【脱線五・悪党、兵庫に乱入す】
播磨国は、悪党の活動が盛んな地域である。
『正安乾元ノ比ヨリ目ニ餘リ耳ニ滿テ聞ヘ候シ』(峯相記)
“(悪党の活動は)一二九九~一三〇二年頃から、目に余り、頻繁に耳にするようになった”
海賊・寄取・強盗・山賊といった連中が、各地で狼藉をはたらいたという。
『異類異形ナルアリサマ人倫ニ異ナリ』
“(その姿は)異類異形であり、人とは異なった”
『柿帷ニ六方笠ヲ着テ。烏帽子袴ヲ着ズ(「シ」を訂正)。人ニ面ヲ合セズ。忍タル體ニテ』
“柿色の衣に六方笠をかぶり、えぼし・はかまは着けなかった。そして、人に顔を見せようとはせず、世を忍んでいる様子だった”
山伏と同じ柿色の衣を身に纏い、えぼしもはかまも着けない。
悪党は、世を捨て、天狗と同じ世界に棲むようになった「異形」であった。
それゆえ、彼らは世を忍び、人から顔を背ける。と、『峯相記』は記す。
ならば、彼等は世を捨てた日陰者か。悲観に囚われた落伍者か。さにあらず。
『高シコヲ負ヒツ。柄鞘ハゲタル太刀ヲハキ。竹ナガヱサイ棒杖』
“(矢をいれる)えびらを負い、柄や鞘がはげた太刀をはき、竹長の棒状(で武装していた)”
『カカル類十人二十人或ハ城ニ籠リ。寄手ニ加ハリ。或ハ引入レ返リ忠ヲ旨トシテ』
“このような悪党等は、十人二十人の集団で城に籠り、(小競り合いが起こると)攻め手に加わり、あるいは引き入れ、裏切りを旨とした”
『博打博奕ヲ好テ忍ビ小盜ヲ業トス』
“さいころ博打・賭博を好み、隠れて小規模の強奪を行なう事をなりわいとした”
『武士方ノ沙汰守護ノ制禁ニモカカハラズ日ヲ逐テ倍增ス』
“(そして)六波羅の沙汰や守護の禁制にもかかわらず、日を追って倍増した”
と、『峯相記』は記す。
一三一五年九月、六波羅北方の北条時敦は、淀・尼崎・兵庫の関税徴収の実態調査を命じた。十一月二十三日、これに対して、都賀河の僧達は「悪党」百名を動員して兵庫津に乱入し、守護使と合戦した。「悪党」の力は、遂にここまでのものとなったのである。
しかし、実のところ、この事件にいう「悪党」とは周辺で海運に携わる「淀・兵庫・尼崎の住人」の事だった。畿内と西国を結ぶ兵庫を支える民。『峯相記』の記す、悪党の姿とは程遠い。この頃、鎌倉幕府は、民との繋がりを失おうとしていた。