04 模擬試合と魔力爆発 2
「生徒の皆さんは避難してください!」
ラギアスの声に危険を感じた生徒は一斉にユーファから距離をとるため走り出す。
魔法の基礎教育を受けた者ならば、この爆発が魔力暴走であること、いかに危険であることは分かるだろう。
しかしシヅキはその場を動かなかった。
ラギアスは素早く魔方陣を展開させて魔力の渦を包み込もうとする。
魔力暴走に慣れていないのだろう、ラギアスはユーファの魔力を外側から押さえようとするだけで、上手くいきそうに無い。
大体、ユーファの魔力はラギアスよりもかなり多いらしい。少ないもので多いものを覆うなど不可能だ。
『あぁー、役立たずな教師だなぁ!』
レンの声を聞きながら、シヅキは同じく一歩も動いていないナギトをちらりと見た。
ナギトは全くの無表情でユーファを、正確にはユーファの放出する魔力の渦を見つめている。
シヅキは背中に嫌な汗をかいた。
あんなに魔力を放出し続けたら魔力回路が焼き切れるのも時間の問題だ。
歩きだしたシヅキにレンの不安そうな声が聞こえる。
『つきちゃん? はぁ、無理だと思ったら諦めて。って言っても無駄かな』
「シヅキさん!?」
聞こえる声は全て無視してシヅキは渦のなかに入っていく。
袴がバサバサと揺れて、風で舞い上がった砂が肌に痛い。こんなことなら手も顔も覆う服が欲しかった。
襲いかかる圧をかき分けながら進む。ここまで大きな魔力暴走を見るのは初めてだった。
──見つけた。
台風の目のように風の無い中心に、地面に落ちた魔方陣の紙とユーファがいた。
胸を押さえて、ユーファ自身も暴走を止めようと必死になっている。
ユーファはシヅキの姿を見ると、幽霊でも見たかのように顔を青ざめさせた。
「落ち着いて」
「う、っ、あれ、あなたは⋯⋯ううん、私から離れて⋯⋯! 怪我させちゃう」
自分で自分の力を制御できない、と訴える声は震えている。
ユーファは傷つけたくない一心でシヅキを遠ざけようとした。
「私は大丈夫。落ち着いて⋯⋯心が落ち着けば、暴走も少しは収まる筈」
ユーファはぶんぶんと首を振った。涙が溢れそうになっている。
「できない! どうしても怖い、の」
「大丈夫。目を瞑って、私の手を握って」
シヅキの淡々とした口調に、ユーファは迷いながら手を差し出した。
ユーファが瞼を閉じたのを確認してからシヅキは空中に黒い魔方陣を描いた。墨のように黒い霧が現れてユーファの身体と、魔力の渦に巻き付いていく。
ひやりと触れた感覚にユーファはびくりと身を震わせる。
墨が空気に溶けるように辺りに灰色の靄がかかった。
落ち着かせるようにシヅキがユーファの手を強く握る。ユーファもその力強さに気付き、深く呼吸をするように意識した。
徐々にユーファの身体が軽くなる。変化が分かると安心からさらに胸の動悸は収まってきた。
それでもまだ、魔力の暴走を止めるには足りない。
霧が完全に渦と一体化するのを見てシヅキはさらに霧を出現させた。
魔法の霧でユーファの魔力の渦を取り込んで、霧と一緒に消滅させようとしているが渦が消えない。シヅキの魔法が弱いのだ。
『つきちゃん⋯⋯』
「レン、黙って」
シヅキはレンに構わず魔力を込めた。
ぐわりと広がった霧が渦を飲み込んでいく。
2人の周りが黒い霧で見えなくなった頃、風が止んだ。シヅキの魔法がユーファを押さえ込んだのだ。
魔力の漏出過多だろう。気を失ったユーファの息があることを確認して、シヅキも霧の魔法陣を解いた。
は、と息を吐くと遠くからラギアスが駆け寄ってくる。
「ユーファさん、シヅキさん! 大丈夫ですか!」
「⋯⋯お互い怪我はしていませんがこの子は医務室へ行った方が良いかもしれません」
手を握られたままの姿でユーファを見下ろすと、ラギアスがシヅキからユーファを引き取った。
「良かった。僕が不甲斐ないばかりに生徒が怪我をするかと思いました⋯⋯! 梅と桜にしかない黒い魔法が見えたので、シヅキさんが助けてくれていることは分かりましたが⋯⋯」
すみません、と長い息をつく。シヅキが立ち上がるとラギアスは医務室に向かって歩きだした。
「ありがとうございます。シヅキさん、君は皆と一緒に教室に戻ってください。僕はユーファさんを医務室で見てもらった後向かいます」
ラギアスが振り返らないのを確認するとシヅキは教室と反対の方向に歩き出した。
「は⋯⋯っ」
訓練場から奥に進んだ校舎の影で壁に手をついて崩れ落ちる。
暴力的なまでの眠気がシヅキを襲い、立っているのも限界だった。
ぐらりと身体が倒れそうになった時、中指の指輪が熱を持つ。現れたレンのお陰で身体が地面とぶつかることだけは避けてくれた。
羽のような感触の毛皮に身体が埋まる。
「レン⋯⋯ありがとう」
『⋯⋯ここまで無理して欲しくなかったよ』
苦々しい声がシヅキに聞こえて、レンの尻尾を確認して見ればすっかり萎れていた。
「──優しいんだな」
突然かけられた聞き覚えのある声にシヅキが視線を向ければ、黒い着物の裾が見える。
今まで傍観に徹していたナギトがシヅキのすぐ近くまで来ていた。
その声は言葉のとは裏腹に冷たい響きで、シヅキへの皮肉であることを示している。
「魔力暴走に正面から巻き込まれれば自分の魔力回路にも支障を来す。端から見たら自殺行為だ。見過ごした方が安全だった」
シヅキは唇を噛んだ。
ナギトの言うことも十分に理解できる。それでもシヅキはユーファの身が危ないと知っていて、ナギトの様に黙って見ていることは出来なかった。
『あー、本っ当に嫌な言い方。俺、改めてこいつのこと嫌いだよ』
低く唸るレンにナギトは鼻を鳴らした。
「どうした? レン。何か言いたいことがありそうだな」
『言いたいことなんて決まってる──』
シヅキはとんとんと犬の姿の首を叩いてレンの声を押し止めた。
眠りの世界がすぐ触れる先まで迫っているのだ。シヅキに会話をしている余裕は無い。
言外にレンに訴えれば、レンははっとしてシヅキの身体を魔法で持ち上げると自身の背中に乗せた。
ナギトがそれを見て一つため息を吐く。
「担任には俺から上手く言っておいてやろう」
「⋯⋯ありがとう」
眠りに落ちる寸前、一言だけナギトに伝えて、シヅキは目を閉じた。
「シヅキ、忘れるなよ。俺たちにはやることがある」
重い言葉は泥のように、シヅキの身体に纏わりついた。
──分かってる。忘れたことなんて一度も無いよ。
犬の姿のレンは、姿を見られないよう目隠しの魔法を使って家までの道を進んだ。
現在シヅキが住んでいる家は王都の端にある。数年前に無理やり家を出て以来住んでいる一軒家だが、リッカからほど近い場所にあるのは便利な点だった。
まだ時間は昼間。
灯りの少ない夜ならともかく、今は隠れて移動しなければ、魔法に馴染みの無い一般人に見つかってしまう。
家の門を潜り他者からの視線が遮られる環境になって初めて、レンは目眩ましの魔法を解除して人間の姿をとった。
だらりと弛緩するシヅキの身体を抱え直して、布団を目指して歩く。
「つきちゃん、つきちゃーん。⋯⋯起きないか」
シヅキの瞼は固く閉じたまま。レンはそっと布団にシヅキを下ろすと、袴の紐に手をかけた。
眠りの世界で過ごすには袴を着たままでは苦しいだろう。
肌着姿となったシヅキに布団を被せて、レンは自身も布団に潜った。
「⋯⋯つきちゃん」
シヅキの身体をぎゅうと抱き締める。シヅキはぴくりとも動かない。細い身体が折れてしまわないように、そっと抱き締める力を強くした。
シヅキが使うのは魔法ではない。
あれは呪いだ。
シヅキが魔法を使うのは生命を使うのと同義──だから。
「俺が何でもしてあげたいのに」
無理をして欲しくない。レンは労るようにシヅキの加加阿菓子色の髪を撫でた。そのまま髪の先に口づけを落とす。
柔らかな髪の毛の感触が肌を擽る。
獣の姿では感じられないシヅキの感触だ。レンは何度か髪先に口付けて、首筋に触れようとしたところでぴたりと動きを止めた。
シヅキが起きていたら絶対に触れさせない場所だ。レンは顔を離して熱い息を吐いた。
「⋯⋯やめよ。俺はまだ良い子の犬だもんね」
シヅキを抱きしめてレンはようやく瞼を閉じた。
「俺はつきちゃんがいれば他に何も要らないのにな」




