入寮
エルミタージュ男爵家の財政は厳しい。
いや、むしろ既に破綻しかかっていると言っても過言ではない。僅かな領民から税を集めても黒字になるわけもなく、むしろ貴重な領民の皆が餓死しないか心配になる。
その為、王都に出稼ぎにきた父と私に持たせる金銭など殆ど無い。
そんな我らの懐事情を察してくれたのか。明日の昼過ぎに騎士団長と面接するまで正式な騎士団員にはなれないのだが、初日から団員用の寮に泊めてもらえることになった。
アペラシオン王国の剣であり、盾である王都騎士団の寮だ。それは想像を超えて大きく、金のかかった建物だった。
石造の頑丈そうな三階建てで、学校の校舎のように大きい。隣接して演習場もあるらしく、本当に学校のようである。
案内人に連れられて中に入ると、少しこじんまりとしたホテルのロビーのような光景が広がる。
鎧の有無は別にして十数人ほどの騎士がいた。意外にも女騎士も一人いる。
皆の視線を受けながら一礼をしていると、案内人に抜擢されて不満を全面に出していたマディランが片手を振って声を発した。
「新人のクロウ。今日からこの寮に住むぞ」
と、簡単過ぎる紹介を受けて、私は皆を見回す。
「今日からお世話になります。クロウ・エ・ローヌ・エルミタージュと申します。宜しくお願いします」
そう告げると、周りの人達が軽く拍手をしてくれた。そして、何人かがマディランの方に顔を向ける。
「おいおい。いつもの『この俺には劣るが中々有望な奴だ。試合に負けて落ち込んでるから、皆優しくしてやってくれよ』って口上はどうした?」
「まさか、入団前の新人に負けたか?」
二十代中頃ほどの男二人がニヤニヤしながら質問すると、マディランは顔を顰めながら舌打ちをする。
「うるせぇ! 鬼教官まで負けたんだぞ! 誰が勝てるってんだ!」
「……なに? 鬼教官って、バルザック様……だよな?」
「バルザック様が負けたって?」
「嘘だろ……!?」
マディランの言葉に、寮の入り口に入ったばかりなのに騒がしくなり、足も止まってしまった。
「マディラン殿。あまりバルザック様とのことは……」
何とか口止めしようと声を掛けるが、余計に火を注いでしまったのか、思い切り睨まれてしまう。
「あぁ? 俺に意見するってのか?」
「いや、そういうわけでは……」
困りつつも宥めようとするが、マディランの怒りは収まらない。鼻を鳴らして背を向け、肩を怒らせながら奥へと行ってしまった。
周りに会釈をしながら、慌てて後を追う。
廊下を進むと、左右に食堂らしき部屋やロッカーが並ぶ部屋などが見えた。
奥の突き当たりにつくと左右に分かれていた。左側には扉があり、右側の奥には階段がある。マディランはその階段を上るところだった。
斜め後ろにつき、階段を上がって二階に辿り着く。二階はまるでホテルの客室フロアのようである。暗い茶色の絨毯が敷かれ、壁も石壁ながら綺麗に整えられている。等間隔に片開き扉が並ぶ通路を進んでいくと、一番奥の突き当たりに辿り着いた。
「ここがクロウの部屋だ。三階は先輩の部屋になっていて、その階で一番格上になれば楽な階段側の部屋に移動も出来る」
それだけ言って、マディランは踵を返す。
「ちょっと待ってください」
すぐに立ち去ろうとするマディランを呼び止めると、嫌そうな顔がこちらに向いた。
「案内人としての責務が果たされていないように思いますが」
態度を不満に思い、文句を言ってみる。すると、マディランは頭をがりがりと片手で掻いて溜め息を吐く。
「……部屋には衣服のクローゼットがある。後はベットだけだ。トイレは各階の中央に十人分ずつ。食事は一階の食堂にいけ。名札が今日中に出来るから、壁に掛ければ良い。時間帯は朝、昼、夕の三回だ。水浴びは一階の水浴び場か演習場の井戸だ。わかったな。後は、朝食を食べたらすぐに演習場に行け。鎧は一階の倉庫に各置き場があるからそこに置けば良い」
早口にそう言って、こちらの顔を睨みながら口を閉じる。不貞腐れた子供のような態度に、思わず笑ってしまった。
「……なに笑ってやがる」
苛々しながら言われて、私は軽く会釈を返す。
「いや、ありがとうございます。寮のことは理解しました」
「…………おう」
何か言わないといけないと思ったのか、背を向けながら小さく返事が聞こえてきた。
そして、今度こそと言わんばかりに肩を怒らせ、どすんどすんと足音を立ててマディランが去っていく。
本当に子供のようだ。
「妹のターシュは素直で良い子だったから、中々新鮮な気分だな」
思春期の弟がいたらこんな感じだろうか。年上だが、面白い男だ。
そんなことを考えながら、私は案内された部屋の扉を開けた。中は確かに何も余分なものは無かったが、綺麗に片付けられた個室だった。まさか個室を与えられるとは思っていなかった為、それだけでもとても嬉しい。
食堂に降りてみると、既に夕食の為に人が集まっていた。中々広い食堂だが、大人気の居酒屋のように雑多な雰囲気となっている。人数は五十人はいるだろうか。
その全員の目が、私に向いた。
「……新入りか。細いが、まさかアイツが?」
「嘘だろ。俺は二メートル五十センチはあるオーガみたいなやつを想像してたぞ」
「巨人族とのハーフじゃあるまいし、そんなわけないだろう」
興味津々といった声や、畏怖の視線を受けながら、私は食堂内を見回した。
「……今日からお世話になります。クロウ・エ・ローヌ・エルミタージュと申します。宜しくお願いします」
目立ち過ぎないように、低い声で控えめに挨拶をし、一礼した。
すると、半数に満たない数の拍手と歓声が。残りは面白そうにこちらを観察する者。後は、同じように新人らしき若い男女が三人ほど寄ってきた。
「宜しくお願いします、クロウさん」
「あ、あの、バルザック様に勝ったって、本当ですか?」
十五、六歳に見える少年が目を輝かせながら尋ねる。それに答えようとすると、隣に立つ同年代らしき少女が腰に手を当てて口を開いた。
「バルザック様が負けるわけありません。入団試験の為にかなり手加減をしてあげたのでしょう。恐らく、マディラン殿が負けたのは事実でしょうけどね」
怒ったように、少女はそう口にしてこちらを見上げる。
なるほど。どうやら、少女はバルザックに強い憧れを持っているらしい。私は顎を引き、真っ直ぐに目を見て答える。
「勿論です。バルザック様の剣は私などより遥かに高みにあります。偶然、良い結果を手繰り寄せることが出来ただけですよ。これから王都騎士団で一人前の騎士になれるよう、精一杯の努力をもって自らを鍛えていきたいと思っています。良かったら、ライバルとして頑張りましょう」
そう言って微笑み、片手を差し出してみる。
すると、少女はかなり戸惑いながらも、恐る恐る手を出して握手をしてくれた。
「……わ、分かっているのなら、何も言いません。年齢は下かもしれませんが、我々はこの寮の先輩ですからね? 騎士として、規律と上下関係は守らねばなりませんよ?」
「勿論です。宜しくお願いします。先輩」
「な、なんで頭を撫でながら言うんですか!? 敬ってませんよ!?」
「あ、申し訳ありません。思わず、妹を思い出して……」
謝罪しつつ手を離すと、少女はプイッと顔を背け、ぶつぶつと何か言った。
「ま、まぁ、別に良いですけど……でも、き、騎士の頭を撫でるなんて……」
怒りながら照れる少女に笑っていると、他の二人が乾いた笑い声を上げながら壁を指さした。
「あそこに札がありますよ」
「掛けて食事をもらいましょう」
そう言われて、私は目を細めて頷く。
「ありがとうございます。実は、もうかなり空腹で、倒れそうでした」
軽口を返すと、二人は顔を見合わせて笑ったのだった。
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