18 束の間の休息
夏も本番となり、寝苦しい暑さが続いていた。
しかし、関係無いかのように暴力的な眠気がシヅキを襲い、シヅキは少し手を動かしては倒れ、手を動かしては倒れを繰り返していた。
机に突っ伏すのと同時に、ついには箸の落ちる音がする。
「⋯⋯つきちゃん、今日はもう休もうか? そんな状態で学校に行っても何もできないでしょ」
レンは落ちた箸を拾い上げ、シヅキから食器を遠ざけた。
「⋯⋯や、学校にはいくよ⋯⋯」
「何しに行くの。寝にいくの?」
「⋯⋯ぅん。⋯⋯ぁ、ううん」
理解力も落ちている。
シヅキは昨夜に、屋敷に呼び出されたばかりだ。多くの魔力を使った分、眠いのも当然だった。
シヅキが身体を起こそうとしたのに気付いて、レンが不安定な背を支える。
「⋯⋯お父様の部屋で、書類に紛れて私の成績書が見えたの。渡してないのにどこから手に入れたのか⋯⋯。あの紙には出席日数も書かれてるでしょう?」
「あー、うん。そうだったね」
「儀式の次の日に休んでいるなんて不審に思われるかも知れないから」
シヅキは初めて経験した儀式以降、屋敷にある全ての本を読み、黒い魔法について調べた。
黒い魔法は梅の家の祖先が生み出した「呪術」だ。
『梅』と『桜』にしか伝わっていないこの魔法は、他人の生命を贄に、強大な力を得るものだった。
通常の魔法士は自身の魔力を起点に、大気の魔力も取り込みながら魔法を発動する。
しかし、儀式をした者は通常の魔力回路が焼け、新たな回路が作り出されていた。自身の魔力を起点に、儀式で取り込んだ贄の魔力を用いて魔法を発動するものである。
他者の生命を奪う禁忌を表すように、シヅキが扱う魔法は黒い霧を纏うようになった。
何度も儀式を繰り返すのは力を維持、また増幅するためだ。
シヅキは儀式を止めようと──父親を殺そうとしたが、父親との間には力の差がありすぎた。
初めての儀式以降、生きたものが贄となることは無かったが、シヅキはせめてもと、呪術に利用される前に、死体を維持する魔法を解くことで贄を解放するようにした。
その結果が魔法を使用する度に起こる眠気だ。儀式で新たに作り出された魔力回路は、大気の魔力を取り込むことができなかった。
贄の魔力を取り込んでいないシヅキは自身の生命力を使うしかなかったために、生命力を失った分、睡眠で補填しようとする。
しかしそれも気休め程度であり、シヅキの寿命は確実に削られていた。
「分かったよ。無理するなって言っても聞かないしね」
諦めたように言うレンにシヅキは苦笑するしか無かった。
校舎に辿り着いた丁度に鐘が鳴った。
教室に行くには花弁を模した校舎の端から端へ移動しなければならない。
『走っても遅刻だ。仕方無いね』
シヅキは諦めて廊下を歩く。
「シヅキ! おはよう! 先生まだ来てないから、急げば遅刻じゃねぇぞ!」
リュダが廊下に顔を出し、叫んだ。
「⋯⋯おはよ」
「いや、急げって! しょうがねぇなー。じっとしてろよ!」
リュダがシヅキに向かって両手を伸ばす。現れた光る紐がシヅキの銅を縛った。
「⋯⋯ぇ」
「はぁ!」
魚が釣られるように、リュダに引っ張られる。
高い。高すぎる。シヅキはぐんと変わった視界に目を回しそうになった。
廊下の天井が高くなかったら確実にぶつかっていただろう。
リッカが広い作りで良かった。現実逃避のように、そんな考えが頭を巡る。
「ちょっと! 校内での魔法使用は危ないですわよ!」
ふわりと下ろされて、シヅキはくらくらと回る頭を押さえた。
「んだよ。親切心だろ」
「シヅキが怪我でもしたらどうするんですの!」
シヅキの前で言い合いを始めるリュダとシアに、シヅキはさらに頭痛が増した気がする。
「でも良かったです。まだ遅刻じゃ──」
ユーファが微笑んだ所でシヅキの後ろに、大きな人影が立った。
「シヅキさん、遅刻ですよ。鐘がなるまでに教室に入ってくださいね」
「ぁ⋯⋯⋯⋯はい」
ラギアスが小さい子を叱るように、ぽすん、とシヅキの頭を叩いた。
結局遅刻らしい。
いつもの窓際の席に着いたシヅキは、座って少しも立たない内に寝息をたて始めた。
「今の時期、窓際はただ暑いだけなのによく眠れるな」
「さすが眠り姫、といった所なのかしら」
「シヅキちゃん、今日は特に顔色が悪いような気がします。疲れているんでしょうか」
昨日は新月だ。
新月に行われる儀式を知っていたナギトは、シヅキの様子に顔をしかめて他三人に声をかけた。
「眠いなら勝手に寝かせておけ。放っておいて良いだろう」
「そうですね⋯⋯」
ユーファは心配そう眉を寄せるが、鐘が鳴ったことで名残惜しそうに席に戻った。
『あ、つきちゃん、おはよ。起きた?』
「⋯⋯ん、ぅん」
シヅキは重い瞼を瞬かせて頭を上げた。
休み時間のようで、席についている生徒は疎らである。
『もうお昼だよ。午前ずっと寝てたから』
どうやら授業の間、全て寝ていたらしい。
成績表に授業態度が書かれていないのが救いだ。
『お昼ご飯、食べれそう?』
レンの言葉に、指輪に一回合図を送った。
あまり食欲は無いが、一口も手をつけないのは作ってくれたレンに申し訳ない。
「あ、シヅキちゃん、起きたんですね! まだ皆お昼は途中ですよ。行きましょう!」
教室に戻ってきたユーファが、席を立ったシヅキに気がついて、明るい声で呼んだ。
目的はシヅキの様子を見にくることだったようで、にこにことシヅキの支度を待っている。
「⋯⋯ユーファ⋯⋯ありがとう」
呼びに来てくれたことに礼を言えば、ユーファは、いえいえ! と手を振り微笑んだ。
教室から出て向かったのはリッカの敷地内、人気の少ない木陰だ。
元々ナギトが見つけた場所を、リュダに誘われたユーファ、シヅキが押し入り、そこにシアが加わった。
ナギトは最初こそ迷惑そうにしていたが、諦めたのか今はもう何も言わない。
刈られた芝生の上に手巾を敷き、お昼を食べるのが五人の日課となっていた。
「芝生の上にその豪勢な弁当⋯⋯毎度の事だが似合わねぇな」
「花梨の抱える王都指折りの料理人が作るお弁当ですもの。こんな⋯⋯⋯⋯つ、慎ましやかな場所で食べるなんて、想定してないんだわ」
大分言葉を選んだらしい。
シアは目を泳がせて声を絞り出した。でも、とシアはユーファのお弁当を横目に見て続ける。
「私は普通の卵焼き、みたいなものに憧れがあるのよ」
「へ? 卵焼き、欲しいんですか? シアちゃんみたいなお姫様が⋯⋯」
ユーファはぽかん、と口を開けると、卵焼きの一個を箸で掴み、シアの方へ差し出した。
「ええと、私のもので良かったらいりますか? 私の手作りなので、味の保証はできませんが」
「い⋯⋯いいの?」
「勿論です。シアちゃん、あーんしてください」
戸惑うシアにユーファが不思議そうに首を傾げる。
「口を開けるんですよ。あー」
「ぁ、あー、むっ!」
おずおずと開けた小さな口に卵焼きを突っ込まれたシアは、顔を赤くしながら品よく飲み込んだ。
「⋯⋯美味しいわ」
「良かったです!」
きらきらとした笑顔を見せるユーファに、さらに恥ずかしさが込み上げてきたようでシアはゆっくりと俯く。
金髪の隙間から見える耳は真っ赤になっていた。
その様子をリュダは愕然としながら見つめる。
「な、て⋯⋯羨ま──」
思わずといった風に口から零れた言葉だ。
「⋯⋯? どうかしましたか?」
「な、ななななんでも、ねぇよ?」
リュダはぶんぶんと首を横に振ると、慌てて手に持った弁当を食べ始めた。
『なるほどね』
何に納得したのか、レンの声が聞こえる。シヅキはレンに問いたかったが、レンはそれ以上何も言わない。
「ごほん」
シアが照れて赤くなった頬を誤魔化すように、わざとらしい咳払いをする。そして、次の会話を切り出した。
「そう言えば⋯⋯シヅキとナギトくん、華族議会には出席するのかしら」




