っての通り。
問題はその後だったのだ。
〈---6時間前.Eブロック〉
---俺の頭上に出現した影はとても大きい。
遅疑が俺の膝までくらいの大きさがあるとすれば、コイツは俺と同じくらい大きい。
ディナイアルはこうした歪み、影の様に見えるコレから現れる。
それとも造られてるのかもしれない。俺には良くわからないが。
……そしてその影の大きさが、そのまま出現するディナイアルの大きさとなるのだが、パッと大きさを見る限りコイツはちょっとマズい。
大きければ大きい程、ディナイアルの能力は強くなる。
例外もあるが、基本大きい方が恐ろしい。
「に、逃げるぞ!」
俺は咄嗟に少女の手を握り引っ張った。
なんとか離れなければ! そう思って。
手を握り、走り出した途端に俺は違和感を感じた。程なくしてその正体に気がつく。
少女はその怪力に似合わず、まるで羽の様に軽い。
引っ張っても抵抗無く俺について来る。
ついて来る際の足が速いとかそんな感じではないのだ。
引っ張ってて抵抗力を感じない程に”軽い”。
「ナルホド、逃げるも防御。あまり外見宜しく無いが、それがキミの判断なら従おう。安全なところまで先導を頼もうか?」
「言ってる場合か!」
その時、走る俺達の道を塞ぐ様に大量の遅疑が出現した。
ヤツ等はどっからともなく唐突に空間に影を作り、そして現れる。
クソ、タイミングが悪い!
ブレイドを振りかぶって気がついた。
この娘がいるんじゃ、こんな武器は使えない!
だったら……。
ソロパックにブレイドを収納する時間も惜しい。
俺はブレイドを投げ捨てた。
ゴメン、ヒメラギ。
心の中で簡単に謝罪を済ませてデバイスを叩きソードを取り出す。
これでなら、きっと!
「ならッ! どうだ!!」
出力を最大まで引き上げて斬る。
俺が剣を振るう度に、斬撃が続けざまに遅疑共を薙ぎ払って行く。
右に振りかぶった時、鳥の様なカタチをした、それの翼を切り落とした。
左に振りかぶった時、オオカミの様な遅疑の首を削ぎ落した。
刃を頭上に振り上げ、そして振り下ろす。
まだカタチの定まらない遅疑をも引き裂く。
……抵抗されたらマズい。
ヤツ等の攻撃を全部を避け、その上で少女を守ることなど出来ない。
迅速な対応が要求されていた。
不意に背後に重量感を感じる。
振り返ると案の定。
少女の後方に新たなディナイアルが出現していた。
先程の”大きな影”から現れたのはヤツだ。
中級の大きさのディナイアル、アレは疑似とも呼ばれる存在だ。
遅疑よりも数は少ないのだがそれ故に手強い。
まず遅疑よりも頭がいいのだ。
しかも遅疑と違って簡単には消滅してくれない。
簡単に相手を出来る敵ではない。
熟練の腕を持つガーデナーならば対処は用意だろうが、研修生では相手出来ない。
アレに追いつかれたら駄目だ。
だからさっきから逃げようとしてはいる。
だが、遅疑が次々にわいて来る。
……ヤバい。コイツ等、俺を殺そうとしてる。
このタイミングを待っていたかの様に、特に遅疑が大量発生を起こした。
辺りはまるで狂った遅疑の生産工場だ。
空間が闇に埋め尽くされ、そこから柄の悪そうな小動物達が飛び出して来る。
遅疑等なら俺でもなんとかいなせるが、ついに疑似が追いついて来た。
ヤバい。コイツは駄目なんだッ……!
「く、クソッ!」
遅疑共の相手をしてて重要なことを忘れてた。
少女と沢山の遅疑共の間に立ちふさがる様に立ってたから、”疑似”と少女の間には遮蔽物が無い。
つまり少女は疑似に対してあまりにも無防備であった。
”マズい、マズい……!”
彼の少女はと言えば、実に落ち着き澄ましたものであった。
真っ直ぐに凶悪な疑似を見据え、それをじとりと見つめていた。
疑似のカタチは人間のそれに近い。
しかしコイツ等には顔なんて無い。故に表情なんて無い。
疑似が近づいて来るのに、少女は依然場から動かなかった。
ポケットに手を入れ、堂々と疑似と向かい合っているのだ。
まるで恐れることを知らない。
なんなんだ? なんでなんだ……!?
死にたいのか!?
疑似は手を振り上げたんだぞ?
コイツ等に”生身”という言葉を使って良いものかわからないが、コイツ等はただの動作1つでなんの装置の補助も無しに絶大な破壊力を発揮する。
そんなところにいたら、すぐにその腕は振り下ろされて、君は……!
「ふざけるなぁぁぁぁッッ!!!!」
ヤツの腕がぴくりと動いた。
目の端でそれを捉えた。
俺はソードで相手をしていた遅疑を振り払った。
そして群がる遅疑共には背を向け疑似の元へ向かった。
「俺は……!」
ソードを頭上に放り投げた。
俺の剣はくるくると刃を振り回しながら高くに昇る。
それと同時に、背中に激痛が走る。
犬の様なカタチをした遅疑が俺の背中を殴りつけた。
クソ、犬パンチは見ていて可愛くて好きだったのにな!
……コイツのせいで今後はトラウマになりそうだ。
……ッ、言ってる場合ではない、とんでもなく痛い!
「ッ……ぁぁアアア!!!」
意識が飛びそうになるのを堪える。
なんとか俺は倒れない様に踏みとどまった。
放り投げた剣が俺めがけて降って来る。
これしかないんだ、頼むから成功してくれ!
「俺はッ! 守るって、言ったからッ!」
落ちて来た剣の柄を握りしめた。
正直かなり良く上手くいったと思う。
一歩間違えれば、刃を握りしめてて今頃手が溶けてたろう。
咄嗟に剣を逆手に持ち直す手間が無かったから、こういう方法で持ち直したのだ。
非効率的だと思われるかもしれないが、ファルスに気をつけながら取り回してたんじゃ動作が遅くて遅疑にやられるか手遅れになってた。
全てを一連の流れとして行う必要があったのだ。
『振り向き』
『握り直し』
『投げる。』
「間にッ!!!」
---合ってくれ!!
渾身の力を込めて、ソードを投げた。
同時に遅疑の攻撃を無視して、ソードを追いかけ走り出す。
---ソードは狙った通り、疑似の腹部に突き刺さった。
しかし、それじゃ弱い。
ソードが突き刺さった程度じゃ消滅するまではいかない。
しかもコイツには痛みってのが無いから、のけぞるものの”ダメージ”は無い。
例え腕を斬ったとしても『だから?』とでも言う様に苦にせず動くのだ。
「コレで、有言実行だァァァ!!!」
背中の痛みを気合いで無視する。
突き刺した剣を引き抜き、振り上げ、一閃に振り下ろす。
……のが計画だった。
現実には上手くいかない。
一閃は振り下ろしてみたのだが、あっさりと俺渾身の斬撃は回避された。
コイツは巨体の割に良く動く。
俺の斬撃は紙一重で見切られた。
それと同時に横っ腹に強い衝撃を感じた。
---意識がぐらつく。
さっきのワンコの一撃よりもずっと重い。
気がつくと俺は宙を舞い、次の瞬間には地面に体を引きずっていた。
嘔吐感と頭痛が同時に襲って来た。
クソ、殴られた……!
なんとか立上がろうとして手を付いたが、駄目だった。
がくりと肘が折れる。激痛が走って腕で身体を支えるなんて無理だ。力無くまた体を地に投げ出す。
めまいが激しくなる。ぐらぐらと視界が揺れ動く。
……堪えられない。
ソードを握る手のチカラが抜けて行く……。
瞼が重い。目を閉じてしまう……。
『---まぁ、それがキミの限界だろうな。良くやった方だとは思うよ。』
薄れゆく意識の中で、俺は”少女”の声を聞いた。
何を言ってるんだ? この娘は?
『動かないで。ゆっくり。今はチカラを抜くことだ。この敵は今の君に相応しい敵じゃない。』
少女の顔がぼんやりと見える。
倒れた俺の顔を覗き込んでいた。
その背後には多数の遅疑と一匹の疑似。
今にも襲いかかって来そうだ。
「お、れは……。」
『今のキミでは無理だろう。そのチカラではキミの望むソレは叶わない。……今は、お休み。』
------そこで意識が完全に消えた。
〈---翌日.特異軍事ブロック-〉
……以上が経緯だ。
その結果、俺は独房に閉じ込められて反省することを強いられてる。
ん? どうして独房かって?
そりゃオマエ、気がついたらガーデナーに保護されてたんだよな。
---目が覚めたらフレイヴ教官がベッド脇に居て手を伸ばして来た。
抱きしめてくれるのかと思いきや思い切り殴られたんだけどな。
いや、今まで喰らったパンチで一番痛かったかもしれん。
痛いというより重かった。
あの人のゲンコツは鋼鉄の様に硬かった。
フレイヴからは”試験資格剥奪、及び前回試験結果抹消”を言い渡された。
正直、コレが一番心に来てる。
ヒメラギとの戦闘に勝利した俺は本来ならガーデナーになっていたらしい。
ガーデナー内の通常兵士隊”サガ”に就任出来たはずなのだ。
やっちまったなぁ……。
しかもディナイアル襲撃で試験が中断に終わった為に再試験を行うらしいのだが、試験資格剥奪とやらのせいで後日行われる再試験にも 参加出来ないらしい。
全く、やっちまったなぁ……!
今の俺に出来ることは、ただ物思いにふけることだけだ。
……あの娘、良くわかんなかったけどさ。
あの後は無事にいられているだろうか。
俺がこうして生きてることを考えれば、多分増援が間に合ったのだろうから生きてるとは思うのだが。
……というか、そう思いたい。
それと意味深なことを言った”アレ”は幻だったのだろうか。
……実はそうなんじゃないかと思うのだ。
だって俺のまぶたが閉じられた”後に”言われた様な気がするし。
酷くぼんやりとして不鮮明だったし。
なんというか、状況が状況だったから彼女に神秘的な印象を持ったのだろう、俺は。
だからあんな幻覚を見たんだろう。
こうやって思い返して思うけれど、あの娘は随分変わった娘だったな……。
ふと寂しげで冷たいコンクリートの壁を見ながら、俺は大きくため息を付いた。
俺の言い渡された刑は”24時間拘束”。
だから後18時間こうして時を過ごさなきゃならない。
---っとだ。
不意に天井付近から耳障りな金属音が聞こえて来た。
キシキシと金属が摩れ、軋む音が聞こえて来る……。
……後にすぐ、俺の頭上にある通気ダクトの金具が吹っ飛んだ。
「な……? なな!?」
急に大きな音がしたから思わず変な声が出た。
驚く俺を他所に、ダクト穴から黒い影がサッと降り立った。
地に降り立ったそれは小動物と同等の大きさだ。
辺りが暗くて正体が分かる程には姿を捉えれないが、嫌な予感がした。
俺は身構え、腰に手をやった。
しかしソロパックは没収されている。
武器は無い。部屋の隅まで後ずさり、様子をみた。
大声を出したって駄目だ。
どの道部屋の外部に声は聞こえない様になってる。
……と、黒い輪郭は立上がった。
踞ってたから小さく見えたのか。
影は俺の慎重と大差ない……。いや、ちょっと小さいか。
ぼやけているが人のカタチをしているのは見て取れる。
それで、そいつは声をだした。
「……声を出さないのは良い判断だ。」
「ん、オマエ?」
それは聞き覚えのある声だった。
つい、ホント最近に聞いた声だ。
俺は声の主に歩み寄り、頬に手をあてがった。
触れる寸前で弾かれたが。
……叩かれた手の甲が痛い。
「君が、どうしてこんなところに……?」
影の正体は確定した。
この娘は、例の少女だ。
間違いない。
気性、声を聞いて間違い様が無い。
「それを気にする必要は、少なくとも今は無いだろう。それより今、動けるか?」
「”動けるか”って、そりゃ五体満足だからな。けど行動するって意味じゃ見た通りだ。捕まってちゃ無理……。」
「抜け出すぞ。キミも手伝え。」




