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炎の魔女と白銀の竜  作者: paparatchi
10/12

第九章 最後の敵

 

 客のいない酒場の店内。

 ライエ・エル・ディナンの後頭部は、客席の椅子の角に叩きつけられた。

 崩れた客席に埋もれた彼を、鬼の形相で睨む男は、彼の父、コルゾ・オルディナンだった。


「今、なんてった?」


「軍に入って竜騎士になれば、こんなヤクザな商売から手を引けるって言ったんだ。見ろよ、これ」


 ライエは、新聞に載った政府広報を指差した。

 紙面は、『入隊者急募。竜騎士に選ばれし者に金100万セッターを給付する』と謳っていた。


 コルゾの拳に力が入る。


「誰の稼ぎがやくざだと?テメェ、誰に向かって口を聞いてやがる」


「やめて!」


 空の酒瓶に手が伸びたところで、ロゼ・バークガッツが止めに入った。


「二人とも少し頭を冷やして!」


「なんて言われようと俺は決めた。願書は出したんだ。もう後戻りはできない!」


 そう言ってライエは、制止も聞かずに店を飛び出した。

 ロゼはそれを眺めた後、ため息をついて、倒れたカウンターの椅子を立て直した。


「マスター、ごめんね。私が持ってきた新聞のせいで」


「お前のせいじゃないさ。悪かったな、身内の話で騒がせちまって」


 これは詫びだと言って、コルゾはレモネードを差し出した。


「あいつはまだ若えんだ。みすみす命を棒に振るこたぁねえ」


 そう行ってコルゾは、自分のグラスに酒を注ぐ。


「賞金稼ぎならいいの?マスターの考え方、変だよ」


「バウンティハンターは市民の安全を守るのが本分だ。お前にゃわからねぇよ。戦争ってのは国が気に入らない連中を、市民に殺させるだけだ。根本的に違うんだよ」


 コルゾは酒を仰ぎながら俯いた。


「戦争が起こるって決まったわけでもないのに?もしかしたら、何事もなく帰ってくるかもしれないじゃない」


「親子同士でもこうして殴り合いが起こるんだ。言葉も考え方も違う連中と争いが起こらないとなぜ言える?」


 ロゼはそこで言葉に窮した。確かにこの先、戦争が起こらないと保証するものは何もない。


「国の偉いさんの勝手で息子の命を捧げるわけにはいかねぇよ」


 コルゾはそう言って、飲み干したグラスをカウンターに叩きつけた。


 ・・・


「やっぱりここにいた」


 星空の下。せせらぎが聞こえる川べりの土手。

 草むらに横たわった赤髪の少年の姿を見つけて、ロゼは歩み寄った。


「マスターのお酒が回ってきたから、もう戻ってもいい頃だと思うよ」


 自分の顔を覗き込む栗色の髪の少女の方をちらりと見て、ライエは星空に目を戻した。

 どさっと、少女が横に座り込む音が聞こえた。


「迷惑かけたな。怖かったろ。親父」


 ポツリと、ライエはそう詫びた。


「ううん。いつものことだから平気」


 ロゼはそう言って星空に目を移した。


「竜騎士って、空、飛ぶんだよね」


「あぁ」


「私も飛びたいな」


「やめとけ」


 ライエは即答した。


「何でよ?ライエが良くて私がダメな理由がわかんない」


 ロゼは頬を膨らませて幼馴染を睨む。


「軍隊は遊び場じゃない。いざとなったら戦争にも行かなきゃいけない。そんなところにお前が行くのは、俺は嫌だ」


 ライエは視線を空に向けたまま、そう答えた。


 できれば彼女には、平穏な日常を送ってほしい。


「自分のことは棚上げってこと?そんなことなら私だって・・・」


 ロゼがライエに向き直り、そう言いかけたその時。


「俺は、絶対に死なない」


 草むらから起き上がり、まっすぐ彼女の目を見て、ライエは言った。


「や、約束だからね」


 振り返った鼻先にライエの顔があったのを気拙く思ったのか、ロゼは俯き気味に視線を逸らした。


「あぁ、約束する」


 サラサラと乾いた風が2人の髪を撫でる。


「親父に楽をさせたいんだ。時期がきたら、またこの街に帰ってくるよ」


 ライエは再び星空を見上げながら、ゆっくりとした口調でそう言った。

 一筋の流星が、零れ落ちた。



 ◆

 目を瞑った。

 頭上の竜の口からはやがて炎が放たれるだろう。


 それは、私の身を焼き尽くし、私は海面に落ちるのだ。

 それから逃れる術は、既に万策尽きている。


 顎の奥で、歯を食い縛る音がぎり、と聞こえた。

 真っ暗な視界の中に、お母さんの顔が思い浮かんだ。

 せめて、死ぬ前に一目会いたかった。


 雷鳴のような、巨大な炸裂音が鳴った。

 目を開くとそこには、砲弾が突き刺さった竜の姿があった。


 敵の竜は砲弾の直撃を受け、そのまま海へ叩き落とされる。


 何が起こった?


 私は思わず、砲弾の発射されたであろう方向に目を向ける。

 霧の中から大きな影が向かってくる。

 帆を張っていない、巨大なマスト。


 その奥に見える、2つの煙突。

 前甲板に3門の大砲を備えた、鋼鉄製の戦艦いくさぶね

 ジークフリートの漆黒の姿は、霧の中からゆっくりと姿を表した。



 ◆

 砲塔が旋回し、その大砲の威力を示す。

 ドン、ドン、ドン。

 一隻、二隻、三隻と、

 木造の帆船団は、猛獣に食い散らかされているかのように、粉々に砕かれていく。


「敵旗艦、戦闘旗降納。信号に動きあり。K旗を掲揚するものと思われます」


 ブリッジから、敵の様子を伺っていた双眼鏡員が、アーシェスの方に向き直った。


 信号旗「K」の意味は、『貴艦との通信を求む』という意味だ。

 敵の航空戦力は、既に無い。この局面で考えるならば、降伏の意思があるということ。


 海上戦力だけでの戦いは、分が悪いと踏んだのだろう。賢明な判断と言える。


「停戦交渉のテーブルには私が就きましょう。信号旗の準備をしてください」


 指示を終えたアーシェスは、座していた艦長席に凭れかかった。

 既に、空には、戦線を飛び去った竜の姿がある。


 おそらく、マクラタカンに向かうつもりだろう。


「これで、良かったんですよね?大尉」


 だんだんと小さくなっていくアロウの姿を見送りながら、アーシェスはそう、呟いた。


『敵の竜は自分達で叩く。完全に主砲で狙いをつけられるまで撃つな。たとえそれで自分達が撃墜されたとしても、確実に有利だと判断するまでは霧の中に潜んでいろ』


 彼は最後にそう言い残し、艦の指揮を自分に託した。


 本当ならば、もう少し早いタイミングで戦闘に介入する事も出来た。

 しかし、それでは、戦局はまた違うものになっていただろう。


 この艦は、竜の母艦でもあるのだ。テュールが撃たれる前に割って入ったとするならば、敵はこちらに狙いを定め、沈めにかかっていたに違いない。


 テュールは守り通したのだ。艦と、彼女を。その命と引き換えに。

 一筋の涙が、アーシェスの頬を伝った。



 ◆

 マクラタカン基地のライエの個室の扉が叩かれたのは、日の出からしばらく経った頃だった。

 朝食は済んでいる。訓練が予定されていたわけでもない。

 怪訝に思いながら扉を開くと、そこには、自分より頭一つ小柄な小太りの竜騎兵、クレイ・フォックス准尉の姿があった。


「正午までに迎撃準備・・・らしいっす」


 見れば彼は既に銃と兜を携えている。


「迎撃準備?大佐は?」


「カロムからの定時連絡が途絶えているそうです。大佐は手が離せないとの事だったので、自分が連絡に来ました。竜騎兵の出迎えは、ご不満でしょうけど」


 竜騎士(ドラゴンナイト)の中には、竜騎兵(ドラグーン)を蔑む連中もいる。彼らの乗っているものが竜ではなく、馬であるからだ。


 確かに竜騎兵は、馬上で銃を扱う兵士であるため、竜に比べれば火力は乏しい。

 それ故に、竜騎士の方が、竜騎兵に優っているという考え方もあるにはある。


 しかし、卑屈になるのは間違いだ、とライエは思った。

 先日の演習。自分は大砲の砲弾の嵐を避けて低空に追い込まれた。そこで待ち構えていたのが彼らだ。


 彼はあの時、竜の風圧で吹き飛ばされる刹那、間違いなく自分を捉えて発砲した。

 銃弾が実弾であれば、間違いなく自分は死んでいただろう。


「わかった。すぐに準備をする。クレイ・フォックス准尉。君は優秀な竜騎兵だ。左遷を受けた竜騎士風情に、余計な気遣いはしないでくれ」


 ライエがそう言うと、クレイは姿勢を正して敬礼した。


「し、失礼しました!勿体ないお言葉、ありがとうございます!一緒に頑張りましょう」


 クレイはそう言って、廊下を一目散に走っていった。

 集合場所を伝えていないところが彼らしい。あのそそっかしいところは、玉に瑕だ。


『一緒に頑張りましょう』と彼は言うが、正直、ライエの心中は焦燥の只中にあった。

 カロムが落ちた・・・?


 定時連絡の途絶の原因は、伝書鳩の迷走の可能性も否定はできないが、敵による通信妨害か、或いは本当に艦隊が敗北している事も考えられる。


 ロゼは、竜騎士団は、一体どうなったのだ?

 ぐるぐると、この場で答えの出ない疑問だけが、彼の脳裏を駆け巡る。


 しかし、この場で考え続けていても意味はない。


 悶々としながら出撃の準備をしていると、次第に基地内が慌ただしくなってきた。

 扉を開こうとすると、丁度、大きな木版を担いだ兵士が廊下を遮ったので、ライエは慌てて扉を引いた。


 何が始まるのだろう。


 引っ込めた扉を開けると、廊下には布やら木板やらが散乱し、まるで、劇団の大道具倉庫のような様相を呈している。


「とりあえず、正午過ぎには準備が整いそうです」


「上出来だ。流石はうちの工兵部隊だな」


「どうでしょう。塹壕掘りに駆り出された挙句にこんな小細工までさせられて、随分とご立腹の様子でしたが?」


「結構結構。設置が終わったら飯にしよう。工兵部隊はもう酒も飲んでもいいぞ?ここまでやったら、あとは神頼みだ」


 エメットはケラケラと笑いながら兵士に指示を出し、ライエの方へ振り返った。


「リスエットから君に伝書が届いている。申し訳ないが、先に読ませて貰った」


 綻んでいた表情が急に真顔に変わったので、ライエは、訝しみながらエメットから手紙を受け取った。


 筆跡には見覚えがあった。他ならぬ、彼の父親、コルゾ・オル・ディナンのもので間違いない。


『息子へ。アリアンヌの空襲の件で心配であったことと思うが、こちらは息災であるので心配は要らん。店が焼けてしまったあと、軍が保護をしてくれるというので、同行し、今はリスエットにて書をしたためている。戦場で怪我などせずに無事に戻ってきてくれる事を願う。コルゾ・オル・ディナン』


 一見すると、それはライエにとっては朗報とも呼べる一報。

 ひとまず空襲からこっち、安否を掴めずにいた父の健在に安堵する。


 しかし、カロムの艦隊が落ちたとなると手放しでは喜べない内容でもある。

 おそらく、それこそがこの手紙の真意なのだ。でなければ、わざわざ軍用の伝書を使って寄越されてくる筈がない。

 要するに人質。彼の父親の生殺与奪は、軍の采配に委ねられた、という意味。


 それは、『炎の魔女』とライエを対峙させるために、リアニス軍が打った最後の策だった。

「許せとは言わない。友軍がここまでしなければならなくなった状況が、本当に残念だ」

 エメットは強張ったライエの肩を叩く。


 彼の心中をおもんばかるのならば、戦闘に参加させるべきではないのだろう。しかし、実戦というものはそう甘くはないものだ。

 マクラタカンには一般市民も住んでいる。立場上、一軍人の意思を尊重して民意を反故にすることはできない。


 ライエの眼は生気を失い、呆然と廊下の先の壁を眺めていた。


 ◆

 ゴクリと、水を飲んだ。

 薬が回る。

 先程まで肩で暴れまわっていた呪印の痛みが緩やかに引いていく。


 カロムを離れて数時間が経ったが、まだ炎に包まれたテュールの姿が、脳裏から消えることはない。


 人の生き死にとはなんだろう。

 アリアンヌを出て以来、多くの人の死を見すぎた。

 人というものは存外に簡単に死んでしまう。それも、あまりにも唐突に。

 その所為で感覚が麻痺していくのだ。

 だから私は気づかなかった。戦場で、まるで蚊を叩き潰すような感覚で人殺しについて考える自分の姿に。


 正気の沙汰ではない。


 私は既に、3騎の竜騎士をその手にかけた。そのうち1騎は複座タンデムだった。それはつまり、4人の人間の尊い命を奪ってしまったという事に他ならない。


 心底、吐き気がした。


 炎に包まれた敵は、どんな感覚で、堕ちていったのだろう。

 熱かっただろうか、痛かっただろうか。


 彼らの家族や友人は、私の事を恨むだろう。

 私が彼らに殺されていれば良かったのだろうか。

 そんな疑問も思い浮かぶ。心が壊れそうになる。


”ロゼ”


 そんな私に、白銀の竜が話しかけた。


”右下の街がリスエットだ。あと1時間ほどで、マクラタカンに到達する”


 アロウが指し示した先には、背後に砂漠を称えた、美しい白い城のような港街が見えた。

 空から見ると、まるで砂の中に光る水晶のようなそれは、きらきらと輝いていて美しい。


 リアニスは国土の半分が作物の育たない砂漠で覆われている。

 それ故に国民を奴隷として差し出さなければ、貿易すら出来ないほど疲弊した国でもあった。


 コンスルとの国境は、現在はアリアンヌ周辺であるが、その昔はアラカドとエリアスの海峡を挟んだ南北が、国境であった時代もあるそうだ。

 アラカドに、『総督府』という植民地を統括する政府が設置されているのは、その名残であるという。


 コンスルの強大な武力に抗えず、土地のみならず人民さえ搾取される。

 私とて、もとはリアニスの住民。この現状に疑問を持っていないわけではない。

 しかし、だからと言ってそれを武力で解決してしまうのは間違いだ。

 過去は過去だ。それ以上でも、それ以下でもない。


”あの街を焼き払ってさえしまえば、戦争は終わる”


 アロウは私を横目に眺めた。

 私がその言葉を受け入れない事は、わかっている筈だというのに。


”街より先に貴方を焼き払うわよ。冗談でも、次に言ったら許さない”


”言うようになったじゃないか、人間”


 私がその目を睨み返すと、アロウはそう言って笑い出した。


 戦争は、人々から平穏を奪いつくす。

 奪われた人々から憎しみが沸き起こり、いつの日かそれは、次の戦争を引き起こす禍根となる。


 戦いに参加しておいて、誰からも恨まれずに済むはずがない。

 私の一挙一投足も、間違いなく次の戦争の引き金を引きつつある。


 私の境遇や考えはどうあれ、敵にしてみればそれは、瑣末なことだ。

 幾人もの自分の味方を葬り去った悪魔のようにしか見えてはいない。

 どうして私の気持ちを分かってくれないのだと叫び散らしたところで、それは無意味だ。

 何故ならばそれは向こうも同じであるからだ。


 如何に聡明な先達でさえ、この螺旋を断つことは叶わずにいる。

 戦争の繰り返しが人の歴史だとする弁もある。

 だとすれば、人は何と愚かで、悲しい生き物なのだろう。


 抗うことのできない、不可逆的な運命。

 果てしなく続く青い空と、眼下に広がる砂漠を眺めながら、不意に涙が溢れ出した。


 ・・・


”おかしい”


 果てしない砂漠の中、しばらく無言で飛んでいたアロウが、そう言って辺りを見回した。


”どうしたの?”


”既にマクラタカンにはかなり近づいているはずだが、見当たらん”


 アロウにそう言われて、私も辺りを見渡す。

 しかし、どこにも、街はおろか、草木一本見当たらない。

 辺り一面には広大な砂の大地が広がっている。とても暑い。


”勘違いじゃないの?”


 私は、羽織っていたコートの腕を捲りながら問い直す。


”そんなはずはない。確かにこの辺りに・・・”


 アロウが、降下を始めたその時だった。


 何かが、見えた。


”アロウ!9時から何か来る!避けて!”


 私の声に、アロウはすぐさま上昇し、すんでのところで、それを躱した。

 仄かに熱を感じた。龍の火球か?と思って、飛んできた方向を見返したが、何もいない。


”ぐっ、そういうことか!”


 アロウは全力で空を駆け上がる。

 体が後ろに押しつけられる。

 空気が私を潰しにかかっている。耳が痛い。


”アロウ・・・だめ・・もう少し、ゆっくり”


 胸が風に押さえつけられて声が出ない。だというのに、アロウはさらに速度を上げ、上下左右に私を振り回す。

 息が、できない。


 そこでアロウが、動きを止めた。


「はぁ、はぁ・・・」


 ようやく息が吸えるようになった。

 かなり上まで登ったらしく、息を注ごうにも、酸素が肺に入ってこない。


 捲り上げた腕に、冷気が刺さる。


”どうしたの?アロウ。貴方らしくもない”


 目が回る。消化器官が裏返りそうになるのを堪えながら、アロウに問う。

 はっきり言って異常だ。普段は冷静な彼が、こんなにも取り乱して飛ぶのは。


”あれは、どこに行った?”


 上下左右に首を回して、アロウは何かを探している。確実に、彼は何かに怯えていた。

 彼が、何に怯えているのかはわからないが、さっき飛んできたものと同じであるのは明白なので、私も周囲に飛んでいるものの影を探す。


 果てしなく青い空と黄土色の砂漠。雲は、一つもない。

 飛んでいるのが竜ならば、この時点で既に分かる。だから、彼が追われているのは竜ではない。


 アロウは咄嗟にロールを始める。

 ぐぎりと、首が鳴った。


”太陽か!くそっ”


 太陽から火球が三つ落ちてきた。

 それにつられて、私も太陽の方をみる。


 しかし、竜影らしきものは見当たらない。太陽が、火を吹いているように見える。眩しくて、よく見えない。


”分が悪い。離脱するぞ”


 アロウはそう言って、全速で何かから逃げ出そうとした。

 凄い風圧だ。体を屈めて、へばり付くようにしていないと体が風に跳ね飛ばされそうだ。


 首を敵に向けたいが、それは叶わない。ただ、なされるがままに。

 何かから逃げ惑うアロウにしがみつくだけしか出来ない。


 バタバタとコートが風に振り回される。風が、重い。


 ドンドンドン


 地上から大砲の音が鳴る。

 アロウは左右にそれを凄まじい速さで躱す。

 何が起こっているのか、全く追いかけることができない。


”魔法で街を隠していたのか!”


 アロウはそう言って、背後の敵に踵を返した。



 ◆

「凄まじいスピードだ。神に最も近い生命体とはよく言ったものだな」


 初めて対峙した竜という敵に対し、エメットは手を叩いて賞賛した。

 おそらく、大砲と竜騎兵だけでは、このようにはいかなかった。


 炎の魔女には気の毒だが、彼女の母親の力はそれほどまでに凄まじいものだった。

 町中のオアシスの木々を布や板で隠し、色味を誤魔化して、魔法で敵の視界に干渉し、視界を麻痺させた。

 敵からは完全に街が見えなかった事だろう。


 全身に呪印があるわけだ。全く、とてつもない仕事をする。


「そろそろ出撃できるか」


 傍に控えていたライエに、エメットはそう声をかける。

 ライエは返事を返さず、ゆっくりと頷いた。


「カーネの援護を頼む」


 最後の敵が幼馴染と母親か。全く皮肉なものだ。


 エメットには一つ懸念事項があった。

 ライエが、自分達を裏切り、こちらに攻撃を加える可能性。


 しかし、頭上に居るカーネの召喚したものを見て、ライエも諦めがついたことだろう。

 それはおそらく、神に最も近い生命体の唯一の天敵なのだから。


 ライエは、笛を掴んだ。



 ◆

 竜はしばしば、神に最も近い生命体と形容される。

 しかし、言い換えれば、『生命体として』神に最も近い存在にすぎない。


 アロウが何から逃げていたのか。

 私はそこで初めて理解した。


 竜の最大の武器は、口の中の炎孔と呼ばれる器官から発せられる炎である。

 それが全てを焼き尽くしてきた場面を、私は何度も目にしてきている。


 私自身も、魔法で炎を出すことができる。

 しかし、それ以外のことは竜と会話をする程度の能力しかない。

 水を出すことはできないのだ。


 あるいは水でも出すことができるのなら、局面は違うのかもしれない。

 目の前の相手に炎が通用しないのは、見ただけで分かった。


 敵は、炎そのものであるからだ。

 幾度も炎の中から蘇るという、不死鳥とも呼ばれる伝説の鳥。

 大きく翼を広げたフェニックスが、私達を追いかけていた敵の姿だった。


”契約の矛盾をどう処理すればいいのやら”


 アロウはため息をついた。


”どういうこと?”


”お前の父親と交わした契約は、『カーネという女性の幸』だ。お前が死ねば、それは履行されない。だから俺は、お前を守らなければならない”


 本来、竜に騎乗するためには、『契約』が必要だ。

 その命を竜に差し出さない限り、竜に乗ることはできない。


 しかし私の父は、アロウと契約を交わす際にお母さんの幸せを条件にした。


”フェニックスは、魔法によって呼び出されたものだ。術師を殺さぬ限り、あれは俺たちを殺しにかかるだろう”


 頭を()られそうな感覚に陥った。


 この世界に、魔法を使える人間は、私とお母さんだけだと聞いている。

 私の目的は、お母さんを助けること。

 そうだったはずなのに、この状況は何なのか。


 お母さんを助けるために、お母さんを、殺す・・・?


 何をやらされているのか全くわからない。


”そんな・・・何か方法はないの?なぜ?何でお母さんが私達に攻撃してきてるの・・・?”


 思考が思考にならない。

 何かの間違いではないのだろうか。

 もし夢なら、醒めて欲しい。


 アロウは再びロールをし、火球からの回避行動をとる。

 しかしその火球は、目の前のフェニックスから放たれたものではなかった。


 アロウが躱した、真後ろから放たれた炎を見た私は、その時、初めて理解をした。

 家を離れてから私が渇望し続けた、かつての日常が、もう二度と戻らないということを。


「ロゼ、退け!俺はお前を、殺したくない!」


 ライエが叫ぶ声が聞こえた。

読んで頂き、ありがとうございます。


前回の更新から、2年以上空いてしまったため、

警告文が扉ページに貼り付けられておりました(ぉ


戦争の話を書いている時に、戦争が始まってしまったので、

しばらく断筆をしていましたが、


あんまり、世の中に影響されるのもなぁ。と思い、

気を取り直して、もう一度筆をとっています。


居ない間に読んでくれた人、本当にありがとうございました。


かなり遅筆なため、相変わらず更新は亀ちゃんペースだけど、

最後までやり切れるように頑張ります。



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