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そんなこんなで、『どぅれぇす』を装着したネネははるばる王宮までやってきた。が、会場に入ったはいいものの、さっそく困った事態に直面していた。
(はて。「真っ当な婿殿」とやらはいったいどなたでしょうか)
なにせ会ったことがないのだ。顔を知るはずがない。きょろきょろしていると、見知った顔を見つけた。
「シオン殿ではありやせんか」
声をかけると、彼は「おや」とふり返ってネネを見て目を丸くした。
「ネネか? こんなところで何をしている?」
心底不思議そうに首を傾げるのは、隣国の鬼族のシオンだ。里の外に出たことがないネネだが、シオンをはじめ隣国の鬼族は商いに時折里を訪れるので、感覚的には友人みたいなものである。
夜会とあり、今宵のシオンはスラリと高い体躯を立ち襟のストンとした黒の長衣に包み、白テンの毛皮をあしらった艶やかな紺藍の上着を羽織っている――隣国の『ハレの日』の装束である。襟や袖に施された刺繍が柔らかに光を弾き煌めいていた。彼もまた、オモテでは角を隠して人間として振る舞っている。
「実は婿殿を探しておりまして」
斯く斯く然々と事情を話すと、異国の知己はわずかに片眉をはねあげた。
「そうか。ユーリは息災かい?」
「ええ。相変わらずでやんす」
断罪の憂き目にあったユーリは、表向きは廃嫡となったものの、今は里の親類に身を寄せ、穏やかに暮らしている。生来お人好しでのんき者という鬼族の性質そのままの彼は、特に傷心もしていないようだ。
そもそもユーリが貢いだのは、彼の『友人たち』が貢いでいたから。アンナに貢ぐ行為を社交界の流儀と解釈し、同じことをやったに過ぎない。
「ああ、まあユーリはそういう奴だったな。しかし……その婿殿とやらは彼処にいるが、本当にアレと結婚するのか?」
「お役目ですゆえ」
鬼族的に、人間との婚姻に問題があるのかといわれればそうでもないし。何より今回はユーリ助命の恩もある。
「いつでも相談にのる」
「はい。ありがとうございます」
友人と別れて教えられた人物に目を向ける。彼……否、彼と彼女らは料理をのせたテーブルの奥に陣取って、実に楽しそうにしていた。
「お初にお目にかかりやんす。ヤマーダ伯爵が壱の姫、ネネにございまする」
オババ様に教わった通りに、婚約者に対する礼を取ったものの、いつまでたっても「オモテを上げぃ」と言われない。どうしたことか。
「…………」
「…………」
こちらは建て膝なので楽なものだが、婿殿は立ったままだ。さすがに心苦しい。
「オモテを上げてよござんすか」
本来の作法に反するが、膠着状態が続くよりはとネネは小声で確認してみた。
「あ、ああ。立っていい」
「かたじけのう存じまする」
面と向かった婿殿……ナルシスは金髪碧眼、色白の肌にゲジのような眉毛、ややグリッとした目としゃくれた顎が印象的な顔の若者だった。婿殿の後ろに、ピンクのふわふわ髪の小柄な少女がいる。彼女が婚約破棄騒動で一躍有名になった男爵令嬢のアンナか。
浮気相手を侍らせて婚約者を呼びつける非常識には事前情報のおかげで大して驚かなかったネネだが、間近で見た彼らの服に思わず目が点になった。
(ペラッペラなのですけど)
格上貴族が着るとは思えない藁半紙のような布地に、染めを失敗したのかくすんだ色味。ネネの常識的に、とても『ハレの日』に着られる代物ではない。
(知りませんでした……。夜会には野良仕事用の『どぅれぇす』を着るのですね)
ずいぶん場違いな装束で来てしまった、とネネは恥ずかしさに頬を赤らめた。言っておくが、人間界では婿殿たちの着ている服は上質な部類に入る。ネネたち鬼族の仕立てや染色技術が卓越しているだけである。
一方の婿殿……ナルシスの方だが、ネネの羞恥を別の意味にとらえたらしい。はん、と鼻を鳴らしてふんぞり返った。
「俺に目を奪われたようだが、勘違いするな? おまえと結婚してやる気はない。俺が愛しているのは、ここにいるアンナだ。おまえのようなちんちくりんではない」
そう言って、これ見よがしにピンク髪の少女を抱き寄せると、ボヨヨンと、服地が弛んで胸の谷間が丸見えになった。デコルテにレースが縫い付けてあるが、アイロンが不十分なのかあっちこっちに折れ曲がっており、ほつれた糸も飛び出している。
(ああ、『どぅれぇす』風の寝間着を作ればええのか?)
否、ただ単にアンナのドレスの手入れが不十分なだけである。
「はい、まっこと申し開きのしようもござりませぬ」
『ハレの日』に場違いも甚だしい装束を着てくる女などちんちくりんと言われてもしかたがない。あまりの恥ずかしさに身が縮む思いである。
「次回からは野良作業用か寝間着風の『どぅれぇす』を誂えてきやんすので、今日のところはどうかご勘弁を……」
「あん? ノラサギョー?」
謝られている意味がわかっていないナルシスはしゃくれた顎を不思議そうに傾けたものの、アンナに服の裾を引っぱられてシャピン! と胸を張った。
「んん! ともかく、アンナを伯爵家の養女にしろ。そうすれば、おまえの家も納得だろう」
「……はい?」
想像の斜め上とはこういうことをいうのだろうか。ナルシスの後ろからアンナに満面の笑みで「よろしくお願いしますねぇ、お姉さま!」などと言う。
「私の一存ではできかねまする」
横暴も横暴である。が、横暴でも格上の家の者から言われたため、無碍にもできない。社交界に疎いネネには、いいあしらい方が思いつかず、ひとまず逃げを打つことにしたのだが。
「伯爵家ごときが俺の言うことに従えないのか? ユーリの助命がナシになってもいいのか?」
ナルシスは気に入らなかったようだ。ユーリ助命を引き合いに出して決断を迫ってきた。念のため言うが、令嬢のネネに養女云々をどうこうする権限はない。ないのだが、にわか貴族令嬢のネネはそのあたりをまったく知らなかった。
(はぁ……。困りました)
途方に暮れるネネ。そこに一人の貴公子が近づいてきた。
「何か諍いかな? レディ」
颯爽と現れた貴公子はネネを背にかばうようにナルシスの前に立ちはだかった。
「これはレオノルド殿下、婚約者の不敬をたしなめていたのです。諍いではありませんよ」
「穏便に養女にしてくださいってぇ、お願いしていたんですよぉ?」
と、ナルシスが取りつくろい、アンナが猫なで声で身体をくねらせた。ボヨヨンと揺れた胸が胸元の布地を押し下げ、チラッと中身――魔改造コルセットと三段腹が見えた。……見なかったことにしよう。
そんなことよりなんと! 目の前にいるズボンの縫い目がお粗末な貴公子がこの国の王子殿下らしい。ネネは赤面した。
(ああ、はずかしや……。次からは野良作業用の『どぅれぇす』を用意しなければ)
きちんとできている「例」を見せつけられるほど、羞恥心に苛まれるのである。
「レディ、よければ私と話さないか? なに、困っていそうだったので助けになればと思ったのだよ」
ネネの心中など知らぬレオノルド殿下は、ネネをエスコートして近くのバルコニーへ誘った。
「難しい立場だね。お察しするよ」
爽やかな笑顔で言っているが、何を隠そう、目の前の男こそが自身のやらかしをユーリに押しつけた張本人である。まったく白々しい。ついでに腰に腕を回そうとしてきたので、ネネは無駄のない動きでサッと距離をあけた。
「あそうだ! 私が君の恋人役をやるというのはどうだろう? ナルシスも私相手にめったなことはできないからね。どうだ名案じゃないか!」
王子殿下は芝居がかった仕草で両の腕を広げて見せた。
(元はといえばこの男のせいでは?)
コイツがきっちりやらかしの責任を取れば、ユーリは国家転覆罪などという大罪を背負わずに済んだのだ。ネネは世間知らずだが、悪辣な輩が見分けられないほど節穴ではない。
「そうと決まれば、話は早い。親交を温めるべきだな。さあ、来たまえよ」
なんぞとほざく王子の皮を被った助平野郎に従うものか。不幸中の幸いは、彼の乱入でさっきの養女云々はうやむやになっている。ならば、やることは一つ。
(三十六計逃げるにしかず!)
こちとら鬼族。女子であっても人間の男に遅れは取らない身体能力がある。ネネは躊躇うことなく『どぅれぇす』の裾を絡げ、バルコニーの柵を足掛かりに、ヒョーイと身のこなしも軽やかに向こう側に飛び下りた。なお、二階のバルコニーからである。
「んな?!」
後ろで奇声が聞こえたが、無視した。
(はぁ~。草鞋で来てよかった)
ぷぁんぷすぅ、なる踵の高い靴ではこんな芸当はできなかったろう。お古はサイズが合わなかったため、草鞋で来て正解だった。
(さっそく、シオン殿を頼ることになりそうです)
そんなことを考えながら、ネネは王宮の敷地を駆けた。
◆◆◆
「ふむ。面倒なことになっているようだな」
夜会の数日後に招いたシオンは、出された茶をひと口飲んで顔をしかめた。
「なんぞ良い策はありゃせんでしょうか」
と、ネネ。
シオンは難しい顔で考えに耽っていたが、ややあって顔を上げた。
「ネネよ、俺の嫁にならんか」
コテンと首を傾げるネネ。だが、ネネはナルシスと婚約を命じられている。シオンの嫁にはなれない。
「無理でやんす」
そういう横紙破りをしたら、また何を要求されるかわかったものではない。
「だが、それが一番、連中は手を出しにくくなるぞ」
シオンは渋い顔だ。そういえば、シオンは隣国では結構な地位にいるらしい。詳しく聞いたことはないが。
とにかく、この身を差し出す以外で策を練らねばならない。けれど、どうしたらいいのかさっぱりだ。
「里には財宝もなにもありやしませんのに」
小じんまりとした里の大半は険しい山地である。畑にしようったって、開墾にどえらい労力と時間がかかるだろう。それに、いくら蓄えがあるといったって、蓄えはいつまでもあるわけではない……し?
「使ってしまえばよいのでは?」
「ん?」
「そうです! 使ってしまえばよいのです! 空っぽにしてしまえば!!」
ナルシスたちは、里が財貨を蓄えているから欲しがるのだ。では、貯め込んだ財貨をすっきりさっぱり使ってしまえば、彼らにとっての魅力はなくなるのではないか。
大きな目を閃きに輝かせて、ネネはずいと身を乗り出した。
「シオン殿、金子を豪快に使うには何をすればよござんすか??」