第三章 アラカド空襲
扉が締め切られ、照明が落とされた医務室。
ナージャ・イングラムと私、二人きりになったその部屋で、ナージャは蝋燭に火をつける。
「こうなることを見越してのことだったんだろうね。艦長がこの薬を用意させたのは」
ベッドの上に横たわった私を見て、彼女は蝋燭に粉薬を振り掛けた。
赤く燃えていた炎は、薬が降りかかった瞬間、黒い炎に姿を変える。
「黒い・・・」
「これが、悪魔の炎だ。肩を出しな。そろそろ始めよう」
私が左袖を捲りあげると、ナージャは針のようなものを黒い炎で炙り始めた。
体への負担を小さくするために、拳大の呪印を肩に施すと言う説明を受けた。
施術内容も訊いてはいるが、実際に針を見ると、気後れしてしまう。
あれが、刺さるのか。
私は針先を見ないように目を瞑った。
肩の先に炙られて熱くなった針の温度を感じる。
怖い。
それが正直な感想だった。
「覚悟しろ。麻酔が効かないから、かなり痛いぞ」
!!
炙られた針が刺さる感覚と、悪魔に皮膚を食い潰される感覚が同時に肩を嬲っていく。
想像以上だ。母は体の半分に呪印があったが、いったいどれほどの痛みを耐えたと言うのだろう。
っ!!
針を刺されるたびに嗚咽が混じる。
額から玉のような汗が落ちていく。
肩の中で悪魔が暴れているのではないかと言う錯覚にとらわれる。
何が『お母さんを助けたい』だ。この痛みも知らずによくもそんな口を聞けたものだと過去の私を恨めしくさえ思う。
っっ!!
あと何度肩を突かれれば終わるのだろう。今すぐ、やめてくれと叫び出したかった。
もう、何もかもを投げ打って、この部屋から出たい。
そんな思いが頭の中を駆け巡る。それでも、私は、逃げるわけにはいかなかった。
・・・
意識が戻った時には、すでに医務室には照明が灯され、ナージャは傍で違う仕事をしていた。
「気が付いたかい?悲鳴もあげずに、よく頑張ったね」
ナージャは目覚めた私に気づくと、そう言って私の頭を優しく撫でた。
肩にはまだ焼けるような痛みが残っていたが、先ほどの痛みほどではない。
「安静の必要はないが、しばらくは養生してもらう。これが薬だ。服用は・・・」
「一日一回。闇夜に二回?」
「そうだ」
お母さんの薬と同じものというわけか。
「その薬を飲んでも、今より痣が濃くなるようなら、少し調合を変える。薬の調合を教えるように言われているから、あんたもしばらくこの艦と行動を共にしてもらう」
元より帰る家はもうない。お母さんが助けられるまでの間は、いずれにしても私はそれ以外に道がない。
「とはいうものの、もう、帰投だ。久々に丘に上がれるよ」
アラカドに到着するのは二晩だったはずだが、丸一日眠っていたのかと、そこでようやく理解した。
船足が徐々に遅くなるのが、船に乗っていても良くわかる。
帰投、というが、私にとっては別の土地だ。そもそも降りるあてがあるわけじゃない。
とはいえ、乗艦している者は一部を除いて全員下艦するという。
使えもしない穀潰しが乗艦し続けるわけにもいかないので降りなければならないが、如何せん降りても行くあてがないのでは話にならない。
そう話していると、その点については問題はないと、テュールが割って入って来た。
「なんだい?お前の宿にでも泊める気か?確かにこの子は美人になるだろうが、まだ若すぎるだろう」
「茶化すな。総督府の近くにセプテインの実家があるんだよ。今は誰も住んでいないけどな」
「お父さんの?」
「興味、あるだろ?」
お父さんは、私が生まれる前に死んだと訊いている。
どんな顔をしていて、どんな性格の人だったのかも、想像ができない。
ただ、お母さんが彼の話をする度に、懐かしそうに顔を綻ばせるものだから、優しい人であったのだろう。
◆
「一応、軍の予算で維持だけはしてきた。掃除はされているし、水道も通っていると思うが、何か足りないものがあったら言ってくれ」
そう言って、彼は白塗りの扉を開いた。
船から降り、港からここまでさして時間は掛からなかったが、アラカドは目が回るほど大きな街だった。
石畳で舗装された大きな道路には辻馬車が走り、行き交う人々の数も私のいた町とは段違いに多い。
そこかしこに露店が立ち並んでいて活気がある印象だった。
流石に、コンスル一の貿易都市である。
市内の喧騒を抜け、少し奥まった裏路地に佇んでいる背の高い建物の一角が、お父さんの実家だった。
中に入ると、浅葱色のカーペットと木製の家具が置かれた、暖炉のあるこぢんまりとした内装が目に入る。
椅子が三脚あったので、三人暮らしだったのだろうと想像がつく。
暖炉の上には写真が点々と置かれていて、どれも白い額縁に収まっていた。
父母と子の写った写真が数点ある横に、成長した息子と思しき軍服姿の男性が一人で写っている写真が目に止まる。
若くて整った顔立ち。どこか見覚えのあるその目は、凛としていて美しい。
軍服の襟元に光る首飾り。これは、竜笛だ。
「こうしてみると、やっぱり父親似だな。君は」
思わず写真を手にとって眺めていた私に、テュールが声をかけた。
白黒なので色までは判別がつかないが、確かに、顔貌をみれば何処と無く私に似ている気がする。
やはりこれが、私の父、セプテイン・バークガッツの写真。
にこりともせずに緊張した面持ちでカメラオブスクラを見ていたであろう青年に、ようやく会えたねと、心の中で呟いて、私は写真を元の位置に戻した。
◆
「現在、高度一万フィート。編隊は、順調に目標地点まで北上中。天候は晴天、至軽風。進路に雲はありません。あと十分で作戦空域に入ります」
渡り鳥のように、V字に隊列を組んだ七騎の竜。
その隊列の先頭を飛ぶ、群青色の竜に騎乗した竜騎士。
先導を任された副隊長のジェイル・レンは、懐中時計と小型の海図を見比べて、メガホンで各騎に報告した。
向かい風に煽られて地上に落とさぬよう、慎重に、竜の手綱に括り付けられた、フライトバッグに海図を仕舞い込む。
「了解。作戦開始と共に回光信号での伝達になる。総員ヘリオグラフ準備」
そのすぐ後ろを飛ぶ、黒い竜に騎乗した隊長、レイザー・ツォンは、報告を受けると、編隊全員に声をかけた。
「ボウガン、ヘリオグラフ準備よし」
―――― 群青色の竜に乗った騎士、ジェイルが返答する。
「ライフル、ヘリオグラフ準備よし」
―――― 赤褐色の竜に乗った騎士、ジェンナー・ガーランドが返答する。
「チャリオット、ヘリオグラフ準備よし」
―――― 黄金色の竜に乗った騎士、ゼルカ・ジンが返答する。
「サーベル、ヘリオグラフ準備よし」
―――― 翡翠色の竜に乗った騎士、ツァイス・ヴィッケルが返答する。
「スピアー、ヘリオグラフ準備よし」
―――― 菫色の竜に乗った竜騎士、ブリッツ・ヴァン・エイルが返答する。
五騎の竜騎士が隊長騎に返答した。
「カノン?」
レイザーはため息をついてメガホンをとった。
「ランスからカノン。ヘリオグラフの準備はいいかと聞いている」
「隊長、赤髪くんはしょげてるんですよ」
「イナカの町が燃やされて、父ちゃんと彼女のことが気になって、僕、作戦に集中できなぁい」
数名の騎士から笑い声が起こった。
「私語を慎め」
レイザーが笑っていた者達を諌める。
編隊の後方を飛ぶ、錫色の竜、カノンの騎士は新参なので、隊の中にあまり馴染めていないのは知っている。
今回の作戦に関しても、彼の郷里が敵の竜騎士の攻撃を受けた事に対する報復措置だという。
彼の中にもいろいろ思うところはあるだろう。隊のメンタル管理には十分に気を配らなければならない。
「カノン、ヘリオグラフ準備よし」
カノンに跨った赤い髪の竜騎士、ライエ・エル・ディナンは、フライトバッグに入っていた手の平ほどの大きさの鏡を肩に掛けて、そう答えた。
正直、朝のブリーフィングを受けてから、気が気ではなかった。
敵の竜騎士から攻撃を受けた町の名は、自分が幼少を過ごしてきた故郷だ。
ブリーフィングのあとで、新聞を確認をしたが、一面の大見出しになっていた。
『アリアンヌ、空襲』『コンスルの竜騎士が関与か』『軍事拠点ない場所に攻撃。民家にも被害多数』
何故、自分の故郷がこんなことにならなければならないのだと、怒りが込み上げてくる。
さっきツァイスとジェンナーが茶化していたが、父親と、親しかった幼馴染の顔が思い浮かんでいるのは本当の話だ。
彼らの安否が気になる。でも今は、任務に集中しなければならない。
聞けば、敵は新たに、巨大な大砲を積んだ新鋭の戦艦を建造したという。
今回の攻撃目標は、その戦艦と軍港。あとは、街に散らばる軍事拠点だ。民間人を狙ったコンスルの連中とは違う。
目にものを見せてやると、彼は思った。
「そろそろ作戦空域だ。通信確認に入る」
黒い竜は隊列を離れ、編隊より少し、前に出た。
先導していた青い竜と、隊列が入れ替わる。
――― 勝利ヲ・我等ニ
ランスの背から回光信号が放たれた。
――― 勝利ヲ・我等ニ
隊員騎から、ランスに回光信号が返される。
「これより作戦通り、コンスルの貿易都市、アラカドに空襲をかける」
◆
部屋の確認を一通り済ませ、戸締りをして外に出た。
テュールの話では、補給には数日かかるから、それまでの間はあの部屋で寝泊まりするようにという事らしい。
『本当はゆっくり案内でもしてやりたいが・・・』と言って、テュールは、まだ艦の雑務が残っているからと、ジークフリートに戻って行った。
アラカドはやはり巨大な街だった。
目抜き通りを通ると、そこかしこにある露店が、アクセサリーや食べ物などを売っている。
世界中から集まるから、珍しいものがたくさん並んでいるそうだ。
私もこんなに巨大な西瓜や、どうやって食べるのかわからない果物を見るのは初めてだ。
海が近い為か、魚なんかも並んでいる。
アラカドは魚のスープが有名らしく、其処彼処にスープの看板が踊っているのも面白い。
外国の町を歩くのは初めてだから、少し気分が高揚した。
残念ながら、私はこちらの通貨のラークをまだ持っていないので、買い物はできないのだが。
銀行はアラカド総督府の真向かいにあった。
窓口の女性に声をかけ、テュールから預かった紙を渡す。
すると、窓口嬢は、百ラーク紙幣を十枚、私に手渡した。
一ラークが大体二セッターだから、二千セッター。多い。数日分の生活費として貰ったお金が、元の一月分の生活費だ。
洋服の弁償も兼ねているという事だが、あの服を買うのに、私はそもそも三十セッターも支払ってない。
五十だったのを、値切って半値で買い取ったものだ。あとでお礼を言っておこう。
紙幣を数えながら私はそんなことを考えた。
銀行を後にして、私は洋服屋を探そうと街を散策する。
アラカドに数日の滞在となるのなら、着替えは必要だ。
支給されている軍服が部屋に数着用意されてはいたが、毎日軍服で闊歩するわけにもいかない。
しかしアラカドには、洋服屋が何店舗もある為、選択肢が幅広すぎる。
とりあえず、一店舗ずつ見て、気に入ったものを探していこうと考えていた矢先だった。
―――― ドォンと、私の背後にある総督府が砕け散った。
何事かと思って振り返ると、そこには、竜が火球を放ちながら街を襲う姿があった。
私の乗っていた竜ではない。
赤い竜・・・あれは、リアニスの竜騎士!
総督府が炎上した刹那、竜は私の頭上を飛び去り、目抜き通りを抜けて見えなくなる。
ドォンと、別の場所でも何かが爆ぜる音が聞こえてくる。
一体、何が起こっている。
周囲から悲鳴が上がる。総督府の方を歩いていた人が、こちらに逃げてきた。
まるで人の河だ。私は逃げ惑う人々に肩を押されながら揉みくちゃににされる。
誰かの肩がぶつかり、また誰かの足に踏んづけられる。
「おかあさぁん」
ふと、子供の声が聞こえた。
声の先には、倒れた母に覆いかぶさるようにして泣きじゃくる女の子がいた。
私は人の河に逆らってその母娘の元に向かう。
幸い、母親にはまだ息があった。
ドンドンドン
今度は地上から、おそらく、リアニスの竜騎士に応戦しているのであろう、大砲の音が響いている。
悲鳴と怒号と泣き声。砲音と破裂音が入り混じる。
私は、母親を背負って、女の子の手を握った。
兎に角、安全な場所へ、逃げなければ。
◆
「敵竜騎士反転、来るぞ、砲塔旋回」
「間に合いません!」
ドォンと、ジークフリートの甲板が爆ぜた。
「左舷甲板被弾!」
「損害の詳細を報告しろ。艦長!このままではこの艦はここで座礁します」
艦長室に繋がった伝声管を開けたまま、テュールがそう指示を出す。
「敵、第二波接近!」
間髪を入れずに、敵が迫る。
敵は考える隙を作らせてはくれない。
当たり前といえば当たり前だが、少し待てと言ってやりたい衝動にテュールは駆られた。
「敵の総数を確認しなさい。テュール、あなたにこの笛を託します。なんとか」
ドォンドォンドォン
艦長室から艦橋に戻ってきたダリアがテュールにそう言いかけた瞬間、竜の火球が甲板に命中した。
衝撃で船が大きく揺さぶられる。
「敵総数確認。総数は七騎です!」
「奪われた竜笛全てを使ったのか・・・応戦急げ!全砲塔旋回。対空砲火。艦長、ここの指揮をお願いします」
ダリアは頷く。テュールはそう言って、預かった笛を吹き抜いた。
音は、何もならない。しかし、竜も来ない。
ドォン。
前からも後ろからも、激しい攻撃に晒される。
揺れる艦内でテュールは艦橋から降り、甲板に出る。
このままでは、やられる。
先ほど竜笛を吹いたつもりだったが、アロウには聞こえていなかったのだろうか。
テュールは、再度、思いっきり笛を吹き抜いた。
しかし、竜が現れる事は、遂になかった。
回頭した青い竜が再び大きく口を開ける。炎を吐く気だ。
「なぜだ、アロウ!」
轟音が響く甲板で、テュールは叫んだ。
◆
私は、倒れていた母親を担いで、子供の手を引いていた。
気を失って、ぐったりとした母親の体は重たいが、幸いにも、骨が折れているだけで、軽症だ。
目を覚ませば、この子も安心するだろう。
「もう少しだから、頑張ろうね」
手を繋いだ子供に、私はそう声をかけた。
周囲の人の話から察するに、人の河は、どうやら皆、町外れの丘の上に向かっているらしい。
アラカドは港町であるから、津波などの被害に備えて、日頃から、そこが避難場所として認知されているようだった。
「私が担ぎましょう。あなたは、港の方に」
そう声をかけてくれたのは知らない男の人だった。
「私に構わず急いでください。私は港で、戦艦が攻撃されているのを見ました」
どこかの工場の従業員だろうか。薄汚れたツナギを着て、髭を蓄えた男性は、私の肩から、母親と子供を預かった。
軍服を着ているからだろう。私を乗組員だと思ったようだ。
母娘の様子も捨て置けなかったが、正直、ジークフリートの面々がどうなっているのかが気になって仕方ない。
「ありがとう」
私は歩いていく彼の背中から目を離し、人の河に逆らって、港に走り出した。
疎らな人影を縫っていくと、所々に倒れて動けなくなっている人々がいる。
生きているのか、死んでいるのか、それさえも今は確認ができない。
兎に角、戦艦に。ジークフリートに急がなければならない。
あの船で知り合った人達の顔が浮かぶ。彼らは、大丈夫なのだろうか。
街の至る所で建物が崩れ、炎が上がっている。
轟音と爆発音は未だ止まない。七頭の竜は未だ空で暴れまわっている。
青々としていた空は、街を焼いた煙によってどす黒く変色している。
地獄絵図だ。あの平和だった町がほんの一時間も経たずしてこうなってしまうのか。
倒れた人たちは、港に向かうに連れて数が多くなった。
中には、体の半分がない人がいたり、俯せのまま水に浮かんでいる人も見た。
ちぎれた腕だけが転がっているのも見た。上半身が瓦礫に埋まって、足だけが見えている状態の人もいた。
身体中の毛が逆立つ。
考えることをやめないと、この場は走ることができない。
全てのものから目を背け、私は走った。
その中に、助かる命が一体いくつあったか。そんなことを考えると、やりきれなくなってしまう。
人間のすることじゃない、と思った。
でも、実際には人間によって引き起こされている状況だ。
空の上にいる竜騎士達は、おそらく地上のことなど、よく見えてはいないのだ。
相手方のことを、全く考えなくなってしまえば、人間にはこんなこともできる。
それが、戦争というものなのだろう。
ドンドンドン
大砲が空に向かって放たれる。
バァンと、竜の炎で艦橋が飛び散った。
「ロゼ!」
テュールの声が聞こえる。
ジークフリート近くの桟橋にいたテュールが、私の方へ駆け寄ってくる。
「怪我はないか」
「私は大丈夫、そっちは?」
ガンガンガンガン
周囲の地上に炎が落ちる。まともに話をすることさえできない。
「このままではダメだ。ロゼ、頼みがある」
私は、彼の手から何かを握りしめさせられた。
「竜笛を吹いてくれ。この街を、守ってくれ・・・」
消え入るような声で、彼は私にそう懇願した。
藁にもすがる思いなのだろうという事は、何も聞かなくても察する事が出来た。
はっきり言って、戦争に関わりたくはなかった。でも、今まで見て来た惨状を止める事ができるのは、この竜笛を吹き鳴らすより他はない。
私は、轟音の中で笛を手にとって、思いっきりそれを吹き抜いた。
ものすごく大きな音がなるというのはどうやら本当のようだ。
周囲の轟音は、竜笛の音にかき消されて、無音になった。
ビュウ、と強い風が吹く。
そして再び、白銀の竜が私の目の前に姿を表した。
◆
「ちぃ、叩いても叩いても沈まねぇ」
ツァイスは眼下に居る黒い鉄塊に悪態をついた。
港に停泊した、大型の敵の甲鉄艦。
火球による攻撃を浴びせているものの、装甲が頑丈な所為なのか、艦は一向に沈む気配を見せない。
キラキラと味方の青い竜、ボウガンの背が光る。
鏡で反射された太陽光。ジェイルからの信号だ。
「艦橋を狙えだと?あの大砲のど真ん中を突っ切らねえと出来ねえよ、そんな芸当は。お前らみたいに命知らずじゃねえんだよ・・・赤髪にやらせるか」
ドンドンドン
敵の大砲が斉射される。
”回避だサーベル。旋回して再び『ヒツギ』の上空に回れ”
翡翠色の竜、サーベルは砲弾を回避する。対空砲火なので、かなり距離を取らないと破裂するので厄介だ。
ツァイスは、ライエに信号を送る。
艦橋ヲ・破壊セヨ
ライエは総督府上空から、それを確認して回頭を始めた。
先程から大きな大砲を狙って火球を落としてはいるが、どうにも硬くて歯が立たない。
ところどころ損害は与えられているようだが、何より敵の対空砲火が厄介だ。
”カノン。上昇だ”
”狙いは艦橋だろう?なぜ上昇する?”
”大砲が邪魔だ。上から逆落としで艦橋を狙えるか試したい”
”わかった”
カノンは指示通りに『ヒツギ』上空に上昇する。
その刹那、自分とは違う竜の竜笛が鳴った事に気がついた。
”アロウの笛だ”
”敵の竜か。叩けるか”
ライエはカノンに問いかけた。
”少し様子を見よう。あいつは手強い”
”わかった。このまま攻撃を再開すれば無防備になる。このまま上昇して敵を探そう”
ツァイスは上昇するカノンを眺めて怪訝な顔をした。
「あいつら、信号を見ていないのか?艦橋を叩けと送ったはずなのに」
すると、急にサーベルが回避行動をとった。
とっさに振り落とされまいと手綱にしがみつく。
すると、ドラゴンから放たれたと思しき火球が、自騎のすぐそばを掠めていった。
「ちぃ、誰だよ!下手くそにも程があるだろう」
”ツァイス、違う。これは、敵襲だ。十二時の方向を確認しろ。戦闘だ”
サーベルに促されたツァイスは、正面を睨んだ。
見れば、白銀の竜がこちらに向かって飛んで来ている。騎乗している竜騎士は、二人・・・?
「はっ、上等じゃないか。タンデムライドでこっちに挑んでくるなんて。舐めんじゃねぇ」
ツァイスはすぐさまサーベルに回頭の指示を出す。
タンデムは、ウェイトが重い分、巴戦に弱い。後ろに回り込んで火達磨にしてやる。
◆
私たちの乗った竜、アロウが火を放った先にいた敵の翡翠色の竜は、私達の背後に回り込もうと回頭を始めた。
「単座の竜騎士相手に、巴戦はこちらの状況に不利だ」
そう言ってテュールはアロウに上昇の指示をした。
私達の体はぐっと下に押し付けられる。すごい力だ。内臓が押しつぶされそうになる。
そう考えている間も与えずに、今度は右に、左に。体が振り回される。
白銀の竜が、翡翠色の竜から放たれている炎から回避しているのだと理解するまでに少し、時間がかかった。
視界と、体の感覚が追いつけない。何が起こっているのか、整理している間に、次のことが起こっている。
背後に回られる状況を打開しようと、回頭する。
しかし、私とテュール、二人を背負ったアロウには、やはり回頭の速度が敵の竜に比べて劣っている。
”やはり巴戦は厳しいか”
アロウはそう言うと再び下降して火球を避ける。ひゅう、と火球が私の髪を少し焼いた。
”竜が炎を放ち続けるのには限界がある。おそらく隙はあるはずだ。反撃は機を見るしかないな”
”すまない、アロウ”
敵を捉えられず、ただ逃げることしかできないアロウにテュールが詫びる。
”そう思うのなら、さっさとその娘に竜語を教えろ”
アロウは面倒臭そうにそう答えた。
そこで私はふと、気がついた。私はさっきから、彼等の言葉を《《理解している》》。
これが、魔法というものの力なのだろうか。
と、考える間も無く、上から火球が放たれるのが見えた。
”アロウ、上!”
背後の翡翠色の竜の火球に対する回避行動で手いっぱいになっていたアロウは、私の指示に反応し、上にいた錫色の竜からの火球をすんでのところで躱す。
敵は一騎ではない。七騎の竜がこの街の上空には飛んでいるのだ。
「ロゼ・・・?」
テュールが目を丸くして私を見る。
”多分、魔法の力だと思う。さっきから、あなた達の会話を理解できるようになってる”
「俺には竜語で話さなくても通じる」
クスリとアロウが笑った。
”そのレベルの魔法が使えるとしたら、おそらく火も出せるぞ。悪いが援護を頼む。七騎全騎を相手にしたら、私も流石に保たん”
”でも、やり方がわからない”
”炎をイメージして放てばいいだけだ。懐かしいな。魔法を使える竜騎士か。百年前を思い出す”
アロウはそう言って右に回避した。
現状は二対一。
私は、後ろから攻撃を仕掛けてくる翡翠色の竜を見た。炎イメージして、放つ。
しかし、私の見た目には、何も起こったようには見えなかった。
◆
ツァイスは白銀の竜を追いかける。が、敵もやはり同じ竜。火球を当てようにも、なかなか命中はしない。
「くそ!」
苛立ちを覚えたのと同じ頃、上から敵の竜に対して援護の火球が放たれた。
「赤髪か。こいつは俺の獲物だ、邪魔すんじゃねぇ」
上に居たライエに舌打ちをしてツァイスは敵に向き直る。
その刹那、彼の体を、炎が包んだ。
「な、なんだ?!あ、熱い!」
炎に包まれたツァイスは、なんとか消火を試みようと竜の上で踠いてバランスを崩し、サーベルから落ちていった。
騎士を失ったサーベルが戦線を離脱する。
上空からそれを見ていたライエは、それを見て驚愕した。
なぜ、ツァイスは燃えた?
今のは何だ?
人の体がひとりでに燃えるなんて、そんな魔法のような力は聞いたことがない。
あれには、一体、何が乗っている?
敵の竜から放たれた火球を回避する。反撃をしなければ、こちらがやられる。
幸い、こちらが戦闘で有利な上にいる。逆落としになれば騎手を狙える。
カノンはアロウに向かって急降下を始めた。
だが次の瞬間、火球を放とうとしたカノンをライエは全力で静止した。
◆
チリチリと、左肩の呪印が熱を帯びて、少し痛い。
火達磨になって落ちる人影は、やがて燃え尽きて小さな灰になっていった。
これが、魔法の力なのか。
ぞくりと、悪寒が走る。
こんなにも簡単に、人の命が奪えてしまう事に、私は心底、恐怖した。
”来るぞ”
テュールが叫んだ。
上に居た敵の竜が急降下してくる。
しかし、なぜだか火球が放たれることはなかった。
間違いなく、錫色の竜の目は、白銀の竜の背中に乗っていた私たちを捉えて居たはずだというのに。
敵の竜は私達の横をかすめる。
その時に、私は、なぜ竜から火球が放たれなかったかという事実を理解した。
すれ違ったのは、ほんの一瞬だった。
だが、私が彼の顔を見間違えることはない。
赤い髪に、浅黒い肌。そして、瑠璃色の青い瞳。
およそ一年ぶりに会うが、懐かしい見慣れた風貌だった。
嘘だと言って欲しかった。
切望していたはずの幼馴染との再会が、よりにもよって、こんなタイミングになるなんて。
これが『運命の悪戯』というやつなのだとしたら、本当にタチが悪すぎる。
私は、そんなに信心深い方ではないが、今度ばかりは神様を恨んだ。
「ライエ・エル・ディナン?」
「ロゼ・バークガッツ・・・!」
咄嗟に、私が彼の名前を口にすると、向こうも同じようにこちらを見て驚いた顔をしているのが見えた。
戦うことを決めた瞬間から、いや、もっと前から、頭の片隅で考えていた。
コンスルの側に立つならば、リアニスの兵士は敵になる。
彼にだけには、戦場で出会いたくないと。
そう、願っていたはずなのに。