14 奇跡
トルディラの選んだグレーのドレスは落ちついた雰囲気と上品さが際立つ。エルーシアが部屋に入ると、感嘆のため息が聞こえてくる。
「エルーシアが王女に見えるわ……」
本物の王女がうっとりしてつぶやく。
「!?」
王女の言葉にエルーシアは衝撃を受ける。恐れ多い思いに、足がすくんで動けなくなった。
動かないエルーシアの周りにトルディラたちが集まってくる。
うろたえる心を落ちつかせようと深呼吸をすると、強張りがとれて安堵する。トルディラたちには気づかれなかったのは幸いだった。
「勇者一行のお茶会のときに感じたのだけど、エルーシアは気品があり、浮世離れした佇まいは聖女だからなのかしら?」
大神殿での生活は女神に世の安寧を祈り、神託を受けたら世に広める役割がある。女神に仕える身なのだから、立ち振る舞いも厳しく指導される。
エルーシアは女神に選ばれた聖女だ。尊い存在として、立ち振る舞いには妃教育にも似た厳しさで身につけることとなった。
浮世離れした佇まいと言われ、辛かった指導を思い出し、エルーシアは万感の思いに浸る。
姿写しを開始し、バルコニーで凛とした佇まいに、三人で並んで写してもらう。トルディラは満足そうに、職人を労う。
お茶会を再開しようとバルコニーに場所を移し、席に座ると、エルーシアが申し出る。
「着てきた服に着替えさせてください」
グレーのドレスで飲食は、汚すのではないかと、気が気でないようだ。トルディラは頷き、エルーシアは侍女と隣の部屋に移動する。
着替えて戻ってきたエルーシアは安心したように、表情が柔らかい。
「ねぇ、ドレスを着てみた感想は?」
「夢ごこちと緊張が混ざって、現実味がないというか……」
「ふふっ、複雑な心境だったのね。でも安心して。姿写しで美しい姿を残したから。少し時間はかかるけど、できあがったら大神殿に届けるわ」
「ありがとうございます」
エルーシアはお茶会に参加してよかったと思う。トルディラとジークリンデと仲良くなれて、魔王が封印された土地への旅も、助け合って乗り越えていけると自信を持って言える。
出発まで、残された時間は少ない。この時間を大切にしたいと、三人は会話を楽しみ、和気あいあいと時間が過ぎていく。
楽しいひとときが不意に壊された。
突然、大きな音をたて、扉が開けられた。何事かと侍女たちは身構えるが、全開になった扉を背に、王女の弟である王太子が肩で息をして立っていた。
「ハリエット!! 何事ですか!」
トルディラは乱暴に訪れた王太子を咎めるように言い放つ。大きく息をついたハリエットは体裁を取り繕うように挨拶をする。
早足でバルコニーに向かって歩いてくるハリエットに、エルーシアは嫌悪の感情が湧きあがる。
ハリエットはエルーシアの前でとまり、エルーシアに視線を合わせてきた。
「ごきげんよう、エルーシア嬢。俺は第一王子のハリエット・アインホルン。この国の王太子だ。先ほどエルーシア嬢が奇跡を起こしたと聞き、挨拶に参りました」
ハリエットは挨拶の口づけをしようと手を伸ばす。
(嫌よ!)
反射的に手を隠し、トルディラの後ろに隠れてしまった。
「エルーシア?」
「おやおや、奥ゆかしいお方だ。参ったな」
行き場を失くした手を後頭部に手を当てる。
「エルーシアが奇跡を起こしたとは、どういうことです?」
「エルーシア嬢がステンドグラスを見上げていたら、女神の手が光を放ったそうです。目撃した侍女が、興奮して話しているのを耳にしたのです」
「それは本当なの?」
トルディラは振り向き、事実なのかと視線で問う。
あれは女神にお伺いをたて、認めてもらえた証のようなもので、エルーシアの心の中に大切にしまっておきたい出来事だ。
騒ぎにしてほしくないと強く思う。奇跡なんかじゃないと、言いたいが、相手は王族だ。どう言えば、納得してもらえるだろうか? 答えられずに目を伏せた。
「ここって鎧を身につけた騎士が巡回しているし、太陽の光が鎧に反射して、偶然ステンドグラスの手が輝いて見えたのかもしれないわよ?」
ジークリンデが割って入ってきた。トルディラとハリエットはぽかんとしていたが、我に返ったハリエットが眉を吊り上げた。
「そんなこと、どうでもいいだろ? 宮殿で聖女が奇跡を起こしたとが噂になれば、王族の品位が増すだろう?」
(あぁ、そんなことのために騒ぎ立てるなんて……)
エルーシアは虚しさを感じたが、表情に出ないように目を伏せたまま口角を上げた。
ハリエットが問いただすような口調でエルーシアに詰め寄るが、黙ったままやり過ごそうと決めた。
「奇跡を起こしておいて、なぜ認めないんだ? まあ、いいさ。魔王を討伐して凱旋したら、お前も王族の一員だ。かわいい顔と身体に傷などつけるなよ」
ハリエットは踵を返し、部屋を出ていった。
お前も王族の一員だ。ハリエットが放った言葉に愕然としたエルーシアはテオドールの言葉を思い出した。
『王族があなたを妻にと望むだろう』
(テオドール様が懸念していたことが……)
身体が震えてとまらない。両手で身体を抱きしめるように背を丸めたエルーシアをジークリンデが抱きしめる。
「弟が変なことを言って不安にさせてごめんなさい」
トルディラはエルーシアの背をなでて謝罪する。
「トルディラ様」
落ち着きを取り戻したエルーシアに安心したのか、ジークリンデの身体が離れた。
「大丈夫よ。あなたが王族の一員になることはないわ」
トルディラはエルーシアの手を取った。
「ハリエットには運命の人がいるから。婚約者を悪役にして、婚約破棄を宣言するほど、愛し合っているらしいわ」
トルディラは珍しく怒りをあらわにし、このことは陛下に耳に入れておくわねと、約束をしてくれた。
「元婚約者の令嬢は可哀想ね。無実で罪をきせられるなんて……」
ジークリンデがポツリとつぶやいた。トルディラも痛ましそうに顔を歪め、無言のまま頷いた。