03 模擬試合と魔力爆発 1
「魔法とは古来には奇跡と考えられていましたが、現在までの研究の中で仕組みが分かってきました」
身体を巡る血液と同じように、循環している魔力。目に見えないそれを魔方陣を通して放出させることで魔力が現象に変わる。
その結果を魔法と呼ぶ。
昔は手で魔方陣を描き、陣に魔力を流し込んでいたが、現在は魔力の光で空中に陣を描くのが主流である。
詠唱は魔法の支援的役割を持っている。複雑な魔法を使う時に用いられ、自らの言葉で編んだ言葉が魔法を誘導する。
知識を持った上で知覚してみれば理解できるだろう。
魔力は全てのものに宿っている。
人に、動物に、川に、地に、植物に──。
次の日。始まったのは基礎魔法論だ。
シヅキたち生徒はリッカでの最初の授業を受けていた。
「魔力は生まれつきの量に個人差がありますが、訓練によって増やすことができます。そして魔法を使う上で何より大事なのは構成力ですね。知識と技術で魔法の能力は天と地程の差が生まれますよ」
穏やかでゆっくりとした口調は聞き取りやすく、分かりやすい説明だったが、眠気に襲われるシヅキには逆効果だ。
こくり、こくりとシヅキの頭が規則的に揺れる。
「さて、魔法は何のためにあると思いますか? 『魔法は自分を守り、他者を守るためにある。驕らずへりくだらず、ただ魔法士としての誇りを持て』僕の先生の受け売りですけど、気に入っているんです。君たちにも伝えておきますね。──はい、まずは導入の部分を話しましたが、質問はありますか?」
「はい!」
元気よく手を上げる一人の生徒に、ラギアスは顔を綻ばせた。
「どうぞ、何でも聞いてください」
「先生は彼女はいますか? それか結婚してる?」
それ気になってた、と続けて小さく声が上がる。
「彼女はいます。って全然授業に関係無いじゃないですか! 何でもっていうのは勉強の範囲で、ですよ!」
「ええー、先生絶対相手いなさそうだと思ったのに。あと、授業の質問なんて絶対に無いから無駄なことはしなくて良いですよ。今日の授業なんて七歳で知る内容です」
はっきりと物を言う生徒だ。
ラギアスは二重にショックを受けて教卓に突っ伏した。
リッカは十六から一九歳までの者が入学試験を受ける。
魔法を扱う能力は遺伝によるものが大きく、魔法士は大概が華族である為、リッカに通うのは裕福な家の出身が多い。
リッカの生徒の殆どは家族から指導を受けるか、雇った家庭教師に教わるかして基礎の知識は持っているのだ。
「無駄⋯⋯そうですね。次からの基礎魔法論はもう少し進んだ内容を勉強しましょうか」
ヨロヨロと起き上がって、ラギアスは教科書に小さく線を足すと教卓の上を片付けた。
「では、午前の授業はこれで終わりましょう。⋯⋯あ、そう言えばクラスの代表を決めないといけませんね。異論が無ければナギトくんとシヅキさんに任せようと思っていますが」
その言葉を聞いて、赤毛の生徒の眉がぴくりと動いた。
シヅキは名前を呼ばれたことで深い夢の中にあった意識が表層まで上ってきた。
何だろう、と考える間にも再び眠りに引き込まれていく。
「⋯⋯先生。クラスの代表は実力で決まる筈です。例年は模擬試合の結果で決めているのでしょう? なぜ今年は違うんですか。大体二人は特別枠で入学試験も実施していない。俺から見ると実力があるかも疑う所です」
そうよ、なぜ私じゃないの。と小さく呟く女子生徒の声も聞こえる。
赤毛の生徒は口調こそ丁寧だが、言葉の棘を隠そうともしなかった。くるりと振り返って瞼の落ちかけたシヅキを睨む。
「特にあんな小さいのに実力があるように思えません」
赤毛の生徒の身長が高く、シヅキが小柄な女子というだけだ。小さいの呼ばわりにシヅキの意識が徐々に、今度ははっきりと覚醒してきた。
『つきちゃんに変わってクラス代表になりたいみたい』
全く話を聞いていなかったシヅキはレンの声にぱちぱちと目を瞬かせる。そんな役職すぐに渡すけれど。
「そうですね⋯⋯。午後からは実技の訓練ですから、希望者で模擬試合をやりましょうか。例年通り、その場で代表を決めましょう。それで良いですね? リュダくん」
「⋯⋯はい」
「それでは皆さん午後の鐘がなるまでに訓練場に集合してください」
ラギアスが出ていくと生徒たちも動き始めた。シヅキも移動しようかと立ち上がると、目の前に男子生徒が立ち塞がる。リュダと呼ばれた赤毛の生徒だ。
「なぁ、シヅキ、だっけ⋯⋯お前疲れてんのか? それとも体調が悪いのか?」
授業中に眠っているのを見て言っているのだろう言葉にシヅキは微かに首を振った。
「ううん⋯⋯眠いだけ」
「⋯⋯午前の授業全部寝てるじゃねぇかよ。授業受ける気がねぇってことか? ⋯⋯ちっ、俺はお前との試合を希望するから」
リュダはそれだけ言うと走って教室を出ていった。あからさまな舌打ちにシヅキは目を瞬かせる。
『いくら学校が身分に関係無いと唱っていたとしてもすごい勇気だね。つきちゃんの家が怖くないのかな』
もちろんシヅキが父親に報告する筈がない。
しかし、外部の人間はシヅキと父親の関係など知らないのだ。そんな中で面と向かって舌打ちされたことは初めてだった。
『ふむ、殺さない程度に全力でかかろうか?』
物騒なことを口にするレンにシヅキは嫌な予感をがしてくる。
程々にして欲しい、と心の中で伝えて、シヅキは席から立ち上がった。
「では午後の授業を始めましょうか。初めての実技の授業ですが、魔法を使ったことが無い人はいますか?」
まさかそんな人は居ないだろう、という空気となった所で一人の女子生徒がおずおずと手を上げた。
栗色の髪の毛がきょろきょろと周りを見るのと一緒に揺れている。
「ユーファさんはまず紙に描かれた魔方陣に魔力を流すことからやってみましょうか」
「あ、はい!」
「後の生徒は希望者で模擬試合です。魔法を使い慣れている人が多いかもしれませんが、無理はしないように。相手に怪我をさせるのではなく、降参させることが勝利条件ですから。僕はユーファさんの練習に付き合いながら離れて試合を見てますね。何かあればすぐに教えてください。⋯⋯最初は──」
リュダがまっすぐシヅキを指した。シヅキの頭の中にレンのため息が聞こえる。
ラギアスとユーファが訓練場から離れたのを見て、シヅキは黙って訓練場の真ん中まで移動した。
「俺はリュダ。春の第一位、梅の家系ってのは皆強いんだろ? 手加減なんてせずにかかってこいよ。俺も手加減はしねぇ」
リュダの周りに魔法の光がいくつか灯る。
魔法の光はリュダの思いを映すようにちかちかと攻撃的に瞬いた。
「だって。⋯⋯レン。でもやり過ぎないようにね」
シヅキが左手をかざすと指輪が光り、銀の毛並みを持った大きな獣が現れた。
『分かったよ。ま、高い鼻を折ってやるくらい?』
どうか比喩であることを信じたい。
見物していた生徒たちからざわりとどよめきが上がった。一瞬で現れたレンにぽかんと口を開いている者もいる。
「使役の魔法か? でかい狼だな」
「え? レンは犬」
「犬? いや、どう見たってオオカ──」
「犬だよ。昔は子犬だった」
何を言っているのか、と不思議そうな顔で間髪入れずに答えるシヅキに、リュダは呆れた目を向ける。
狼が小さい頃に子犬に見えただけで、これはその成長した姿だろう、と。聞いていた誰もがそう思った。
「いや⋯⋯犬でも狼でも関係ねぇな。戦えるんだろう?」
『もちろん』
シヅキだけに聞こえるレンの声は自信に満ちている。
リュダが放った雷撃で模擬試合は開始された。魔方陣がカッと光り、レンの身体があった場所に雷撃が落ちた。
『中々⋯⋯言うだけあるかも? 正確に狙ってる』
避けるレンにリュダの雷撃が次々と襲う。
大きな身体に似合わない身軽な動きでレンは距離を詰めていった。
鋭い牙がリュダに食らいつこうとする。
「う⋯⋯おらぁ!」
声を上げながらリュダは結界で受け止めた牙を弾いた。
レンの身体が弾かれた衝撃で空中に投げ出される。
ちり、と嫌な音が聞こえてシヅキが地面に視線を向けると、消えたと思っていた何本もの落ちた雷撃が、レンの身体目掛けて地面を伝って走って行った。
リュダからしか雷撃は発されないと見せかけての死角からの攻撃だ。
「レン⋯⋯!」
『大丈夫、分かってるよ』
レンは空中で大きく身体を振って前足で雷撃を描き消した。
次はこちらの番、とでも言うようにレンの身体の周囲に数個の魔方陣が浮かぶ。
陣が光ると発生した風の刃がリュダを襲った。
見ていた女子生徒は髪とスカートを押さえて、男子生徒は片腕で目を覆う。強風が校庭を吹き抜ける。花が落ちてしまいそうな勢いだ。
「レン⋯⋯やりすぎではない?」
調節を間違えれば、身体がまるごと斬れてしまう。不安になってシヅキが問うと、のんびりしたレンの声が返ってきた。
『絶対大丈夫。これくらいじゃ死なないよ。ほら、丁度良いくらい』
砂ぼこりが晴れると周囲に崩れかかった結界を維持したリュダが現れた。出血はしていなさそうだ。
シヅキがほっと息を吐くと同時にレンがもう一つ魔法を展開させた。
「ちっ」
リュダが舌打ちし結界に魔力を込めるが、崩れかかった結界は、レンの魔法を簡単に通した。
纏まった風が身体を縛り、リュダは膝を着かせられる。
勝負は決まった。
数分が数時間にも感じられる高度な試合に生徒たちは目を見開いて固まっている。
攻撃魔法に慣れていない生徒は腰が抜けているようだった。
「お疲れ様。ありがとう、レン」
シヅキが指輪を撫でてレンを戻すと、リュダを縛る風の魔法も同時に消える。
リュダは砂のついた袖を払って立ち上がると、赤の髪の毛をグシャグシャと掻いた。
試合が始まる前の堂々とした姿から一転、顔に悔しさと失望を滲ませる。
「あーあ、俺、偉そうなこと言っておいて格好悪ぃな。⋯⋯なぁ、お前の魔法は生まれつき特別なのか?」
シヅキはその言葉にぴたりと固まる。一番触れられたく無い問いだった。
「⋯⋯ええ」
震える声にリュダは気付かない。
「そうか⋯⋯やっぱり努力では生まれ持ったものに叶わねぇのかな」
近くにいたシヅキでも聞こえるかどうかの小さな呟きは諦めの色が滲んでいた。
「喧嘩売って悪かったな。シヅキがクラスの代表で間違い無さそうだ」
無理やり笑顔を作るリュダの目をシヅキは真っ直ぐに見据えた。
──間違っている。この汚れた力にリュダが劣っているなんてあってはならないことだ。
「⋯⋯違う」
「は? 強い奴が代表やるんだから」
「そうじゃなくて」
怪訝な顔をするリュダにシヅキはゆっくりと口を開く。
「上から目線だと思われるかもしれないけれど。貴方の魔法は私が今まで見た中で一番、繊細で丁寧、それなのに構成は素早い。魔法の技術の優劣を決めるのは早さと正確さ。生まれ持ったものだけじゃ、構成力は追求できない。努力は無駄になっていないし、貴方は誰よりも上に立てると思う」
ほぼ初対面の相手にここまで喋るのは初めてだった。シヅキは上がる息をこっそり押さえる。
「な⋯⋯え? あ⋯⋯ありがとう」
真っ直ぐに視線を合わせるとリュダの頬がかっと赤くなった。
「終わったみたいですね」
場違いに穏やかな口調が割って入ってくる。
「怪我は無いですか? うん、シヅキさんが勝ったんですね。では、他に試合をする人はいますか? いないなら授業を始めましょうか。ユーファさんも大分魔力を通すのは慣れてきたみたいですから」
しん、と訓練場が静まり返る。
シヅキとリュダの模擬試合は同世代から見て異常なほど高度な試合だった。敵う訳が無いと思ったのか、誰も手を上げようとしない。
教室では頬を膨らませていた金髪の女子生徒も気まずそうに目を伏せていた。
「では──」
ドン! と音がしてラギアスの声は遮られた。次いで地面がぐらぐらと揺れる。
魔力が膨らんでいく気配がする方向は魔法初心者の生徒、ユーファの居る方向だ。
通常ならあり得ない巨大な魔力の気配にラギアスは顔を引きつらせた。