03 回復魔法
フォルカーとともに訓練場を十周走り切ったエルーシアの足は、生まれたての仔鹿のように震えている。歩こうとしても足に力が入らず、ガクガクするばかりで。
(困ったわ。歩けなくなってしまった。ヒールって、使えるかしら?)
一度目の人生では、聖魔法や回復魔法を魔術師から教わるまで、魔法が使えなかった。今は聖魔法の呪文も知っている。
魔法が使えるのか、エルーシアは試したくなった。足に手をかざし、ヒールと呟く。
手のひらが淡く光り足の震えが止まった。
「ちょっ、お前、魔法が使えるのか?! しかも回復魔法だと?」
横で見ていたフォルカーが仰天している。
(そんなに驚くことなのかしら?)
一度目の人生で、回復魔法で仲間の体力や傷を治してきた。一度目の記憶があるエルーシアにとって、もはや当たり前のことだ。驚かれることに、驚きを隠せない。
隣の訓練場では、騎士たちが盛り上がり、声援が聞こえてくる。
「騎士様は何をされているのかしら?」
「あの盛り上がりは、試合をしているんだろうな。俺も試合に出てみたいぜ」
フォルカーが羨ましそうに呟いた。彼の実力では、試合に出るのは無理なのだろう。同じ年頃の騎士見習いと、手合わせして、やや優勢だと自慢げに胸を張る。
隣の訓練場からどよめきが起こり、周囲の人々が慌ただしく動く。医師を呼んでこいと、大きな声が聞こえ、エルーシアとフォルカーは顔を見合わせ、頷くと、訓練場へ走り出した。
「どうかしましたか?」
フォルカーは声を上げた。少し遅れて到着したエルーシアの目に、折れた木剣の先がひざの上で刺さり、激痛で顔を歪めた騎士の姿が飛び込んできた。仲間の騎士が刺さった木剣を抜こうとしている。
「いけない! 刺さった木剣を抜かないで!!」
エルーシアは叫んだが、木剣は引き抜かれてしまった。傷口からどっと血があふれ出す。周りの騎士たちは狼狽え、動きが止まる。
「退いてください」
エルーシアは騎士をかき分け、怪我をした騎士に近づき、腰を下ろす。傷口に両手をかざし、ヒールと呟いた。手のひらが淡く光り、傷口に光が当たる。しかし、太い血管を傷つけたのか、出血の勢いは変わらない。
(このままでは助からないわ。ハイヒールなら、治せるかしら)
ハイヒールと口にした。手のひらの光が強く輝き、傷口から出血は止まり、少しずつ傷口が小さくなる。
(もう少し、後、もう少しよ)
傷口が薄くなり、完全に傷が消えた。自分の傷が消えていく様を目のあたりにした騎士は目を見張り、唖然としている。
「おい!! 傷が塞がったぞ!」
「スゲー!」
「助かった」
「やったぞ!!」
騎士たちは仲間の傷が治ったことに、歓喜の声を上げた。
(よかった。ちゃんと治せたわ)
傷を治せた喜びで、胸が熱くなる。だが、魔力を使い過ぎて、エルーシアはめまいを起こし、気を失ってしまった。
エルーシアのまぶたがピクリと動き、目を開けた。
「エルーシア!」
名前を呼んだのは母だった。
「お母さん」
「あぁ、良かった。あなた、丸一日眠っていたのよ。心配したわ」
エルーシアの母は目を覚ました娘に安堵し、涙をこぼした。
「目覚めたら、呼んでほしいと、旦那様に言われているの。旦那様を呼んでくるわね」
涙を拭いて、母は部屋を後にした。丸一日眠っていたと聞き、ハイヒールで魔力切れを起こしたことに驚く。
(私の魔力はこんなに弱いの? 魔力を上げるにはどうしたらいいのかしら)
魔力の上げ方を覚えていない。ところどころ、一度目の記憶が抜け落ちているらしい。ノックが聞こえ、母が扉を開けた。
「エルーシア、大丈夫かい?」
声をかけながら、レイノルドが入ってきた。
「旦那様」
「怪我をした騎士を助けてくれて、ありがとう」
「いえ、ハイヒールを使っただけですから。ハイヒールで倒れるなんて、討伐のお荷物になるのではないかと、心配です」
エルーシアの表情が曇る。レイノルドはエルーシアが心配していることは杞憂だと、届いたばかりの報せを話す。
「神殿から連絡があってな、二日後の朝に大神殿へ向うことが決まった。神殿にある転移魔法陣で大神殿へ行くそうだ。私と神官殿も同行する予定だよ」
エルーシアの様子を大神官に伝えたところ、やる気にあふれているなら、すぐ連れてきなさいと言われたそうだ。
「今日は身体を休めなさい。慌ただしいが、明日は荷物をまとめるように。夕方から、エルーシアのために宴を催すから、楽しみにしてほしい」
「ありがとうございます」
思っていたより早く大神殿へ行けることになり、安心した。大神官様から教えを請う、聖女として役割を果たせるように、しっかり学ぼうと思うエルーシアだった。
翌日。
早々に荷物をまとめたエルーシアは暇を持て余していた。何か手伝おうと調理場へ行くが「あなたはゆっくりしていなさい」と、追い出されてしまった。
屋敷から少し離れた小高い丘に登り、領内を見渡す。屋敷から離れた場所に街が見える。
オレンジ色に統一された三角の屋根に木組みの家。幼い頃からテオドールと一緒に眺めた街並みだ。
流星群が流れる夜は夜ふかしして大人たちと一緒に夜空に弧を描き流れる星を眺める。
エルーシアがテオドールを異性として意識してからは訪れることはなかった。
(魔王に敗れた後は、アインホルン王国は、リンデンベルク領は、テオドール様はどうなったのだろう? 私の愚かな過ちで、多くの命が失われたかもしれない)
眺めている街並みがにじむ。エルーシアの光を発するような水色の目からは涙があふれて零れ落ちる。
(私の命に代えても、守ってみせるわ)
涙を拭き、帰ろうと踵を返す。エルーシアの目が大きく見開かれた。エルーシアの前にテオドールが立っている。
「テオドール様……」
「丘に向かうエルーシアの姿が見えたんだ。だから……」
目を伏せたテオドールは意を決したように、エルーシアを見つめた。