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【浅原事件】

一二九〇年二月、後深草上皇が出家した。持明院統の繁栄に、政敵亀山の出家。

『然而。思今生之榮。彌恐來世之果』(後深草天皇宸記)

“しかし、今の栄えを思うと来世に報いがあるのでは、といよいよ不安になる”

そう思うと、長年望んだ政権運営も、軌道に乗ると何やら煩わしい。そこで後深草は引退を表明し、仏道に専心した。関白鷹司兼平も、三月三十日に出家し、引退している。


その少し前、宮中で異常な事件が発生した。三月九日夜、浅原為頼を中心とする武士三・四人が馬で内裏に乱入したのである。為頼らは、下級女官部屋にいた女官を問い詰めた。

『御門はいづくに御寝るぞ』(増鏡)

“帝はどこで寝ている”

蔵人康子(中務内侍日記)は、怯えた声で、「夜の御殿にいます」と答えた。

『いづくぞ』

“それはどこにある”

この愚問に、康子は、侵入者達がろくな下調べもしないで暴挙に及んだ事を察した。

『南殿より東北のすみ』

これを聞いた浅原一党は、康子をおいて“南殿より東北のすみ”に向かって行った。

だが、夜の御殿はそんな所にはない。浅原一党は、康子の機転に騙されたのだった。

一党が見当違いの所を探している間に、伏見天皇は女装して皇太子胤仁親王と共に春興殿に移る事に成功した。また、三種の神器も、女官らによって無事運び出された。

かくして、一党がようやく夜の御殿に着いた時、そこは既にもぬけの殻だった。

不幸な侵入者達には逃亡する時間も残されていなかった。間もなく宮中護衛の侍・在京御家人らと乱闘になり、追い詰められた浅原は伏見の寝所で自害した。


この事件は、武士が天皇の暗殺を企て宮中に乱入したという異常な事件である。

『甲斐国小笠原一族に。源為頼と云者あり。』(保暦間記)

『いつくにても、見合はん所にて可誅由、諸国へ触らる』

浅原為頼は甲斐国小笠原氏の一族で、悪党として、幕府から追討を受けていた。原因は、一族の多くが犠牲となった霜月騒動であろう。そのため、浅原の背後には、平頼綱・後深草法皇らに敵対する黒幕がいるのではないかという疑いが生じた。

幕府の捜査で様々な事実が浮かび上がった。

①浅原が乱闘中に射た矢には『太政大臣源為頼』(神皇正統記)と書かれていた。

然るべき人物に、「帝を討てば太政大臣にする」とでも唆されていた可能性がある。

②浅原が自害に使った刀が三条家に伝わる『鯰尾』(増鏡)という刀だった。

幕府は亀山の側近三条実守を首謀者として、六波羅に連行した。では、黒幕は亀山なの

だろうか。しかし、亀山がこんな杜撰な計画に乗ったかは甚だ疑問である。


真相はともかく、暗殺されそうになった伏見天皇は、この事件に激怒し、亀山法皇の厳重な処分を主張した。そこで、伏見を支援する関東申次西園寺実兼の嫡子公衡は、大覚寺統に対して徹底追及を行うよう、後深草に進言した。

『この事はなほ禅林寺殿の御心あはせたるなるべし。』(増鏡)

“黒幕は亀山院に違いない”だから、「幕府に打診して院を六波羅に移すべきです」。

しかし、政敵を葬り去る進言を聞く上皇は、むしろ迷惑そうな表情を浮かべた。

『実ならぬ事をも人はよくいひなす物なり』

“人というのは事実でないことを噂するものだ”

そう言って涙を流すばかりで、ついに公衡の進言を聞き入れなかった。

『心弱くおはしますかな』

“何とお気の弱い”

若い公衡はただ呆れかえるばかりだった。


この時の後深草は、常になく魅力的である。もはや、両統対立が単なる兄弟争いを超えた次元の問題になりつつある中、冷静な判断を下せた事は評価に値する。

もし亀山を捕縛させたら、近視的には持明院統の天下となるが、より大きな視点では、「幕府が大規模な兵乱でもないのに天皇経験者を処罰できる先例」を残してしまう。

後深草の政治判断により、朝廷は権威失墜の危機を逃れたのである。

結局、大覚寺統が事件への関与を否定する御誓書を幕府に遣わし、事件は手打ちとなった。後深草が追及しない方針を示した以上、幕府も捜査を打ち切ったのである。

事件の翌月、後深草と亀山は、ともに母大宮院を見舞った。詩経に曰く、“兄弟かきにせめぐとも外そのあなどりを禦ぐ”。大宮院は、この二年後、六十八歳で亡くなった。


十一月、二月騒動で討たれた北条時輔の次男が、俄かに御内人三浦頼盛を訪ねたi。

『謀叛の企有由する間、搦進けれは、同月首を刎られけり』(保暦間記)

“謀叛の企てがある様子なので、捕縛して届け出た。同月、首を刎ねられた”

京も鎌倉も陰謀で満ちていた。だから、こういう得体の知れない事件が起こる。

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