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【長崎円喜の登場と貞時の晩年】

 一三〇七年、御曹子北条高時が馬乗り始めと弓始めを行なった。

『徳治ニ當殿御時、宗宣奥州始此沙汰候云々』(金沢貞顕書状・鎌倉遺文三〇八五四号)

“徳治に高時様が馬乗り始め・弓始めをした際、連署大仏宗宣がその扶持を行なった”

嘉元の乱後、大仏宗宣は連署となっていた。かの乱で、漁夫の利を得たのである。

 一方で、北条宗方が亡くなった後の得宗家の執事は、「長崎円喜」なる人物が務めている。長崎は平頼綱の一族である。頼綱が討たれた後の数年間、円喜の父光綱は、内管領を務めている。安定した内管領を望む北条貞時は、頼綱一族を復活させる事にしたらしい。

 ところで、「円喜」とは、貞時が亡くなり出家した後の名である。しかし、確実な史料で名が確認されていないので、「長崎高綱」は避け、「円喜」で統一しておくi。


翌一三〇八年七月、久明親王(後深草の子)が将軍を辞めて、京に帰還した。

原因は不明だが、一人前の年齢になった将軍が、政争に巻き込まれる前にご退場頂いたらしい。子の守邦親王が将軍となった。八歳。これなら戦乱の種にはなるまい。


八月、中原政連という官僚が、得宗貞時に諫言状を書いた。後世、これを『平政連諫草』と呼ぶ。しかし、「現存する書状」は、貞時に提出されなかったようだ。文が雑なので、書き直したのか。もっと穏当な文に変えたのか。提出を止めたのか。何にせよ、へたな訂正が加えられていないので、この書状は却って当時の様子を余す所なく語っている。

『一 政術を興行せらるべき事』(平政連諫草、「日本中世史を見直す」二一六~二三三頁)

“一 まじめに政治をして下さい”

『政連、疎遠微弱の身、庸瑣愚鈍の性なり』

“この政連、得宗から見れば取るに足らぬ身、つまらぬ愚か者です”

『然りといえども念々恩徳に報ぜんと欲して、度々諫言を献ずることあり』

“しかしながら、得宗の恩徳に報いようと、たびたび諫言をしてきました”

『賞翫なしといえども賢慮に違わざるか。仍って鄙底を残さず重ねて言上するところなり』

“それで褒められた例もありませんが、(罰された事もないので)お考えに違う諫言でもなかったとお見受けします。よって、腹に溜まっている事を、残さず、重ねて言上します”

『禅閤御在俗の時専ら覇業を扶け、御出世の今漸く政要に疎なり』

“得宗は、出家するまで覇業をたすけましたが、出家してからは政治を離れておられます”

『評定の裁判は両国吏に任せ、引付の探題は七頭人に委ぬ』

“評定は執権(北条師時)と連署に任せ、引付の裁決は引付頭人に委ねておられます”

『日々政務に接りがたきよし思食さるるか』

“もしや、日々政務に励むのが嫌だと、お思いか”

『無端徒らに政事に纏れんよりは、余算限りあり、歓宴を催さんにはしかじと相存ずるか』

“つまらぬ政治に励むよりは、限りある命、宴会でもする方が良いとお考えか”

『一向に御綺なくば万機何れの仁に任せんや』

“得宗がこのまま政治に参加しないなら、一体誰に政治をお任せすれば良いのです”

『何ぞ況んや毎月御評定の間五ケ日、御寄合三ケ日、奏事六箇日許り、闕かさず御勤仕あ 

 るの条、強ち窮屈の儀なからんか』

“まして毎月、評定に五日・寄合に三日・裁決に六日(つまり一ヵ月に十四日)、欠かさず得宗の仕事をするぐらい、何という事もないではありませんか”

『先祖右京兆員外大尹は武内大神の再誕、前武州禅門は救世観音の転身、最明寺禅閤は地 

 蔵薩埵の応現と云々。倩々思うに貴下在生の作法は同じく無上大聖の応化たるか』

“御先祖の北条義時様・泰時様・時頼様は、神仏の生まれ変わりとして、民を思う政治をされました。思えば、あなたのご誕生も、無上大聖が現世に現れた時と同じでした”

『子葉孫枝の繁華のおんため、徳を種え功を樹つるの余薫を積むべし』

“御子孫の繁栄のためにも、徳を積み政治的功績をあげ、後代に恩恵を残して下さい”


他にも色々言っているが、つまるところ、「貞時に再登板してほしい」と言っている。貞時が政治を捨てた後、幕府は停滞しつつあった。しかし、貞時は一向に顧みなかった。

『一 固く過差を止めらるべき事』

“一 贅沢はやめて下さい”

『亭の入御を禁むるの理は、御一門の人々、諸大名の家々、御渡りを以て一期の本望となし、御儲のために残涯の余資を尽くす』

“得宗を自宅の宴に招き、寵を得ようと、一門も大名も皆、財を傾けています”

『その人を選ぶにおいては、自ずから恨みを成すべきか』

“誰の家に足を運ぶにしろ、選ばれなかった者はこれを恨みに思うものです”

『無足及び凡人においては、狂惑を以て宗となし、姦謀を以て先となす』

“(まして)領地のない御家人や一般の御家人達の中には、貧しさに狂い、道を踏み外す者さえ出ています(そういう昨今ですから、上が手本を示し、倹約をして下さい)”


結局、政連の思いも空しく、貞時は行動を改めなかった。そして、この二十六年後、政

連の子の紀親連が「新田義貞の挙兵の引き金を引く」というのが、史実である。

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