01 女神の聖紋
成年を迎えた十五の春、女神の声を聞いた。
神託を受け、女神の聖紋が胸に浮かび上がり、聖女と呼ばれてから千の夜を迎えた日に、不測の事態が生じる。
突如、大地が震え地響きを立てて地面に亀裂が走り、禍々しい魔力の柱が出現した。
暗闇を赤く染めた柱は消失し、柱の跡から赤黒い魔力を放出させ魔王が姿を現した。
膨大な魔力で大気が揺れる。月明かりと星のまたたきは魔王の魔力によって黒雲に閉ざされた。
魔王は紅に染まる目をつり上げ、見開いている。生きとし生けるものを滅亡へ導びこうとする、凄まじい憎悪が全身に突き刺さり、背筋に冷たいものが走ると身体がぶるりと震えた。地面と一体化したように身体が動かない。
「一足遅かったか……」
魔法使いは呻くように呟き、恐れおののく。弓使いは悔しげに唇を噛みしめる。
目を見張り茫然とする勇者。冷静な表情を崩さない聖女。
魔王を討伐するためにアインホルン王国が送り出した勇者一行だ。
魔王は一行に気づき、目を細めて口角を上げた。
一瞬で勇者の前に移動し、攻撃を仕掛けてきた。振り下ろされた腕を聖剣で受け止めたが、魔王の力が勝り、聖剣が押されて勇者の顔に近づき勇者は顔をしかめながらなぎ払う。
隙をついて弓使いは魔力でできた矢を放った。魔法使いも魔法を放つ。勇者が斬りかかる。
戦闘が始まり数時間が経ち、聖女は回復魔法で三人の外傷や体力の回復に努めていた。
魔王はダメージを与えてもすぐに回復し、次第に三人の動きが鈍くなっていく。
勇者が振り下ろす聖剣をもろともせず、魔王は勇者を腕の力で振り払う。勢いよく飛ばされた勇者は岩に全身を叩きつけられ、血を吐いてぐったりとしている。
弓使いも傷つき、動けない。魔法使いは倒れたまま動かなくなった。
聖女は最後の力を振り絞り、聖魔法を放ち攻撃する。魔王は聖魔法を浴びたところから煙をくゆらせている。
煙が上がった己の身体に目をやり、聖女へと目を向けた。赤黒い魔力が螺旋を描き魔王を包み込む。
焼けただれた身体は元に戻り、ニヤリと笑うと聖女めがけて魔法を放った。
聖女に激しい風が襲いかかり、全身を切り裂かれて血が吹き出す。
(私は魔王を倒せなかった。あの日から千の夜、魔王を討伐し、あなたのもとへ帰るはずだったのに。私はあなたのもとへは帰れないの? たった一度の温もりを胸に、ここまで来たのに……)
聖女の涙は自身から吹き出す血にかき消された。
『エルーシア、古に封印された魔王の封印が弱まり、近いうちに魔王が復活するでしょう。あなたに加護を与えます。己を律し、力を求めなさい。仲間と力を合わせ、魔王討伐の旅に出なさい』
(この声……聞いたことがあるわ。どこで?)
閉じられていたまぶたが開いた。光を発するような水色に僅かに緑がかる瞳。月明かりのような髪を持つ少女が身体を起こした。
寝間着の胸元に何かがある。そっと寝間着を開き、エルーシアはがく然とする。
(胸に女神の聖紋が? なぜ?)
頭の中を体験していない光景が目まぐるしく溢れ出して止まらない。魔王の封印が弱まり、封印を強化しようとした矢先に封印に亀裂が生じた。
大地を揺らし地響きと共に禍々しい魔力の柱が出現し、魔王が復活してしまった。
仲間たちが戦い、傷を負った仲間を回復させて戦ったが、次々と倒れていった。
応戦も虚しく、全身を緋色に染めたエルーシアが思ったことは――――――
(私はなぜ屋敷にいるの? あのとき、全身を緋色に染めて死んだはず。なのに……)
『己を律し、力を求めなさい』
女神の声が再び響く。
(あぁ、始まりまで時が巻き戻ったというの? 私の自責の念が、女神様の思し召しでもう一度、やり直しができるというの?)
にわかには信じられなかった。だが、魔王に敗れた記憶がある。
エルーシアの聖女の力は完全なものではなかった。
乳兄弟として育ったテオドールと離れるのが嫌で、エルーシアは聖女と名乗り出ず女神の聖紋を隠して生活していたのだ。
胸に女神の聖紋が発現して一年、しびれを切らした国王が魔法使いに命じて聖女を探させ、エルーシアは見つけられたのだ。
エルーシアは王都に連れていかれ、魔法使いから聖魔法を習うが、魔王討伐の出発が近づいていたため、基礎ほどしか学べず、旅立つことになった。
未完の聖女が魔王に勝てるわけがない。
(女神様、私にもう一度、機会をくださりありがとうございます。世界を守るために全身全霊を捧げます)
胸に手を当て、女神に誓う。
胸に女神の聖紋が発現した日、魔王復活のきざしが神託によって知らされた。国王は直ちに勇者探しの招集をかける。
「古に、魔王を封じた勇者が岩に突き刺した聖剣を、抜きし者は勇者なり。若者よ! 聖剣に挑み、聖剣の主と認められよ」
同時に女神の聖紋を持つ聖女に呼びかける。
「女神から女神の聖紋を授けられし乙女よ、名乗りを上げよ。勇者と共に魔王を討伐し、世界に平和をもたらせよ」
国王の声明は魔法によって、国中に広められた。エルーシアの住むリンデンベルク領にも情報がもたらされる。
領主であるレイノルドも手紙を受け取り、目を通した後、深いため息を吐いた。
朝食を終えたエルーシアは、国王の同母弟でリンデンベルク領主であり、屋敷の主人でもあるレイノルドの執務室を訪ねた。
レイノルドはエルーシアを快く迎えてくれた。
「さて、何かあったのかい?」
エルーシアの硬い表情に違和感を覚え、レイノルドは穏やかに声をかける。
「あ、あのっ、旦那様、私……」
(きちんと告げなければならないのに、まだ、ためらいがあるの?)
この期に及んでテオドールと離れたくないという情感が頭をもたげる。エルーシアは吹っ切るように言葉を紡ぐ。
「私の胸に、女神の聖紋が発現しました」
「!?」
レイノルドは息を呑み、エルーシアを凝視した。エルーシアはボタンを外し女神の聖紋が見えるように、そっと胸元を開いた。
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