表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グリム・ワールド・ウォーカー  作者: おな太郎
【第1章】赤ずきんと嘘つきな森
2/20

第1話 赤いケープと人狼の森

霧の中を歩いて、どれくらい経ったのか。




 肌寒い空気が制服の中に入り込み、背筋を撫でるたびにゾクッとした。


 辺りを覆う灰色の霧は濃く、数メートル先すら見えない。耳を澄ませば、自分の足音と呼吸音、そして……ときおり遠くから響く、獣の唸り声。




 「……ここ、ほんとにどこなんだよ」




 地面はぬかるみ、歩くたびに靴が泥に沈む。


 黒く曲がりくねった木々は、まるで歪んだ神経のように空へ伸びていた。葉の一枚も揺れず、空気は妙に湿って重い。


 まるで、世界そのものが“生き物”のようだった。




 タツキ――俺は、今朝まで千葉県の高校に通っていた普通の学生だった。


 図書館で見つけたあの奇妙な『未分類のグリム童話』。手に取った瞬間、白い光に包まれて、気づけばこの森の中だ。




 転移とか、召喚とか、漫画じゃよくある展開だけど――これはリアルすぎる。




 「夢なら……そろそろ目が覚めてくれよ」




 情けないほどに頼りない独り言が、霧に溶けていく。




 この場所が、もし“グリム童話の世界”なら――


 この森は、あの物語。赤ずきんが、狼に祖母を食べられる“あの森”なのかもしれない。




 「……まさかとは思うけど。赤ずきんの森、か?」




 その瞬間、世界が一変した。




 ――ズバァンッ!




 鋭い金属音が空気を裂いた。斬撃だ。


 それに続く、獣の絶叫。低く唸るような、喉を引き裂かれた叫び。


 反射的に身をかがめた俺の足元へ、何かがドサリと落ちた。




 「っ……!?」




 それは――狼だった。




 人間の腰ほどもある巨体。漆黒の毛並みは血に濡れ、片目は虚ろに開かれている。


 喉元から胸へかけて、一直線に切り裂かれていた。


 まだ温かい体温と、鉄臭い血の匂いが鼻を突き、吐き気がこみ上げる。




 「う、うそだろ……?」




 目の前の現実に、足が震える。




 そして――霧を切り裂くように、誰かが現れた。




 赤いケープをまとった少女。


 肩に大きな片手斧を担ぎ、長い栗色の髪を揺らしながら、鋭い目でこちらを睨んでいる---





 霧に映える赤。


 その鮮やかなケープが、この不気味な森の中で異様に映えていた。




 少女――いや、狩人。

挿絵(By みてみん)

 その手に握られた巨大な斧は返り血を浴びて赤黒く染まり、鋭く磨かれた刃が光を鈍く反射していた。




 俺を睨むその瞳には、怯えも驚きもない。


 ただ、冷たい警戒と、すぐにでも次の一撃を放てる緊張感だけがあった。




 「……誰?」




 少女の口から、静かに放たれたその問いは、まるで空気を裂く刃のようだった。




 俺は反射的に両手を上げる。




 「ま、待ってくれ!俺は敵じゃ――!」




 彼女の鼻がひくりと動いた。




 「……人間。でも、この森の匂いがしない」




 「森の……匂い?」




 「木、血、泥、死体の臭い……それがあんたにはない。あんた、外から来たの?」




 彼女は斧を少しだけ下ろし、俺の全身を上から下まで見下ろすように視線を滑らせる。




 俺は息を呑む。


 この娘は――本物だ。命のやりとりを、日常として生きてきた目をしている。




 「……名を名乗れ」




 短く、強く、命じるような声。




 「……周防辰樹。タツキでいい」




 一瞬だけ沈黙が落ちる。


 霧の中で、彼女の表情が微かに変わった気がした。




 「……リゼッタ」




 「え?」




 「リゼッタ。この森の番。……そういう役目」




 その名は、俺の中にあった“赤ずきん”のイメージを一瞬で塗り替えた。




 可憐な少女じゃない。


 このリゼッタは、獣を斬るために生きる戦士だ。




 それが、俺と彼女の――“最初の出会い”だった。


---




 「この森の番って……それ、どういう意味だ?」




 恐る恐る尋ねると、リゼッタは斧を軽く担ぎ直し、森の奥をちらりと見る。


 その横顔は、どこか哀しげだった。




 「私は……この森と、村の境を守ってる」




 「境?」




 「獣が村に入らないように。呪いが広がらないように。……そして、私自身が村に近づかないように」




 最後の一言が、妙に引っかかった。


 彼女は、この森に自ら囚われているような口ぶりだった。




 「それって……」




 「どうでもいいでしょ。あんたには関係ない話」




 リゼッタはそれ以上語ろうとせず、斧を背中に固定すると、こちらを見た。




 「ついてきなさい。村までは案内する」




 「え、いいのか?」




 「……放っておいたら、次に会うのは死体になったあんたかもしれない。面倒だから助けるだけ」




 ぶっきらぼうなその口調は、どこか優しさを隠すようでもあった。




 赤いケープが翻る。


 霧の中を歩き出した彼女の背を、俺は慌てて追いかける。




 この世界がどうなっているのかも、何のために転移させられたのかも、まだわからない。


 でも――




 この少女のことを、もっと知りたいと思った。




 獣を斬る斧を振るいながら、誰にも心を許さずに生きる少女。


 “呪われた赤ずきん”――リゼッタ。




 彼女と出会った瞬間から、俺の物語はもう、動き出していたのかもしれない。






---

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ