16 儀式の夜 1
*残酷描写あり
美しい星空の下をシヅキは一人歩いていた。
月明かりに邪魔をされない空は小さな星まで良く見える。
提灯も下げずに、慣れた道を進み、シヅキは美しく豪奢な、しかし時代を感じる屋敷に辿り着いた。
「お嬢様、おかえりなさいませ。旦那様がお待ちです」
門の側で控えていた侍従が頭を下げる。
「⋯⋯」
シヅキは何も言わず、案内をしようとした侍従も振り切って、まっすぐと屋敷の主人の元へと向かった。
「⋯⋯久しぶりだな。我が娘よ」
低く、朗々とした声が響いた。
少し皺が増えたように見えるが、蛇のように鋭い眼光はそのままに、男は煙草の煙を吐いた。
「お久しぶりです。お父様」
言いたくもない言葉が口から滑るように出てくる。シヅキは男が好む微笑で応えた。
「今日はどんなご用でしたか?」
「いつもの儀式と、これだ」
男は金の封蝋のついた封筒をシヅキに投げて寄越し、まだ長い煙草を灰皿に押し付けた。
「華族議会⋯⋯」
「そろそろお前も参加させようと思ってな」
一年に二度、王城で開かれる会議のことだ。
主に高位華族が出席し国政等について議論する。
シヅキは議会はもちろん、社交の場にも一度も出たことが無かった。しかし、十五歳前後の後継者は議会に出席するのが一般的だ。
「ただ俺の側で黙っていれば良い」
「かしこまりました」
にこり、と笑みを深める。男は満足そうに頷くと、もういい、と手を払った。
「いつも通り地下に儀式の用意はしてある。早く行け」
シヅキは男に向かって一礼すると、落ちた髪の一房を耳にかけ、退室しようとした。
「まだ指輪を着けているのか。⋯⋯あの駄犬も、よく躾をしておけよ」
背中にかけられた言葉にぴくりと身体が動く。
シヅキは表情が強ばるのを感じながらも、努めて軟らかい声を出した。
「勿論です。躾のなっていない犬は何をしでかすか分かりませんから」
シヅキは部屋を出た後、地下へと続く長い長い階段を下って行った。
石造りの階段にコツ、カツ、と二人分の足音が響く。
「何度も言うけど、付いてこなくていい」
「そうはいきません、お嬢様。旦那様が、お嬢様が地下室に入り扉を閉めるまで見届けるよう命じられております」
「⋯⋯そう」
しばらく歩き続け、紋様の刻まれた重厚な扉の前に立った。
空気は冷たく、身体に絡み付くような圧を感じる。
「それではお嬢様、一度地下室に入ったら儀式が終わるまで扉は開きませんので。儀式終了後はそのままお帰りいただいて結構だと、旦那様から伺っています」
「分かってるよ」
シヅキは扉に手を当て深呼吸をすると、ゆっくりと体重をかけて押し開けた。
真っ暗な空間の中で松明の炎が一つ点いた。
二つ、三つ。順番に明るくなっていき、中央のそれが明るく照らされた。
地面に描かれた黒色の逆位置の五芒星と積み上げられた死体の山。
鳥、犬、猪等の獣に混じって人の身体部分が見えた。
血溜まりは赤褐色で死後時間が経っていることが分かる。
部屋に入ったシヅキを認識したかのように、魔方陣が鈍い光を発した。
「⋯⋯また⋯⋯」
『つきちゃん⋯⋯? だいじょう──』
「大丈夫!」
レンの声を遮るようにして叫んだ。
声を張らなければ倒れてしまいそうだったからだ。
何度見ても慣れはしない。
視界の端に淡い光が現れて、背に柔らかい感触が触れた。獣姿のレンはシヅキの背を支えるように付き添っている。
「レン⋯⋯。ありがとう」
シヅキは冷たい石の床に膝を付けると手のひらから黒い霧を出現させた。
「血濡れの肉よ 砕けた骨よ 彷徨い報われぬ魂よ 汝らを縛る枷は解かれ 呪いの禍根は消え去るべきだ 我はそれを欲しておらず 呪いの行き着く先も無し」
黒い霧が死体を覆い、少しずつ魔方陣を書き換えていく。
儀式の贄が多いほど、書き換える魔力も必要となる。
シヅキは長い間魔力を送り続け、胸が軋む音を聞いた。
「⋯⋯ぃっ!」
レンはシヅキの小さな悲鳴を聞き、思わずかけそうになった声を押し殺して歯を食い縛った。
どのくらいの時間が経ち、膨大な魔力を送り続けたのだろう。
魔方陣を完全に書き換えた時、死体の山が灰になり、空気に溶けて無くなった。
全ての生き物は死んだ後、魔力となって世界を循環する流れの一部となる。死体を縛っていた魔方陣が解かれたために、彼らは魔力となったのだ。
シヅキは崩れ落ちるように倒れた。
瞼が重く、自然に目を閉じる。
死体の山がシヅキを襲う幻覚が見える。
──ごめんなさい。
謝っても足りない。
──ごめんなさい。
また、あの時の夢を見る。
シヅキが五歳だった頃──。
母は屋敷のどこかで生きていることだけ知っていて、シヅキの世界には恐ろしい父と、どこか無機質な使用人しかいなかった。
そんな時、庭の角で銀髪の少女に出会ったのは偶然だと思っていた。
素朴な身なりをしたその少女はシヅキを無躾に眺めた後、不機嫌そうに聞いてきたのだ。
「あんただれ?」
「え? ⋯⋯⋯⋯シヅキ」
「ふぅん、そう。あたしはシャナ」
同年代の子供と喋るのが初めてだったシヅキは遠慮の無い物言いに唖然としながらも、シャナと、垣根に隠れていた弟のレンと、この日以来親しくなっていった。
三人で会えるのは庭だけだ。シヅキは庭に毎日通い、二人が来るのを待った。
「二人はここに住んでいるの?」
聞いたのは単純な疑問だ。
屋敷にはシヅキの知らない場所がたくさんある。そのどこかにこの姉弟がいるのかと想像していた。
「家はずっと離れた所。ここには連れてこられたから来てるだけ。お母さんとお父さんもここにいるらしいけど、しばらく会えてないわ」
シャナがどこかぼんやりと、自分の手に嵌まった指輪を見つめて答えた。
指輪は小さな子供の指には大きく、外れてしまうこともあるだろう。しかし、シヅキはシャナが指輪を着けていない所を見たことが無かった。
「ね、つきちゃん! そんなことよりさ、見ててよ!」
レンがシヅキの着物の裾を引っ張る。
その力強さに姿勢が崩れそうになりながらも、振り向くと、レンが二歩距離をとって目を閉じた。
「うぅぅ」
小さく唸り声を上げると、少年の身体がぼんやりと光る。
「え? 何?」
シヅキが驚いて目を擦る間に、少年は銀毛の小犬の姿に変身していた。
「すごい⋯⋯!」
犬も見たことが無かったシヅキはその愛らしさに目を輝かせる。
レンは得意気にその場で一回転すると、元の人型へと戻った。
「へへ、すごいでしょ。魔法じゃなくて、どっちも本当の姿なんだよ!」
その様子が可愛らしくてシヅキは心からの笑みを浮かべる。
シャナを本当の姉のように、レンを本当の弟のように、思っていた。
──少しでも疑問に思えば、何か違ったのだろうか。
この時、幼い私は何も知らず、初めて知った温かさに縋っていた。
「シヅキ? 元気が無いんじゃない?」
シャナがシヅキのほんの少しの表情の陰りを指差した。
気付かれたことに驚いた後、シヅキはぎゅっと唇を噛む。
「今日の夜、お父様に呼ばれてるの」
理由は知らない。
しかし、父に呼ばれて良かったことは一度も無い。
今回も悪いことが起きる予感がする。
シヅキが嫌なことから逃れるように、瞼を閉じて身を小さくすると、額に温かいものが触れる。
驚き、顔を上げると安心させるように微笑むシャナの顔があった。
「一族に伝わる守りの口づけ。きっとシヅキを守ってくれるよ」
その温もりは夢でもはっきりと思い出せる。
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