09 聖女のお披露目
エルーシアが大神殿に来てから一年半の年月が流れた。背が伸び、身体も女性らしく丸みを帯び、表情もずいぶん大人びた。
多種多様な病気と怪我に向き合い、回復魔法で治療を行ってきた。回復魔法といえど、救えない命もある。
治療のかいもなく、命の灯火が消えた人たちを大勢見送った。助けられなかった命を見つめ、後悔のないように持てる力の全てを注ぎ、適正属性である水魔法と聖魔法の上級魔法を習得し、水魔法と聖魔法を組み合わせて治療を続けた結果、エルーシアの魔力は無尽蔵にあふれている。
魔力操作も繊細で、失われた体の一部を再生させることに成功した。
エルーシアが報告し、ならば治療を見たいと言い出した大神官の前で再生治療が行われた。
大神官も失われた腕が再生される過程を目の当たりにし、見事に再生された腕が動くと、驚きのあまりその場にへたり込んでしまった。
どうやら腰が抜けたらしい。周りの神官たちは大慌てで大神官のもとへ駆け寄り、大神官は私室に運ばれて行った。
落ち着きを取り戻した大神官の私室にエルーシアは呼び出され、再生治療について根掘り葉掘り聞かれて答えると、ほお、と感心した声を上げ、エルーシアの成長ぶりを感慨深げに目を細め、頷いている。
王宮からエルーシア宛に手紙が届いた。何事かと開封してみれば、国王陛下と謁見するために登城するようにとの内容だった。
エルーシアは手紙の内容を神官に伝えると、王族に聖女のお披露目するのだと、大神殿は慌ただしく準備を始めた。
女神の聖紋が確認できるように胸の開いた特別な神殿服を作ることになった。清浄さを失わないように細心の注意を払い、エルーシアの神殿服がお針子たちによって仮縫いされた。
エルーシアは調整するために仮縫いの神殿服に袖を通す。
月あかり色の髪に光を放つような水色に僅かに緑がかる瞳を持つエルーシアは女神のように神々しさを醸し出していて、どちらからともなくため息が漏れ聞こえる。仮縫いに立ち会う神官たちが感嘆したようだ。微調整し、本縫いへと取りかかる。
お披露目の神殿服が完成し、登城する日を迎えた。エルーシアは湯浴みをし、念入りに手入れされ、お披露目の神殿服をまとう。
胸には女神の聖紋とテオドールから贈られたタンザナイトのネックレスが煌めいている。
大神官もエルーシアの姿を見に来ていた。美しく成長した聖女の姿を眩しそうに目を細める。
「ほう、きれいじゃのぅ。よく似合っておるがソレははずさないのかえ?」
大神官が首にかかるタンザナイトのネックレスを指摘すると、エルーシアは頬を赤くし、身体を揺らした。
「はっ、外しません。外したくない、です」
視線を逸し、ボソッと呟いたエルーシアに大神官は年頃の娘らしいと、笑顔を浮べた。
「大神官様、行って参ります」
「うむ、しっかりお披露目してきなさい」
エルーシアが大神官に一礼すると、マントを着用し、顔が隠された。
聖女が神殿の関係者以外に顔を隠すのは勇者と聖女の子孫である王族に女神の聖紋を見せる、お披露目の儀式のためだ。
稀な存在である聖女の姿を王族が一番先に目にしたいという、王族の都合で作られた儀式でもある。
王宮についたエルーシアは王族が待つ部屋へ案内され、入室した。護衛がエルーシアのマントを受け取り、下がっていく。
「そなたが聖女か?」
陛下の低く威厳のある声が響く。エルーシアは一礼したままで口を開いた。
「女神の聖紋を授けられました、エルーシアと申します」
「うむ、顔を上げよ」
エルーシアはゆっくりと背筋を伸ばす。月あかり色の髪に光を放つような水色に僅かに緑色がかる瞳。白磁器のような透明感のある肌に、胸には女神の聖紋が桜色に染まっている。
息を飲むような、ため息がこぼれるような息遣いが聞こえるような雰囲気のなか、エルーシアは目を伏せたまま、柔らかい笑みを浮かべていた。
エルーシアの前には国王陛下、王妃殿下、王太子殿下、第二王子殿下、王女殿下、王弟である公爵がいた。
「ほう、まるで女神が舞い降りたようだ」
「神々しいまでの美しさね」
陛下と妃殿下はエルーシアを見つめる。
「エルーシア、久しぶりだね。元気にしていたかい?」
王弟であるレイノルドが懐かしそうに声をかけた。
「旦那様」
王宮のきらびやかで荘厳さに圧倒されていたが、おくびにもださず、作り笑いを浮かべていたエルーシアは、主であるレイノルドに声をかけられ、安堵のあまり表情がほころんだ。
レイノルドはエルーシアの首にかかるタンザナイトのネックレスに気づき、目を見張る。
テオドールがエルーシアの瞳と同じ色の宝石、パライバトルマリンのピアスを身につけていた――――瞬時に悟ったレイノルドは慈しむような眼差しでエルーシアを見つめた。
「エルーシア、討伐の旅は過酷なものになるだろう。魔王を討ち滅ぼし、領地に戻ってくる日を、私たちは待っているよ」
「はい」
エルーシアは王族と昼食をともにし、質問されたら答えると、和やかな雰囲気のなか、お披露目を終えた。
お披露目を終え、顔を隠す必要はなくなったが、貧民街での治療の際にストールで顔を隠していたので、今さらストールを外すのも恥ずかしい。なのでストールで顔を隠したまま治療に専念している。
住民たちは治療をしている人物が聖女だと思ってもみないだろう。治療を受ける人たちも、ストールを奪ってエルーシアの正体を暴こうとはしなかった。正体を暴いたら、二度と治療を受けることができなくなると、感じていたのかもしれない。
魔王が封印されている地では、魔王の魔力の影響か、魔獣が頻繁に出没する話を耳にする。魔王討伐のメンバーが決まり、顔合わせをすることになったが、王都では不思議な噂が流れている。
公爵家の娘が枯れた花をもとの生花にするという奇跡を起こしたらしい。
病気が蔓延し、農作物が全滅した土地を娘が浄化し、農地に野菜の種をまいたら驚異的なスピードで野菜が育ったという。娘は農家から聖女様と慕われている。
女神の聖紋を授かったらしいと、まことしやかに噂が広まっている。
王都の神殿に公爵家の娘はいるそうで、大神殿側は真偽を確かめるため、娘を大神殿へ迎え入れようとしたが、神殿側が拒否しているという。
大神殿に女神の聖紋を持つ、平民の聖女がいることは広く知られている。新たな聖女らしき人物が現れ、王家に混乱が生じているらしい。
王家は魔王を封印した勇者と聖女の子孫にあたる。そのため、王女が降嫁した貴族の家系に聖属性を持つ女性が誕生することがある。公爵家の娘の母も、王家から降嫁した王女だった。
「コースフェルト公爵の娘、ファルダが聖女だと? 聖女はレイノルドの使用人だったエルーシアだろう? 聖女が二人も現れたと言うのか?」
報せを聞いた陛下は信じられないと、開いた口を手で塞ぐ。二人目の聖女が現れるという、神託は受けていない。
いったい、どういうことなのか? 魔王討伐の人選が決まった直後に、新たな聖女らしき人物の存在が明るみになった。
真相を確かめるべく、陛下はコースフェルト公爵に、直ちに登城するようにと命じる。
コースフェルト公爵は陛下からの招集に応じ、すぐさま登城し、陛下の執務室を訪れた。
「コースフェルト公、そなたの娘、ファルダが聖女だと噂が流れておるが、まことか?」
陛下は机に肘をつき、組んだ指で口を隠し、上目遣いでコースフェルト公爵に視線を向ける。
「あくまで噂ですが」
まるで他人事のように答えた公爵に、陛下は苛立ちを覚えた。
「ずいぶんと他人行儀な言い方だな?」
「領地で暮らしていたはずの娘が、いつの間にか王都の神殿で暮らしていると、数日前に報せが届きました」
「ファルダが領地を出たことに気づかずにいたとは、そなたの手落ちではないのか?」
陛下は公爵を咎めるような視線を投げた。公爵は冷えた眼差しを陛下に向ける。
「……お言葉ですが、王太子殿下がファルダに婚約破棄を告げたのは、どう説明を?」
「なっ……」
陛下は言葉に詰まる。婚約破棄の件はまだ、正式に公爵へ謝罪をしていない。王太子と新たに婚約したいという令嬢の件は、魔王関連を優先して先延ばしにされていたのだ。
「大勢の生徒がいるなかで、娘に非があると殿下に責められ、婚約を破棄され、ご執心の令嬢を婚約者にすると発言したそうで。あまりの仕打ちに、娘の心は壊れてしまった。療養のために領地へ戻したというのに……」
理不尽な婚約破棄で、心を病んだ娘が不憫だと、公爵は悲痛な面持ちで嘆いた。
「……」
婚約破棄を持ち出されると、陛下も何も言えなくなる。悪いのは心変わりをした王太子だ。政略結婚になるが、幼い頃からお互いに好ましく思い、仲睦まじく過ごしてきたというのに。学園に入学してから王太子は変わっていった。
「領地にいるはずの娘が神殿で暮らし、聖女などと、信じられない思いです。私も神殿に出向きましたが、娘に会うことができないのです。誰に何を吹き込まれたのか……」
娘の話になるとコースフェルト公爵の憔悴ぶりが見て取れる。ファルダに何が起こったのか、なぜ神殿で暮らしているのか? 経緯も何も語られることはなく、公爵も手をこまねいている状態だ。
「神殿側がどう動くか、見当もつかないが、待つしかないのか。魔王討伐の勇者一行の顔合わせをし、攻撃の連携が取れるように訓練が必要だというのに」
「娘が本当に聖女なのかも不明ですし、一日も早く勇者一行の顔合わせをしたほうがいいのでは?」
「そうだな。どう出るか、分からない者に、割く時間が惜しい。先に進めよう」
陛下と公爵は、真実を掴めず、途方にくれる。
陛下は予定通りに勇者一行の顔合わせの予定を組み、勇者、聖女、剣士、魔術師、弓使い、槍使いに通達を出す。
三日後に王宮で勇者一行の顔合わせを行うこととなった。