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学習塾の怪

作者: 黒猫屋倫彦

※この物語はフィクションです。

これは、私が小学4、5年生のときに実際にあった出来事です。


当時、私は毎週火曜日に最寄り駅近くの雑居ビルの4階に入居する学習塾に通っていました。そのビルはエレベーターがなかったので、塾に通うときはいつも階段を上っていました。あるときのこと、私はその日の授業で使う教科書やノートが入ったカバンを持って階段を上りました。すると、途中で階段を踏み外しかけてしまい、(あや)うく転げ落ちそうになったんですね。そのとき、フッとお線香のような匂いを感じ、お経のようなかすかな声が聞こえたのです。

(あれ? なんだろう……?)

不思議に思ったものの、私は余り深く考えず、そのまま階段を上り、教室に入りました。

そして次の週も私はその学習塾に行ったんですが、そのときにもまたお線香のような匂いとお経のような声がしました。

(気のせいじゃなかったんだ……)

私は急に怖くなりました。それから毎週塾に行くたびにお線香の匂いとお経は続きました。あるとき、周りの生徒に聞いてみたのですが、みんながみんなそんなもの知らないと言うんです。それから私も何となく周りには言わない方がいいような気がして黙っていました。

そんなある日、私は塾の先生から呼び出されて「最近元気がないけどどうした?」と言われました。私はあのお線香の匂いとお経について話すか迷った末、私は勇気を出して塾の先生に相談することにしたんです。

「実は……」

そのときでした。塾の入り口のドア越しに、()()むような声が聞こえました。私はそのドアを見ると、思わず飛び上がりそうになりました。何故なら、ドアのすりガラス越しに真っ黒な影が立っていたからです。

数秒後、ノックの音がすると、ドアノブがガチャリと回り、その影は言いました。

「ごめんください。」

それは、坊主頭で黒い着物を着た中年男性……お坊さんでした。

「はい、なんでしょう?」

私と向かい合っていた先生は話を中断し、お坊さんに答えました。

「そこに帽子が落ちていましたよ。多分こちらの生徒さんの帽子じゃないかと。」

「わざわざありがとうございます。」

先生がお坊さんから帽子を受け取りました。

「あっ、あのっ!」

私は勇気を出してお坊さんに聞いてみました。

「何でこのビルにいるんですか? 誰かのお葬式があったんですか?」

「うん、先々月にここの5階に住んでる大家さんの親族の方が亡くなってね、初七日から()()()()()のために来ているんだ。」

なんのことはない、今まで嗅いでいた線香の香りも、聞こえていたお経も実際のものだったのです。

「でも来週の四十九日法要は斎場でするから、次にここに来るのは百箇日(ひゃっかにち)法要で大分先になるね。」

お坊さんは優しく笑いながら教えてくれました。

それ以来、その学習塾では不思議なことは何も起きなくなりました――いえ、最初から何も不思議なことなど起きていませんでした。あるいは、人が生き、死んでいくと言うことそれ自体がもう何よりも不可思議なことなのでしょう。お坊さんは直接には言いませんでしたが、どうやら大家さんの親族は孤独死であったようです。誰にも気づかれないまま、独り寂しく亡くなり、死してなお私という子供に(うと)まれる――なんという悲しい人生なのでしょう。私は「学習塾の怪」を怪しんだ自分を恥じました。


――これが、それまで宗教とは全く関わりがなかった私が、仏の道を志した最初のきっかけです。この体験があったから、今では死を目の前にして心細く思っている方、身近な方を亡くされて寂しい思いをしているご家族に寄り添うことをライフワークにすることにしたのです。今思うと、これも御仏(みほとけ)の導きだったのでしょう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……


――合掌――


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