Ⅰ 孤島の賢者
よろしくお願いします。
大風と落雷の夜が明け、私は廃材を拾いに浜辺に出た。船の残骸とともに、まあまあな身分を思わせるドレスを着た茶色の髪の女が一人、死んでいた。
まだ若いのに、と小さく祈り、顔を覗き込むと、彼女の懐がもそりと動いた。そっと身体をひっくり返すと……子供がしがみついていた。銀髪?珍しい。首に手を当てる。生きている。大人も死ぬ嵐というのにちょっとありえない。この女が身を挺して守ったのか?……案外才能あるものだったのだろう。
私には子供の扱いなど分からない。でもここに放置できるほどの鋼の心臓は持っていない。
「参ったな……」
私は女の顔をマジマジと見つめ、印を結んだ。私の顔が数秒で女のものに変わる。女から子供を受け取り抱き上げた。
「まずは、買い物かな……」
子供が自分でも抱ける重さでホッとした。
◇◇◇
私はかつて賢者と呼ばれた。
物心ついた時には孤児院にいたので血筋はさっぱりわからない。獣人やエルフ、ドワーフとあらゆる種族の生きる世界で人族であるというだけ。
何故か莫大な魔力を持つことが発覚し、教師をつけられ、一つ一つ吸収し、自作で魔法を練るようになる。やがて何度も何度も戦争に出され功績を上げると、あまりの強さに人が怯え、何故か命を狙われる。
そんなことを国を種族を代え何度も繰り返し、私は諦め、家も名前も身分も捨て、全ての国から消えた。この大陸から遠く離れた孤島で一人、自然とともに暮らしている。
そうは言っても不自由な生活をするつもりもなく、生活必需品は移動魔法で買い出しに行く。賢者の情報など入ることのない辺鄙な田舎町に、いつも違う顔で。
子供を小屋のベッドに寝かせ、浄化をかける。メジャーで体を採寸し、男の子であることを発見する。病気ではなさそうなので、額を押して睡眠の魔法をきっちりかける。
私はいつもと違う、この島に比較的近いそこそこ賑わう街に移動した。掲示板を見て、新聞を買ったが、どちらにも行方不明の子供に関する記事はなかった。残念だが予想はついていた。人が一人いなくなること、荒れたこの時代、珍しいことでもない。
帰宅すると、男の子はまだスヤスヤと寝ていた。町の雑貨屋に身長は80センチだと言うと、二歳くらいだと教えられ、すぐ大きくなるからと大きめの服や靴を勧められた。言われるまま買った。
ぼろぼろの服には銀の鱗が数枚へばりついていて、かなり長いこと海に流されていたようだ。着替えさせると、上着の内側にテオと刺繍があった。名前がわかりホッとすると同時に、手の込んだ刺繍を見るに、この子もなかなかの身分と推察する。
私は睡眠魔法を解いた。
「テオ」
小さな顔の大きな瞳がパチリと開いた。初めて見る紺碧の瞳。
「テオ、私は……レイだ。しばらくの間よろしくな。さて何か食べようか」
◇◇◇
テオは多分手のかからない子だ。聞き分けよく、ご飯を残さず食べ、少しずつ大きくなりホッとした。
「れい!れい!」
少しずつ言葉を話すようになり、どの国の言葉で話した方がいいのか迷った。テオが将来どの国に住むのかわからない。悩んだ末、日替わりで主要な三ヶ国語で話しかけることにした。
テオと意思疎通が出来るようになったら、あの彼女の墓に連れていった。
テオは嵐に巻き込まれてこの島にたどり着いたこと。私のこの顔の女に抱かれていたので母ではないかと思うこと。将来私のこの顔を探せば自分のルーツにたどり着くかもしれないこと。
「レイとおなじかおをさがす?」
「探さなくてもいい。まあでも何か、別のものを探したくなるだろう。この島にないものを。テオもいずれ独り立ちする時が来る」
「レイも一緒に行く?」
「私は親じゃない」
親を知らない私が親になれるわけがない。
テオは手先が器用で、私の家事を手伝うようになった。何でもそつなく覚えるので、私は動物の狩りかた、真水の作り方などサバイバル術と、一通りの読み書き計算を教えた、推定七歳で教えることがなくなった。うちの子天才かもしれない。
「レイは手から水を吹き出すのに、何で僕は蒸気が落ちるのを待たなきゃいけないの?」
「私はズルをしてるのだ」
「僕もズルしたい」
そりゃそうだ。人間は誰しも楽になるための努力を厭わない。
テオにはふんだんに魔力があった。私は魔法をテオに教えることにした。
「私はこの魔法のせいで利用され迫害され、社会に適合できずここにいる。成人するまで魔法が使えることを隠しなさい。社会を、ヒトというものを理解したうえで、人のいいなりにならずに済む実力を身につけてから、魔法の活かし方、自分のこれからの生き方を考えること」
「……わかった。大人になるまで誰にも言わない!レイとの約束!」
大きすぎる力は本人を驕らせ周囲に怯えられる。私はテオに教える魔法を加減した。風魔法はハリケーンレベルではなくトルネードレベルに。火魔法は国を焼き尽くすレベルではなく王都が燃える程度に。水魔法は海を割る水圧ではなく、ひと山飛ばすくらい……とにかく人並みを心がけた。テオが魔法をぶっ放すたびに島の地形は見る見る変わり小さくなったが、私一人の老後には十分だ。それよりも、
「レイー!できたー!!!」
喜びジャンプして飛びついてくるテオを抱きしめてグルグル回るのに忙しかった。
「レイ!大好き!」
まあ私は本当の親ではないのでテオを怒ることも躾をすることもないからな。好かれてもおかしくない。テオはそつなく、怒られるようなマネをそもそもしないけれど。
空間魔法まで教えたのは失敗だったかもしれない。しかしうっかり見られてねだられ、自己流を追求するなど危ないことをされるよりも……。この魔法の使い手はこの世に私とこの子だけだ。
私はテオとそうやって10年ほど過ごした。島中を走り回り、魚のようにザブンと海に潜り、遊び、学ぶテオを見守る日々は思った以上に楽しく穏やかな時間だったが、私に教えられることはなくなった。
今この子に必要なのは社会での処世術。
テオはここで生きていくわけにはいかない。友人を作り、恋人を作り、共に涙し、共に喜ぶ。それが一般的な人生の醍醐味だろう。
私はとうとうその一般的な場所に行くことは叶わなかったが。
そんなマイノリティーの嫌われ者と一緒にいるのは、テオにとって極めてよろしくない。テオの未来はキラキラと輝いている。私が彼の汚点になるなど許されない。
満月の夜、潮騒を聴きながらテオの寝顔を眺める。なかなかの美少年に育った。モテモテになるかもしれない。ちょっと羨ましい。
テオのマジックボックスに3年分ほどの食料を補充する。これだけあれば飢えることはないよね?念のためあと一年分足しておこう。テオの大好きな木の実のパイも。あっ!と気づいて傷まないように品質保持魔法を即興で作り、かける。あの嵐の日テオの着ていた服も入れる。お金は当面1億ゴールドで足りるだろうか?装備はかつて古代の遺跡で偶然見つけた英雄オリアーデの槍を……いや、これ以上甘やかしてはこの子のためにならない。こんなものだ。
……やっぱりこっそり入れておこう。いらなければ売ればいい。路銀の足しにはなる。
全身に病除けのバリアを張る。ついでに顔に吹出物ができないようにバリアをはる。私は思春期苦労したから……
目に視力の強化、口に毒無効の魔法をかける。おっと虫歯の予防も忘れちゃいけない。
私は本当の親ではないから、この程度しかしてやらない。
「テオの人生に幸多からんことを……」
寝ているテオの頰に、いつからか習慣になってしまった、キスをした。
テオを抱き上げる。随分と重くなった。思わずぎゅっと抱きしめる。何故か胸が痛い。
テオに唯一教えなかった移動魔法で、私の考える、一番治安のいい、まあまあな為政者の治める国の孤児院に飛び、玄関の大樹に寄りかからせて、別れた。
一人島に戻り、泣いていたことに気がついた。
◇◇◇
元どおりの生活に戻り、私は顔を元に戻した。懐かしい平凡な顔が現れたが黒髪はまだ黒く、翡翠と言われた瞳は相変わらずで、何故か衰えていない。変化魔法をかけている間、成長が止まるのだろうか?ありえなくはない。ずっと偽の顔の維持のために膨大な魔力を使っていたのだから。
テオのいない毎日はポッカリと胸に穴があいたようだ。でも私の胸はかつての長き戦闘で既に傷だらけ穴だらけで今更だ。
ある日、トボトボと買い出しに訪れた町で掲示板を見た。最新の世界ギルド冒険者ランキングが載っていて、テオの名が上から10番目にあった。パーティー名はないのでソロなのだろう。
冒険者になったのか……。テオは自分の力で自分の意思で……生きていた。
その夜、祝杯をあげ、珍しく飲み過ぎた。
たまに町に飛んでは、ランキング表を見ることが、唯一の楽しみになった。
また数年経ちテオは着実にステップアップし、とうとう一位になっていた。頑張ったんだなあ……と思ったらまた涙が出た。このところ涙もろくていけない。これはきっと我が子を思う親の気持ちだ。私はテオの親の気分になっている。親らしいことなど何一つしていないのに。
でも心で思うくらい許されるだろう?私の生涯唯一の贅沢だ。
◇◇◇
木の実がたくさん取れたので、パイを焼く。これを食べるとテオのかわいい笑顔を思い出す。
テオが巣立ってからどれだけの月日が流れたのかもう数えていない。
私の身体はまだまだ魔力がたっぷり残っており、そのせいかあまり衰えない。それが悩みだ。もう十分生きた。
そうだ、もうやり残したことなどない。だって私は子育てすらも終えたのだから。幼子のふくふくとした手、温かな体温。若芽が息吹く様をすぐ側で見ることができた。思いがけない幸運。
外に出て、テオを見つけた浜辺に行き、両手を地につける。
「せいっ!!!」
私の魔力を全力で島に流す!疲れ果てた私を受け入れ、私とテオの成長を見守ってくれた島への恩返し。私の魔力が残る間は島は潤い、邪な輩を払いのけるだろう。
体から力が抜ける。生産の追いつかないスピードで急激に魔力を放出すれば、さすがの私もただではすまない。心臓が悲鳴をあげ、みぞおちを中心に縮んでいくのがわかる。
テオの愛らしい寝顔を思い出し、ああ……プラマイゼロの人生だったな……と口角が上がった。
神よ……私を御許に……
島が急に青く輝いた!島の地下から魔力が四方に走り、摩訶不思議な紋様を描く!島中に一気に張り巡らされ、紋様のまま光の柱が立ち上がる!
「陣か⁉︎」
こんなもの知らない!賢者と呼ばれたこの私の知らぬ文字!私の黒髪も舞い上がり、光の行き先の天空を見上げる!
快晴の朝だったのに、いつのまにか上空に真っ白な雲が渦を巻いていた。その中心から、何かが真っ直ぐに……降る!!!
ズーーーーン!!!
あまりの眩さに閉じた目をゆっくりと開く。見つけた光景に口がポカンと開く。
頭上に、大陸の最奥にあるナジュラの丘ほどの大きさの、銀龍が出現した。
私は……何気に龍を召喚したのか???
確かに神の下へ行きたいと願ったけど……あれ?