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01 大きな犬




「つきちゃん! あ、つきちゃん、起きた?」


 至近距離から声をかけられて、眠っていたシヅキの意識はゆるゆると浮上した。

 瞼を開ければカーテンの隙間から強い光が目を射す。

 もう朝のようだ。

 寝ている間は幸せなのに一瞬しかなくて、起き上がるのが辛い。


「まだ寝るの? そろそろ起きた方が良いと思うけど。⋯⋯ちょっと、つきちゃん? 寝てる?」

「寝てる⋯⋯」

「起きてるなぁ」


 また眠りの世界に落ちそうになるシヅキの頭を、男の手が丁寧に撫でる。


「レン⋯⋯何で犬の姿じゃないの⋯⋯?」

「つきちゃんを抱き締めて寝たかったから」

「抱き締めるなら、犬の方が気持ち良いよ⋯⋯」


 まだ夢と現実の間にいるシヅキを撫でる手を止めて、レンはため息を吐いた。


「人の姿にもなれる俺に感謝しなよ。つきちゃん、自分の世話もできないんだから」


 次の瞬間訪れたぐらりとした浮遊感に、シヅキはいい加減に目を覚ました。

 肩に担ぎ上げられて、何も入っていない胃がぎゅっと縮んだ気がする。


「起きた! 起きたよ。レン、ごめん。下ろして」

「嫌だ。つきちゃんを待つより俺がやった方が早いからもう良いや」


 移動したのはほんの少しの距離だ。

 シヅキは鏡台(ドレッサー)の前に座らされ、水桶とタオルを差し出された。冷たい水で顔を洗い終えると鏡に映る少女と目が合う。

 木目を活かした意匠の、この鏡台は外国からの輸入品で実に正確に姿を映してくれる。

 鏡の中からじっとシヅキを見ているのは小柄で髪色も雰囲気も暗い少女だった。

 透けるように白い肌は日に当たっても焼けることはない。色白と言えば聞こえは良いかもしれないが、雰囲気と相俟(あいま)って不健康に見えるだけだった。

 シヅキがため息を吐けば、鏡の少女もため息を吐く。


「⋯⋯髪の色が明るければ、少しは柔らかい印象になるかもしれないのに」


 思わず呟いたシヅキに、レンは明るく笑って長い髪に口づけた。


「俺はつきちゃんのこの髪の色が好きだよ。加加阿菓子(チョコレート)みたい」

「レン、見たこと無いでしょう?」

「本で見たよ。写真が載ってるやつ」


 加加阿菓子(チョコレート)は、外国で流行っているらしいお菓子だ。

 写真付きの本なんて高級なものをレンはどこで見たのだろう。話にしか聞いたことの無いシヅキは自身の髪の色と言われても想像がつかない。

 自身の目と髪の暗い色よりも、レンの持つ銀色の髪と金の瞳の方がずっと羨ましかった。

 シヅキがぼうっと鏡を眺めていると、レンは

シヅキの後ろに立って、ふわふわとした猫毛を緩く編み始めた。器用に長い髪が結い上げられていく。


「朝ごはん食べたら、着替えよう。入学式だから白で良いでしょ?」


 朝食も、着替えも準備してくれていたのだ。


「レン、私のお母さんだったの?」


 茶化すように言えばレンはふっと鼻を鳴らした。


「お母さんって言われるのは複雑だけど。俺のありがたさにようやく気付いたか」


 二人で暮らすには十分すぎる大きさのこの家の家事は全てレンが行っている。料理も、洗濯も、掃除も全て。


「うん⋯⋯申し訳なくなってきた」

「良いんだよ。つきちゃんは俺の主人だし、俺は魔法使えるからね」


 はい、できた、とシヅキの髪を細い金のリボンで結んで、レンがシヅキを立ち上がらせる。


 二人で軽く朝食を済ませて、準備の残りは着替えだけだ。


 シヅキはレンが選んだ白の着物に紺の袴を合わせて身につける。

 寝間着の薄い着物から、身体を締めて防御力が上がったような気分だ。そう考えるシヅキは見た目通り、武術は全くと言って良い程才能が無い。


「つきちゃん、着物も似合ってるけど一回洋服とか着てみて欲しいなぁ」


 レンの言葉にシヅキは苦笑した。レンの目は身内贔屓が過ぎるのだ。


「洋服は持っていないし、着て学校なんて行ったらお父様に殺されそう」


 シヅキの生家はこの国で最も古い家だった。

 新しきを拒み古いものに固着する姿勢は、他から見れば愚かだったが、異を唱えられる者などいない。

 魔法の実力で右に出るものはおらず、(まつりごと)でも権力を持つ。さらには気性の荒いシヅキの父は当然の如く周りから恐れられていた。

 シヅキも父に歯向かえばただでは済まされないことを分かっている。


「あーあ、学校に行くのもあいつの指示なんでしょ? 学校なんか行かなくて良いのに」


 ぼやくレンにシヅキも同感だったが行かない訳にもいかなかった。

 今日からシヅキが通う学校は十三から一五歳までの魔法を使う能力がある者を集めた教育施設だ。

 魔法を学ばせ、いずれは国の為に働く仕事の斡旋(あっせん)も行う。一クラスしかない理由はそれだけ魔法を使える者が少ないからだ。

 三年に一度だけ入学試験があり、年齢関係なく一つの教室で学ぶ。

 優秀な魔法士一家であることに誇りを持つ父が、娘を学校に行かせないなどあり得なかった。


「やっぱり行かなくても良いんじゃない? つきちゃんと家で過ごす時間が減る」

「私を誘惑しないで。もっと行きたくなくなるから」


 シヅキが左手の中指に着けている指輪を撫でると、レンは文句を言いながら大きな犬の姿に変化した。

 シヅキの身長ほどある犬だ。そっぽを向いて、不機嫌さを主張している。

 シヅキが手の平を向けると、瞬間犬の姿が消えた。


「レン? 学校が終わるまで良い子にしてて」


 シヅキが指輪に向かって話すと、頭の中にレンの声が聞こえる。


『分かったよ。⋯⋯⋯⋯それにしてもつきちゃん、途中で行かせたくなくなったから言わなかったけど、時計見てよ』


 シヅキはブーツを履く手を止めて、時計を見た。身体をかなり捻らないと見えない位置にある小さい時計はついこの前ねじを回したばかりだ。


 ──短い針が北西、長い針が南。


 シヅキは頭を抱えたくなった。

 まずい。入学式から大遅刻だ。




「⋯⋯何で起こしてくれなかったの?」

『時間通りに起こしたよ。つきちゃんが全然起きなかったんじゃん』

「うう、絶対目立つよね」

『まあそうだね。つきちゃんなんて時間通りに行っても注目されたと思うけど』


 同年代と殆ど喋ったことの無いシヅキは、レンの肯定に、出たばかりの道を戻りたくなってきた。

 左手の中指と、親指、二つの指輪を無意識に撫でる。


『大丈夫だよ。もし自己紹介が緊張で失敗しても! クラスの誰とも話せなくても! 仲間はずれにされたとしても! つきちゃんには俺がついてる!』


 これはシヅキの対人能力を知るレンの予想なのだ。


 自信いっぱいに言ったレンに、シヅキは頬を膨らませて返事をしなかった。





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