その8 ~治らないゲーム依存性
酷暑の夏も終わり、秋が深まってきた。
しかし拘置所の中は灼熱地獄が和らいできた程度で何も変わらない日常だ。
相変わらず及川はトドのように寝そべるだけだ。
己が殺した3人の女の子に対する罪の意識や反省、冥福を祈って少しでも供養しようと言う気が無い。
「鬱だポン、寂しいポン」と意味不明な独り言を壊れたジュークボックスのように繰り返して呟くだけだ。
拘置所では死刑確定者に定期的にテレビを視聴させている。心身の安定が理由だ。
その時間に放送されている番組を見せる拘置所もあれば、映画や予め録画しておいたアニメに時代劇やドラマ等を見せる拘置所もある。
テレビが置いてある空房に連れていく拘置所が有れば、俗に言う「テレビデオ」を房の中に入れてコードリールで電源を取ってビデオを見せる拘置所もある。
及川はゲーム機を繋いでゲームがしたい、と言うが流石にそれは許可されなかった。
元々及川はゲーム依存性でニート時代は1日10数時間もゲームし続けてそれをYouTubeに配信していた程だ。
無論、ソフトメーカーには無断で配信したりメーカーから配信禁止されているゲームを配信しては通報されて警告も何回か受けていた。
駄々をこねる及川に困った刑務官は上司に報告し、協議の結果及川には今後テレビ視聴をさせない事にした。
自ら死刑確定者への権利であるテレビ視聴の機会を消し飛ばしてしまったのでこれまた滑稽な結果となった。
死刑確定者への権利は未決より良い部分もある。
テレビ視聴が制限は有るが出来たり、風呂の順番も比較的早いとか、未決や懲役だと完全な違反行為が大目に見られたりする。
あと定期的に教誨師がやってきて宗教的な教えをしたりもする。普段話す相手が居ない死刑確定者にとって教誨師は話す機会を与えてくれる貴重な存在でもある。
もちろん宗派は幾つかあり仏教やカトリックやプロテスタント、神道などを選ぶ事が出来る。
中にはカトリックやプロテスタントを選びそのまま洗礼を受ける者も多い。そして執行までの日々の精神的な支えになるのだ。
だが性欲に支配されている及川には宗教は無意味だった。
刑務官の目を盗んでは自慰行為にふけり、性欲の捌け口を求める言動ばかりである。
刑務官の中には法務省にはさっさと及川にだけは執行命令書を作ってくれ、とぼやく者が出始めた。
刑務官は収容者を立ち直らせる使命感で職務に就いている者達ばかりで死刑執行は可能な限りやりたくないと思う者達ばかりである。
だが及川にだけはさっさと執行して片付けてしまいたい、と言う気持ちが芽生えてきた刑務官達が複数出てきているのも事実である。