声優業はアルバイトの仕事になりました。
ある朝。
俺が住んでいるマンションのポストに、一通の封筒が入っていた。
普段は年賀状しか入ってこないそのポストになんで封筒が入っているんだと、俺は訝しんだ。
だが次の瞬間。
俺の体に電流が走る。
同時にまさかと思い、封筒片手に急いで部屋に戻り、封筒の封を切った。
そして中にたたんだ状態で入っていた用紙を広げると……思わずその場でガッツポーズをした。
【今期アニメ声優アルバイト通知書
拝啓 間明圭吾様。
このたび貴方様は、今期より制作予定のアニメ『ヒノクニカグヤ』における声優として選ばれました事を通知いたします。
なお音声収録につきましては今月○日、✕✕スタジオにて午前▽時より行いますのでぜひとも遅れずにお越しください。
敬具】
それは、数日前に俺が応募したアルバイト先からの通知書だった。
といっても長期アルバイトではなく、収録当日に発表される俺の演じるキャラの登場回数次第じゃ、たった一日の短期バイトにもなりうる変則アルバイトだ。
まぁ仮に短期でも、声優として活躍できると思うと天にも昇る気持ちになるが。
本当の事を言えば、俺はこんな形じゃなく、ひと昔前の声優のように普通に声優の専門学校に行って、普通に声優に選ばれて活躍したかったけど。
三年前に起こった、声優業界の在り方を変えたあの事件の事を思えば……仕方がないと思った。
※
【声優・阿賀崎詩織 意識不明の重体!】
三年前のある朝、そのニュースが世界中を駆け巡った。
それと同時に、俺を含めた世界中のアニメファンはおそらく……今やるべき事を忘れ、無意識の内に涙を流しながら呆然としたに違いない。
実際俺がそうだったし、それだけそのニュースは、アニメ業界を震撼させるほどの破壊力を持っていた。
阿賀崎詩織は、四年前にデビューした新人声優である。
初登場は『グラドル-GLADIATOR DOLL-』というタイトルの格闘アニメで、阿賀崎詩織の担当した幼女キャラが登場した瞬間、彼女は多くのアニメファンの心を鷲掴みにした。
彼女の声はいわゆるロリ声である。
そしてその声は、アニメ『グラドル(以下略』で彼女が担当した、幼女キャラの見た目と非常にマッチしていた。
これだけでも充分話題になりそうな気がするが、さすがにこれだけでは、いずれ干される可能性がある。
にも拘わらず、彼女がアニメファンの心を鷲掴みにできたのは、もはやプロ級と言ってもいいほどの、彼女の演技力のおかげだ。
彼女は声優にとって最も重要な、キャラの気持ちを完璧に理解し、表現する能力が非常に高かった。アニメのイベントに出演し、生で声出しをした瞬間、その場にそのキャラがいると誰もが錯覚するほどだった。
そして最終的に、彼女は声優業界のシンデレラとまで言われる存在となった。
しかしそんな彼女の日々は、ある日突然反転する。
始まりは、彼女が『花屋敷さんは番長やめたい!!』というタイトルのラノベが原作のアニメにおいて、主人公のライバルの声を担当する事が決定した時だ。
俺を含めた彼女のファンはそれを知った途端、眉間にしわを寄せた。
なぜならば、そのライバルキャラというのは、TVで流していいのかってくらい口が悪く、そしてそんなキャラは……彼女が今まで築き上げてきたイメージから、あまりにもかけ離れているからだ。
いや、プロたる者……時には既成概念を破壊する事も大切だと分かっている者もいたかもしれないが……結局ネット上のアニメファンは、彼女の新たな挑戦を応援する者と、キャストを変えろとうるさい者の、二つの勢力に分かれた。
そして、彼女が声を担当するキャラが登場する話が放映された日。
俺達の想像を遥かに超える悲劇……そして一部のクセモノにとっては狂喜乱舞な事が起きた。
なんと彼女は……原作のライバルキャラを超えてみせた。
より狂気的に。
より悪役らしく……罵詈雑言を画面上で絶叫してみせた。
そしてそれは俺達の想像通り……いやそれ以上に、彼女が今まで築き上げてきた彼女自身のイメージを破壊した。
そして、その数日後。
彼女は暴漢に襲われて意識不明の重体になった。
十中八九、彼女の今までのイメージに固執してる粘着系のファンの仕業だ。彼女のファンの一人である俺には分かる。
ちなみに犯人は、彼女のそばにいた、彼女の友人と思われる女性が追ったらしいが……結局逃げられたという。
警察は、いまだに犯人を捕まえる事ができていない。
そして迷宮入りしたこの事件を機に……声優の在り方は大きく変わった。
なんと政治家の中にも彼女のファンがいたらしく、その政治家は、声優という職業を真っ当な仕事から……誰もがなりうるアルバイトの仕事へと変えるという前代未聞の決定を下し、それを有言実行してみせた。
より詳細に説明すると、特定の職業の特定の者に異常な人気が出たせいで、今回の事件が起こったのだから、国民全員に、声優になりうるチャンスを平等に与える事で、似ている声でも実際はそれぞれ別の人が喋っている状況や、その逆の状況を同時多発的に起こしやすくして、視聴者側を混乱させて……特定の声優への関心を持たせにくくさせようという意図の、新たなルールだ。
この決定に、一部のアニメファンは反発したが……また同じ悲劇が繰り返される恐れがある事を再認識すると同時に、その声は少しずつなくなっていった。
※
収録日がやってきた。
俺は合格通知に書かれている建物の中に入ると、共に収録する、俺と同じ一般人の方々と顔を合わせた。
その顔触れはまさに、老若男女問わずといった感じで、中にはどう見ても小学生にしか見えない者もいた。
まさか本当に小学生じゃないよな?
俺はその子を見ながら思った……その時だった。
「どいて。邪魔なんだけど」
背後から声をかけられ……同時に俺の体に電流が走った。
別にスタンガンを押しつけられたワケではない。
その声が、俺にとってはとても聞き覚えがある声――阿賀崎詩織の声にそっくりだったのだ。
まさかと思い、俺は後ろを振り向き……絶句した。
そこには、髪の色や長さは違えど、それ以外はあまりにも阿賀崎詩織にそっくりな外見の女性がいたのだ。
まさか声だけでなく顔までそっくりの人が現れるとは思わなかった俺は、思わず呆然としてしまった。
すると彼女は、なぜか顔を一瞬強張らせると……すぐに「ちょっと、そこどいてくれない?」と、俺を睨みながら言ってきた。
言われた俺は、すぐに我に返り、道を譲った。
彼女はすぐに俺の横を通りすぎた。そして通過するなり「フン」と鼻を鳴らすと……すぐに他の出演者に笑顔で挨拶して回った。
感じ悪いな、と俺は思った。
けど道をふさいでた俺も悪い事に気づき、第一印象を悪くした自分を恥ずかしく思った。もしも好印象を与えていれば、もしかすると……彼女とお近づきになれたかもしれないのに。
※
そしてついに声入れが始まった。
制作スタッフの指示の通りに、声を入れていく。
俺が担当するキャラは、主人公の友人にして信頼する部下でもある男性だ。
うまくいった。
制作スタッフのみなさんも満足げだ。
そして次は、この作品の主人公の声入れ。
俺の隣の……阿賀崎詩織そっくりな女性による声入れだ。
台本によれば、ここは酒癖が悪い主人公が酒に酔って大暴れしながら仲間に罵詈雑言を浴びせるシーン……いやまさか。
そして、彼女は――。
※
俺は衝撃のあまり、近くの喫茶店で休憩していた。
あの後に聞いた彼女の台詞は……『花屋敷さんは番長やめたい!!』の罵詈雑言シーンの再現だった。
まさか彼女は阿賀崎詩織に憧れているんじゃないだろうか、と言いたいくらいの再現度だった。
おかげでトラウマが……阿賀崎詩織の一部のファン(俺含む)に植えつけられたトラウマが呼び覚まされ……。
次の瞬間。
体に電流が走った。
阿賀崎詩織関連の何かを見たり聴いたりしたワケではない。
文字通り、電流が流れ……俺の、意識が……――。
※
「そろそろ起きたまえよ」
渋カッコ良い声のそんな台詞が聞こえると……俺の意識は覚醒した。
眩しさを感じて、おそるおそる目を開ける……と同時に、自分の体の自由がきかない事に気づいた。横向きに倒れていて。手足を動かせない。ちゃんと喋れない。猿ぐつわを噛まされてた。感触でそれはすぐに分かった。手足が手錠で拘束されている。動こうとする度にジャラジャラと音が鳴ったから、そうじゃないかと思う。
慌てて周囲を確認する。
目の前に……どこかで見た強面な顔があった。
いったい誰だと思い、記憶を辿る……すぐに思い出した。
声優業をアルバイトの仕事にした政治家だ。
名前は……忘れたけど、この国の現首相だ。確か。
ていうか、首相がなんで俺の前に?
それとなんで俺、動けないし喋れない状態なんだ?
「ようやく起きたかね、この糞虫野郎がッ!!」
…………もう罵詈雑言はやめてくださいませんかね?
さっきもそれでいろいろと精神的ダメージを負ったんですが……?
「さて、内調の調査によれば……君は記憶の一部を失っているという事だからこの状況を理解できないだろう。正直に言えば何も理解しないままに苦しめてやりたいところだが……私はそこまで鬼ではないからね。一応説明してあげよう」
…………は? 首相、いったい何を言ってるんですかさっきから? 記憶喪失? 誰が? ……まさか俺? え、どういう事!?
「まず初めに」
混乱する俺を無視し、首相は時間が惜しいとばかりに、さっさと説明を始めた。
「私はこの国の首相であると同時に……君がかつて敬愛していた声優こと、阿賀崎詩織の父親だ」
……ええっ!? お、お父様であらせられましたぁ!? そ、そういえば阿賀崎詩織の父親については一切謎だとかネットで言われていた気がするけど……まさか首相がお父様!?
「そしてさっき君と一緒に収録した阿賀崎詩織に似た子は……阿賀崎詩織の双子の姉の佐織。同じく私の娘だ」
…………ファァァァッッッ!?!?!?
「といっても、ちょっと世間には公表できない状況にあってね。ちゃんとした血縁者ではあるが、私の名はそう簡単に出せない。あと君によってこの事を公表される事態にはならないから安心してくれたまえ」
…………え、安心する状況ですかね、これ?
「さて、ここからが本題だが……私の妻……詩織達の母はちょっと社会的に特殊な立場にあってね。名前などは明かせんが、とにかく彼女とは、そういう立場であると知った上で付き合い……佐織と詩織が生まれた。しかしお互いの立場上、私達はそんなに長く一緒に暮らせなかった。結局、私達は、子供達がお互いに自由に会いに行けるという条件付きで……私は詩織を、妻は佐織を引き取り、別々に暮らす事になった。とはいえ、私は忙しい身であったから……詩織の世話は私の家の家政婦に全面的に任せっぱなしだったがね。まぁおかげで、彼女が詩織の母だと周囲に勘違いされたから万々歳だが」
な、なんだってーーッッッッ!? ま、まさかネット上で明かされた彼女の母親は……彼女の家の家政婦さんだったのか!?!?
「そして話は飛んで、詩織が高校生になった時の事だ。詩織は急に『声優をやってみたい』と私に言ってきた。まぁ、詩織は子供の頃からアニメや漫画が好きだったから声優を目指したくなるのも必然だったかもしれん。そんな詩織に私は、声優業を始めとする〝仕事〟がどれだけ大変な事なのかを教え込んだ。私も昔はいろいろと苦労したからね。まずはその事を教えておかないと後で何かあった時に危ない。しかし、詩織はめげなかった。私に〝仕事〟の大変さを教えられてもなお……前に進もうと努力し、そして私のコネなど抜きで見事に声優としてデビューした」
…………詩織さんも、苦労してたのか。
ネット上では声優業界のシンデレラなんて言われ続けてきたけど……彼女も一人の人間だったのか。生まれはちょっと特殊らしいけど。
「しかし、詩織は…………一人のバカのせいで、その道を進めなくなった」
……やっぱり。
ここまでくれば、あの事件の事も話に――。
「貴様の事だよ、この糞虫愚民がッ!!」
――……え? え、な、何いきなり変な事を言ってんの首相!? 俺が犯人!? なんでそうなってんの!?
「事件の日。詩織は佐織と会う約束をしていた。だが二人が会うその前に……詩織はッ!! 貴様によってッ!! 石で殴られ意識不明の重体になったッ!! それを遠くから目撃した佐織はすぐさま、逃げる犯人に、近くにあった石を投げつけた……犯人は石を受けながらも逃げおおせた。まさかその石のせいで犯人が記憶喪失になっていて、ついでに人格までもが変わってしまい、さらには当時、同じような服装をした人が多かったがために……今日この日まで貴様が犯人だと断定できなくなったりしたが……」
き、記憶喪失の、お、俺が……詩織さんを……う、ウソだウソだウソだァァァァ――――ッッッッ!!!!!!!!
「私がまいたエサ……誰もが声優になりうる声優業アルバイト化、というエサに、うまく食いついてくれたようだ。暴行事件を起こすような腐ったヤツだろうと、芯の部分はアニメファン。だから声優の仕事場を用意してやれば……いずれは行動を起こし、そして同じく声優となった、貴様の顔を覚えていた佐織か、佐織の描いた貴様の似顔絵で貴様の顔を覚えた、制作スタッフの中に潜入した私の部下に、こうして発見されると思っていたよ」
ッッッッ!!!! だ、だから……さっき俺と収録していた佐織さんは……俺の顔を見て顔を強張らせてッッッッ!!!?
「というワケで、私の独白は終わりだ。さぁどこぞの腐れ愚民よ」
首相は……俺をゴミを見るような目で見ながら言った。
「地獄を見る……覚悟はいいか?」
そして首相の背後から、なんだか厳つい顔つきの大男が何人も出てきて――。
※
「…………あれ? ここは……?」
私は、知らない天井がある部屋で目が覚めた。
とても心地良い、柔らかい光が私の顔に飛び込んできた。
ちょっとだけ、頭が痛い。
だけど、我慢できなくはないので……私は、ここがどこか、気になったので……頭痛をこらえつつ上半身を起こした。
ここは、病院の入院患者用の個室だった。
私の部屋だろうか。私が寝ているんだし……と思ったところで、私に記憶がない事に気がついた。
いったい、私は誰なのか。
少し不安になって周りを見回した……一人の女性が、私がさっきまで眠っていた病室のベッドで、自分の肘を枕にしたまま眠っていた。
「……えっ!? だ……れです……か……?」
私はビックリして、思わずその女性を揺らしてしまった。
すると私が起こした振動を感じたのか、すぐに女性は目を覚まして……私を見るなり「佳織!!」と叫び、私を泣きながら抱き締めた。
佳織。
それが……私の名前?
なんだろう。
とても、心が……ポカポカしてくるよ……。
※
「佳織!! もう大丈夫だよ!! アンタをイジメたヤツは、お姉ちゃんがやっつけたからね!!」
詩織。
アタシの大事な妹。
政治家の父と、裏社会の女帝というイタい異名を持つ母との間に、アタシと一緒に生まれた……アタシの最愛の妹。
もう、絶対に離さない。
絶対に、今度こそ守り抜いてみせる。
そもそも、詩織が襲われたのは……風邪をひいた詩織に代わって、アタシが収録に行って……ノリノリで、脚本以上の罵詈雑言を吐いてしまった事が原因。
だからアタシには、どんな手段を使ってでも、詩織を襲ったヤツを捜し出して、復讐して、詩織を今度こそ……守らなくちゃいけない責任があるんだ。
というか、よく制作スタッフに、アタシが詩織じゃないと気づかれなかったな。
そしてアタシと同じく復讐に燃える父さんは、アタシの頼み……犯人を捜し出すための〝声優業アルバイト化計画〟を受け入れてくれた。
ひどい姉と父だと、自分でも思う。
だけどね、アタシはお前にもっとひどい事をするよ……詩織。
これから先、お前になんて言われようとも…………声優の仕事はさせない。
声優業がアルバイトの仕事に変わっても、それでも……詩織が目を覚ました事がもし世間に知られてしまえば、一部のファンから詩織はまた狙われてしまう。
だから父さんの力で、世間に対してはいまだに詩織は意識不明の状態という事にしといて……これからは、とりあえずアタシ達二人で、詩織を知らない人がいる、すっごい遠い所で一緒に暮らそう。
さっき目を覚ます最中に聞いて、凄いショックだったけど……詩織が記憶喪失になったのも、二人で静かに暮らすために利用させてもらうよ。もちろん本名なんて名乗らせない。本名から正体がバレるかもしれないからね。
仮に詩織が、いずれ記憶を取り戻して……アタシを嫌いになったとしても。
アイドルのストーカー問題とかあるこの世の中に……実際にこういうのできないだろうかね。