朝比奈かぼすの転校
「••••ひなさん!朝比奈さん!朝比奈さん!!大丈夫!?。」
若い女の子の声がする。目の前が真っ暗だ。あぁ、わたしが目を閉じてるからか。
声だけでは相手の大体の年齢と性別くらいしか分からなかった。多分わたしと同い年くらいの女性。
全知全能の力は失われた。
名前も顔も血液型も嗜好品も既往歴もDNA情報もほくろの数も昨日何を食べたのかも、そんな簡単な事をその声の持ち主から特定する事をわたしにはもう出来なかった。
どうやら、本当に人間としての人生を再スタートしたみたいだ。
と考えながらのわたしはというと桜満開の並木道の真ん中で倒れていた。いや、眠っていた。寝ぼけ眼を懸命に見開くと、朝陽に照らされた桜色で視界が染まる。
(ほぅ、やるな神さま!なかなかドラマチックな二週目の始まりじゃないか!)
「今日は何月何日?」
わたしはとっさに出た1発目のセリフを吐いた瞬間に後悔した。なんてベタなのだろうと。ドラマチックな始まりについ調子に乗ってしまったようだ。
心配そうにわたしを覗き込む少女は答えた。
「えっと、、4月1日だけど、、。」
そう答える少女を注視するとなるほど中々の美人だ。黒髪セミロングで整ったスタイルに合った乱れのない制服の着こなし。
んー、見覚えがあるな。確か中学が同じだった鴨川さんだ。
鴨川みかんさんだ。
鴨川さんの事をより深く思い出すその前に、わたしは再び目を閉じた。それよりもまずはこれまでの事を整理するために。
(わたしが地球を真っ二つにしたのは日本時間の深夜で4月1日。ちなみにわたしの17歳の誕生日でもある。それから、火星に行っての滞在時間は大体2時間ほど。てことは、『今』は同日4月1日の朝って事かな?数時間の記憶が無いのは、なぜか分からないけど神さまの微調整とか適当な理由だろう。。)
「朝比奈さん、どうして目を閉じるの!体調が悪いの!?それとも、やっぱり眠いの!?」
体調よりも眠気を心配する鴨川さんにわたしは目を閉じたまま答えた。
「おはよう。大丈夫、眠いだけ。昨日は少し夜更かししただけだから。」
場面転換
「はじめまして、朝比奈かぼすです。今日からよろしくお願いします。」
わたしは軽く会釈した。
2年生新学期、ただでさえクラス替えで慣れない新生活の中、その上転校生が来るなんてイベントだらけで今日は慌ただしすぎる。
そう思っているであろうクラスメートを慮ってわたしは、端的に必要最小限の挨拶をした。
担任は、わたしの貧相な自己紹介をおとなしい子なのだろうと気を利かせてくれたのか、わたしの自己紹介を付け加えた。
「家の事情で転校する事になった朝比奈かぼすさんだ。鴨川とは中学からの知り合いだそうだ。みんな新学期で慣れないだろうが、仲良くしてあげてくれ。席は、鴨川の隣でいいな。ちょうど空いてるしな。」
•••わたしは驚愕した。
舌打ちをしそうになった。
わたしの新しい席は一番前列の中央。教台の真ん前だ。
なぜ、この席がちょうど空席なのだ。
新学期なら席順はあいうえお順ではないのか。
それとも、わたしが転校する数分前に席替えでもしたというのか。だとしたら、クラス単位で陰謀工作が行われている。
というか一番後ろの左端窓側も空いてるじゃないか。
転校生と言えばその席が常識だろう。
「よかったね、朝比奈さん。この席だとお互い授業に集中できるね。」
わたしの右側にいる鴨川さんが嬉しそうに話しかけてきた。
この子は1番前の席が苦ではないのか!
わたしは神さまに鴨川さんとの交流設定の消去を依頼するべきであったと少しだけ後悔した。
「ああ、それと」
担任は続ける
「今日は始業式だから3限で終わる。鴨川、悪いけどそのあと朝比奈さんに学校を軽く案内してあげてくれ。」
このあとは何事もなく始業式、役員決めや係決めのホームルームなどを終え、新学期初日は終わった。
わたしは放課後、鴨川さんに連れられ校舎を見て回った。
全く見覚えのない校舎だ。わたしの以前通っていた高校よりも広いし綺麗だ。
転校生という設定を全知全能の頃のわたしは予測していたのだろか?てっきり、同じ学校でのスタートだと思っていたのだが、でもまあ新鮮で悪い気はしなかった。
それにしても、鴨川みかん。この子がこんなに秀才だった事をわたしは忘れていた。
わたしの記憶では、この子とは家が結構近所だったから中学の頃たまに一緒に帰っていた程度の付き合いだ。
その時から、学力や知能指数もわたしより断然上だったのを覚えている。
それだけではない、内心もよく規律正しくルールも厳守する。彼女がルールを破ったことは一度たりともない。帰りにコンビニに寄ろうとわたしが誘っても彼女は下校中の買い食いは学校の規則違反だとわたしに説明した。人も車もたまにしか通らない赤信号をわたしが渡った時は交通法規について1時間以上お説教を受けた。
ちなみに中学の生徒手帳に記載されている正しい学生の身なりについて描かれた女の子の絵の通り1ミリのズレもないスカート丈、白い靴下、学校指定カバン、そして女の子の絵が前髪パッツンおさげ髪だったからなのか彼女も前髪パッツンのおさげ髪だった。
大抵そんなお堅い人間は嫌われるのだが、彼女の場合は違った。
誰かがルールを破ったなら、それがなぜいけない事なのか、そしてルールを破った事情があるのなら真剣に話を聞いてくれて自分のことのように解決してくれていた。
その聖母のような博愛主義である彼女だからこそ人望も厚く中学では生徒会長を務めていた。
そして、今日の始業式。
生徒会長挨拶の時、やはり彼女が壇上に上がった。
威風凛然とした彼女の挨拶から並々ならぬ威厳を感じた。帝王学を嗜んでいるのかとすら思うほどに。
いや、帝王学を嗜んでいるのかもしれない。
現生徒会長と言うことは一年生後期で当選を果たしたという事だ。その結果こそが彼女が尋常ではない人間という事を物語っていた。
•••もっとも、全知全能の頃のわたしの次にという話だが。
一通り、生徒会長の懇切丁寧な校内オリエンテーションを終えた頃、時間は正午となっていた。
「明日は部活紹介があるから、一緒に回ろうね!」
鴨川さんはこれから生徒会の仕事があるらしく、今日はこれでお別れした。普通の人間に戻り、凡人となった今だからこそ彼女の秀才さを思い知る日となった。
わたしはそのまま1人帰路に就く。
川沿いを歩いて帰る。鮎が釣れる綺麗な川だ。
今日半日過ごしてわかったことは、やはり全知全能だったという結果、記憶は残っているが、それに辿り着くまでの人外として超越した知識も知恵も記憶力も技術力も身体能力も倫理観も失われている。それらは全て人間の常識範囲内のようだ。
それでも、やはり、いやだからこそ試したくなったのだ。
自分の捨てた力の重さを。これから、達成せねばならぬ2周目の人生の難易度を思い知るために、覚悟するために。
わたしは何度も周りも見渡す。
誰もいない、誰も見てない、誰も聞いてない。
いまから言うことは絶対に聞かれてはならない。
わたしは誰もいない菜の花畑の畦道で無表情に呟いた。
「惑星喰らいの刀を創生。」