Ⅱ 拾い子テオ
龍は母親の体内にいる時から記憶があり、自我が形成される。
我は他の種族が近づくことの叶わないレイワ山の山頂の龍の国で生まれた。数百年ぶりの龍の子、歓喜に沸いた。どうやら我の魔力は龍の中でも最高レベルらしい。次期王であることを意味するテオと名付けられる。成龍になったあかつきには龍族の発展に力を尽くそう。
大人達の会話は十分に理解しているが、いかんせん、ヒトの赤子の体、龍体になるのは10才を超えてからと決まっている。心身ともに未熟な状態で龍体は危険だ。
年老いて我を生んだ母の体は衰弱し、父に抱かれ養生している。龍のつがいの愛情は深い。そうなると我に乳をくれるものがいない。
大人が話し合い、どこからか人間の女を連れてきた。女は愛想よく我に乳を差し出した。
平和ボケしていたらしい。なんとその脆弱な人間の女に攫われた。一年以上もニコニコと愛想良く乳をくれた女に油断した。
龍の子は宝と言われる。龍の子を飼い慣らせば無敵の兵器となり、バラせば身体中どこをとっても薬となる。間違いではない。
どこの国の間者だったのか。愚かなことだ。このままあとひと月、我が歩けるまで乳を与えていたならば、生涯使いきれぬ宝玉を手に入れたというのに。
女は我を抱き、馬を転がるように走らせ山を降りる。なかなかの腕前。二日走らせ海に出ると、大型の帆船が待ち構えていた。我を抱いて早足で乗り込む。船が出港する。
我は女に情が移っていた。改心してくれないものかとここまで待った。残念だ。
我は雷雲を呼び、帆船を破壊した。
龍は水の中で死ぬことなどない。それはヒトの形態であっても同じ、海でのんびりと待っていればそのうち迎えがくる。しかし女が我を抱き込み離さない。面倒な!海底に沈んだら、改めて浮上するのはこの体では一苦労だ。
久々に水に浸かり、身体に鱗の膜が張っていく。ヒト体の柔な身体を守るため。まあ急ぐこともない。しばらく海に抱かれていよう……。
◇◇◇
「テオ」
見知らぬ声に強制的に起こされた。目の前に我らを裏切ったあの女……違う!
同じ顔をした圧倒的強者がそこにいた。成龍になれば人族などに負けぬが……今この時、この人間に敵うすべは一つもない!生まれて初めて恐怖を知った。
「私は……レイだ。しばらくの間よろしくな」
レイと名乗った女は、華奢な体を簡素な衣で包み、同じく簡素な出で立ちとなった我をおっかなびっくり世話した。我もただの赤子扱いをされてギョッとした。
しかし、よく考えればそうだ。我が龍だと知るわけがない。女から見たら、自分で何も出来ない、本当にただの子供。
「うーん、ご飯こんなもんでいいのかな。まだオッパイなのかしら?」
我は慌てて首をブンブン振る。二度と乳など飲むものか!
「お、私の言うことわかるのか?偉いなテオ!」
レイは柔らかな粥のようなものをスプーンですくい、我の口に運んだ。戸惑いつつも空腹に負け、口を開ける。これは……濃い!味が!今まで乳しか飲んだことのない赤子にはありえない辛さ!酒のツマミのレベルではないのか?コンコンとむせる。
「うわっ、すまん!熱かったのか?まさか口の中ヤケドした?クソっ!エクストラヒール!!!」
我の全身が金色の光に包まれた。
エクストラ、ヒール、だと?
死んでさえいなければ全ての病気を癒し、欠損すら元に戻すと言われる、伝説級の回復魔法!小さな引っ掻き傷が消え、右向きばかりのうつ伏せ寝でちょっぴり寝違えた首が元に戻り、身体中に無意味に活力が漲り思わず呆けていると、
「まだ痛いのか!も一回!エクストラ……」
いかん!色々間違っている!
我は慌ててダアダアと声をあげ、にっこり笑って見せた。テーブルをどんどんと叩いてみせる。
「だ、大丈夫ってこと?」
コクコクと頷く。
「あと少し食べるか?」
コクコクと頷く。
「よかった。大きくなれよ!」
レイが我を殺す気がないことがよくわかった。我は濃い味にすぐ慣れた。
それにしても、迎えがこないのは何故だろう。
歩けるようになり、レイが外に連れ出してくれてようやくわかった。
そこは大海に浮かぶ孤島だった。そして、島全体を包み込むように三重ものバリアがかかっていた。
島の中の気配、いや、島自体の存在すら消し去っている。これでは父も見つけられない。
手をつなぎ、島の端まで歩く。我の歩幅に合わせてゆっくりと。そこには小さな墓標があり、我がこの島に来た日のことを教えてくれた。
レイはあの間者が我の母だと思い、我のために顔を変えたと言った。
ちょっと待て?顔って変えられるのか?ここまで完璧に?
我はまた呆気に取られる。するとレイがしゃがみこみぎゅっと我を抱きしめる。
「すまない!ショックだったか?やはりもうちょっと成長してから話すべきだったか?でもテオにはちゃんと家族がいること、知っといてほしくて!その方が寂しくないだろう?」
この人は何もかもが的外れだ。死んだ女に感慨はないし、家族がいること、時が来れば会えることも知っている。
ではレイは?こんな海しか見えない島にひとりぼっち、寂しく……ないのか?
◇◇◇
歩けるようになったからには、我は率先して動いた。役立たずの赤子扱いなど二度とゴメンだ。
家の手伝いをすると、レイが目を潤ませて喜んだ。
「テオ!ありがとう!」
何故か毎日文法の違う言葉で話しかけられ疑問に思ったが、レイを見ていれば何を求められているのかすぐわかるので問題ない。
言葉に不自由がなくなると、レイは我に人族の学術を教えた。龍との発想の違いが面白く、我らでも役に立つ知識が多数あり、レイの豊富な知識に舌をまく。レイは龍族の恩人となるだろう。
生活や、学術は教えてくれるのに、魔法を教えてくれるつもりはないらしい。今も一緒に仲良く湯船に入って、右手から熱湯を出し、温度を上げているというのに、我にやってみろと言わない。まさか我に資質がないと思っているのか?そう思うと途端に悲しくなって、ストレートに魔法の教授をねだった。
頰を殴られた気がした。
レイはその豊かな才能ゆえに迫害され、こんな孤島で息を潜め生きていたのだ。
我の恩人に刃を向けるだと……許さない。
我がキリキリと歯を食いしばっていると、レイが魔法は教えるが、成人するまで、広い視野で物事を判断できるようになるまで隠せという。
力は見せつけてこそ意味がある。そう反論しようとするが、レイの瞳を見て怯む。そこにあるのはただただ純粋に我への心配。我が傷つくことを怖れている。
生まれながらに最強の龍となることを約束された我を……心配してくれるものなど……この世にレイだけ。
レイだけは裏切れない。悲しませたくない。我は成人までは人前で力を振るわぬことを約束した。
レイの魔法の特訓は常識に囚われないものだった。龍の体力がなければ2、3回死んでただろう。人族のレイもこんなギリギリの手法で手にしてきたと思うと弱音は吐けない。
魔法を教えてほしいと確かに言った。しかし龍のブレスよりも高熱な火魔法や龍が呼ぶ嵐よりも激しい雷が自分の右手から出せるようになるとは思わなかった。我は龍をチョッピリ飛び越えたかもしれない。
血反吐を吐きながら会得すれば、レイが駆け寄り、抱きしめ、すごいすごいと大喜びで我をグルグル回す。我を褒め、手放しで我の成長を喜ぶ人。もちろん仕上げはエクストラヒール。ただのヒールで十分だと何度も言っているのに。
レイは我の親ではないという。確かに親も家族も龍の国にいる。
それではこの世で一番大切な人、我を誰より大事に温めてくれる人のことを、何と呼べばいい?
◇◇◇
レイと生きて10年経った。心臓がドクリと鳴り飛び起きる。
隣を見れば、レイが安らかな顔で寝ていてホッとする。
「限界か……」
龍は10歳で成人し、龍体にならなければならない。龍体に馴染み安定させたのちに、人体、龍体を使い分けることができるようになる。
ここでの生活が穏やかすぎて、守られる感触が気持ちよくて、ズルズルとここまで来てしまった。
我は一度も龍体を取らぬまま、12歳を迎えてしまった。
この島で龍体になるなど論外。この小さい天国は一瞬で潰れてしまう。
帰らなければならない。レイに相談して……全てを説明して……島の結界を解いてもらわねば……
レイを見つめる。レイの本来の顔はどんな顔なのだろうとふと思う。
「どんな顔であろうとレイはレイだ」
レイは容姿を変えられるのだ。だから我は、レイの指先、爪の形、そしてオーラの色を脳裏に叩き込む。レイのオーラは、出会った当時は山吹色だったが今は淡く光るクリーム色。我の銀が混ざったこと、たまらなく嬉しい。
「龍の我も抱きしめてくれるだろうか?」
◇◇◇
うとうととしていると、またもや心臓が軋み飛び起きた。
「な……」
そこは我にはかなり手狭になった小さな島の小さな小屋の小さなベッドではなかった。
どこかの大陸の、大樹の根元。キョロキョロと周りを見渡せば比較的新しい建物が見え、善良なヒトの香りがする。
「我は……捨てられたのか?」
思いもよらない事態に動揺し、ふらふらと立ち上がる。
「違うっ!レイは優しい、レイは賢い……」
優しいレイが我を捨てるわけがない。身体に頰にレイのクリーム色の残滓が残っている。
「気づかれたのだ……きっと」
我が切羽詰まっていることを。今この時も狭い人体に押し込められた心臓が悲鳴をあげている。
「くっ……これ以上もたない」
我はすぐさま背後の山に走る。人気のない広い場所を求めて。レイとの約束。
ふた山越えて、生物反応がない山頂に着き、額に魔力を集める!身体がちぎれるがレイの特訓に比べれば何ほどのものでもない。目を閉じて痛みが遠のくのを静かに待つ。虫の音が聞こえる。ゆっくりと目を開けると、視界が違った。目の下に木の梢。足元を見ると銀の鱗に覆われた脚。手を目の前に出せば刀のような鋭い爪を持つ銀の腕。
(間に合ったか……)
どかっと腰を下ろすと、山が揺れた。急激な細胞の変換のためか、猛烈に腹が減った。
何を入れていたかうろ覚えだが、亜空間のマジックボックスを開ける。
たっぷりと、レイお手製の味の濃い……我の好物だけが入っていた。食べ物、飲み物、薬、我が龍の国一国買える金。恐ろしい覇気を纏う武具一式。
(こんなの……捨てられた、わけがない。こんなにあれこれ持たされて、どっちかというと遠足だな。ははは……)
ワナワナと震える身体を抑えつける。その、姿を変えた銀の身体にまとわりつくクリーム色の残滓。そこにあらゆる病魔を退ける大いなる加護がビッシリ埋めつくされていることに気がつく。先程までと同じ、あなたに抱きしめられているのと同じ。
(ああ……これを愛と言わずして何と呼ぶのだ。レイ)
あの強固な結界の外に出てしまった。今の我には見つけられない。戻れない。
あの優しくも寂しい島で、我無き今あなたは一人、何を思う?
(力をつけねば……)
涙を拭う。空を見上げれば満月。満月の温かい光はレイのオーラを思わせる。
我は大好物の木の実のパイを丸呑みし、額に魔力を集中させ、飛んだ。