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炎の魔女と白銀の竜  作者: paparatchi
2/12

第二章 ロゼの決心

 タバコの匂いが充満した、接収したホテルの一室。


 新聞に掲載された賞金首のリストを眺めながら、禿頭で小太りの軍服姿の男はゆっくりとティーカップをソーサーに置き戻した。


「これが、コンスルの赤い衝撃の生き残りか・・・随分可愛らしいお嬢さんじゃないか」


 手中の竜笛りゅうてきは既に七つ。残りの一つが揃えば、世界を手にする事が出来る。


 しかもそれを握っているのは、竜語も解さぬ十四歳の小娘だという。

 もはや笑いが止まらない。


 かつて、この世界には、八つの竜笛全てを揃えた強大な軍事国家が存在した。

 竜笛を携えた八人の竜騎士は「赤い衝撃(レッドインパルス)」と呼ばれ、恐れられた。


 赤い衝撃と魔法使い。隣国コンスルは、その軍事力で以って、世界の七割を隷属させた。


 今度は我々が、世界を征服する番だ。


「ジェヴォーダン閣下」


 扉をノックする音に、男は手をあげる。


「入れ」


 細い目をした、スーツ姿の男が、扉を開いて敬礼する。

 銀縁の、これまた細いフレームのメガネが、白く整った顔立ちによく映えている。


「魔法使いをお連れしました」


 閣下と呼ばれた男、ジェヴォーダン・ラベットは、二人の傭兵に捕らえられた女を眺めた。

 齢は今年で三十五になるというが、なかなかまだ若々しく見える、整った顔立ちの女だった。


 全身に刺青が施されているが、地肌はまだ白く艶がある。ただの捕虜なら、人払いをするところだ。


 全く、近頃の賞金稼ぎもなかなかいい仕事をするじゃないか。


「カーネ・オクト・レッグス。いや、今はカーネ・バークガッツだったな。今や最後となった魔法使いの家系、オクト・レッグスに連なる者か。病床の身と聞いていたが、それは呪印じゅいんによるものかな?」


「娘に手を出してみなさい!この場を焼き払うだけの力はまだあるわ!ぐっ!」


 カーネは、傭兵に縄を締め上げられる。魔法の力を封じる特殊な縄だ。簡単には破れまい。


「全く危ない娘を世に放ってくれたものだ。呪印を施せば魔法が使え、笛を吹けば竜を呼ぶ。こんな物騒なものが、我が国の領内を歩き回っているなどと正気の沙汰ではない」


 カーネを見て、男はにんまりと顔を近付けた。


「リアニス政府が『回収』を所望している。コンスルには絶対渡さん」


 ペッ


 カーネはジェヴォーダンの顔に唾を吐きつけた。ドォンと、遠くで大砲の鳴る音がする。


「首都へ連れ帰れ。私も娘を手に入れたら合流する」


 顔を拭きながら、カーネの方には目もくれず、ジェヴォーダンがそう言い放つと、傭兵とスーツの男は部屋の外にカーネを引っ張り出した。



 竜は私を見るなり、何やら笑みを浮かべている様だった。


「ぐずぐずするな。背中に飛び乗れ!」


 テュールは唖然とする私を尻目に、白銀の背に飛び移る。


 音の鳴らない小笛が、この竜を呼び出したとでもいうのか?

 私には何が何だかわからない。


 ドォンと、私の背後で瓦屋根が飛び散った。


 大砲は健在だ。時間がない。私は取るものも取り敢えず、テュールの投げた革の手綱にしがみつく。


 その瞬間、私の体が下に引っ張られる感触と、どんどん地面が遠ざかる景色が見えた。


 体が下に押さえつけられる。明らかに重力に逆らっている。頭がくらくらする。空を飛ぶというのは、もっと優柔な感覚だと思っていた。


「登ってこい、落ちるなよ!」


 風が強い。重い体を精一杯の力で上に引き上げる。


 革の手綱は確かに頑丈だが、私の指が引きちぎれそうだ。ジワリと血が滲んでくる。

 もう少しで登り切るところで、テュールが片手で私の腰を持ち上げる。


 私はそんなに重い方ではないが、片手で持てるほど軽くもない筈だ。この男は一体どういう腕力をしている?


”この手綱、まだ付けていたんだな”


 また、テュールが獣のうめき声を上げた。


”この革の手綱はセプが私に付けたものだ。彼女と同じく、親友の忘れ形見だよ”


”自分で食っておいて世話ねぇな”


 再び大砲がこちらに照準を合わせて撃ち放たれる。


 黒く、大きな砲弾が私たちの脇を掠めた。あれが当たってしまえば、私たちは一溜まりもないだろう。


”アロウ、こいつらをやり過ごせるか?なんなら、一人二人食ってもいい”


”しばらく食えなんだからな、少し腹は減っている。何よりこの私を狙っているのが気に食わん”


 竜は大砲に向って急降下する。


 私の体はふわりと宙に浮き、そのまま竜と一緒に落ちていく。


 怖くて、テュールの体にしがみつく。目を瞑り、悲鳴を喉の奥に押し殺す。

 竜は地上を掠めた後、そのまま再び空に急上昇する。


 浮かんでいた私の体を地上に引き戻さんとする力が、私の体を押さえつける。耳が痛い。胃が裏返りそうだ。


 私の頰に、生暖かい液体が飛び散った。


 見れば竜が大砲の砲手を咥えて、バリバリと音を立てて飲み込んでいる。背筋が、寒くなった。


 お母さんが言っていた事は脅しでもなんでもない。紛れもない真実だったのだ。



 ◆

 竜は街に背を向け、どんどんと遠ざかっていく。

 私が過ごしてきた街が、あんなに小さいモノだなんて思わなかった。


「お母さん・・・」


 竜は丘を過ぎ去って大海原に飛んでいく。見慣れた景色が、小さくなっていくのを見ると、無性に、お母さんが恋しくなった。


「カーネなら大丈夫だ」


「なぜそう言い切れるの?お母さんは病気なの!私が悪いんだ。あんな仕事に手を出すから・・・」


 涙が溢れてきた。


「私が賞金稼ぎなんてするから、お母さんは・・・」


 泣き噦る私を横目に、テュールはため息をついた。


「そう思うなら、あまり御転婆は自重してくれと言いたいところだが、お前が賞金稼ぎをしていてくれたお陰で、少しこっちも助かっている」


「どういう事?」


「連中はもっと前からお前を狙っていた。遅かれ早かれこうなる事は目に見えていた。自分で身を守る術を身につけておくには丁度良かったから、カーネにもその事は話さずにいた」


「私を、監視していたの?」


 信じられない。私は職業柄、尾行の手合いには敏感な方だと自負していた。


「見守っていたと言って欲しい。君のつたない経験じゃ、俺を捲く事はできないよ。兎も角だロゼ。君はどちらにしても、軍事上の理由で狙われるのは明白な身だったんだ」


「軍事上の理由?」


 理由の一つが、私の持つ小笛。


 この笛は、音が鳴らない訳ではないらしい。

 実はものすごく大きな音がなるのだが、人に聞こえないだけなのだそうだ。


 正確には竜笛と呼ばれるこの笛は、かつては、というより今でも、重要な軍事兵器なのだと言う。


 そんなに危ない笛を、個人が所有していたら賞金がかけられても文句は言えまい。


 それなら、この笛を返すべきところに返せばいいと反論したが、

 もう一つの理由がそうはさせないと、テュールは続ける。


「お前が魔法使いだからだ。竜笛を手放したところで、追手は次々やってくるさ」


 テュールはそう言ったが、私には合点がいかなかった。


 魔法?私はそもそも、そんなものを使った事はない。火を起こす時はマッチを使っているし、水を使うときは井戸を使う。


 人を呪いたくなる事はあるが、カエルになってしまえと念じても、人はカエルにはならない。


「今説明したところで埒があかないだろうし、いずれわかる事だ」


 こんがらがった頭を整理する間も無く。竜が緩やかに降下をし始めた。


 進む先に船影が見える。ここから見ると小さいが、あれはかなり大型の船のようだ。


 通常の帆船とは違う、異質な形だ。前後に六門の巨大な回転砲台。マストのようなものはあるが帆が見当たらず、代わりに煙突からもうもうと煙を吐き出しているのが見て取れる。


 何より妙に思ったのが、船体の素材だ。鉄が、海に浮いている。


 船は見る見るうちに大きくなり、私たちは船尾のデッキに着艦した。

 竜の重みで船が大きく揺れる。


「副長がお戻りになられました。客人がお見えですので艦橋に御通しします」


 伝声管、というのだろうか。近くにいた船員が何やら連絡をしているようだ。


「よくお戻りで!こちらは、繋いでおくべきなのでしょうか」


「いや、そのままでいい。離艦させるから総員に対衝撃体制」


「はっ」


 テュールがそう言うと、男は再び伝声管を開いた。


「竜が離艦します。総員、対衝撃体制」


「お前も、海に落ちたくなきゃ、どっかに捕まれ」


 そう言ってテュールは、竜に何か指示をした。


 白銀の竜が船から飛び去った。風圧や重みでかなり船が揺れる。撒き散らされた潮が少し口の中に入った。



 ◆

 揺れが収まった頃に、私は船室の中へ通された。


 薄暗い船内は、油と石炭の匂いが鼻につく。

 階段を登って艦橋へと登る。


 大きな船だとはいえ、ここは外洋。ゆらゆらと足元がふらつく有様だ。


 竜に乗ってからこっち、少し体の調子が悪い。


 艦橋に登ったところで、船内は少し明るくなった。

 恐らく、窓明りのせいだろう。操舵手や、双眼鏡を携えた軍人が十数名程乗っている。数名ではあるが、女性も乗艦しているようだ。


「テュール大尉戻りました。ロゼ・バークガッツの保護の件でご報告があります」


 艦橋の窓際から少し離れた席、おそらく艦長席であると思われる椅子に座った女性に、テュールは敬礼した。


「ご苦労でした。ここは騒がしいので、先に艦長室に行きなさい。アーシェス、大尉と客人を艦長室まで。私も後で行きます」


 金髪を肩で短く切った、将官服姿の女は、若い女性水兵に声をかけた。


 アーシェスと呼ばれた女性に案内をされながら、艦長室に通される。


 鉄で出来た無骨な船だと思っていたが、木の壁の部屋もあるのか。


 書棚と机、4人がけのテーブルが一つ。

 ベッドルームと繋がっていると思われる扉もある。


 部屋の真ん中にあるこの光源のランプのようなものは・・・・


「電灯だ。初めてみるって顔してるな。一応、新造艦だからな。今は薄暗いが、帰投したら廊下にも付く予定らしいぞ」


「コーヒーか紅茶がお持ちできますが、どちらにいたしましょう」


 アーシェスは私に飲み物を聞いて来る。

 紅茶を所望すると、テュールには何も聞かずに退室していった。


 おそらく、何を飲むか初めから分かっているのだろう。

 この男がこの船の副長だと言うのはさっきの船員の話で察しはつく。


 だが、この船はどう見ても軍艦だ。それも、最新鋭の。

 問題は、この軍艦の所属である。


 こんな新造艦が民間人に手に入れられるものだとは到底思えない。となれば、勿論、正規軍の所有物ということになる。


 もし、この軍艦がリアニスの艦だとしたら、一抹の疑問が残るのだ。


 私が暴漢達に襲われていたのはリアニス領内の町だ。

 だとすれば、彼が諜報員のようにこそこそと動き回る必要は皆無のはず。


 紅茶が三つ運ばれて来た。


 アーシェスに一礼すると、彼女と入れ替わりにさっきの女性艦長が入室し、テーブルの上座についた。


「悪い知らせよ。カーネが敵の手に落ちたわ」


「おかあさんが!」


 私は思わず席を立ち、声をあげた。


「ロゼ落ち着け!」


 テュールが私を制止する。


「敵が欲しているのは彼女の能力です。あなたがこちら側にいる限り、手荒な真似はしないでしょう」


「能力?おかあさんの?」


 私には、彼女が何をいっているのかよくわからない。テュールに促されて、ひとまず席に落ち着く。


「申し遅れました。私はコンスル海軍大佐。本艦、ジークフリート艦長、ダリア・ウィンチェスターです」


 将官服姿の女性は、淡々とそう言った。


 コンスル海軍・・・つまり、リアニスの敵?


「テュール副長から道中説明があったとは思いますが」


「その話だけどさ、姉…いや艦長、少し訳があって、満足にこの子に説明がまだできていない」


 テュールは、朝の出来事をダリア艦長に話し始めた。


 ・・・


「なるほど、予想外に敵の手が回るのが早かったということですね。カーネのこともあります。一度アラカドに帰投し、補給を終えてから、方針を見直しましょう」


 ところで・・・と言ったところで、彼女は私を見た。


「朝からその様子だとしたら、多少混乱もあるかと思いますが、ロゼ。あなたは新聞配達をしていたのですね。昨日の記事も読まれましたね?」


 おそらく、『リアニスがコンスルに最後通牒』と見出された記事のことだろう。

 昨晩、『戦争が始まる』と言いながら、マスターが読んでいた。


 隣国コンスルは、私が産まれる前に、大きな反乱があった。その為、亡命者やスパイが後を絶たずにリアニスに流入する結果となった。


 業を煮やしたリアニス政府はコンスル政府に対し、最後通牒を勧告したと、新聞記事はそう謳っていた。


「随分と省略と歪曲がありますが、概ね間違いはありません。リアニス政府は、昨夜、コンスルの大使にペルソナ・ノン・グラータを発動し、後任の受け入れも拒否しました。これは、事実上の最後通牒にあたり、我が国では、国交の断絶と受け取っています」


 ペルソナ・ノン・グラータ


 一国の政府が、他国の使者に対して行使できる、最大の制裁措置。

 もともと、外交官というものは、諜報任務も兼ねているのが、世界の国々の常であり、その諜報任務が度を越した場合などに発動される。


 国際慣例上、外交官には『外交特権』というものがあり、派遣先の国で裁判にかけ、罪に問うことができない。


 なので、そう言った外交上、好ましからざる人物に対し、本国に退去させる措置であるのだそうだ。


「もともとコンスルは大使を通じて、リアニスに奪われた七つの竜笛の返還を求めていたのですが、そもそも奪った事実がないとするリアニスとの間で摩擦が生じていました」


 おそらく、その事実を報じるとリアニス側の大義名分に傷が付く為、伏せられたのだろうと艦長は言った。


 尤も、国外退去処分の直接の理由は、七つの竜笛を奪い返そうとしたところにあったそうだが。


 ペルソナ・ノン・グラータの発動後、コンスルにはもう一つの懸念材料があったという。


「それが、貴女と、あなたの母親、カーネ・バークガッツの事です。あなたの父親、セプテイン・バークガッツは、竜騎士にして先のコンスルの革命の先導者。そして、あなたの母親は、世界で最後の魔法使い。七つの竜笛を失い、最後通牒を受けた我が方は、戦争が始まる前にリアニスに隠居していたあなた達を呼び戻すしかないと考えていました」


 その矢先、リアニス政府がその動きを察知し、私に賞金をかけ、母を攫ったと。

 国同士が、私達を取り合っているという実感はあまり湧かなかったが、今朝からの出来事は、いまの話で合点が付いた。


「ロゼ・バークガッツ。カーネのいない今、あなたが最後の私たちの希望なのです。呪印を受けてもらえませんか」


「姉さん!」


 テュールは立ち上がった。


「幾ら何でもあんまりだ!この子に戦いに参加しろというのか?呪印の痛みはカーネから聞いているはずだ。その痛みと一生付き合う身体になってしまうんだぞ!」


 さっきから彼らが呪印と称しているものに、私には心当たりがあった。

 私の母には、体の半分に黒い刺青のような意匠を持った痣がある。


 しばしばその痣が刺すように痛むらしく、母はその事を病気だと言っていた。


 痣はだんだんと濃くなっている。それを時折医者に薬を処方してもらい、抑えていた。


「ならばリアニスの軍門に下りますか?彼らのコンスルに対する恨みは根深い。市民が蹂躙されるのを黙って静観しろと?」


「そうは言ってない!」


 私には、何が正しいのかがわからない。


「何も私は、カーネのように国を転覆させるほどの強大な力を持てと言いたいわけではないのです。呪印とは、悪魔の皮膚。使える魔法の強さは、呪印の大きさに比例します。小さい呪印なら、体への負担も小さくなります。せめて自分を守る力だけでも、ロゼには持っていてもらいたい。我々が守りきれなかった時のために」


 呪印を受ければ、母のように病弱な体になってしまうのだろうか。という不安が過ぎる。


 しかし、魔法が使えるようになるとも言われた。


 私に力が欲しいというのは事実だ。

 今朝の一件、私には何もできなかった。


 私が狙われている以上、ダリア艦長の言うように、自分を守る力は必要だと思う。

 彼女は私が最後の希望だと言った。


 それは、力を手に入れて戦争に参加しろと言う真意を込めているのだろうか。


 私は戦いたくない。

 でも、お母さんは助けたい。


 お母さんは彼らの言う、『敵』の手中にあるという。私は、一体、どうすればいい?


「少し、考えさせてください」


「無理もありませんね。しばらく回答は保留にしておきます。その代わり、竜笛はしばらくの間、こちらで預からせてもらいます」


 私は、首にかけていた銀の小笛を、ダリア艦長に手渡した。


 この笛は父の形見だが、危険な兵器だというのは、嫌という程体感した。私が持っていて良いものではない。


 私から笛を受け取ると、彼女は伝声管を開いた。


「至急の話は終わりました。アーシェス。ロゼ・バークガッツを空きの士官室に通しなさい。着替えもサイズの合うものを。あと、テュール」


 伝声管を閉じたダリア艦長はテュール大尉の方を、睨むように見た。


「私は貴方に、喫緊で話があるとは言いましたが、自分の怪我の手当もせず、彼女の洋服も袖が千切れたままで艦橋に来いとは一言も言ってません。全く貴方はいつもそう言ったことを後回しにして。姉としてどうかと思いますよ?」


 怒られてる。


 それまでの張り詰めた空気が、少し緩んだ。


 姉弟らしいやりとりだと思ったが、ダリア艦長はどうやら蒼血族ではなく、赤い血の人間の見た目をしている。血は繋がっていないのか。


 何れにしても、家族のこうしたやりとりを見るのが、少し寂しく感じられた。

 私はやはり、お母さんを取り戻したい。


 ぐっと、拳を握りしめる。


 やはり私は、もっと強くならなければいけない。



 ◆

 私は、「士官室」という部屋に通された。ベッドと、机のある簡素な部屋だった。


 本来は政治家などが乗艦する際に用意された部屋であるそうだが、今は誰も使ってはいないという。


「貴方は少し小柄なので、サイズが合うといいのですが」


 アーシェスはそう言って私に、水兵の服を渡した。ここで着替えろということだろう。

 改めて備え付けの鏡で見ると、洋服はボロボロになっていた。


 礼を言うと、彼女は敬礼して部屋を後にした。


 ダリア艦長はアラカドまでは二晩程の航海になると言っていた。

 艦橋や機関室など、危険な場所以外は、船内を歩いてもいいとの事だ。


 保護されているとはいえ、軍艦は言わば機密の塊。

 閉じ込められても文句が言えない筈なのに、やけに好待遇だと思った。

 ダリア艦長の配慮には感謝を禁じ得ない。


 服を着替えて部屋の外に出る。


 白塗りの鋼鉄製の廊下には一定間隔で電灯がつけられている。

 テュールに聞いたが、この艦は公試中のうちに着任したため、ところどころに未完成の部分が残っているそうだ。完成すれば全ての廊下がこうなるのか。


「いたたた!こら、もう少し優しくできんのか?」


 廊下の先の半開きの扉から、テュールの声が聞こえた。


「常人が相手だったら、こんな事はしないけどねぇ。蒼血族ってのは傷がすぐ塞がっちまうから、銃創は厄介なんだよ」


「だから嫌だったんだよ、医務室は!いたた」


「文句言うな!よし、とれた。ん?」


 浅黒い肌の白衣姿の女性は、ドアから覗いていた私に気がついた。


「酔い止めか?そうじゃないやつか?」


 カランと、鉗子を置いた彼女は、私にそう聞いてきた。

 私はどちらでもないと首を振る。どうやら、医務室に用事があると思われたらしい。


「なるほど、テュールか。後十分ほどで解放してやるから少し待っときな」


 彼女はそう言って、テュールの腕に包帯を撒き始めた。


「『病は気から』だ。困った時はいつでも来い。ここの扉はそういう人間のために開けてある」


 包帯を巻きながら、彼女は私にそう言った。


 ・・・


「彼女はナージャ・イングラム。ウチの船医だ。悪い奴じゃないし、仕事は信頼できるんだが、ああも荒っぽいとなぁ」


 私は、テュールと一緒に甲板に上がってきた。

 日が沈みかかっている。潮風が髪を撫でていて心地がいい。


「それで、どうした?思い詰めたような顔をしてるぞ」


 テュールは私の顔を見下ろした。

 どうしよう。いざとなると、決心が揺らいでくる。


「テュール・・・大尉」


 テュールは海の方に目をやった。


「テュールでいい。『さん』も、いらない」


「私、やっぱりお母さんを助けたい。呪印を、受けようと思う」


 私も海の方を見た。白い波が右から左へ続いている。少し沈黙が続いた。


「ナージャは腕利きの医者だ。霊薬の調合にも詳しい。だが・・・」


 呪印を施すと言う事は、悪魔を体に取り入れると言う事。


 常人が呪印を施せば、たちまち悪魔に体を奪われる『魔化』と言う現象が起こる。

 それ故に、魔化に耐性のある人物でなければならず、魔法使いに血統が重んじられるのは、この為である。


 だが、その血統を持つ者とは言え、完全に魔化が防ぎきれるわけではなく、定期的に薬で抑えなければ、悪魔に体を奪われてしまう。


 魔法使いがこの世から消えて百余年。二人となった最後の魔法使いの一人も、先の内戦で潰えた。


 魔化を抑える霊薬を調合できる医者も、そう多く残ってはいないとテュールは語った。


「それだけの危険を冒してまで、助けられたいと、果たしてカーネが望むだろうか」


 望まないだろう。そんな事はわかりきっている。頰を引っ叩かれるかもしれない。


「それでも」


 それでも譲れない。


「私は、お母さんを助けたい」


 橙色だった空は、すっかり青黒くなってきた。


「ナージャに話をしておこう。ただし、条件がある」


 私は、無言で頷く。


「霊薬の調合をお前が自分で覚えろ。ナージャの知識を身につけて、将来に役立てるんだ」


「医者になれって事?」


「強制はしない。でも、お前は若い。今から勉強すれば、立派な医者にもなれるかもな」


「わかった」


 霊薬の調合を覚えれば、お母さんの薬も作ってあげられる。


 私は空を見上げた。既に夜の帳は下りている。


 満点の星空が、今にもこぼれ落ちそうな夜だった。

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