06 聖女としての一歩
レニの案内で、神殿騎士団棟へ訪れた。神殿騎士団棟は騎士たちの寮にもなっており、棟の近くには訓練場が広がっている。
騎士たちが訓練の真っ最中だ。指導する声、叱咤する怒鳴り声、木剣を打ち合う乾いた音や打ち合うときに張り上げる声が聞こえてくる。
活気があふれる訓練場の横を通り、騎士団棟に入り、騎士団長と面会を申し込む。
エルーシアの腰紐の色を見て、職員は慌てて部屋に通してくれた。
紅茶と焼菓子が出され、職員は緊張の面持ちで話しかける。
「団長を呼びますので、少々お待ちください」
職員はエルーシアに一礼し、部屋を後にした。
自分だけに用意された紅茶と焼菓子を、エルーシアはぼんやりと見つめている。レニは後ろに立って控えている。
数日前までリンデンベルク公爵家の使用人だったエルーシアは、この待遇に戸惑うばかりだ。
魔王を討伐する運命を課せられたことで、貴族のような扱いを受けることが、どことなく居心地の悪さを感じる。
部屋の外から靴音が聞こえてきた。突然、音を立てて扉が開いた。
「いやぁ〜、待たせてすまん」
身体の大きな男性が、大股で歩を進め、エルーシアの正面にドカッと豪快に座る。驚いたエルーシアは、思わず身を固くした。
「あんたが聖女様か? 俺は神殿騎士団団長のモーリッツだ。よろしくな」
「エルーシアと申します。よろしくお願いします」
「聖女様が旅に耐えられるように、体力作りの手伝いをすればいいんだな?」
「はい」
モーリッツはきゃしゃな体つきをしているエルーシアをしげしげと見つめ、考えるような仕草をした。
「明日から訓練を開始する。しっかりとした体つきになるように、頑張ろうな!」
歯を見せて笑うモーリッツは、腕にグッと力を込め、肘を曲げて上腕の筋肉を隆起させた。
「聖女様も、これくらい筋肉がつくように、鍛えてやるからな」
「そんな筋肉はいりません!」
エルーシアは思わず声を張り上げた。
肉体美を追求したいわけでは無い。あくまで討伐の旅に耐えうる体力をつけたいだけなのだ。
すぐさま否定をされたモーリッツは二、三度またたいた後に苦笑を浮かべ、後頭部を掻いた。
騎士団棟を後にしたエルーシアは、明日からどんな訓練が待っているのか、不安が募る。筋肉隆々になるのはごめんだ。
部屋に戻り、レニがお茶の用意をしてくれると言うので、二人分用意してほしいとお願いをした。
紅茶の用意ができたので、イスに座ってほしいと告げると、レニが驚いた表情を見せる。
「私ね、聖女に選ばれる前は公爵家の使用人だったの。いきなり貴族みたいな扱いを受けて、戸惑うばかり。二人のときは、気楽に接してくれると、嬉しいわ」
レニの緊張が伝わり、気持ちを解そうとエルーシアは数日前まで使用人だったことを明かす。
レニにとって、聖女は雲上人だと思っていたので、エルーシアも使用人だったと知り、親近感がわく。緊張が解け、表情が柔らかくなる。
茶色の髪にヘーゼルの瞳をしたレニは、大神殿に捨てられた孤児だという。大神官つきの神官に育てられたそうだ。
生活が苦しく、子どもを手放す親がいることに、エルーシアの心は痛む。
エルーシアの父が亡くなり、身重の母も義母に家から追い出された。母がレイノルドに拾ってもらえなかったら、エルーシアはこの世に誕生できなかったかもしれない。
似たような境遇に、エルーシアはレニを使用人として見ることができなくなった。出会ってまだ数日だ。お互いにぎこちなさを感じるが、時間をかけて、レニと友人になれたら素敵だなと思う。
大神殿は王都の街から外れたところにあり、大神殿のまわりには森が広がっている。女神の森と呼ばれる森は、清浄さをまとわせている。神殿に仕える人々は、森に入り散策を楽しむという。エルーシアもレニに連れられて森に訪れた。
森に足を踏み入れると、背筋が伸びるような、おごそかな神気を感じさせる。同時に、母に抱かれるような安らぎと心地よさを覚える。
森の中にいると、心が洗われるようだと人々は口にする。女神の庇護によるものなのか。
神殿に仕える者以外は立ち入りを禁じられている聖域でもあると、レニに教えられた。
翌日。
エルーシアは大神官のもとを訪ね、魔力の扱い方を教えてもらうことになっている。エルーシアの潜在能力は高い。しかし、膨大な魔力を持っていても、使いこなせなければ意味がない。
「今日から一月、護衛を伴い、貧民街へ赴き、魔力切れ寸前になるまで、民の病や傷を癒やしてきなさい。目眩を感じたら、治療を中止し、大神殿に戻ること。いいな?」
大神官はエルーシアに告げた。魔力の扱い方を教えてもらえるものだと、思い込んでいたエルーシアは、突然貧民街行きを告げられ、呆然とする。
「騎士団での体力作りはどうなりますか?」
午前は魔法の練習、午後から体力作りだと聞いていた。いきなり予定が変更になり、エルーシアは困惑する。困っているのが顔に出ていたのだろう。大神官はクスリと笑う。
「お前さんは膨大な魔力を持っておるが、使いこなせないじゃろ? 魔力を自在に操れるように、練習が必要じゃ。ヒールが使えると聞いておる。民は治療してもらえ、お前さんは魔法の練習ができる。一石二鳥じゃ。体力作りは後でいい」
エルーシアは大神殿に来たときに着ていた服に着替え、馬車で出発した。
護衛とともに貧民街に向かうはずが、なぜか店の中で服を選んでいる。肌の露出を控えた平民服と顔を隠すためにストールを数枚購入し、その場で着替えさせてもらう。
「あなたの正体が知られないようにと、大神官様のお心遣いです」
貧民街に向かう馬車の中で、護衛が教えてくれた。正式に聖女だと、お披露目もされていない状態で正体がバレて大騒ぎになったら、大神殿の体面を潰すことになる。
エルーシアは自分は神殿の見習いだと思い込むことにした。馬車が止まり、目的の街についたようだ。護衛に手を借りて馬車から降りたエルーシアは貧民街の雰囲気に息を呑んだ。
視界に入った子どもは生気のない目をしているか、獲物を狙うように目をギラギラさせている。
一度目の旅の道中に、何度も見かけた光景がよみがえる。
魔王の復活が間近になり、大気に含まれる神秘の力とも、魔力の源と言われているマナが変調をきたし、魔獣の出没が増えた。
天候不順になり、日照りや長雨が続き、作物が育たずに人々は飢えに苦しんでいた。人々が苦しむ姿を目にしても、エルーシアは何もできなかった。
(聖女は病や傷を癒やすこと、魔王の討伐しかできないの? 他にできることはないのかしら?)
エルーシアは無意識に手を握りしめていた。