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【六波羅陥落と新田義貞の挙兵】

一三三三年五月初頭、赤松・千種軍が足利軍に合流した。この時、足利高氏にとって好都合だったのは、千早城を囲む幕府軍が動けなかった事だろう。楠木正成が、護良親王と連携して幕府軍を釘付けにし、膨大な戦略的遊兵を生みだす事に成功していたのである。


七日早朝、嵯峨から内野に足利軍が雪崩れ込んだ。目指すは六波羅である。

『鬨をつくるとかやいふ声は、雷の落ちかかるやうに地の底にも響き』(増鏡)

“鬨の声が、雷が落ちるように地の底まで響き渡った”

『ただ呆れ給へり』

“その様子に、後伏見法皇・花園上皇・光厳天皇・康仁親王はただ呆然としていた”

それでも、六波羅勢は最後の抵抗をみせ、激戦が展開された。

『雨の脚よりも繁く走り違ふ矢にあたりて、目の前に死を受くる者数を知らず』

“雨よりも激しく飛び交う矢にあたって、目の前で死ぬ者が数知れない”

しかし、昼過ぎ、幕府軍の戦線が崩壊した。

『燃え上がる煙ども、四方の空にみちみちて日の光も見えず』

“火の手があがり、燃え上がる煙が都の空四方に満ちて、日の光も見えなくなった”

夜半。次々と寝返りが出る状況に耐えかね、終に六波羅が放棄された。

両六波羅も、後伏見上皇らを連れ、東へ落ち延びていく。

『行幸を洛外に成奉りて、関東の合力をば相待ち。又は金剛山を囲める勢共に事のよしを通じて合戦を致すべし』(梅松論)

“帝を洛外にお連れし、関東の救援を待つ。又は、金剛山の軍勢と合流して反撃に出よう”

最悪の場合、仲時らは畿内を放棄し、持明院統を関東まで連れていくつもりだった。

両六波羅は、事ここに至っても、「東国は磐石だ」と信じていたのである。


しかし八日、関東でも異変が起きたi。この日、上野国世良田に、幕府の徴税使として入部した紀親連と黒沼彦四郎入道が、新田義貞の手に落ちたのである。親連らの任は、長楽寺の御膝元として商業が盛んな同地から、戦費を取り立てる事だった。宮方との戦いに倦んだ幕府は、諸国から戦費を集めようとしたのである。それが反発を招いた。

義貞は、黒沼を斬首にし、高官の紀親連は監禁した。そしてそのまま、一族の大館・堀口・岩松・里見・江田らと挙兵し、進軍を開始したのである。この挙兵は、高氏と連絡を取り合っての行動だった。そのため、新田軍には、足利一族の桃井氏が、早くから参加しているii。新田軍は、近国の勢力を糾合しながら、九日、武蔵に南下した。

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