19 二人目の聖女
ファルダの乳母であるサリーの兄が王都の神殿に仕えていることもあり、サリーは王都の神殿へ祈りを捧げに頻繁に足を運んでいた。
ファルダも屋敷にある女神像に祈りを捧げることが日課になっていた。
信心深いサリーはファルダが枯れた花を生花にした瞬間を目撃し、ファルダが聖女だと確信する。
ファルダの手のひらには緑色の聖紋が小さく発現していたからだ。
急いで兄に手紙を書き、事の顛末を知らせる。手紙を受け取ったサリーの兄はすぐにコースフェルト領地へと足を運び、ファルダの力を目の当たりにし、すぐに王都の神殿に入るよう進言し、ファルダも了承する。
心に傷を負い、男性を目にすると取り乱すファルダを考慮し、神殿での生活は男性神官に会わないように配慮がされた。
王都付近の村では、農作物に病気が蔓延し、次々と枯れたり腐ったりして村人を悩ませていた。
農作物の被害状況が深刻だと、王都まで噂が広まる。神殿にこもりきりのファルダの耳まで届くほどだ。公爵令嬢として何かできないだろうかと思いめぐらす。
枯れた花を蘇らせたのだから、この能力で農作物を蘇らせることができるかもしれないと、ファルダは自身の聖属性魔法で実験を始めた。
初めは思うように成果が出ず、悩む日々が続く。植物をながめていたら雨の気配を感じ、空を見上げた。
ポツリポツリと雨粒が落ちてきて本降りになり、雨に打たれながら空を見上げ続けたファルダにひらめきが舞い降りた。
(水魔法に聖魔法を組み合わせて、農地を浄化したらいいのでは?)
居ても立っても居られないファルダはびしょ濡れのまま神殿内を走り、神官長に申し出た。
「聖魔法と水魔法を融合させて雨のように水をまき、土地を浄化するのか。名案ですね」
農地の土を神殿に取り寄せ、ファルダは浄化の雨を降らせる準備にはいる。聖紋が発現した右手を上げると、手のひらが淡く緑色の光を放ち、雨が降り出す。
雨粒が土に吸収されると淡く黄緑色に光り始めた。
「おぉ、なんと神々しい」
神官長は感嘆し、つぶやく。
やがて淡い黄緑色の光は消え去り、実験前の風景に戻る。
「では、土に種を蒔いてみよう」
神官長は野菜の種をまき、様子を見ることになった。
(無事に発芽し、育ちますように)
ファルダは切実に祈る。これで野菜が収穫できるなら、農地の浄化を行いたい。
翌日。
早くも芽が出てきた。ファルダは植物の知識がないので、芽が出て喜んでいたが、神殿の庭師は蒔いた翌日に発芽するのはありえないと驚いている。
昼過ぎには本葉が四枚も出ていた。神官長をはじめ、実験に参加していた関係者も、成長が早すぎるのでは? と目をパチクリさせている。
蒔いた種はトマトだ。トマトは種蒔きから収穫まで約四ヵ月かかる。ファルダが浄化した土に蒔いた種はすぐに発芽し、すくすくと育っている。
一週間後には花を咲かせ、種蒔きから二ヶ月後には立派なトマトが収穫された。
収穫したトマトの試食会に集まった関係者は、収穫まで四ヵ月かかるトマトが二ヶ月で収穫できたことに、驚きを隠せず、収穫したてのトマトを凝視している。
皆でトマトを頬張ると、濃厚なトマトの甘味と酸味が広がる。
「うまい!」
「甘くてみずみずしいな」
「トマトがこんなにおいしいとは」
トマトへの絶賛が止まらない。この方法で農地を浄化すれば飢饉を回避できるかもしれない。神官長は一筋の光を見出した思いでファルダに協力を仰ぐ。
ファルダは快く承諾するが、神殿を出て若い男性を目にすることに耐えられるかが心配だった。
第一王子の仕打ちがトラウマとなり、取り乱して周りに迷惑をかけたくないのだ。
それを伝えると、神官長は浄化の作業に村長のみ立ち会わせ、村人は家の中で待機してもらおうと提案する。
それならばと、ファルダはうなずき、農地の浄化を行う日程が組まれた。
王都から近い村から浄化を始めた。
(女神様、ご加護を)
目の前に広がる農地の惨状に、ファルダの表情は痛ましそうに歪む。意を決して右手を上げた。手のひらが淡く緑色に光る。
「浄化の雨」
空に向かい緑色の光が弧を描き、農地をおおうように緑色の光が広がり、雨のように落ちてくる。緑色に光る雨は土に触れると淡い黄緑色に輝き始めた。農地の至るところから輝きが増し、農地全体が淡い黄緑色に包まれた。
「おぉ、これは……奇跡か? 奇跡じゃ。なんと神々しい……」
村の代表で村長が見守るなか、目の前の光景に村長は膝をつき、祈り始める。
やがて光が消え去ると次の農地へと移動して浄化の雨をかけ続ける。村全体の農地の浄化をやり終えるとファルダは神殿へと帰路につく。
村の農地をすべて浄化したので魔力量が多いファルダも消耗が激しく、三日ほどベッドから起き上がれなかった。
魔力が回復してきたと思っていたところ、神官長がファルダの部屋を訪れ、浄化の雨を施した農地から蒔いた種が芽を出し、考えられない早さで育っていると報告を受けた。
噂を聞きつけ、神殿を訪れた近隣の農民は、自分たちの土地を浄化してほしいと神官に直談判する。
うちが先だ、俺たちのほうが先だと、言い合いから小競り合いが起き、神官は農民たちをなだめるのに苦慮している。
このままでは埒があかないと、神官はくじ引きで浄化の順番を決めることを提案した。農民たちもしぶしぶ納得したので、神官たちはくじを作り始める。
ただし、村全体の農地を浄化すると術者の魔力消費が激しく数日寝込んでしまうので、無理はさせられないから、順番が遅くなっても苦情を言わないと約束をさせた。
数ヶ月をかけて農地を浄化してきたファルダは農民たちから緑の聖女と呼ばれるようになり、農地と農民たち救ったと噂が流れた。
農地の浄化が一段落したころ、魔王が封印されている周辺で、漏れ出した魔王の魔力によって辺りの土地は草木が枯れ果て、不毛地帯と化しているという。
動物が魔獣化し、近隣の村民や家畜が襲われ、村を捨て避難する事態に陛下も騎士団を派遣し、対応している。
荒れ果てた土地は再生できるのか。魔王が封印されても魔王の魔力にふれた土地は数百年も草が生えることがなかったと、記録が残っている。間もなく魔王を討伐するために勇者一行が旅に出る。魔王と戦えば、勇者一行が勝利したとしても、戦闘の舞台は数百年も不毛地帯になるだろう。傷ついた大地をなんとかできないだろうかとファルダは思い悩む。そんなときに大神殿の聖女エルーシアが訪ねてきた。
月あかり色の髪に光を発するような水色に僅かに緑がかる瞳が印象に残る。気高い雰囲気が「本物」の聖女と感じたのに、話してみると表情がくるくる変わる。どこかあどけなさも残しているエルーシアにファルダは親しみを持つ。
「わたくしの右手には緑色の聖紋があります」
右手をエルーシアの前に差し出すと、手のひらの中心にエルーシアと同じ聖紋が発現していた。エルーシアがそっと聖紋に触れると同時に手のひらと胸の聖紋が光を放ち始めた。
「「えっ?」」
驚いて手を離すと光は消え去る。エルーシアとファルダは顔を見合わせ、目を瞬かせる。聖紋が共鳴したのだと気づき、二人は抱き合う。
「わたくし、緑の聖女と呼ばれていたのだけど、信じられなかったの。エルーシア様と共鳴したのなら、わたくしも聖女なのね?」
「そうよ。ファルダ様は聖女だわ。私にできないことが出来る聖女なのね」
「エルーシア様に出来ないこと?」
「魔力である種を発芽させたくて何度も試してみたけど、出来なかったわ」
うつむきがちにカップに手を伸ばし紅茶で喉をうるおす。エルーシアは不可能を可能にしてきた。
欠損した部位を再生させるほどの魔法を創り出したのに、種を発芽させようと試みて挫折したことを雰囲気で察した。
「なぜ発芽させたいの?」
ファルダは無意識につぶやき、ハッとする。
「ごめんなさい」
慌てて謝る。別に謝る必要もないのにと、エルーシアは微笑む。
「正確には種から花を咲かせたくて……」
エルーシアにとって種から花を咲かせることが重要なのだとファルダは察した。