Ⅲ レイとテオ
銀龍は天空でキラキラと輝き、この世のものとは思えない美しさ。私の島の三倍は大きく、空中に浮かんだまま私を見下ろす。
私はとりあえず衣服の乱れを正し、正座して手をつき頭を下げた。
龍が恐ろしい声で一鳴きするものだから海が揺れ、私は頭からバッシャリと波を被った。
驚いて頭をあげると、龍が……更に下降してくる。体がオレンジに光り、縮み、人体になる。
人体もとれるんだ……ってことは龍族か?いや早合点はマズイ。賢者時代各地を回ったが龍族と接する機会は一度もなかった。外に情報の流れない、天に最も近い山の頂に住む地上最強の種族。私には彼らの知識がほとんどない。いくつになっても知らないこと、学ぶことはある。
長い銀髪を緩く結わえ、見たことのないゆったりとした羽織る装束に身を包んだヒトの男性の形になった龍が私を見つめる。まばゆい銀のオーラを纏った青い瞳の美丈夫。こいつは……強い。
「……レイ?」
低音の、凛とした声で懐かしい名を口にする。
レイ……随分と久しい。私があの子にだけ名乗った名前。あの子以外がそう呼ぶのは違和感がある。
「レイ……ではありません」
「うそだ」
「レイという名は……一人息子だけが使う名です」
「……テオ?」
「え?龍神殿はテオを……ご存知ですか?」
テオは龍と相対するほどの力を手に入れたのだろうか?
龍はズンズンと歩き私の目の前に来た。頭二つ分は大きい。
「テオは我だ。レイ」
ガシッと両肩を掴まれた。
「りゅ、龍神殿?濡れます!」
即座に私の身体に風が吹き抜け、乾く。
「何故嘘をつく。いくら顔が違おうと、我がレイのオーラを見間違えるわけがなかろう?」
「は?おっしゃる意味がわかりません?」
ぐいっと顎を掴まれ顔を上向かされた。なぜか龍は泣きそうな顔をしていた。
「テオだよ。レイ。本気で言ってるの?成長したけれどそう変わりないはずだけど?」
何を言ってるんだこの龍?
「いえいえいえいえ、私の息子はもっと華奢で可愛くて声も愛らしく……」
「今になって何故息子などという。あんなにきっぱり親ではないと言い切っていたではないか」
「それは……今になって息子って思うくらいの贅沢は許されるかなって……」
「我はレイの息子ではない!」
龍はそう言い切ると不機嫌そうにほんの少し下唇を突き出した。その仕草……海よりもっと深く透明な紺碧の瞳……三日月のような輝く銀髪……
思わず右手を伸ばし、なめらかな頰に触れる。
「テオ……テオは……龍なのか?」
「っ!レイ!ずっと言わなくて、ゴメンなさい!許して!」
◇◇◇
かつて二人で海を眺めた大岩の上に腰掛けた。昔は私の膝にテオがのっていた。今は逆。軽くパニックだ。
「つまり、龍のテオは龍の国からあの女に誘拐されて、だけど女の船が難破して、ここにたどり着いたと?女は死に、龍だからテオは生き延びた。うわー因果応報だ……」
テオは私の首をすんすん匂っている。懐かしいのだろうか?顔が違うから確認作業中?龍というより犬?
「で、この島を出たあと、龍化を修得して、しばらく冒険者として武者修行してたと」
後ろでテオの頷く気配がする。
「レイが熟考の末、計画に移してくれた龍化のタイミングがベストだった。あの時大陸に戻らなければ、私はこのレイとの大事な時を過ごした島を破壊するところだったんだ。さすが我のレイだ!」
「そ、そうなの?えー結果オーライ……かな?」
「冒険者として世界中を旅した。レイと約束したから人前で力を見せず。自分の実力を計り、人々の反応を見て、地道に過ごした。上位ランカーになったら急に権力者が媚びてきて、レイの言っていたことの一端を知れた」
「やっぱり、あのランキング、テオだったのか!同名の別人かとも思ったけど……よかった。苦労して強くなったんだな」
「いや……一人立ちしてのちは全く苦労していないよ……レイの弟子の私は他と比べようもなかった……ここでの修行は量も質も桁が違ったしね……ははは」
テオが苦笑した。
「広い世界で何か発見できたか?友人や恋人はできたか?」
「ありとあらゆる土地に出向いたが、この島で教えられていないことなど何一つ探せなかった。話の合う人間もいるにはいたが心を揺さぶられる出会いなどあるわけがない。とっくに唯一には出会っている」
「そうなのか?残念だったな……」
テオは小さく首を横に振った。
「レイ、旅先で大賢者様の話、何度も聞いた。戦場での恐ろしい強さ。戦後、勝敗分け隔てなく怪我人を癒し、不興を買ったこと。招かれた国でも人々を治癒していたら、あまりの人気に王に疎まれ毒殺されかかったこと。何も語らず小さき田舎にひっそりと住めば、よそ者は恐ろしいと疑心暗鬼な村人によって屋敷に火をつけられた」
「…………」
「今、大陸では新たな疫病が蔓延している。権力者は血眼になって大賢者様を探しているよ?いい気味だ。私はレイの完璧な加護で守られているから旅の間も問題なかったし、龍の国はウイルスは生きられない酸素濃度だ」
「テオ……なんだか辛辣になっちゃったのね」
恨みつらみは極力見せずに育てたつもりだったのだけど。
「大賢者の名はヘイリー様だったか?ヘイリーが本名なの?」
「ヘイリーは孤児院がつけた名前。記号に等しい。大陸とともに捨てた。レイは幼いテオが呼びやすい名が良いと思い決めた。だからレイはテオだけのものだな」
「レイは我のもの……。ふふ、レイは姿を変えられるから……男だったらどうしようと思っていた」
「変えていたのは顔だけだ。幼きころは一緒に風呂に入っていたのだから女だとわかっているだろう?」
「レイは性別すらその気になれば変えるであろう?」
「テオ……何故そんなおっさんくさい話し方が時折交ざるんだ?」
「ぐ……すまん……すみません」
「で、テオはこの島に陣を描いていたのか?」
その陣に導かれてここにたどり着いた、と?
「はい。この島を一旦出れば探し出すことはほぼ不可能とわかっていました。だから、目印をつけました」
「闇雲に魔法で地形を崩していたのではなかったのだな。土地に彫り込んでいたのか……あの当時九歳くらいか?やはりテオはすごいな!」
テオの才能が誇らしく、振り返ってテオに微笑む。テオが目を大きく見開き……途端に潤む。
「この龍の陣が、何故発動したかわかりますか?」
龍の術は範疇外だ。
「……私が魔力を土地に流したからだろうか?」
「レイの結界が緩んだからだ!それはレイの魔力が急激に低下したということ!つまりレイの命が消えかかったということだ!!!」
テオが膝の上の私をグルリと回し、抱きしめる!
「我は未だレイより弱く、レイの力が弱まったからこそ、その隙をつき陣が発動出来て、あなたを見つけた。見つけた瞬間から、あなたを失うカウントダウンが始まったのと同じで、ここに辿り着くまで心が凍りつきそうだった!」
テオが涙目で絶叫する!
「こんな想い、二度としたくない……」
「……ゴメンな、テオ」
私はテオの背に手を回し、相変わらず美しい銀の髪に手を差し入れ撫でた。すんすんと私の胸で鼻をすするテオは図体は大きくなったけれど……私の育てたかわいいテオに違いなかった。
テオが消耗した私に向けてガンガン回復魔法をかけているのがわかる。私の魔力が少しづつ充填される。心配をかけて恥ずかしいような、嬉しいような。
「テオ、そういえばご家族に会えたのか?ご健在か?」
「はい、両親も一族も私の帰還を歓迎してくれました。私を盗んだ国は灰になってました」
「うおっふ……ま、まあやむをえまい。うん」
テオは私のように寄る辺のない孤児ではなかった。よかった……。
「でも、家族がいるのにも拘わらず、私は寂しいのです」
テオが、寂しい、だと⁉︎
「テオ……嫌なことでもあったのか。私に出来ることがあれば何でも手伝うぞ!」
私の肩に顔を埋めていたテオが、ガバッと身体を起こし、私を見下ろす。
「……言質、とりましたよ」