18 緑の聖女?
エルーシアは神官に案内され、神殿に仕える人々の居住区に足を踏み入れた。
ここまで案内してきた神官が、女性の神官に事情を話し、緑の聖女のもとへ案内するようにと申し付け、エルーシアに向かい一礼すると、きびすを返し戻っていった。
「どうぞこちらに」
案内を代わった神官はエルーシアをうながす。神官の後をついて歩き、部屋の前でとまる。
「こちらが緑の聖女様の部屋でございます」
神官がノックをすると、中から返事が返ってきた。
(いよいよ緑の聖女と対面するのね)
エルーシアの胸は高鳴り、手が汗ばむ。カチャっと音がし、扉が開く。部屋の中には同じ年頃の女性がカーテシーをし、エルーシアに挨拶をした。
「聖女エルーシア様、わたくしはファルダ・コースフェルトと申します」
ブラウンの髪と整った顔立ちに緑の瞳が美しい、儚げな女性だった。
「エルーシアです。平民なので姓はありません」
神官が紅茶を置き、部屋から出ていった。
「押しかけてしまって、申し訳ありません。ファルダ様とどうしてもお会いしたかったのです」
神妙な面持ちで謝罪を口にした。ファルダは気にしていないというように首を横に振る。
「本来であれば大神殿に赴き、事情を説明しなければなりませんが、当時のわたくしにはできませんでした」
緑の瞳が揺れ動く。ファルダは令嬢らしくふるまっているが、怯えている様子が伝わってくる。
「ファルダ様が緑の聖女と呼ばれている由縁が知りたかったのです。教えていただけますか?」
エルーシアの柔らかい声音にファルダは視線を合わせ、うなづき、気持ちを落ち着かせるように深呼吸をした。
「わたくしは植物を蘇らせることができるのです」
「えっ? 植物を蘇らせることができるの?」
エルーシアは驚き、食いつき気味にそっくりそのまま返した。エルーシアの驚きっぷりにファルダもびっくりした様子だったが、自然と笑みがこぼれた。
たおやかな微笑みはエルーシアを惹きつける。第一王子の婚約者として、厳しい妃教育を受けてきた賜物だ。
エルーシアも同じ教育を受けたが、こんなふうに自然には振る舞えない。生まれながらに王妃となる資質を備えているのだろうと、エルーシアは感じた。
「植物を蘇らせることができるようになったのは、あることがきっかけでした」
ファルダは目を伏せた。
第一王子と八歳で婚約し、交流を深め、淡い恋心を育んできた。学園生活も残りわずかとなり、卒業パーティーの準備が進められていたある日、食堂で女生徒と一緒に食事をしている第一王子を見かけた。
一年ほど前から第一王子にまとわりついていた女生徒で、ファルダは快く思っていない。
いつだったか覚えていないが、一人でいた女生徒に、第一王子に敬意を持って行動しなさいとファルダがたしなめようとしたら、友人が先に女生徒の行動を咎めていた。
女生徒は聞く耳を持たず、逆に挑発する始末で、ファルダは呆れて何も言わなかった。
そんな二人を見つめていたら、第一王子がファルダの視線に気づいたらしい。おもむろに立ち上がった第一王子は険しい表情をファルダに向けて言い放つ。
「ファルダ、ランダに酷いことを言ったそうだな?」
「わたくしは何も……」
「ランダはそなたの友人に嫌がらせをされて、傷ついているのだぞ!」
「そんな……」
言いかけたファルダをさえぎるように第一王子は糾弾するような言葉を発する。
「友人の手を汚させて、そなたはきれいなままだと言いたいのか? 最低な女だなファルダ。醜い心を持つそなたを王妃にはできない。婚約は破棄させてもらう!」
食堂中がどよめく。生徒たちも第一王子の突然の婚約破棄発言に驚きと戸惑いが波紋のように広がり、ざわめきが大きくなる。
(な、ぜ? 何が起きたの? わたくしは何も――――)
ファルダは信じられない展開に動揺し、唇が震えて言葉が出てこない。周りの生徒からはファルダに好奇心と同情が入り混じった視線が投げかけられ、ファルダの心に突き刺さる。
「ちがっ、わたくしは」
「そなたの顔など見たくはない。二度と見せるな!!」
ランダと呼ばれた女生徒は、醜い笑顔を浮かべてファルダを見ている。
(どうして?)
ファルダは気を失い、崩れ落ちた。周りの生徒に支えられ、けがをすることはなかったが、慌てて保健室に運ばれた。
気がつくと、屋敷のベッドに寝かされていた。あれは夢だったのか? ずいぶんと酷い夢だったとファルダは思う。
しかし、あの出来事が本当に起きたことだと悟ったのは、厳しい表情をした父が部屋を訪ねてきて、父の口から聞かされたからだ。
(嘘よ! 嘘よ! どうして? こんなことが……)
ファルダは泣くこともなく、怒ることもなく、虚ろな目をしているだけだった。
絶えず笑みをたたえていた美しい顔は感情を失くし、何も語らない人形のようになってしまったファルダを心配た父は医師を伴いファルダの部屋を訪ねた。
ファルダは金髪の男性医師を見た途端、第一王子の姿が重なり、あの日を思い出し、取り乱した末に気を失ってしまった。
コースフェルト公爵はファルダの様子に心を痛め、静養のために領地に戻した。
領地の使用人たちは心痛のファルダにどう接すればよいのか戸惑いが広がり、腫れ物を扱うように接していた。
ファルダは使用人にも見放されたと思い込み、部屋に閉じこもる。
ベッドから起きられなくなるほど気分が落ち込み、涙がとまらない日々を過ごしていた。
食欲がなく、出された食事に手を付けない日が続き、ファルダはやせ細る。かつて自信に満ちあふれていた令嬢とは別人のように。
(もう楽になりたい。いっそ……)
ファルダは使用人の隙をついて屋敷から抜け出し、裏手にある森をさまよう。足元がふらつき何度も転んだ。やせ細り、体力もないファルダは疲れ果て、大樹の根元に座りこんだ。
(……惨めね。こんなに汚れてしまったわ)
土で汚れた顔を涙がいくつも伝う。
(もう、疲れたわ)
ファルダの意識は遠のいていった。
誰かがファルダを呼んでいる。
まどろむファルダの手のひらに、何かを乗せられた感触を覚えている。
名を呼ばれ、まぶたを開くとファルダの乳母、サリーの顔があった。
涙でぐしゃぐしゃになりながらファルダの左手を両手で握りしめ、おでこに当て祈るように名前を何度もつぶやく。
「サリー? どうしてここにいるの?」
「ファルダ様? あぁ、女神様。ファルダ様を守ってくださり、ありがとうございます」
乳母はファルダの手を離し、両手で顔をおおう。嗚咽が漏れ聞こえてくる。気丈な乳母が泣いている。泣かせてしまったことにファルダは罪悪感を抱く。
「サリー、心配をかけてごめんなさい」
「いいえ、ファルダ様が領地にお戻りになるときに、一緒に行けばよかったと、後悔しておりました。旦那様に許しをもらい、屋敷に到着したら、ファルダ様がいないと大騒ぎになっていました。これからはサリーがファルダ様のそばにいます。ゆっくり養生しましょうね」
サリーは涙を拭いて、ほほえみかける。ファルダも力なくうなづいた。
サリーの献身的な看護のおかげでファルダは少しずつ回復している。
ある日、ベッドから出て窓を開けようとしたら、窓辺にある一輪挿しに目が行く。一輪挿しには花が生けられたままの姿で枯れていた。
(まるでわたくしみたいね)
ファルダは何気なく枯れた花に触れた瞬間、手のひらが光り、枯れていた花がみずみずしい生花へと変わっていった。
「えっ? 何が起きたの?」
理解ができずにぽかんとするファルダの後ろからグラスが割れる音がし、驚いて振り向く。
振り向いた先には目を丸くし、両手で口を押さえたサリーの姿がある。
「サリー?」
「か、枯れた花が、切りたての花になるなんて……奇跡だわ」
「え?」
「奇跡を起こしたのです! ファルダ様はきっと、女神様から選ばれた聖女なのでしょう」