序章:晴天の霹靂【四条天皇の悪戯】
物語は、おおよそ八百年前、日本列島に大変革が起きようとしていた時代から始まる。この頃、日本には二つの政権が併存していた。東の鎌倉幕府と西の朝廷である。
当時、幕府の長に征夷大将軍の位を与えたのは、朝廷だった。しかし、武力をもって朝
廷を抑えたのは、幕府だった。そのため、両者には奇妙な関係が生まれていた。
鎌倉時代中期の一二四二年一月五日、宮中で一人遊びをする少年がいた。御年十二歳の四条天皇である。この天皇は、二歳で即位して以来、生涯政務に頭を悩ませる事がなかった。なぜなら、政治は、外祖父にあたる九条道家が行なっていたからである。
だから、幼帝の仕事は、宮中を遊び回る事であった。先月、道家の孫娘(彦子)が嫁いでいたが、天皇は幼少である。お世継ぎなど、まだまだ先の話だった。
『さわがしきまでの御遊びのみにて明しく暮らさせ給ひける』(増鏡)
“騒がしい程に、お遊びばかりの日々を暮らしておられた”
その遊び相手は、彦子の弟忠家が務めたという。
しかし、「その日」に限って、四条は一人で遊んでいた。忠家も彦子も側にはいない。 そして、あろうことか、身辺を警護すべき女官の姿さえ見えなかった。
したがって、間もなく起こる“事件”は女官達の大失態といえる。
一人遊びに興じる幼帝は、先頃から、御所の床に向かって「何か」をしていた。
一体、何をしているのだろう。
『主上あどけなくわたらせ給ひて、近習の人、女房などを倒して笑わせ給はんとて、
弘御所に滑石の粉を板敷にぬりおかれたりけるに』(五代帝王物語i)
“帝は、いたずら心を起こし、そこを通る近習・女官を転ばせて笑おうと、御所の床に「滑石の粉」を塗っておられた”
不幸は、まもなく起こった。
『主上あしくして御顚倒ありける』
“運悪く、お転びになった”
不注意にも、自分が「滑石の粉」に滑り、床に頭を打ちつけてしまったのである。しかも打ち所が悪かったらしく、そのまま意識を失った。
四条は、この日を境に公式の場から姿を消し、一月九日にその死が公表された。
四条天皇の急死。この事件は、京の朝廷はおろか、鎌倉の幕府をも巻き込む大問題に発展した。何故なら、承久の乱以来の権力図が、修正を余儀なくされたからである。