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【旅の果て】

一三七一年九月二十三日、周防・遠石の浦。九州探題・今川了俊は周防に到着した。

『山元南に向て、八幡の御社居ます』(道行きぶり)

”山麓の南に向かい、八幡神社がある”

浜から遥か沖を見ると、大きな石が顔を出している。地元では「遠石」と呼んでいる。

『わが袖はしほひにみえぬおきの石の人こそしらねかわくまぞなき』(千載集)

”引き潮の時さえ、海から姿を出さない「沖の石」のように、私の涙は止まらない”

まさに、この昔の和歌に出てくるような石である。

『人こそしらね』(道行きぶり)

”人知らぬ苦労に涙が止まらない”

了俊はつぶやいた。遠征なのに旅行。決戦前なのに、京の御所様(足利義満)と管領殿(細川頼之)は、石清水八幡宮再建の大工事。まったく。今回の旅は、前代未聞続きである。


二月十九日からの”大旅行”は、半年を超えた。播磨の後も。備前、備後。尾道の浦。

『遥かなる陸奥・筑紫路の船も多くたゆたひゐたる』

“はるかなる、陸奥・筑紫の船が多く揺らいでいた”

西国・尾道で、陸奥(奥州)の船を見るとは思わなかった。それも、多数だった。

『一夜の浮き寝する君どもの、行きては来ぬる水手の浮びありく』

“一夜をともにする遊女たちの、行っては来る舟が、その周りを浮かんだ”

周囲には、銭の匂いを嗅いだ遊女達の船が近付く。あの船は、元侍所頭人・今川了俊ですら実体を知らぬ”莫大な富”が積まれていたと考える他ない。天下は広く、海は想像を超えた。五月、安芸。因島。抜けて、沼田川。川沿いにあった、こしきの天神。

『かの御神、筑紫へ移され給ひける時、ここにて旅の乾飯まいらせたりける』

“かの菅原道真公が、太宰府に移る時、ここで旅の乾飯を召し上がられた”

飯を入れた器(こしき)が祀られていた。天神は寺社勢力。「商人の保護者」である。道真公も、布石を打ちながら、九州へ行った。九月二十日厳島神社に参詣。佐西の浦。翌日、

『友の大船どもも、今ぞ追風に帆影も見ゆめる』

”友軍の大船の一団が、今追い風を受ける帆の姿が陸から見える”

了俊の子・義範は、尾道で出港し、豊後高崎城に入った。慌てて太宰府から出兵した菊池武光と衝突数十回。豊後では南朝に融和的な大友氏継に代わり親世が当主に。管領殿もやる。


 了俊も、弟仲秋と大内(周防・長門・石見守護)娘を婚姻させた。太宰府攻略が始まる。

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