07 貧民街へ
「誰か、病人や怪我をした人はいませんか? 病や怪我を、私に治療させてください!」
エルーシアは無意識のうちに声を上げていた。エルーシアの声に驚いた子どもたちはきょとんとしている。エルーシアの隣りにいた護衛も突然のことに唖然としていた。
「ねぇ、あんた、病気、治せるのか?」
痩せた少年が訝しみながら声をかけてきた。エルーシアは無言で頷く。少年はエルーシアの手を取り、引っ張っる。
「こっち、きて」
少年の動きに合わせ、エルーシアと護衛が歩き出した。歩き出してまもなく、小さな家についた。
少年は扉を開けると中へ入っていった。薄暗い家の中はかまどと粗末な造りのテーブルとイス、奥まった場所にベッドが見える。
ベッドに近づくと、少年の父親らしき男性が横になっていた。腕に布が巻かれていたので外すと、腕には獣につけられた傷があり、化膿している。
高熱を出し、ぶるぶると震えている。激痛が走るのか、時折うめき声を漏らす。エルーシアは化膿した傷口に手をかざした。
「ハイヒール」
エルーシアの手のひらが淡く光り出し、輝きが増す。化膿した傷口は少しずつ膿が消えていくが、傷口は塞がらない。
(化膿していたから、菌が全身に回っている。菌を消滅させて、毒素を浄化しなければ……)
ハイヒールをかけ続けると、傷口が塞がり始めた。ゆっくりと傷が薄くなり、完全に消えた。だが、発症してから時間が経ちすぎていたのか、父親はぐったりとしている。
「少年、清潔なコップを持ってきてくれるかしら?」
エルーシアは父親から目を離さず、少年に指示を出した。少年はコップを持ち、外に出る。戻った少年はきれいに洗ったコップを差し出した。
「ありがとう」
コップを受け取ったエルーシアは右手をコップにかざし、大きく息を吸う。
「ヒールウォーター」
手のひらが光り、水が出てきてコップにたまる。父親を抱き起こし、コップの水を飲ませた。
父親の体が淡い光に包み込まれて間もなく、光が弾けて消える。
「あ、れ? 苦しくない。あんなに痛くて苦しかったのが、まるで嘘みたいだ……」
父親は狐に化かされたように、呆然としている。
「父ちゃん!」
少年は父親に抱きつき、声を上げて泣き出した。
「父ちゃん、俺、父ちゃんが死んじまうと思って怖かった。元気になって良かったよぅ。あの人が治してくれたんだ」
息子の言葉で、父親はエルーシアの存在に気がついた。
「助けてくれて、ありがとうございます。あの、助けてくれていただいたのに、申し訳ないですが、その、治療費が……」
「いえ、お代はいりません。私は見習いの身なのです。治療をさせてもらい、経験を積んでいるところです。治療をさせてもらえて、感謝しています。では、お大事に」
エルーシアと護衛は少年の家を後にした。
「すみません、今日はもう、帰ります」
エルーシアの顔色が悪い。魔力を使いすぎたらしく、目眩がする。早く大神殿に戻り、体を休めたいと思った。
父親の治療は大変だった。後半日遅かったら、父親の命は失われていただろう。一人の命を救えたが、エルーシアは力の無さを痛感する。
自分の魔力を自在に操れるようになるには、どれだけの時間が必要なのかと、先を見つめて途方にくれる。
大神殿に到着し、護衛の手を借りて、エルーシアは部屋に戻った。着替えをし、ベッドに入り、すぐに夢の住人になった。
護衛は大神官のもとを訪れ、エルーシアの治療を事細かく大神官に報告する。
「ふむ。初っ端から瀕死の患者を治療したか。エルーシアも今頃は眠っておるだろう。ヒールウォーターと言ったか? 詳しく教えておくれ」
大神官はヒールウォーターに興味を示す。
「聖女様がヒールウォーターと唱えると、右手が光り、手の平から水が出ました。その水を父親に飲ませたところ、父親の体が光り、しゃべれるまで回復しました」
「ほう、回復魔法と水魔法を融合させた魔法じゃな。あの娘、なかなかやりおる」
大神官は嬉しげに目を細め、口角を上げた。
翌日。
レニに起こされて目覚めたエルーシアは、朝食の前に湯浴みに行く。昨日は疲れ切って、そのまま眠ってしまったので、さっぱりとしてから朝食をいただきたかったが、昼食と夕食を食べそこねたお腹は、早く食べ物をと乞うように、クルルと鳴らしている。お腹の音を聞かれるのは恥ずかしい。
(他に人がいなくてよかった)
安堵しながら湯船から上がり、濡れた髪と体を水魔法で水分を飛ばした。
昨日訪れた街に、今日も赴く。どんな患者を治療するか分からないので、朝食を大盛りにしてもらったら、レニが目を丸くしていた。エルーシアは残さず完食した。
「エルーシア様はたくさん召し上がるのですね」
「昨日は昼食も夕食もとれなかったから。たくさん食べておかないと体が持たないかなって。治療のためよ」
エルーシアも成人を迎えたばかりのお年頃だ。大盛りのご飯を食べる姿を見られるのは恥ずかしい。
しっかりと食べ、栄養を補給したので、今日は一人でも多く、治療ができればと思う。治療を続けていれば、魔力もうまく引き出せるようになるだろう。
魔王討伐に向けて、一歩、踏み出したばかりだ。
焦らず、地道に、確実に。
神殿に来てからエルーシアが教訓にしている言葉だ。教訓にしていても、自分の現状を目の当たりにし、挫けそうになるけれど。
治療に出かける前に心の中で唱えると、冷静になれる気がして。今日も護衛とともに馬車に乗りこんだ。
貧民街の入口に馬車を止めた。住民たちは昨日とうって変わり、好意的にエルーシアを迎えてくれた。
「お姉ちゃん、私のお母さんの病気を治して」
「俺の兄貴が木から落ちて足の骨を折ったんだ」
「じーさんの具合をみてくれんかのぅ?」
「さっきから赤子がぐったりとしているの」
住民はエルーシアに詰め寄る。家族の病気を、怪我を治してほしいと願う思いが、痛いほど伝わってくる。自分を信じて家族を託してくれる。エルーシアは気を引きしめ、住民に話しかける。
「まずは命に関わる重症患者を診させてください。高熱が続いたり、長く寝込んでいるかたを優先させてください」