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グリム・ワールド・ウォーカー  作者: おな太郎
【第1章】赤ずきんと嘘つきな森
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3話 村の門と、閉ざされた眼差し

霧がわずかに薄れた先、木製の柵と古びた門が見えた。


けれど――リゼッタの足は、そこで止まったままだった。


「……ここが、村の境界よ」


ぼそりとつぶやくその声は、霧に溶けるようにかすれていた。


「もう、ずいぶん長いこと……この先へは踏み込んでない」


リゼッタの声には、懐かしさと、そして恐怖が滲んでいた。

無理もない。彼女にとって、あの村は“育った場所”であると同時に、“追われた場所”でもあるのだから。


「行かなくてもいい。無理に戻る必要なんて――」


俺がそう言いかけた瞬間、リゼッタはゆっくりと首を横に振った。


「いいの。私は……この場所に、ケリをつけたいの」


ぎゅっと拳を握りしめるリゼッタの横顔は、どこか震えて見えた。

その姿に、胸の奥がざわつく。


目の前の少女は、いまにも霧の中に消えてしまいそうなほど、儚くて――

それでも、背筋を伸ばして一歩を踏み出そうとしていた。



---


その時だった。


「うわっ……!」


足元の苔むした石に滑って、俺は体勢を崩す。


「きゃっ!?」


リゼッタの背にぶつかり、そのまま斜面へと二人で転がり落ちた。

気づけば、俺の右手が、彼女の胸元に――


「……っっ!?」


柔らかく、ふくらみを感じる感触が、手のひらに伝わった。


(う、うわあああああああ!?)


凍りついた時間。ほんの数秒だったはずなのに、永遠のように長く感じた。


バチンッ!


鋭い音と共に、頬に焼けつくような衝撃が走る。


「この、エロオオカミッッ!!」


怒号と共に跳ね起きたリゼッタは、真っ赤な顔で斧を引き抜こうとする構えすら見せていた。


「ち、ちがう! 今のは事故だって! 転んだだけで――!」


「なんで転んだ先が胸なわけ!? 変態! この、ムッツリ!!」


その言葉に、さすがに俺も反論できなかった。

なぜなら――触った事実は、どう言い訳しても変わらなかったからだ。


(でも……ほんとに、事故だったんだってば……!)


しばらくしてリゼッタが落ち着きを取り戻すと、再び門の前に立った。


そして、まるで呪文のように足元の土をなぞると、霧がすっと左右に割れていく。


「……行くわよ」


その声は、強がりと覚悟がまじったような、少しだけ不安定なものだった。



---

門を越えた瞬間、空気が変わった。


 森に満ちていた重苦しい霧の気配は消え、村の中には陽光が差し込み、小鳥のさえずりさえ聞こえる。

 石畳が整い、白壁の家々が並ぶ様子は、どこか牧歌的ですらあった。


 ――だが。


 俺たちの足音に、空気がぴたりと止まる。


 開いていた窓が、音もなく閉ざされる。

 畑にいた老婆が鍬を落とし、目を見開いたまま硬直する。

 幼い子どもがリゼッタを指さしかけ、母親に手を引かれて引きずられるように家へ戻っていく。


 「……まだ生きてたのかよ、あの呪われた娘」


 「今度は男まで引き連れて……どこで拾ってきたんだ?」


 「見ちゃだめだよ、呪いがうつるから……」


 耳を刺すような声が、さざ波のように俺たちを包む。


 リゼッタは顔を伏せもせず、まっすぐ前だけを見て歩いていた。

 けれどその背中は、まるで刃物に突き刺されながら進んでいるように、張りつめていた。


 (くそ……)


 俺の拳が無意識に握られる。


 今にも言い返したくなる。否、怒鳴り返したくなる。

 だけど――ここで俺が声を荒げても、リゼッタの立場が悪くなるだけだ。


 彼女がこの村で、どれだけのものを失ってきたのか。

 今、その一端を目の当たりにしている。



---


 しばらく歩くと、村の外れにぽつんと建つ一軒の家が見えてきた。

 木々に囲まれ、他の家々と距離を置いた場所。


 「……ここが、私の家だったところよ」


 リゼッタの声は、風の音にかき消されそうなほど小さかった。


 扉は閉ざされたまま、だが壊されてもおらず、窓は割れていない。

 庭には背丈の高い雑草が茂り、踏み入った形跡はない。


 「誰も、ここには近づかないの。呪われてるって、言い伝えになったから」


 「でも、それって……」


 「ええ。私のせいよ。私が“化け物”になったから」


 言葉を吐き出すたびに、リゼッタの声はかすれていく。

 それでも彼女は、首を上げた。


 「それでも……この家に、母さんの形見があるの。どうしても、取り戻したいのよ」



---


 彼女が扉に手をかけると、わずかにきしむ音が響いた。


 埃が積もった玄関を踏みしめ、一歩、また一歩と中へ入る。

 静かな空間の中で、俺たちの足音だけが響いた。


 「……懐かしいな。あそこに、いつもスープの鍋がかかってて……。

 冬は薪の火の音がずっとしてて……。うるさいけど、暖かかった」


 リゼッタがぽつりぽつりと話すたびに、部屋の景色が少しずつ色づいていくような気がした。


 「母さん、私が森で怪我して帰ると、何も聞かずに抱きしめてくれたの。

 “強くなりたいなら、まず誰かを守れるようになりなさい”って……」


 「……その言葉、今のリゼッタにぴったりじゃん」


 思わず呟いた俺に、リゼッタはふっと笑った。


 「そうね……でも、まだなれたかはわからないけど」



---

リゼッタは、部屋の隅にある小さな棚に目を留めた。

 布で覆われたその上に、埃が薄く積もっている。


 そっと布をめくると、木箱が現れた。

 彼女は手を伸ばし、箱を開け――その中から、小さな銀のペンダントを取り出す。


 「……あった」


 リゼッタの声が震えていた。


 ペンダントは細く、華奢で、月の形をした小さな石が揺れている。

 まるで、今にも壊れてしまいそうなほど儚い光を放っていた。


 「母さんが、最後にくれたの。“この森を出ても、自分を忘れないように”って……」


 リゼッタは、それを両手で包み込むようにして胸元に抱きしめた。


 「でも……その後すぐに、私は“人じゃなくなった”のよ。

 このペンダントだけが、“私が人間だった”証なの……」


 彼女の声は、もう涙をこらえることさえ諦めたような、柔らかい響きを帯びていた。


 俺はただ、そばに座って、黙ってその横顔を見守ることしかできなかった。



---


 日が落ち、村には静けさが戻っていた。

 外からは夜風の音だけが聞こえる。


 俺とリゼッタは、埃を払った布団に並んで横になっていた。

 村の中なのに、不思議と森よりも冷たく感じるのはなぜだろう。


 「ここ……こんなに静かだったっけ?」


 「……人がいるはずなのに、誰も守ってくれない場所って、怖いのよ」


 リゼッタの呟きは、夜の闇に沈むように小さかった。


 「森の中のほうが、獣のうなり声もあるし、風の音だって強い。

 でも……この村の静けさは、誰にも頼れない音がするの」


 「……そっか」


 “静か”って、安心とは限らない。

 彼女の言葉が、胸に深く刺さった。



---


 しばらく沈黙が続いたあと――リゼッタがそっと口を開いた。


 「……さっき、ありがとう」


 「え?」


 「私、あのままじゃきっと……この場所に戻れなかった」


 「……俺がいたから?」


 彼女は小さくうなずき、続ける。


 「でも、まだ怖いの。村の人たちも、呪いも、自分自身も……全部、まだ怖いの」


 「それなら……その“怖い”を、これから俺が一緒に見ていくよ」


 強くも優しくもない。

 でも、俺にできる精一杯の言葉だった。


 リゼッタは少しだけ目を細めて――俺の肩に、そっと額を預けた。



---

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