005-守るから
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-守るから-
背後に突然感じられた気配に対して構えもリアクションも取れず、俺はその場に固まった。
身を前にかがめ、それ以上体が動かない。
歯をガッチリと噛み合わせ、俺は相手の出方を窺った。
仮にそれが敵対者だったなら、俺は死んでいただろうか。
敵を倒し終わった後であったとはいえ油断した。
その時俺はあまりに大きな無防備を晒していた。
……故に言える。
そんな状態である俺に攻撃してこない訳だから、後ろにいる”それ”は俺に殺意を持ってはいないはずだ。
ただ、それが人であるのかは分からないが。
襲ってこないにしろ、うんともすんとも言わず俺に反応を示さないそれに俺は恐怖していた。
覚悟を決めて、俺は背筋を伸ばした。
何が居たって大丈夫だ。……大丈夫なハズだ。
念のためブレイドを握り直し、俺は後ろを振り向いた。
「……?」
振り返り、異常を注意深く確認する。
それでやっと変化に気がつく。
先程は居なかった存在が目に入ったのだ。
__ほぼ廃墟と化した建物に寄りかかる様に、その少女は立っていた。
この酷い惨状、あまりに五月蝿過ぎる轟音の中で、彼女は俯き力無く地を見遣っていた。
……さっきはこんな子いたか?
見落としたって言うには無理がある。
風景はあまりに殺風景で、その中で彼女の存在は浮いている。
絶対見逃したわけじゃない。
だったら、何処から来た?
大通り脇の建物は大体が半壊、全壊していて脇道は完全に瓦礫の下になっている。横道からこの大通りに出て来るのは不可能だ。
かといってこの見渡しの良い大通りを真っ直ぐに突っ切って来たのなら見落とすはずはない。
つまり、彼女は俺が戦闘している間にそんなところにこれたハズがない。
「……っ。ねぇ!」
少女は外見的には俺と同年代の様に見えた。
こんな戦場にいて不安を感じているかもしれない。
……だから動けないでいるのかも。
そう思ったから、一瞬躊躇いはしたが俺はなるべく優しく声を掛けた。
……しかし、呼びかけたが反応はない。
彼女は依然俯いたままである。
その表情はさらさらと揺れる前髪の陰になっているため、ここから見ることは出来ない。
「お、おいってば!」
聞こえなかったのだろうか。
そう思ってちょっとだけ強く声を上げる。
しかし、やはり反応がない。
クソ、無視されてるみたいでなんか背筋がちくちくするな。
だったらと、思い切って少女の頬に手をやる。
自分で思い返しても正直かなり思い切った行動だったと思う。
だが、この非常事態でもたもたするわけにも行かず、仕方なくってヤツだった。
それに顔くらい会わせてくれたって__。
「……?」
彼女の頬を触った手に、何か違和感を感じた。
なにか手の平にまとわりつく様な、ねっとりとした熱い感じが……。
「……ッ!?」
慌てて手を除ける。
手の平にぬめりとした嫌な間隔が残っている。
……手の平を見ると、俺のその手にはべったりと血がついていた。
「なッ……!?」
---たじろぐ。
この子、なんなんだ……!?
喋りもしないその少女が急に不気味に見えて、俺は引き下がった。
少女から距離を取り、様子を見るがやはり動こうとはしない。
……意識がないのか?
いいや、違う。触った感じ少女の肌は暖かかったし、それに息づかいだって聞こえた。
多分死んではないと思う。
彼女が何者なのかとか、どうしてこんなところにいるのかとか凄く気にはなる。
だが、結局俺が想像したところでそれが判明する訳では無い。
とりあえずこの娘は安全な場所に連れて行こう。
彼女の意識が意識を取り戻し、話しを聞ければ全て分かることだ。
意を決し再び彼女の頬に、さっきとは反対側の頬に手をやった。
……頬に手が当たる瞬間である。
俺の手首が強く握られた。
「へ?」
恐ろしい程に強い力で引き寄せられる。
俺の手を握るチカラも非情に強い。
手首の骨ががきしみをあげる。
「……痛ッ!」
思わず顔をしかめる。
それからことの次第に気がつき、慌てて振りほどこうと身を捩った。
だが、掴まれるチカラが強くて振りほどけない。
しまった……!
「……キミかい?さっきからボクにぺたぺた触ってたのは。」
不意に少女が言葉を発する。
そこで少女が顔をあげ、初めてその顔を拝むことが出来た。
少女の方頬には切り傷があり、生々しく紅い血が流れ出ている。
……だが、傷の存在などどうでもよくなっていた。
それを気にする以上に、俺は彼女の顔を凝視した。
少女は幼顔である。
しかし俺を睨むその眼差しの光は鋭く強く、また寝起きであるかの様に目を細めているその様に、俺は見惚れた。
女子なんて今までレミアくらいしかマトモに見てなかったが、この娘は可愛い。
「何をじっと見ているんだ?」
鋭く突っ込まれる。
ハッとして俺は顔を背けた。
……それと俺は再度掴まれている腕を振りほどこうとする。
しかし、びくともしないのである。
ガッチリ掴まれてて手を捻ることさえ叶わない。指先が痺れて来ている。
なんなんだ、この娘は!
くどい様だが研修生生活でかなり筋力や体力は付いているはずだぞ!
「痛ッてーよ! 掴むのヤメテくれって!!」
俺は少女と目を合わせながら必至に訴えた。
その間、彼女は常に無表情である。
「……構わないが、その前に理由を聞かせてもらおうか。誰に断ってボクの顔を撫でたんだ? その態度や理由次第ではセクハラを理由にキミをヒネリ潰すことも考えている。」
「いや、いやいや!! ご、誤解だッ……!」
”捻り潰す”と聞いて俺は抵抗を強めた。
冗談じゃない。女の子に力負けしてるってだけでも情けなくなるのに、潰されるのか?
この状況ではそれが実際に成立していまいそうだから困る。
「た、ただ声をかけただけだろ!?」
「だから、何故?」
何故だって?
この娘は何言ってるんだ?
状況を分かってるのか?
「あのな! こんな戦地のど真ん中で、そんなカッコ付けて立ってる方が異常なんだっての! 普通に気になるだろ! 危ないだろ? 危ないって思ったら声、掛けるだろ!!」
少女は顔をしかめた。
そして周囲を見渡し始めたのだ。
「戦地……? ここは?」
「”ここは?”じゃねーよ! しっかりしろ! ここはラーヴィス! E居住地区! 絶賛ディナイアルの襲撃受け付け中だってのッ!!」
周囲を見渡し終えた少女は、目をぱちくりとさせ、納得した様に頷いた。
「あぁ、ナルホド。そういうこと……。」
不意に手首が軽くなった。
握られた手が除けられたのだ。
予兆無く離す物だから、俺は倒れそうになってなんとかバランスを取り留めた。
「くっ、の……。”ナルホド”、じゃないだろ!? ……てかお前、この状況で何言ってんだ?」
「いいや、こっちの話しだ。気にしないでくれ。」
そう言いながら、彼女は自分の頬に手をやる。
血が付いた方の頬だ。
自分の手に血が付いて、彼女はそれをじっと見つめる。
ふと、少女は不適に笑った。
不信感を持って俺はソレを見守った。
すると、こちらに向き直って彼女は言う。
「……気にしなくていい。この傷はボクにとっては嬉しい傷なんだ。」
「”嬉しい傷”だって?」
「気にするな。」
気になるって!
……クソ、これ以上追求したところで答えてくれそうにない。
のんびりし過ぎたせいで戦火がどんどん拡大している。
そろそろガーデナーの殲滅部隊が大々的にやって来ることだろう。
……ここらが潮時なのかもな。
これ以上戦火の中心部に向かったとして、数の増える一方の遅疑を相手にどれだけやれるだろう。
俺の技量ではさっきの数が精一杯。
あれ以上襲って来たらちょっと苦しいかもしれん。これ以上戦場に近づくのは賢く無い。
「あー、なんだ。全部確認し直すのが面倒だから、とりあえずコレだけ覚えておいてくれ。コレだけで良いから。俺……いや、”ジン・サクヤはセクハラなどはしていません。ただ善意で、戦場に突っ立ってた危なっかしくて危なそーな少女を保護しようとしただけです”。さ、復唱してごらん?」
「……キミにセクハラの意があったか無かったかはボクの知るところではないが、善意で助けてくれようとしたことは分かった。」
「いや、そこは復唱しない?ねぇ?」
誤解自体は晴れた様だが、俺の言葉の大半は無視された。
良かったと素直に言えない……。
「あー、もういい! ともかく誤解は解けたものとして扱わせてもらうぞ! こんな戦地のど真ん中にいちゃ守れるモンも守れん! 付いて来てもらうぞ!」
少女は瞬間動きを止める。
それから俺をじろりと見た。
視線を足下から頭先まで向けてじっくりと俺を見て来る。
「な、なんだよ。」
「キミが? ボクを? 守るだって?」
呟く様に言うと、今度は顔を俺の間近まで持って来た。
「お、おお?」
ほぼ零距離で視線を交わす。
蒼く済んだ瞳が俺の目を見据えていた。
「……まぁ、いいか。」
彼女は不意にそう呟き、顔を離した。
なんか、ほっとしたと言うか助かった気がした。
「実力の程は知らないが、ボクを守ってくれるというのなら預けてみようじゃないか。しっかり守れよ。」
「な、なんでそんな高圧的なんだよ……。」
「そりゃ、ボクだからさ。」
良くわからんが……。
そういうやつなんだと割り切ってしまうしかないだろうな。
ため息をつき、俺は元来た道を見遣った。
「君、名前は?」
「名前を聞く時には自分から言うのが礼儀だ。特に相手が異性の場合はね。覚えておきなよ、”ジン・サクヤ”。」
「あ、あぁ、分かった。じゃぁ俺の名前だが……。」
そこまで言って気がついた。
さっき俺、名前言ったばかりじゃないか。しかも少女自身も俺の名前を把握していた。
自己紹介をしなかったのは確かだが、その必要はなかったんじゃないか?
「なぁ、自己紹介ってもう必要……。」
「ただの言葉遊びさ。きみはからかわれていたんだよ、サクヤ君。」
なんなんだ、この娘は……。
少女と会話するのが疲れたので、俺は彼女に感けるのを辞めた。
これならレミアと喋る方がよっぽどやりやすい……。
女子ってみんなこんな感じなのか?
……ちなみにこれは後で気がついたんだが、なんだかんだで俺は彼女の名前を聞けなかった。
それも含めて”遊ばれて”たのか?
だとしたら女って恐い。
「さぁて、行くか……。」
意気込み呟いたその時だった。
不意に背筋に寒気がして、俺は空を仰いだ。
……空中に巨大な陰が現れるところだった。