表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎の魔女と白銀の竜  作者: paparatchi
8/12

第七章 決戦前夜

 ドンドンと、宿の扉を叩く音でテュールは目を覚ました。


 眠い目をこすりながら扉を開けると、そこには、息を切らした女性海士官の姿があった。


「アーシェス・・・?どうした?」


 まだ日が昇って間もない。補給完了にもまだ丸一日の猶予があると言うのに、彼女の差し迫った表情は尋常ではないことが起こった事を彷彿とさせた。


「本国が同時多発攻撃を受けました。竜による空襲です。エリアス、クェンサー、リーガル諸都市の軍事施設が壊滅。エリアスとクェンサーに至っては港湾施設も打撃を受けたと・・・」


 敵の動きは、予想外に素早かった。


 本国は陸上戦力をリアニスに近いアラカドに集中させるべく動いていた。対岸の戦力をリアニスに向けるには、エリアスを経由しなければならない。


 折しもエリアスには、旧式の戦艦をジークフリートの護衛につけさせるように伝書を飛ばした矢先の出来事。


 これは拙い。


「アラカドに集結した陸上部隊の数はどれくらいだ?」


「昨日、グリフォン陸将からの伝書で、一万二千と・・・」


 敵戦力と同数の二万に満たない。港湾施設を復旧させ、兵力が輸送できるようになるまでには時間がかかる。かなり不利な状況に追い込まれている。


 テュールの脳裏に、敗北の二文字が散らついた。


 竜騎士とは、かくも戦局を容易に左右できるものなのか。


 敵はカロムに集結しつつあるという。こうなったら、アラカドに集結した全軍をカロムに差し向け、海と陸の両方で挟撃作戦に出るしかない。


 挟撃というには、あまりにも拙すぎる戦力ではあるが。


「全軍をカロムに向けるように、アラカドのグリフォン陸将に伝書を飛ばしてくれ。正午までに頼む。我々は補給が終わり次第、カロムに向けて転進する」


「わかりました」


 アーシェスは、小走りに船の方へ戻って行った。


 本当は、すぐにでも出港しなければならない。しかし、これから先、満足に補給ができないのもまた事実だ。


 流石に最新鋭の甲鉄艦とはいえ、敵の全軍を相手にして保つのかどうか。

 弾薬の数や、自分が出撃した後の操艦など、不安は尽きない。


 テュールは溜息をついて、部屋の扉を閉めた。



 ◆

「何だ、お前らだけか」

 

 ジェンナーは敬礼を解いて船室の扉を閉めた。


 カロムに集結した帆船艦隊の旗艦に設けられた、竜騎士用の待機室には、既にブリッツとジェイルが集まっていた。


「ご苦労だった。隊長が来るまで待機だ。隣の部屋にハンモックを用意してもらっている」


 ジェイルはそう言うと、開いていた新聞に目を落とした。

 エリアスでの索敵に時間をかけすぎたか。自分が殿しんがりになってしまった様だ。


「ゼルカは?」

 

 ジェンナーはブリッツと同伴であった筈の男が居ないことに気付いた。


「リスエット。狸のお出迎え」


 ブリッツが、テーブルに出されていたビスケットをかじりながらそう答えた。


「働き者だな。点数稼ぎか?」


「《《安全飛行》》なんだよ。一緒に飛んでると眠たくなる」


 欠伸をしながら答えるブリッツを見て、ジェンナーもテーブルの傍の座席に陣取った。


 ビスケットに紅茶にラム酒、乾燥されたフルーツが並んでいる。これから戦に出ると言うのに、大した待遇だ。


 海上戦力である第二軍には、かなり豪勢な飯が出ると言う噂だったが、どうやらそれは嘘ではないらしい。


 尤も、紅茶は真水が手に入る今のうちだけなのだろうが。


「紅茶で割ると美味いぞ」


 ブリッツがラム酒を勧めてくる。

 

 本来、三軍では任務中の飲酒は禁止だが、二軍は真水が手に入らない事情から黙認されている。


 今は待機中。カロムの艦隊も、リヴァレンスの『ヒツギ』の動きに合わせているので、今後、数時間で動き始めるとは考えにくい。作戦開始は少なくとも明日以降だ。


 酒は二軍からの差し入れであるから、手を出しても差し障りはないか。


 ジェンナーはラム酒のボトルを開け、グラスに注ぎ始めた。


「少佐さんよぉ。隊長から連絡はねぇのかよ」


「リヴァレンスに向かったそうだ」


 ジェイルは新聞に目を落としたままで答える。


「リヴァレンス?赤髪でも迎えに行ったのか?隊長も甘すぎるな」

 

 グラスには赤い液体がそろそろと注がれていく。独特の香りが、鼻孔をくすぐる。


 ストレートで飲むつもりか?


 ラム酒がグラスの半分を超えたところで、ブリッツが怪訝な顔をした。


「ライエは今度の任務から外されるそうだ。『炎の魔女』の生け捕りは失敗した」


 酒を注ぎ終わった頃合いで、ジェイルは言った。


「マジか。またアレと戦わねぇといけねえのか」


 魔法使いに対する対策は未だにない。戦力はこちらに分があるとはいえ、これでは太刀打ちできるかどうかがわからない。


 赤髪め、しくじったか。


「そうなる。明日の朝にジェヴォーダン閣下がゼルカの便でこちらに来る手筈になっている。ブリーフィングはその後だ」


「俺たちには蜻蛉帰りを命じておいて、いいご身分だよな」


 ジェンナーは舌打ちをしながらラム酒を口に運ぶ。

 ラム酒の甘味と辛さがガツンと喉を焼いた。これは、なかなか効く。


「あまり飲みすぎて作戦に支障を来すなよ」


「わぁってるよ、畜生」


「先に休む。貴様らも適当なところで休んでおけ」


 ジェイルは新聞を畳んで立ち上がり、隣の部屋へ入っていった。



 ◆

『君は今回の総攻撃から外れ、マクラタカンへ赴いてもらう』

 

 ライエの脳裏に、何度もその言葉が反芻される。


 畜生、やはり、引き摺ってでも連れてくるべきだったんだ。


 二軍と三軍が連合して総力を以って今回の作戦に当たるという。あの黒い船の行く先は『海底』だ。もう二度と、彼女に会うことはない。


 ライエは歯を食いしばって拳を振り下ろした。

 

”痛い”


 カノンが、気怠そうにそう言った。


”何があったかは聞くつもりはないが、あまり酷いと食うぞ”


”契約の満了までは、命がけで俺を守る義務があるんじゃなかったか?”


”あぁ。全く面倒だ。命を差し出した者に命で答えるなどと”


 カノンは首を振ってそう答えた。遥か昔、最初に竜と契約をした者から脈々と続く関係。何処の誰が言い出したかはわからないが、迷惑な話だと竜は思った。


 太陽がライエの目に染みた。既に日は南中に差し掛かっている。


 夜の間は寒かったが、日が昇ってくると同時に、段々と暖かくなってきている。この分だと、地上はかなり暑いだろう。


 リヴァレンスの宿で少し眠ってはきたが、二時間ほどしか寝ていない。

 少し、苛立ち過ぎている。


 ライエは深呼吸をして、眼下に広がる砂漠を眺めた。

 もうそろそろ、マクラタカンが見える頃だ。

 

”お前も随分と取越し苦労をするんだな”


 唐突に、カノンがそう話しかけた。


”何の話だ?”


”アロウの騎手さ。あの竜が契約を更新したという話は聞いていない。随分と幼い騎士だとは思っていたが、成る程、あれは娘か。アロウめ、人間に一杯食わされたな”


 話が見えない。


”十五年ほど前の話だ。俺達があいつらと戦ったのは”


 十五年前、コンスルでは大きな内戦があったと話に聞いた事がある。


 若い竜騎士と、魔法使いの女のタンデムライド。竜騎士の操竜術は見事であり、タンデムである事を感じさせない程の俊敏さ。魔法使いの放つ魔法は、見た事がないほど強力だったと、カノンは話した。


”連中は『赤い衝撃(レッドインパルス)』全騎を相手にしながら、アロウと共にそれを振り切った。複座でだ。あの戦いで死んだ竜も居る。その娘が相手とならば、味方の心配をする方が先決だと思うぞ”


 そんなに、強いのか?


 とはいえ、それはあくまで、彼女の両親の話。

 しかし、現にツァイスは、彼女によって堕とされている。


 正直な話、ロゼには、生きていてもらいたい。

 かと言って、竜騎士団が負ければ良いというわけでもないが。


”俺たちも、戦わなければいけないということか?”


 ライエは、竜に問う。


 ロゼの連れのコンスル軍人が首から下げていたのは、戦利品として敵に奪われたツァイスの竜、サーベルのものだろう。


 ともすれば、敵は二騎。

 四騎の竜騎士を振り切ってマクラタカンに到達できるものだろうか。


”どうだろうな。兎も角、準備は怠らないことだ。見えたぞ”


 カノンの視線の先を追うと、砂漠の真ん中に青々と茂った椰子の林が見えてきた。

 林の真ん中には湖が水を湛えており、その傍に街が広がっている。


 リアニスの南端の軍事拠点。要塞都市、マクラタカン。


 リアニス第一軍、南方防衛旅団の基地が見える。中でも砲兵科の練度は秀逸で、指揮官のエメット・ガルシア大佐は『砂漠の龍』の異名を持つ。


 カノンはゆっくりと、高度を下げ始めた。


 その時、ドォンと、大砲の音が鳴った。



 ◆

「出航を早める?」


 時刻は正午過ぎ。ジークフリートに戻った私は、食堂で受け取った昼食をテーブルに置いたところでテュールにそう聞き返した。


「あぁ、補給完了と同時に、リヴァレンスを出航する。敵が動き始める前に」


 既にコンスルの主要な都市がリアニスの竜騎士による空襲を受けたと聞いている。

 彼らの最後の狙いは恐らくこの艦であることに間違いはない。


 カロムに集結を始めた敵の海軍が、リヴァレンス近海を囲み始める前に出航し、行方を撹乱しなければ、たちまち沈められてしまうのは目に見えていると、テュールは話した。


「艦はカロムを睨みながら南下させる。兎も角、敵を叩くのが最優先事項だ。だが」


 テュールは昼食を食べながら話を続ける。


 このスパイスの効いたシチューのような食事は、よく出されているが、私はこの船に乗るまで食べた事がなかった。


 船を降りる前にレシピを控えたいと思うぐらい美味しい。


「君に戦いを強制するつもりはない。ここで降りてもらっても、構わない」


 テュールは私の目を見てそう言った。


「今回の戦いは総力戦だ。場合によっては、艦が撃沈される可能性もある」


 突然、そんな事を言われても困る。

 私は、まだやらなければならない事があるというのに。


 そう反論しようとした矢先に、テュールが言葉を足した。


「君の母親は、マクラタカンに居る。リスエットの南、ナミノ砂漠の中心にある軍事要塞だ」


 我々が助けてあげられるのはここまでだ。一人で彼女を助けるか、艦と行動を共にするか。あとは自分で判断をすると良いと、テュールは話を締め括った。


 何というか、ずるいと思う。


 今まで私を振り回すだけ振り回しておいて、突然、放り投げる様に私に判断を求めるなんて。


「大人はいつもそう。強制するつもりはないって言ってる癖に、そんな事を言われたら、残らざるを得ないじゃない。私にナージャやアーシェス、他の船の人たちを見捨てて逃げることなんて、出来ないよ」


 私は、怒りを抑えながら、テュールに言った。


 アラカドの空襲で、この船が攻撃を受けた時、何人もの船員が死んでしまったのを見ているのだ。そんな選択ができるわけがないのは、彼だって知っている筈なのに。


 そもそも、敵の軍事要塞に一人で乗り込むという話自体も、無理な話だ。

 テュールは確実に私が船に残る選択肢しか選ばない事を知りながら、私に判断をさせたと言っていい。


 未成年の私を、戦場に留まらせる口実を作るには、そうせざるを得ないのだろう。だからと言ってそれは言い訳だ。そこに私の意思は介在できないのだから。


「・・・すまない。素直に戦場に残ってくれと言う事ができたなら、どれだけ楽な事だろうとは思うが、君を戦いに巻き込まざるを得ない現状では、こう言うしかないんだ」


 テュールは俯いて、席を立つ。


「本当に、セプテインには、合わせる顔がない」


 去り際に、彼はぽつりと私にそう言った。



 ◆

「竜が来るって聞いてたからな。うちの人間の演習には好都合だったんだ。おかげで目が覚めただろ?」

 

 リアニス第一軍、南方防衛旅団。


 十年前、南の蛮族との戦いに勝利した英雄、『砂漠の龍』ことエメット・ガルシアは、ゲラゲラと高笑いをしてライエにそう言った。


 着崩された軍服に、あまり整えられているとは言えない金髪。無精髭を生やした大男。軍人というより、まるで博徒のような印象だ。


 全く悪戯が過ぎる。


 空砲だと気づくのに、時間がかかった。


 必死でバンクしても撃ち続けて来るので、回光信号を放ったら、『演習だから付き合え』という信号が帰って来たので安心はしたが、本当にこちらが火を放っていたらどうするつもりだったのだろう。


 エメットは満足した様子でタバコに火をつけた。


 空砲による演習とはいえ、弾道を考えれば、ライエは数発被弾した。


 凄まじい砲撃だった。南方旅団は竜を落とすことが出来る唯一の地上軍であると、兼ねてから噂は聞いていたが、どうやら嘘ではないらしい。


「いやぁ、助かった。竜というものがどういう動きをするのかは、実際に竜と戦ってみなければわからないものだ。おかげでいい経験ができた」


「こちらこそ。大砲にあんな使い方があるとは思っていませんでした。被弾したのは慢心だったと思います」


「向上心があるやつは好きだ。ようこそ、マクラタカンへ」


「大佐」

 

 ノックをする音と同時に、ドアの向こうから女性の声がした。


「例の、政府疎開の件、どうしますか?」

 

 部屋に入ってきた金髪のスーツ姿の女性は、少し慌てた様子でエメットを見た。


「新兵の対応中だというのに」


 エメットは面倒そうにタバコを消して席を立つ。


 リスエットの政権がマクラタカンに疎開をしたいと打診してきたのはもう数週間も前になる。


 アラカドの空襲以降、政府は戦々恐々とした様子で幾度かマクラタカンに伝書を飛ばしてきた。


 受け入れの準備等々の問題で、しばらくエメットも会議漬けだった。


 何しろ、自身の戦力の五倍の相手に宣戦を布告してしまったのだ。


 継戦能力に乏しいリアニス軍は、竜騎士を用いた電撃戦で、早期に決着を付けたかったらしいが、如何せん事はそう単純ではない。


 敵から奪った魔法使いも、準備に時間がかかっており、実戦配備にはまだ程遠い状況。


 業を煮やした連中は、ここマクラタカンを最終決戦の戦場にしようと考えている。


 三軍から融通された竜騎士と、魔法使い。


 確かに現状のリアニス軍から融通できる戦力としては及第点だが、カロムで防ぎきれなかった軍をここで迎え撃とうというには、些かに不安の残る戦力ではある。


 にも拘わらず、政府は、早急にマクラタカンへの疎開を急ぎたいという。


 たった今竜騎士が届いたばかりだというのに、都会の爺様達は、早々にこの場所に寝ぐらを構えるつもりでいる。


 八十万人の、リスエット市民を見捨てて。


 エメットはため息をついた。


「とりあえず、塹壕掘りの要員を増やそうか。どうも、あいつらは砂漠の穴倉でキャンプをしたくてたまらないらしい。明日の夜明けには御出でになるだろうから、ランプや食料の手配も頼む」


 エリヤは、承知しましたとだけ答えて足早に去って行った。


「そういう事だ。えーっと・・・」


 エメットはライエの方に向き直った。


「ライエ・エル・ディナン少尉です」


「お国のお偉方は、市民の命よりも自分たちの命惜しさに、このマクラタカンに立てこもる算段だ。連中に引導を渡してやりたいところだが、立場上そうもいかん。残念ながら、俺も敵の事については情報が少ない。この状況についてどう考える?」


「敵は存外に人道的です。融通できる兵力も、現状では我が方に比べれば少ないので、守りのない都市に砲撃を加えるという暴挙には、おそらく・・・」


「なるほど。第一線で戦ってきた人間にしかわからないものだな。敵がカロムの艦隊を無傷で抜けるとも考えにくい。ということは、リスエットは一時放棄してもさしたる問題にはならないか・・・」


 エメットは何かに納得したように頷いた。


 ・・・


 ライエは士官室を後に、中庭へ出た。


 既に日が傾いてきている。

 冷房が効いている室内とは違い、ここは思いのほか暑苦しい。


 オアシスであるから、外界に比べれば、まだ幾分かマシなのだろうが、汗が吹き出して止まらない。


 上着を脱ぎ、ベンチに腰をかけて休もうとした時。


「隣、いいですか?」


 聞き覚えのある女性の声が、ライエの耳に入ってきた。


 淡い髪色、雪のように透けた白い肌。その肌には、黒い刺青のような痣がある。

 見覚えのある端整な顔立ち。

 

 人形のような佇まいの女は、ゆっくりとライエの隣に腰をおろした。


「カーネ・・おばさん?」


「はい?」


 カーネは自分に声をかけた、赤い髪の少年の方をまじまじと眺めた。

 どこかで会ったことがあるのだろうか。自分には全く覚えがない。


「俺だよ、ライエだよ!ライエ・エル・ディナン!アリアンヌの酒場の息子だよ!ロゼの友達の!」


「ごめんなさい、人違いでは?」


 女はまるで見知らぬ人間に声をかけられ、困ったような様子で、首を傾げた。

 そんなはずはない。見間違えであるはずがないのだ。一体、何がどうなっている?


「カーネさんお薬の時間ですよぉ」


 少し間延びした男の声がする。

 薬、まさか、記憶を・・・?


「一体どういうことだ?」


 ライエは、薬を運んできた小太りの男の胸ぐらに掴みかかった。


「わわっ何するんですか!」


 男は思わず水差しの乗った盆を手放した。

 カーネの薬が、中庭の土にこぼれ落ちる。


「記憶を封じる薬か!そんなものを飲ませて、彼女をどうするつもりだ!」


「早とちりをしないでください!これは、魔法使いに必要な霊薬です!」


「言い訳をするな!彼女は記憶を失っている!拷問にでもかけたのか!なんて非人道的な」


「記憶を封じたのは、彼女自身だ。クレイ、許してやれ。ライエ君も悪気があったわけじゃない」

 

 悶着をしていたクレイとライエに、エメットが声をかけた。


「拷問があったのは恐らく事実だ。リスエットから彼女を奪い取ったときには既に彼女は記憶を失っていた。恐らく、拷問に屈しないように、魔法の力で彼女自身が記憶を消したのだ。ロゼ・バークガッツを守るために」


「申し訳ございません。説明が不足していたことには、お詫び申し上げます。あなた方がお知り合いだと知っていれば、先に言っておいたはずなのですが」


 傍に立っている秘書が、ライエに深々と頭を下げた。

 ライエは掴んでいたクレイの襟をゆっくりと離した。


「ゲホッ、たまんないっすよ。僕、エリヤさんの代わりで薬持ってきただけなのに、とばっちりを受けてるし・・・昼間はこの人の竜に思いっきり吹き飛ばされるし、踏んだり蹴ったりです」


 そう言われてライエは思い出した。この男、演習の際に居た竜騎兵だ。


 銃をこちらに向けてきたところに、急降下をして、それから上昇したのでよくは覚えていないが、恐らくそのときに落馬したと思われる。


「事情も知らずに君を殴るところだった・・・すまない」


 ライエは深々と頭を下げた。


「事情も知らずに僕を吹き飛ばしたことも謝って欲しいっす」


 小太りの男はそう言って、水差しを片付け始めた。



 ◆

 明け始めた夜の帳の中を、船首は白波を立てて進んでいく。 

 朝靄がかかった海原が、時間とともにその全貌を表した。


 随分と、濃い霧だ。


『補給完了と同時に、リヴァレンスを出航する。敵が動き始める前に』


 テュールはそう言って、艦橋から出てこなくなった。

 船の中の者は皆、忙しない様子で、各々の準備に勤しんでいる。


 とても、心細い。


 何が始まるのだろうかと言う不安と、何かしなければならないのだろうかと言う焦燥感が私を包む。


 蚊帳の外にいる感覚が否めない。


「眠れないのかい?」


 一人甲板に佇んで居た私に、ナージャが声をかけてきた。


「眠るのも仕事のうちだよ。慌ただしいのは、艦砲を扱う連中と航海に関わる連中さ。糧食班も忙しいけどな」


 ナージャはそう言って、私の隣で海の方を眺めた。


「あんたは今は眠りな。どうせ嫌でも、あとで叩き起こされるんだ。竜がいなきゃ、勝てない戦らしいからね」


 潮風が私の髪をかきあげる。

 白い波がぷつぷつと顔に当たった。


「ナージャは、リアニスについて、どう思う?」


 私は、海を眺めたまま、彼女にそう訊いた。


「敵だ。今はな。リスエットに行ったことはあるかい?」


 私は首を横に振る。


「アタシは20年前に行った。新婚旅行でな」

「結婚してたの?」


 思わず振り向いた私を、白衣を着た、色黒の骨太の体をした女性は少し睨んだ。


「当たり前だろ?失礼な。リスエットは綺麗な街だぞ?どの建物も白塗りの壁でな。政府庁舎が全て尖塔なんだ。あれが立ち並んでいるのを船からみるとまた絶景だよ」


 海から眺めた町並みは正に巨大な白い城。白波が立ち、鴎が飛び交う中で彼女はその青と白のコントラストを見て、美しさに思わず息を飲んだという。


「敵の拠点だとはいえ、あの街は絶対に焼き払いたくないもんだ。戦争が終わったら行ってみな。尤も、残っていればの話だが」


 ふと、私の脳裏に、燃えゆくアラカドの街が蘇った。彼らと同じことは絶対にしてはならない。悲しみや憎しみの連鎖は、ここで断ち切らなければいけないのだ。


「艦橋から甲板。前方に竜影らしき物を発見した。対空戦闘用意。要員でない者は甲板から退避。ロゼ、君は笛を用意してくれ」


 伝声管からテュールの声がする。


「だから眠っておけと言ったんだ」


 ナージャは頭を掻きながら医務室へと戻っていった。


 私は首にかけられた小さな笛に手を伸ばす。


 警報音が鳴り響く。戦いは始まってしまった。



 ◆

 ゼルカは左へ手綱を引いた。すぐさま、黄金色の竜は左側へ回頭する。


「何事だ?」


 急に竜が激しい動きを始めたので、後ろで眠っていたジェヴォーダンが目を覚ました。


「前方に艦影と排煙を確認。『ヒツギ』だと思われます。この空域から離脱します」


 焦りを抑えながら上官にそう報告したゼルカは、血の気が引いた顔で眼前の艦を見た。


 霧の中を飛んでいたので、敵影の発見が遅れてしまった。

 援軍のない状況下での接触は避けたかった。果たして、逃げ切れるか。


”竜笛音だ。アロウとサーベルの笛だろう”


 チャリオットが言った。敵も、竜を出すか。


 こちらはタンデム。逃げ切れる保証はないが、同乗しているのは司令官だ。絶対に落とされるわけにはいかない。


”出てきた”


”全力で逃げるぞ”


 ゼルカは後方に目をやった。竜影は二騎。アラカドでライエが交戦したという白銀の竜と、奪われたツァイスの翡翠色の竜、サーベルだ。


 全力でロールさせて敵の放った火球を躱す。

 火球が彼の耳元を掠める。

 ふわりと、熱い風が頬を撫でた。


「なんとかならんのか!なんとしてでも、敵を振り切れ!」


 ジェヴォーダンが叫ぶ。

 戦闘経験のないこの上官は、慌てふためいてゼルカにしがみつく。


「落ち着いてください」


 ブルブルと震える狸を宥めて敵を眺む。


 速力は互角、と言いたいところだが、チャリオットも自分も、空襲から蜻蛉返りをした後でリスエットから飛び続けている為、正直なところ、疲弊している。


 加えてのタンデム。如何せんペイロードが重すぎる。逃げ切るのは不可能に近い。

 再び火球が後ろから放たれる。

 ゼルカは再び黄金色の竜をロールさせて、それを回避した。


 敵はどんどんと差し迫ってくる。


 二騎編隊エレメントを組んだ敵はロッテ戦法を用いている。

 攻撃役の長騎、サーベルにより火球は放たれ、その僚騎はやや後方、高い位置で、掩護、哨戒を行う。


 恐らく、こちらが何か違う動きをすれば、白銀の竜も動くに違いない。


 敵の操竜術の練度が、以前に比べて格段に高くなっている。


 このままでは、拙い。


 ゼルカは、チャリオットを回頭させた。


 せめて一騎。


 一騎を墜とさなければ逃げ切ることはできない。



 ◆

 黄金色の竜が回頭を開始したところで、テュールは追尾をやめて上昇を開始した。

 敵の竜に対し、優速であったサーベルは、高度の見返りに一旦速度を失う。


 そこから、敵の頭上に転針し、急下降。

 重力を得た加速で翡翠色の竜は、黄金色の竜の背を捉えようとする。


 ハイ・ヨーヨー。


 目標騎に対して自騎が優速である場合に有効な戦闘機動コンバット・マヌーバで、サーベルは敵に目掛けて、火球を放つ。


 しかし、敵とて愚かではない。


 回頭と同時に上昇して、火球を躱すと、私に照準を合わせて来た。


 テュールから見れば一直線。敵が避ければ、火球は私に当たってしまう。

 敵は恐らくそれを読み、後ろからの攻撃がない事を確認して、私に火球を二発浴びせてくる。


 私は咄嗟にアロウをロールさせてそれを躱した。

 

 ヒヤリと、体が冷たくなった。


 訓練では、何度もロールはしている。

 しかし、これは演習ではない。実戦だ。私の一挙一投足に、自分の命がかかっている。


 ゴクリと、唾を飲んだ。

 

 敵もまた、同じ人間。恐らくは、同じように私を恐れ、己れの行動に命を預けている身である筈なのだ。


 私に言わせれば、敵の攻撃から身を守るために。

 敵に言わせれば、いつ攻撃してくるかわからない私から身を守るために。


 私は本当に、この竜を墜とさなければならないのだろうか。話し合いで解決できるのなら、是非そうしたいのに。


 しかしながら、そんなことを考える隙さえ、敵は与えてはくれない。


 三発目の火球が、私に目掛けて飛んでくる。

 私は、それを躱しながら、次第に麻痺していく自分の感覚に恐怖した。


 相手を殺さなければ、現状を打開できないという結論。


 ―――― 最も辿り着きたくなかった答えが、そこにあった。


 アロウを降下させて、敵の竜の腹側に回る。急降下に伴い、私の体がふわりと宙に浮く。


 海面すれすれのところで、アロウは翼を広げる。潮の飛沫がふつふつと舞い上がった。


 重力が全身にかかる。息が詰まる。背骨が砕けそうだ。

 衝撃を堪えながら、私は上空の敵を見た。この場所からなら、狙える。

 

 真下から炎を念じて撃つ。途端に、黄金色の竜の翼がブスブスと燃え始めた。


 ―――――――――――― !!


 敵の竜は金切り声を上げて炎を消さんと踠いていたが、魔法によって起こされた炎は簡単に消えることはない。


 翼の炎は次第に全身へ燃え広がり、空中の竜を包んでいく。


 目を背けたくなる。


 ドォンと音が鳴った。

 宙で出鱈目に翼を振り回す敵に、サーベルの火球が直撃したのだ。


 ―――――――――――― !!


 炎に包まれ、錐揉きりもみ状態になった竜が落ちてくる。

 ザバンと、私の背後で海面が大きく爆ぜた。


 ”撃墜を確認した。あれでは恐らく竜も死んだだろうな”


 上昇しながら、アロウは私にそう言った。

 言葉が出なかった。グシリと心臓が締め付けられる。


 人殺しを正当化するつもりはない。だけれども、生き残るためには、こうするしかなかったんだと、自分に言い聞かせなければ、やっていられない。


 アロウはサーベルを追いかける形で空に上がり、ランデブー飛行に入った。


「カロムまであと20海里もない。戦闘の音が届く範囲だ」


 テュールはそう言って、周囲を見回した。


 この霧だ、仮に近くに艦隊がいたとしても、かなり近付かなければ判らないだろうが、音は違う。


 敵は用心深い。恐らく今の音で、状況を整理し、必ずこちらに向かうだろう。


 ジークフリートは、木造艦に比して大砲の射程が長いそうだが、この霧ではその優位性も相殺されてしまう恐れがある。


 つまり、ここに留まれば、間違いなく敵の艦隊の餌食になってしまう。


「付いてきてくれ」


 私が頷くと、テュールは西の方へ翡翠色の竜の翼を返した。


 翼の先は、カロム港。

 もう、後戻りはできないのだと言う事を、いやでも反芻はんすうさせられる。


 私は、唇を噛み締めてサーベルの翼を追い始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ