15 一輪の花
日も傾きかけ、お茶会が終わろうとしていた。
「今日は楽しかったわ。これからは忙しくなるけど、また、お茶会をしたいわね」
トルディラがお茶会の終わりを告げる。
「楽しいひとときだったわ。これからはジークヴァルトを相手に剣の練習に集中しなきゃ」
ジークリンデも魔王討伐へ気持ちを切り替えたらしい。
「お茶会、楽しかったです。ありがとうございました。討伐への旅は厳しいし、辛い思いもするだろうから、今日の日を思い出して乗り越えたいです」
エルーシアの言葉に二人は頷く。
「今日の記念に持って帰ってほしいの」
トルディラが合図をすると、侍女が大きな箱を持って現れた。
「エルーシアとリンデにお土産。馬車まで運んでちょうだい」
エルーシアとジークリンデはお礼を言い、部屋を後にした。
「なんだか大きなお土産をいただいてしまって、いいのかしら?」
「王族がくださるものを断ることはできないわ。ありがたく受け取り、お礼の手紙を届ければいいのよ」
ジークリンデが教えてくれた。
「それにしても、あの王太子殿下は何を考えているのかしら? 幼い頃から仲が良かった婚約者と婚約破棄して、別の令嬢と婚約するのに、エルーシアに粉をかけるなんて……」
ジークリンデは王太子の行いに激しく嫌悪を示していた。王太子がエルーシアが奇跡をおこしたと騒ぎ立て、エルーシアが嫌そうにしていたので、ステンドグラスが光ったのは偶然だと、割って入って助け舟を出したのだ。
「婚約破棄された令嬢は、心を壊してしまったと言われていたわ。だけど、今、その令嬢を巡って不思議な噂が流れているの」
「噂?」
「令嬢は王族の血を引いていて、聖魔法が使えるの。病気が蔓延し、作物が全滅した畑に聖魔法をかけたら、農作物が早く育ち、豊作になったらしいの。農家の人々から、緑の聖女と呼ばれているらしいわ。エルーシア、知ってる?」
エルーシアは緑の聖女という存在を初めて知った。思わず首を振り、知らないと示した。話しながら歩いていたら、馬車が待機している場所に着いていた。侍女たちはエルーシアとジークリンデの馬車にお土産の箱を置いて、馬車が動き出すまで見送ってくれた。
護衛は大きなお土産にびっくりしていたが、エルーシアの表情が冴えないことが気がかりだった。
「お茶会はいかがでした?」
「楽しかったわ。ちょっとゴタゴタがあったけれど。ねぇ、緑の聖女って知っている?」
エルーシアの口から緑の聖女という言葉が飛び出し、護衛は知らなかったのかと、以外そうな素振りをみせる。
「緑の聖女については大神官様から聞くほうが間違いないかと」
「そうね」
車窓から風景を眺めるエルーシアの顔は髪に隠され、表情を読むことができない。それ以降は会話もなく、馬車に揺られて大神殿に着いた。
護衛にお土産の箱を部屋まで運んでもらい、エルーシアは一息つくと、どっと疲れが押し寄せてきた。お茶会では無意識に気を張りつめていたのだろう。重たい身体を動かし、お土産の箱を開けてみる。
「これは……」
箱の中に入っていたものはトルディラが選んでくれたグレーのドレスだった。
エルーシアはまばたきをくり返し、目を見開く。
他の箱は? と、慌てて開けたらジークリンデが選んでくれた赤いドレスが目に入り、動揺して激しく震える手で開けた最後の箱には、自ら選んだ藤色のドレスが入っていた。
(こっ、こんな高価なドレスを三着もお土産って……本当にもらってしまってもいいのかしら?)
困ったときには大神官に相談していたエルーシアは、急いで大神官と面会を申し入れる。相手がエルーシアだからか、すぐに部屋に通された。
あたふたして転げそうになりながら部屋に駆け込んだエルーシアに、何か起こったなと、大神官はシワを伸ばすように口角を上げた。
「おや、エルーシア。お茶会は楽しかったかい?」
「おおお茶会はたのっ楽しかったです。お土産でド……ドレスを三着ももいっただいてしまって……」
エルーシアの挙動不審っぷりに大神官は笑いを誘われる。
「ほれほれ、まずは深呼吸して、落ちついてから話しなさい」
言われた通りに深呼吸をくり返し、落ちつきを取り戻したエルーシアは、お茶会での出来事を大神官に話した。
「ふむ、ドレスはもらっておきなさい。礼状はきちんと書くこと。王女も粋なことをなさる。姿写しで使用したドレスを土産にしたのは、魔王を討伐し、国に帰るという王女の願いが込められておる」
「願い……ですか?」
「うむ、帰還し、式典で着るドレスと、その後に催される夜会に着るドレスを用意したのじゃろう」
「……トルディラ様は先のことを考えてくださっていたのですね」
鼻の付け根がツンと痛む。目が熱くなって、ぽろりと涙がこぼれた。
魔王の強さは知っている。魔術師も弓使いも勇者さえ敵わなかった。未熟だった聖女は赤子の手をひねるように倒された。二度目の討伐も無事に帰還できるとは限らない。
それでも王女は明るい未来を見据えている。
(私も藤色のドレスを身にまとい、テオドール様のいるリンデンベルクに帰りたい)
涙を拭いて大神官に向き合ったエルーシアは聞かなければならない緑の聖女について切りだした。
「大神官様、緑の聖女をご存知ですか?」
大神官は静かに首を振る。
「残念じゃが、噂程度しか知らん。真偽を明らかにせよと、王都の神殿に申し入れたが、返事すら寄こさぬ。王都の神殿は大神殿より立場が上らしい」
皮肉を込めて大神官は言い放つ。緑の聖女の情報は大神官も把握していないと知ったエルーシアは残念そうに大神官の部屋を後にした。
神殿の女神像の前に座り、エルーシアは女神に祈りを捧げ、お伺いをたてる。
(女神様、緑の聖女とは誰なのでしょうか? 私は聖女として、何かを学び忘れているのでしょうか?)
時が巻き戻り、聖紋が発現した日から、今度は間違えないと、懸命に学んできた。まだ足りないのかと、不安が押し寄せ、身体が震える。震えるまま、女神の像と向き合い、祈り続けた。
白い場所にエルーシアはいる。
「ここは?」
ぼんやりと周りを見渡していると、一陣の風が花びらを巻き込みエルーシアの髪をなびかせた。風が通り過ぎ、髪に手を当てると一輪の花が髪に絡まっているのに気づき、そっと花を手に取る。
(なんて可愛らしい花だろう)
手のひらの花は砂のようにサラサラと崩れ、風に乗って消えていった。
(不思議な花……)
エルーシアは花が消えた先を見上げると、光が差している。
「……」
「……ァ」
「エルーシア!」
エルーシアはハッと我に返る。神官たちが心配そうにエルーシアを抱き起こした。
「ここは?」
「女神様の神殿よ。朝の清掃に入ったら、あなたが倒れていて、意識がないようだったから、心配したわ。大丈夫?」
「私、女神様に祈り続けて……」
「もしかして、そのまま眠っちゃったの?」
「わからない……何かを見ていた気がする……」
「身体が冷えているわ。湯浴みをして身体を温めなさい」
「はい。ご心配をおかけしました。失礼します」
ぼんやりとしたまま神官たちと別れ、エルーシアは部屋に戻っていった。