表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朝比奈の冒険  作者: あど
6/11

朝比奈かぼすの敗北



吾妻屋りんご 17歳 高校3年生 美術部部長



彼女は産まれながらの天才ではなかった。


ごく一般的な家庭で、ごく普通の両親の元で育った。


彼女自身もやや大人しい性格ではあるが、それ以外は至って普通のどこにでもいる女の子だった。


そんな彼女をごく普通の両親は、より普通に、更に普通に、殊更普通に育つようにと様々な習い事に通わせた。


彼女の大人しい性格が、より()()になるように、社会性や社交性を学ばせたかったのだ。



それが彼女にとってひどく苦痛であった。



まるで、自分の人格を矯正され強要されているようであると。


表側に出ないだけで、内側に感情はしっかりとあるのに。



鬼ごっこよりも日陰で砂遊びに興じる楽しさを、おもちゃを取られて言い返せなかった怒りを、ペットが死んだ時の心の中の涙を、誕生日プレゼントを密かに自分の部屋で開ける喜びを。


だからこそ、彼女は日常が辛かった。


なぜ、感情をわざわざ他人に分かるように表情で説明しなければならないのか、なぜ、みんな人間は内側の感情が見えないのか。幼い彼女は日々悩んだ。



7歳の夏休み。


「夏の思い出」を描く宿題があった。


彼女は、田舎の祖母の家で花火をした日の絵を描いた。


花火は綺麗だったしそれなりに楽しかったので、それを選んだ。ただし、自分の表情を笑顔に描き換えて。



2学期のある日、彼女の描いた「夏の思い出」が絵画コンクールで表彰された。


感情豊かで、素敵な絵です。審査員はそうコメントした。


彼女は心の中で喜んだ。


表彰された事に対してではない。


表現された事に対してだ。




それをきっかけに彼女は絵に没頭した。


彼女は苦痛から逃れるために絵を描いた。


絵を通して自分の感情を表現すればいい。


そうすれば、自分は変わらずにいられる。


描いて描いてひたすらに自分の感情を描いた。




14歳の頃、彼女は芸術の天才と呼ばれるようになった。



その頃には、両親は彼女に対して何も言わなくなっていた。



そして彼女自身も、天才としての苦悩の道を歩む事となる。








ー朝比奈かぼすが描き始めて1時間


朝比奈かぼすの選んだ油絵の具は最新技術の超速乾性であり、従来の物より極めて早く乾く。というか一瞬で乾く。そのため、次々に色を塗り出すことが出来る。しかし、その一瞬が彼女の体力を大きく奪う。


しかし全集中途切れる事なく只管に筆を踊らせる。体力だけでなく脳回転数もオーバーヒート寸前状態で、汗だくどころか鼻血すら出ている。血が口へ伝う。その血を拭う事なくぺろりと舐めて呟く。


「鉄の味じゃない、芸術の味だ。舌が爆発している。」



色々と限界で、もはや精根尽き果てる寸前に一同が思えた頃、朝比奈かぼすはようやく筆を置いた。通常の何百倍ものスピードで油絵は完成した。


めがねの男子生徒は飛散した油絵の具のおかげで色鮮やかな現代アート的なオブジェに成り代わっていた。



狂った新入部員が描いた一枚の油絵。


彼女の危険性をこの短時間で十二分に理解しているであろう他の部員達も、その絵を遠目で眺めるよりも間近で注視せざるを得なかった。


一枚の絵を囲む茫然とした表情の部員達。

しかし彼女だけはその輪の中で満足げな表情を魅せている。


色鮮やかなオブジェもようやく動き出したかと思うと、見えない眼鏡を外し狂人の作品を眺める。




「嘘だろ?」




部員が無音の中、口走る。

その声を皮切りに部員達がぽつりぽつりと続ける。


「これって抽象画だよね?」


「あのデタラメな筆の動きで?ここまで正確に?」



「いや、これは正確というより、」





「完璧だ。」




唯一、遠目から輪を見つめる吾妻屋が答えた。

そして、彼女は輪に歩みながら談ずる。


「一見、無作為無造作に見えて意図的にフラクタル構造を構築した抽象画家ジャクソン・ポロックのドリップ・ペインティング技術だねー。」



朝比奈かぼすは汗をぬぐい答えた。


「はい、ちなみにfractal dimension、つまりD値2.0です。」




「フラクタル?D値?」

新入部員の一人が話についていけず呟く。

色鮮やかなオブジェは、はてなマークの部員に説明した。


「フラクタルてのは、ええと、ブロッコリーみたいに一部分を拡大した時にも、そのもの全体が分かる構造の事だよ。D値てのは、ええと、まあフラクタルの複雑性みたいなものかな。自然界のものはだいたい1.2〜1.5くらいで、、例えば雲とかは1.5だよ。」


その説明でもいまいち掴めない新入部員をよそに、オブジェは得意げに答えた。



「そうみたいだねー。ジャクソンでさえ1.9が限界だったのにかぼすちゃんは正確無比に書き上げ、まさに空前絶後の存在だねー。」



朝比奈かぼすはその言葉にやや俯いて上目遣いで不敵に答える。


「・・・・違いますね、あなたも2.0まで辿り着いてますよね?」




「そっかー。わたしの飾ってた絵を見てたんだねー。そうだねー。そういえばあの絵もD値2.0で描いたねー。」




「わたしは、元々1.6までしか描けませんでした。元々というのは、この絵を描く瞬間までです。•••だから、今、この場で成長して2.0まで描いたんです。」


朝比奈かぼすは人間の能力のまま人間の限界へ到達した。元全知全能の神である彼女でさえ、破ることの出来なかった壁、登ることを諦めた壁を登頂した瞬間であった。そこには吾妻屋の発破が大きく影響していたのは間違いない。




二人のやりとりを他所にただ眺めるだけの部員達。


「つまり、どういうことですか?」


「ええと、、とにかくめちゃくちゃ凄くてやばいって事だよ!あの絵は全て計算して描かれている。

例えばもう一度描いてと言われても彼女なら機械のように精密に全く同じのが描けるってことだよ!」



吾妻屋は眠そうな猫目で答える。


「そっかー。なるほどねー。これは予想以上だったよー。まさか、部長の私と同じ程度の絵が描けるなんて凄いじゃないかー。」


「わたしは、もっともっと成長します。今は、対等でも明日にでもあなたを抜かして一番になります。」



朝比奈かぼすは、不適に笑う。




「感心歓心、その意気だよー。そんなかぼすちゃんに先輩から1つのアドバイスと1つのプレゼントをしようー。」


朝比奈かぼすは未だ飄々とした吾妻屋の態度に少しムッとして答えた。


「なんでしょうか?」


「色というのは無限だけど人間の認識できる色は有限なのを知ってるかなー?」


「もちろん知ってます。紫外線や赤外線は人間に見えませんし。」


「そーそー。それでねー、わたしはひとつ気付いたんだよー。14歳のときだったかなぁー。絵はぷよぷよみたいに規則正しく法則通りに画面いっぱいに並べきったら、連鎖して連鎖して連鎖してはじけるのかなあーって。」


「それでね、いろんな色のぷよぷよを画面いっぱいに並べて描いてみたんだけど、はじけなかったんだー。芸術は爆発しなかったのだよー。」



「それは、あなたの絵が未熟だったからではないでしょうか?わたしの絵は爆発しているように見えますが。」



「かぼすちゃんにはそう見えるんだねー。あの機械のように精密な絵がー。自然界の法則と全く同じ理を表現したあの絵がねー。」


「完璧だもんねー。まるで神の指紋のようだよー。でもねーそんなもの芸術は望んでないんだよねー。」


朝比奈かぼすは何も答えず吾妻屋の方をじっと見つめたままだった。


「かぼすちゃんは目の前の葉っぱをかけって言われたらどう描くー?」




「その通りに描きます。ピカソのように多方面から捉えず、モネのように明るく荒くかかず、純粋に完璧に。機械のような精巧さこそ、自然の美しさだとわたしは思ってるから。」



「正解だねー。いろんな答えがあっていいと思うんだー。私は違うんだー。キャービズムも印象派も超現実派もポップアートも全て等しく芸術さー。」



「でもねー。わたしは葉っぱを食べるんだよー。虫になって、どうやってこの綺麗な葉っぱを綺麗な形で食べようかなぁて想像して付け足すの、アンバランスさをねー。」


「それはデザインですよね?」


「違うよー。絵は描いて終わりじゃないんだよー。誰かに情熱やらを伝えなきゃアートとは言わないんだよー。」


「だから、かぼすちゃんに今描いたわたしの絵をプレゼントするねー。タイトルはー


『わたしの想像する「かぼすちゃんのやりたい事」』



「てっきり一階廊下の絵をくれるのかと思ってました。」


「ああー、あれねー。あげるよー。先代の校長先生が欲しいっていったから私の私物あげたのー。1()4()()()()だから3年前に書いたやつだったかなー。」



「じゃあ、わたしはちょっと用事があるからもう帰るねー。みんなお疲れ様でしたー。」


そう言い残し、吾妻屋はくわえタバコで出て行ってしまった。


呆気にとられる部員をよそに、疲れておぼつかない足でその絵に近寄る。



その絵には、


二つに割れた地球が描かれていた。



見たことのある地球


わたしが火星から見た地球と全く同じ景色だった。






彼女はわたしが全知全能だったのだと知っていたのだろうか。



いや、違う、知らない。仮に知っていたとしてもこの景色はわたしと神さま以外知るはずがない。知ることなんて出来るはずがないのだ。

彼女はわたしのやりたい事を想像して、創造して、この地球の絵を描いたのだ。精巧と想像が混ざり合う絵。わたしは、3年前の吾妻屋部長の影を追っていただけに過ぎなかった。




「・・・何が対等だって、、わたしの完敗じゃないの。」



「悔しいなぁ、また1番になれなかった••••」






他の部員が固唾を呑んで見守る中、朝比奈かぼすは生まれて初めて涙を流した。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ