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作中にはどこかで聞いたような文化や方言が出てきますが、すべてフィクションです。現実との整合性を指摘されても修正いたしませんので、悪しからず。
それはまさに晴天の霹靂だった。ある日突然、貴族令嬢をやれと言われたら、誰だって面食らう。さらにカオス過ぎるしがらみを押しつけられれば、なおのことである。
(……これは何の仕置きでしょうか?)
鬼族の少女ネネが、目の前の相手にいささか無礼な感想を抱いても仕方ない。
貴族令嬢――目の前で申し訳なさそうにしている男、ヤマーダ伯爵の養女になったわけだが、強制的に格上の家と婚約させられた上、件の婚約者は浮気しているという。こんな状況で、家と里のために立ちまわれとはこれいかに。
ことの発端は、中央で起きたとある婚約破棄騒動にある。
わが国の栄えあるレオノルド第三王子殿下が、国中の貴族が集まる夜会でやらかし給うたのだ。当時婚約していたラメビジュー侯爵家の姫君ゾフィーに婚約破棄を突きつけ、かわりに『真実の愛』の相手であるウィード男爵令嬢アンナと結婚すると言い出したのだ。
結果からいうと、婚約破棄は成った。だが、その咎を問われたのは、アンナでもレオノルド殿下でも、ましてやゾフィーでもなかった。断罪されたのは、あろうことかネネたちが仕えるヤマーダ伯爵家の嫡男ユーリだったのだ。
聞くところによると、ユーリはレオノルド殿下の友人の一人で、当時も他の友人たちと共にアンナに侍り貢ぎ、その一方でゾフィーには辛辣にあたっていたという。
つまり、罪状だけならユーリと同等の者はあと数名いる。なのになぜユーリだけ断罪されたかというと、彼の身分が友人たちの中で一番低かったからだ。彼がすべてを唆したとされ、すべての罪を背負わされたのだ。
ヤマーダ伯爵家は窮地に立たされた。断罪した側からは、ユーリ廃嫡は当然として、真っ当な者を後継にせよと言われた。よって、ネネが伯爵家の養女となり「世間的に真っ当な婿」を取ることになった。なお、件の婿として手を挙げたのは、ゾフィーの弟でラメビジュー侯爵家次男のナルシスだった。
つまり、婚約破棄騒動はヤマーダ伯爵家をラメビジュー侯爵家への慰謝料に差し出して手打ちとされたわけだ。
ネネたちからしたら、理不尽なお家乗っ取り以外の何物でもない。が、対価に国家転覆罪を背負ったユーリの助命を出されれば、従うしかなかったのだ。
(それで……。その「真っ当な婿」のナルシス殿が浮気をしていると)
コソコソ隠れてではなく、堂々と。ちなみに浮気相手は婚約破棄騒動の元凶でもある男爵令嬢アンナだとか。
……もう、どこから突っ込んでいいかわからない。
お咎めナシとなったレオノルド殿下は、しばらくアンナとよろしくやっていたもののあっさり破局。それで野放しになったアンナが、今度はナルシスに粉をかけた、と。
「けれど、なぜヤマーダ伯爵家が対価などになったのでしょうか」
一つだけ不思議なのは、平凡な伯爵家が『対価』にされたことだ。ネネの知る限り、伯爵家は特別大きな領地を持っているわけでもない。むしろこじんまりした領地だし、中央近くの領地と違って大店が店を構えているわけでもない。辺鄙な田舎であって、交通の要衝ではない。つまり、税収もたかが知れている。なぜそんなちっぽけなモノを欲しがるんだろう。
「それは……。この騒動で発覚したんだけど、ウチは世間的にはとても蓄えがある家らしいんだよ」
目の前で申し訳なさそうにしている男――このたびネネの養父となったヤマーダ伯爵が、さらに困ったように肩をすくめた。
「? どういうことで?」
コテン、と首を傾げるネネをチラリと見て伯爵は言った。
「鬼族はいわゆる『欲しがらない一族』だろう?」
ヤマーダ伯爵領には、鬼族の隠れ里がある。いや、伯爵領そのものが隠れ里であるから、領民はみな鬼族か鬼族と人間との混血である。もちろん、ヤマーダ伯爵家の者も鬼族だ。角を隠し、人間としてオモテに出ているだけで。
その鬼族の生活だが、農業をほとんどやらない。日々の糧の多くは採集と狩猟――自然の恵みを少しずつもらって、慎ましく生きる種族なのである。
農業をやると言っても、住処の近くに猫の額ほどの菜園をこしらえる程度。そもそも、険しい山ばかりの土地なので、広い畑も田んぼも作れないのだ。
ゆえに、ヤマーダ伯爵領には領外では見られなくなった希少な植物や生き物が生き長らえている。
また、鬼族は恵まれた身体能力を生かし、人間にはできない技術でモノを作ることができる。ときたま海の向こうからやってくる鬼族を通じてそれらをほんの少しだけ商うわけだが、希少な品でほんの少しの量ゆえに価格が高騰し、実は結構な収入となっている。
が、慎ましさゆえに里の誰も、領主でさえ、今以上を求めない――欲しがらないため、財貨は使われることなく貯まる一方だったのだ。
伯爵家嫡男であるユーリが男爵令嬢アンナに入れ込んで、自覚もなく高価な貢ぎ物を次々と贈ったことで、伯爵家の蓄財が明るみに出てしまった、ということらしい。
「……なるほど?」
「わかってないね。……まあ、仕方ないか」
こう言っては何だが、隠れ里で日常的に使われている何気ない物でも、人間のそれと比べると大変質が良かったり、高価な素材だったりする。だが、里の外に出たことがないネネに、そんなことがわかるはずもない。
慣れ親しんだ常識を飛び越えるのは難しい。
◆◆◆
ともかく、ヤマーダ伯爵家の養女として「真っ当な婿殿」から要求された社交はこなさねばならない。初めての「お役目」は、王宮での夜会だそうだ。
「夜会なる『ハレの日』には、女子は『どぅれぇす』なる装束で出るものでごぜえやす」
「胴礼朱、ですか」
ここは、伯爵家でネネに与えられた部屋である。来る夜会に備え、社交界での『ハレの日』に詳しいオババから教示を受けているのである。
「違いやんす。『どぅれぇす』でごぜえまする」
「どぅれぇす、ですね」
難しい発音だ。きちんと覚えなければ、とネネは気を引き締める。
「おまえ様の『どぅれぇす』じゃが、先代様のお古がありますけぇ、それを着ていただきまする」
先代様とは、ユーリの母親(故人)である。ちなみに、かの『どぅれぇす』はユーリの曾祖母の代から大事に受け継がれてきたものだ。
「ああよかった。お古があるのなら何の心配もいりませんね」
謎の装束をイチから用意しろと言われたら、途方に暮れてしまうところだった。ネネはホッと胸をなで下ろしかけ、三人がかりで運ばれてきたソレに目をむいた。
見たこともない形の装束だ。まず衿が見当たらない。どうやって着るのだろう。着物に必須の帯もないが。
「被って着るもんでやんす」
「なんと……!」
つまり『どぅれぇす』とは被布着なのだ。
(ん? 下には何を着るのでしょう??)
被布着とは、装束の上に羽織る上着のことである。装束本体どこいった??
「アッチでは被布着だけ着て、装束本体は着ないでやんす」
「まあ!」
そんな非常識があっていいのか。カルチャーショックである。さらに驚きは続く。
「裾を蹴る?!」
長すぎる裾(すくゎーとぅ、が正式名称らしい)をどうするのか聞いたら、裾を蹴っ飛ばしてかっ捌け、という返事がかえってきたのである。
(なんて乱暴な……!)
そんな乱暴を働くなら、いっそ短く切ってしまえばいいではないか。蹴られてかっ捌かれたら、布地が傷んでしまう。
ちなみに、里は山の中にあるため、ネネたちが普段着る着物は山道を歩くのに邪魔にならぬよう女子でも丈は短く、膝上までしかない。そして脚を守るための脚絆をつける。長い裾にはとんと縁がない。
「アッチの方々は憂いばかりなのでごぜえやしょう。布地に当たり散らすのが文化でやんすからねぇ」
「……そうなの」
なんとも悲しい民族である。